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わたしがクレーン萌えだったころ

ベルギー

今朝、こちらのanneさまのブログを見て嬉しくなった。

わ、仲間がいた!今日はクレーンの話にするぞと即決した。

anneneville.hatenablog.com

anneさまはこのように書いている。

(もうお断りしてあるので、ちょっと失礼して抜粋引用させてもらう)

 

それにしても、真近で観る、船で運ばれてきたカーゴを港に移す巨大なコンテナクレーンの姿は、かっこいいです。まるで生き物みたいですもの。

アニメでみる、ガンダムとかマクロスとかの巨大ロボットに通じるものがあると思ってしまうんですけど。

 

 全く同感!私もベルギーで、港湾クレーンを初めて見た時、目が釘付けになった。「生き物みたい!」と思ったし、巨大ロボットに似ていると感動したものだ。

 

そしてこちらの

写凡珠(しゃぼんだま)さんの作品をご覧あれ!

(さきほど無理を言って許可を頂いてきました。ありがとうございます)

 

遭遇

 遭遇⑨ - 写凡珠

10月にこの写真をみたときに一目ぼれし、いつか言及しようと思っていた。もう、なんという美しさだ。夕陽に向かって馬が歩いているようだし、向こうにも4基のクレーンたちが手を振っている。

空を飛んでいる鳥はなに?鶴とかいわれたら、私はもう気を失いそうだ。

なぜってクレーン(crane)は鶴という意味だもの。フランス語ではla grue,やはりクレーンと鶴という意味がある。(もうひとつ隠れた意味は「娼婦」、片足を曲げ、足の裏を建物の壁などにつけて立っていることから)。

 

1.アントウェルペンの港湾クレーン

まず、クレーンってなに?

①荷を動力を用いてつり上げ(人力によるものは含まない)
②これを水平に運搬することを目的とする機械装置(人力によるものも含む)

 

港湾クレーン(英語:Port cranes、蘭語:Havenkranen)

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アントウェルペン港。2015年12月撮影

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同。2016年3月撮影。

 

クレーンの登場はいつ?

・紀元前450年頃のギリシアであると言われ、当然ながら人力で動かした。

古代ギリシアの石造建築は、この人力クレーンによって造られた。

 また日本では 貞観9年(867年)頃、東大寺大仏修復作業において斎部文山が「雲梯之機」なるクレーンを使用したことが、日本三代実録に記載されている。

雲梯とは本来は古代中国の攻城用の折りたたみ式の梯子車のことであるが、その梯子の先に滑車を取り付け、綱をかけて、轆轤で綱を手繰り寄せ、大地震で落下した大仏の頭を引っ張り上げたと書かれている。ウィキペディアより引用)

 

アントウェルペンの書店ではこんな本が出版されていた。(2015年)

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タイトル:『750年ーアントウェルペンにおける港湾クレーン』(1263-2015)

このような長きにわたり、アントウェルペン港とともに立ち働き、その繁栄と発展を支えてきたクレーン。最初はもちろんすべて人力で動かしていた。その後、蒸気、水圧、電気へと技術も革新した。

またクレーンの台数も、1680年から1912年の間に、17基から300基に増えたという。1931年の時点では595基あったというから、その情景を思い浮かべるのもたやすいことではない。

さらにアントウェルペン市は、クレーンのコレクションも世界一で、18基を所有しており、そのうちのいくつかは博物館で見ることができる。(屋外)

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「青の9号クレーン」、これは国の海洋文化遺産に指定されている。
(Drijvende stoomkraan nr. 9 )

上がちょん切れたひどい写真で申し訳ない。

 

クレーンを持ち上げるクレーン

http://www.portofantwerp.com/sites/portofantwerp/files/imce/Havenkranen%20DSC_5487.jpg

http://www.portofantwerp.com/sites/portofantwerp/files/imce/Havenkranen%20DSC_5487.jpg

 

クレーンの種類などはこちら。写真と図解で丁寧簡潔な説明がある。

http://www.crane-club.com/study/crane/jibcrane.html

 

 

アントウェルペン港(の一部)

 

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手前:立ち働くクレーンたち。博物館展望台から撮影。2015年12月。

この日は曇りで写真がパッとしないが、遠くに原発が二基見える。

 

2.ブリュッセルのシティクレーン

さて私たちが普段目にするのは、建設用のクレーンだと思う。ビルやマンション、学校などを建設する何カ月もの間、毎日見ているし、強風の日などはハラハラする。

この建設用クレーンもベルギーで見かけるものと、私の住んでいる東京で主流なものとは違う。ベルギーやヨーロッパのはT字型をしており、つち形クレーン (ハンマーヘッドクレーン)という。日本では敷地いっぱいに建物を建てるため敷地に余裕がなく、ジブ起伏式クレーンを使用するということだ。

2007~2008年のブリュッセル滞在では、自宅の隣の敷地にマンションが建つというので、私は1年間毎日観察していた。

何をかって?

それはね、クレーン男を。クレーンを操縦する男性は朝出勤してきて、クレーンの梯子を登って持ち場につく。お昼に一回だけ降りてきて、建設現場の仲間と食事に行く。そしてまた夕刻までもくもくと働き続けるのだ。毎日見ていたので道ですれ違ってもわかるほどだ。

そしてあるうららかな春の日、クレーンの役目は終わったので、上から順々に鉄骨を外して畳んでいった。

さようなら、クレーン男さん。

下の写真:解体中。この日は仲間が手伝いに来ていた。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/c/cenecio/20160627/20160627084243.jpg

 

Ixelles. Bruxelles, 2008

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/c/cenecio/20160627/20160627084850.jpg

Ixelles. Bruxelles, 2007

写真の上のほうに、まだ動いていたころのクレーンの先っぽが見える。

向こうの市街地にもクレーンが二基見える。

 

これで私のクレーン萌え時代のおはなしは終わります。

 

追記:まえにライナー・チムニク『クレーン男』を扱いました。

クレーン男 Der kran (Reiner zimnik) - 子供の領分 Le Coin des enfants

猫好きのみなさん、猫の日おめでとう &マニアックなオランダ人猫画家

アート・文化全般 オランダ

はてなブログPro停止の日

 

ブログは1年でやめると思っていたので、はてなブログPRO1年コースというのに申し込んでありました。今朝、はてなさんからメールをもらい、

はてなブログProは、本日をもちまして停止させていただきました」とありました。

また別のメールで

はてなフォトライフの利用容量が今月の上限に達しました。
これ以上写真をアップロードすることができません」

私は容量のことは知っていましたが、フォトライフについて勘違いをしていたことがわかりました。自分のフォトライフに入れてある写真は使えると思っていたのです。

はてなフォトライフプラス有料オプション)」 に入会すれば使えるとありましたが、めんどうくさいのでやらずに、とりあえず来月まで待つことにしました。前に書いた記事があるので今日は大丈夫。

いつも綺麗な写真をたくさん載せていらっしゃるさぴこさまや

「料理界のワクワクさんこと」一人食堂さまなどは、ほぼ毎日の更新ですから、PROじゃないと困るでしょうね。

また「涅槃まで百万歩」の横チンさまもお写真がきれいで、毎回そそられる~。しかも説明が的確ですばらしいです。

こちら

新宿区市谷田町 麺屋いまむらの豚骨魚介つけ麺大盛!!! - 涅槃まで百万歩

行動範囲が半分くらい重なるので、時々「今日会ったかも。うふふ」と思ってにやにやしています。(ちょっと最近は離れてしまいましたね…)

また今日は猫の日だということで、ミーさん画像を載せてくださいました。

あとでうちの子もちょっと見ていってくださいね。

 

猫絵葉書の大ブーム

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写真はブリュッセルの店。(2016年3月に撮影)

ウィンドーのカードのほか、勲章・記章・メダルや紙幣・古銭・コインなどを扱っている老舗のお店です。横にもうひとつ大きなウィンドーがあります。

19世紀終わりころ、猫の絵葉書やカードは欧米で一大ブームを巻き起こしたそうです。本や雑誌の挿絵にも猫はたくさん描かれていたとか。ロンドンに留学していた夏目漱石も当然知っていて、擬人化された猫たちについて描写しています。

すると

この絵葉書のことではないかと、去年話題になりました。

POSTCARDS: November 2012

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クリスマスカード。

教室で猫たちが勉強しています。床にいろんな物が散らかっていますね。

円錐形の帽子(ダンスキャップ)をかぶっている子は勉強が苦手。昔は罰として教師がかぶせたということです。

 

猫画家 ルイス・ウェイン(Louis Wain, 1860- 1939)
こうしたユーモラスで可愛い猫たちのほかに、統合失調症になってからは、サイケデリックで不思議なちょっと怖い絵もたくさん描いています。

ルイス・ウェイン+画像」で出ますので検索してみてください。こちらも魅力があって私にはおもしろいです。

 

いなば食品 CIAOちゅ~る

猫の日なので、今日の新聞には一面広告がこれでした。

もう皆さんも知っていますよね。

www.youtube.com

 

うちの子

生後2か月くらいのとき、母親とはぐれたのでしょうか、一匹の子猫がうちの車の下にいて、ミャーミャー泣いていました。二羽のカラスがそれを狙って、つついていたそうです。夫と娘が保護し、現在に至ります。

 

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窓辺が好き。

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ひなたぼっこ&毛づくろい

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ベランダでごろごろ。

 

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クリーニングの袋に入って遊ぶのが好き。

 

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箱が大好き。どんな猫もね。

性格は甘えん坊で怖がり、でも聞き分けのよい賢い子です。

 

 

ネコサムライ NEKOMUSHA

オランダ人女性のアリー・デ・ヨングさんのめくるめく世界を紹介します。

この方も、先日亡くなったブルーナさんと同じく、東日本大震災のあと、何か協力できることはないかと動いてくれた数多くのオランダ人のひとり。

ですが、猫の絵が凄すぎる。

ほとんどが日本と日本文化がテーマで、浮世絵が大好きということです。

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これはポルトガル製の甲冑を身につけた織田信長だそうです。

 

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こちらは信長に仕えた森蘭丸ら、森家の兄弟勢揃いの図。

 

戦国武将オタクといっていいかもしれません。

ちなみに浮世絵で好きなのは、歌川国芳月岡芳年だと言っています。

 ヨーロッパ各地で”NEKOMUSHA”と題した展覧会も開催し、大好評だったそうです。

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マニヤックな日本愛には圧倒されます。

絵は全部自分の飼い猫(たぶん6~7匹)がモデルなのですが、その特徴や性格にあった”役作り”をしているそうです。日本文化・歴史のリサーチも徹底しており、観察が細やかで、愛情に溢れています。

私はある日偶然、ネット上でこの猫たちを見つけたのです。もう興奮のあまり居てもたってもいられず、すぐさまアリーさんにメールを書いて送りました。

下手なオランダ語ですが、私の興奮ぶりはちゃんと伝わったと思います。折り返し返事もくださり、そればかりか新入りの黒猫「ダイスケ」(飼い猫には日本人の名前をつけている)の写真も添えてあったのです。ダイスケ君が庭の池を覗き込んでいる写真。「池の魚を狙って困っちゃう」と書いていました。

私はそのあと、いくつか出版社やグッズを扱う会社にメールを送り、アリーさんのサイトを紹介しました。

 

アリーさんのサイトはこちら。

オランダ語だけど、絵を見るには何のさしつかえもありません。

www.ariedejong.com

 

一番左側の項目をいろいろ試してみてください。「ギャラリー」の柱です。

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最後にもう一枚、ウェインの猫の絵葉書を。

Louis Wain | Malwina Chabocka

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終わります。

 

 

 

 

ロシアの真実-2- プーチン式愛国教育で育つ子どもたち

新聞・TV・ニュースまとめ 社会

先日、「ロシアの真実」をひとつ紹介しました。

覚えていますか、つるふさの法則です。

ロシアでは帝政時代から現在までのおよそ200年もの間、最高権力者の頭がハゲている者(つる=bald)とそうでない者(ふさ= hairy)が交互に就任する、という厳然たる規則があること。

ご存じない方は過去記事で。

cenecio.hatenablog.com

 

今日は ロシアの真実第二弾。

背筋が寒くなるロシアの愛国教育について。

写真は、アメリカの写真家Sarah Blesenerさんがロシアの学校やキャンプ場で撮ったものを幾つかのサイトからお借りしています。

 

Sarahさんのtwitter。

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2015年、ロシア政府は愛国教育プログラム2016-2020に対して、2億7千万ユーロという巨額の予算を当てました。子どもたちにも祖国を守るという責任と自覚を植え付け、訓練やイデオロギー教育を通して、いざという時の準備をさせようというものです。

訓練は学校の授業のあとやキャンプなどで行います。

軍事ボーイスカウトみたいな?

(オランダ語新聞De Morgen紙「キャンプ・プーチンへようこそ」から。

Welkom in Kamp Poetin

 

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右:Dmitrovの公立学校でいかに早く毒ガス用マスクを装着できるかを競う。

 

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過去の戦争を追体験する戦争キャンプ、Borodinoにて。右:訓練で疲れ果てた子どもたち。

乗馬も必須。祖父たちの世代の戦争に思いをはせる。

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右:歌いながら行進するところ。Dmitrovの学校で。

左:イゴール君(14歳)が自分の武器を試している。

 

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愛国教育、イデオロギーの授業。(2016年4月)

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可愛い兵士たち。

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歴史上の戦闘について学ぶキャンプ。

生徒たちは第二次大戦の軍服を着ている。

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射撃訓練をする子どもたち、Borodinoにて。

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偽の手榴弾をエアソフトガン(Airsoft Gun)で撃つ練習。

http://www.sarah-blesener.com/

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エアソフトガンの練習。

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戦術訓練をする子ども。Diveevoにて。

 

そして最後はちょっと笑えるロシアの英雄たち。

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The Russian Summer Camps Where Students Box and Assemble AK-47s | WIRED

ソ連時代のまんま、って感じ。

日本では報道されないロシアの現実でした。

 

さてもうじき2月23日ですが、何の日かご存知ですか。

ロシアでは祖国防衛の日だそうで休日です。

ウィキペディアによれば、1918年のこの日、ソ連の赤軍がドイツ帝国軍に初めて勝利したことを記念して作られました。ソ連崩壊後の1991年に現在の名称になったといいます。

 

人類史上最大の水素爆弾

最後の話題は もっと怖い、単一兵器としての威力は史上最大の

ツァーリ・ボンバ。昨日、たまうきさまが書いてらっしゃいます。

ni-runi-runi-ru.hatenadiary.jp

広島の原爆「リトルボーイ」の3300倍というのだから見当もつきませんが、それを一目瞭然のわかりやすいグラフにしてくれた人がいました。

Maximilian Bode氏といって、The New Yorker誌のアートディレクターだった人。

(↓こんな絵を描く人です。見たことがありますね。Sketchpad: Pixies at the Bowery Ballroom - The New Yorker

 

その衝撃のグラフは、たまうきさまのブログでご覧ください。

 

実験の場所

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1961年10月30日に赤い点(ノヴァヤゼムリャ)の所で、実験が行なわれました。

フルシチョフが、1961年7月10日、共産党大会開催中の10月下旬にこの爆発実験を行うように、と指示を出したのです。

第二次世界大戦中に全世界で使われた総爆薬量の10倍の威力を持つといわれるこの100メガトン級(実際は50メガトン)核爆弾の核爆発は2,000キロメートル離れた場所からも確認され、その衝撃波は地球を3周した。

(略)

ツァーリ・ボンバは本来、核分裂-核融合-核分裂という3段階の反応により100メガトンの威力を実現する多段階水爆である。

しかし、100メガトン級の爆発ともなれば、ソ連領内の人口密集地へ多量の放射性降下物(死の灰)が降ってくることが予想されたため、実験にあたっては第3段階のウラン238の核分裂を抑えるようにタンパーが鉛に変更され、出力は50メガトンに抑制された。

この結果、放出される放射性物質の量はその出力の割にはかなり小規模なものとなった。

(ウィキペディアより)

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ツァーリ・ボンバは特別な改修をうけたTu-95戦略爆撃機(写真)によって運搬・投下された。測定・撮影用にTu-16Vが随行していた。

熱線による被害を最小限に抑えるため、この2機には特殊な白色塗料が塗られていた。
ツァーリ・ボンバには、重量800kgにも達する多段階の減速用パラシュートが取り付けられた。これは、投下機が爆心地から45キロメートル程にある安全圏へ退避する時間を与えるためであった。このような対策をしない場合、猛烈な熱線と衝撃波が投下機を襲うか、弾頭が高速で地面に激突して一面に想像もつかない結果を引き起こしてしまう。

(ウィキペディアより)

 

また、youtubeにビデオもあがっているので貼り付けておきます。

Tsar bomba - YouTube

このフルシチョフの時代、まだ子どもながらも核戦争が起きるんじゃないかと不安だったのを覚えています。ベルリンの壁が建設され、キューバ危機、ケネディ大統領の暗殺など…いろいろありましたが、日本では1964年に初めてのオリンピックが開かれました。

ロシアの真実-2- 終わります。

 

おまけ

こちらもロシアの真実、いや、「ロシアの現実」かな。

いつもお世話になっている

Only In Russiaさん。Only In Russia (@CrazyinRussia) | Twitter

 

今日は犬だけです。

宇宙飛行士

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R2dog2

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エンスラポイド作戦・「ヒトラーの絞首人」を暗殺せよ(ナチスの時代を振りかえる-4-)

社会

ヒトラー暗殺の試みが失敗に終わったことは皆さんもご存じだと思う。

ナチス時代で唯一成功した暗殺はたったの一件で、それもナチス・ナンバー3(ヒトラー、ヒムラーにつぐという意味で)の男。

その残忍さから親衛隊の部下からは「金髪の野獣」とあだ名され、「プラハの屠殺人」とも呼ばれ、トーマス・マンには「ヒトラーの絞首人」と名指しされた男。

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ラインハルト・ハイドリヒ

(フルネーム:Reinhard Tristan Eugen Heydrich, 1904- 1942年)

 

ここ数年、ナチス時代の関連書籍、映画、企画展が多く、追いつかないほどである。

最初の大きな波は冷戦後だった。つまりロシアにある資料などの閲覧が可能になって、夥しい量の新情報が出てきた。出版、ドキュメンタリー映画ラッシュがあって、それから20年、歴史を見る目はより客観的により成熟さを増したように思う。

数多くの歴史的事件の中で今「エンスラポイド作戦:Operation Anthropoid」に光が当たっているのもおもしろい。コードネームエンスラポイド(=類人猿)作戦」は、当時、ナチス・ドイツの保護領だったベーメン・メーレン(現在のチェコ共和国)を統治するハイドリヒの暗殺作戦である。

 

ハイドリヒがどんな人物か短くまとめる。

ナチス内部でメキメキと頭角を現し、政治警察組織に君臨するに至った男。親衛隊ではハインリヒ・ヒムラーに次ぐ。そしてゲシュタポ(国家秘密警察)、親衛隊保安部(SD)、国家保安本部(RSHA)、それら全ての長官であり、その能力の高さと絶大な権限から組織内部でも、国防軍からも恐れられていた。

反ナチの人間を「除去」し、ユダヤ人絶滅政策を推し進めた人物で、アイヒマンは部下の一人である。

 

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この男の危険性を重く見た大英帝国政府と、チェコスロバキア亡命政府は暗殺を計画する。特殊作戦執行部( SOE)などで訓練し、選抜された7人のチェコ人部隊をパラシュートでチェコ内に降下させた(1941年12月28日)。

中心となったのは

左:ヤン・クビシュ(Jan Kubiš)チェコ人

右:ヨゼフ・ガプチーク(Jozef Gabčík)スロバキア人

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ハイドリヒはプラハ郊外の住居から車で執務室(プラハ城)に通っていた。ガプチークとクビシュは朝10時半頃、通りで待ち伏せし、爆弾を投げつけた(1942年5月27日 ).

ハイドリヒは病院にかつぎこまれたが、数日後に死亡。

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ハイドリヒ専用車。(ウィキペディア)

 

二人はいったん教会に身を隠すが、密告されて自殺した。

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立てこもった教会。右は教会内の銃弾跡。

 

立て続けに映画が2本

作戦について、また人間模様について書きたいことはたくさんあるのだが、我慢してやめておく。というのもこのテーマで映画が2本作られており、観にいくかたもおられると思うので。まずこちらの映画から。

”HHhH” (監督 Cédric Jimenez、2017)

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HHhH ー この不思議なタイトルはエイチ・エイチ・エイチ・エイチと読む。ドイツ語で ”Himmlers Hirn heißt Heydrich”「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」という意味。

フランスの小説が原作で、翻訳もある。興味のあるかたはぜひ。一読に値します。

史実をおもしろい技法で小説にしている。こんな手があったのかと感心した。

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HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション) 

ローラン・ビネ (著), 高橋 啓 (翻訳) 東京創元社(発行)2013/6/28

ゴンクール賞最優秀新人賞受賞作、リーヴル・ド・ポッシュ読者大賞受賞作。

 

”Anthropoid” (監督Sean Ellis,2016 )

これはいつ日本にくるのでしょう。

きっとはてなブログのシネフィルさんたちが記事にしてくれるでしょう。

f:id:cenecio:20170216134221p:plainAnthropoid (2016) - IMDb

 

これまでにも映画やドキュメンタリは何本か作られた。

最も有名なのが

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フリッツ・ラング『死刑執行人もまた死す』(1943年アメリカ。120分

ヴェネツィア国際映画祭特別賞(1946年)。1987年に134分の完全版が公開。

 

 

暗殺の代償

丸ごとナチスに消された村。

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ヒトラーは怒り狂い、報復につぐ報復を行った。

作戦実行者や協力者、匿った人や教会関係の人、関係のない人々まで処刑した。

のみならず、はっきりした証拠もないのに、見せしめとして小さな村をふたつ地図上から消し去った。

wikiより引用する。写真はかつて村があった場所。

(略)

約500人のリディツェ村の村民全員が一箇所に集められ、15歳以上の男性約200人は納屋に押し込まれたのち、10人ずつ引き出されては銃殺されていった。なおこの際の処刑の様子は保安警察が映像に収めており、後にニュルンベルク裁判で証拠として使用された。

女性約180人は、ラーフェンスブリュック強制収容所に送られた。四分の一がチフスと過労により死亡した。

約100人の子供は、ウッチ(Łódź, 現在のポーランドに存在)のグナイゼナウ通り(Gneisenaustraße)の強制収容所に送られ、人種的に分類された。そこでアーリア化に適していると判断された8名の子供のみがドイツに送られ(戦後に発見され、チェコスロヴァキアに送還された)、残りの子供はヘウムノ強制収容所に送られた。

チェコ政府はヘウムノの収容所で死亡したと思われた乳児の一人で1941年生まれのマルタ・フロニコヴァ(Marta Hroníkova)が生存していることを2005年に発表した。この追跡はドイツ人記者ケルスティン・シヒャとドイツ人弁護士フランク・メッツィングにより行われた。

6月24日にはレジャーキ(Ležáky)村もリディツェ村と同様に破壊された[。ハイドリヒ暗殺へのナチスの報復で処刑された者は約1300人に上った。

 

ウィンストン・チャーチルは激怒して、ナチスが破壊したチェコの村ひとつにつき、ドイツの三つの村を破壊することを提案したという。しかし連合国は、ナチスの狂気じみた血の報復を恐れ、ナチス高官の暗殺はそれ以後計画していない。

 

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”Lidice” (film, 2011)チェコ映画『リディツェ』の撮影風景。村民に扮する人たち。

 

リディツェ村は人はもちろん、建物も焼かれて完全に消滅した。1949年、村があった土地の横に再建された。下の写真は現在のリディツェ村。

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The Rose Garden - Lidice Memorial

 

私が訪れたのは1978年のことである。

その夏プラハに滞在していた私は、ちょうど車でリディツェ村に行くという人がいたので連れていってもらったのである。プラハから30分くらいのところで、村は消滅したままで、薔薇園と記念館があるだけだった。展示を見て概要をつかみ、死体山積みの写真や焼け落ちた家々を見る。胸つまり、寡黙な私たちはそのあと外を歩いて薔薇を見て、薔薇とリディツェの文字がついたピンズを買って記念館を後にした。

今なら「ダークツーリズム」(ブラックツーリズムとも)というのだろうか。戦争や災害跡地、人々の死や悲しみと結びついたところを訪ねる旅のことをいう。

フランスだったら行ったことはないのだが、オラドゥールが真っ先に思いだされる。1944年6月にナチスによる大規模な虐殺があり、村民のほぼ全員が殺され、一日にして廃墟となったという所。オラドゥール村は当時のまま残されている。現在、観光客も多い。

スペインはゲルニカ空爆を思う。1937年、スペイン内戦のなか、ドイツ空軍がゲルニカに対して行った空爆である。「焼夷弾が本格的に使用された世界初の空襲であり、史上初の都市無差別爆撃」と言われている。(ウィキペディア)

 

ハイドリヒ 関係はおわらない

昨年にはハイドリヒの生涯を扱った本まで出た。

524ページという大著で、書いたのは1976年生まれのベルリン出身、オックスフォード大学で学んだロベルト・ゲルヴァルト 氏。13歳の時にベルリンの壁崩壊を目撃したという人、アイルランド在住。

これもとってもおもしろく読みました。元気のあるかた、ぜひ!

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ヒトラーの絞首人ハイドリヒ  
ロベルト・ゲルヴァルト (著)、宮下 嶺夫 (翻訳) 白水社(発行)、2016/11/25(発行年)原題:Hitler's Hangman: The Life of Heydrich

 

記事はここで終わります。

参考までに地図をつけておきます。 1941年から1942年のナチス・ドイツ。

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A map of German front of the Second World War circa 1941-1942.

 

おまけの写真

NEAL VEGA (id:ni-runi-runi-ru) さま

anne neville (id:anneneville) さま

ニールさま、anneさま、コメントありがとうございました。

私は翻訳などで戦争・ナチス関連は必須なので、常々いろいろと画像を集めています。

ヘルメットとHUGO BOSSがデザインした制服、貼っておきました。

 

 

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 1924年設立のドイツ (メッツィンゲン)のファッションメーカーです。

上のポスターの下の写真がBoss氏。

今でも健在のメーカーで、東京にもデパートに入っています。

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追記:Anneさま、本当にありがとうございました。

Gerard Butler’s new Hugo Boss advert

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https://www.theguardian.com/tv-and-radio/2014/dec/06/gerard-butler-hugo-boss-advert

ベルリンのヒトラー展・ヒトラーの弁士学校(ナチスの時代を振りかえる-3-)

社会 新聞・TV・ニュースまとめ

 ベルリンのドイツ歴史博物館におけるヒトラー展(2010~2011年にかけて)。

26万人以上が来場したという。

正確な名称は  

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ヒトラーとドイツ人 民族共同体と犯罪

 

ドイツ歴史博物館の企画展で、ヒトラーとナチスの時代をテーマにするのは戦後初だったから、国内外で大変な反響を呼んだ。

「民族共同体と犯罪」というタイトルからもわかるように、ヒトラーを「総統」と仰いだ当時のドイツ国民や社会情勢にも焦点を当てている。

この点は、みなさまから戴いたコメントと合致するので、今日はこの展覧会を取り上げることにした。

 

id:SPYBOYさまのコメントです。

(略)ドイツの場合は戦争責任はナチにかぶせることで、ある意味論理的整合性はとれましたが、真の問題は残っている。最近のヒトラー関連の映画は国民がヒトラーを支持したことを描いているのは、最近の極右の台頭への警鐘なのかもしれません。

black-koshkaさまのコメントです。

ヒトラーをヒトラーたらしめたもの、民衆が無関係と言う訳にはいかないことが、大事に思えます。

ありがとうございました。

ちょっとどんな展覧会か、覗いてみましょう。なかなかおもしろい写真がいっぱいですよ。

 

展覧会カタログ 表紙

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写真:Deutsches Historisches Museum Berlin - Hitler und die Deutschen - Ausstellung

表紙の写真からして「警鐘」である。これは1933年5月1日いわゆる「5月演説」というもの。5月1日はメーデー・労働者の日で、ヒトラーは労働者層にはいまいち人気がなかったため、支持を狙うべく入念に計画を練った。

すなわち、この日の演説をひとつのショーに仕立てる。

まず多くの群衆が職場から動員された。親衛隊員や警察官、軍人などを効果的に配置し、行進曲や多数の旗、サーチライトや空中で鉤十字を描く花火など、派手な演出もさることながら、ヒトラーの演説はラジオで同時中継されたのである。ヒトラーはオーガナイザーとしての手腕をいかんなく発揮した出来事だ。

 

TIMEの特集記事には写真がたくさんあるので、興味のあるかたはどうぞ。

(英語で解説もついている)

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Hitler Exhibit Opens in Germany - Photo Essays - TIME

 

私がおもしろいと思った写真をいくつか…。

①女性たちが手作りするヒトラー像。彫刻家Ferdinand Liebermann作。

Trommler(太鼓叩き)という煙草の宣伝用ディスプレイ

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SA(Sturmabteilung=突撃隊)の褐色のシャツを着ている。「褐色のシャツ」はナチ党員を防衛するために結成された組織で、暴力と小競り合いをまき散らす、市民にとって恐怖の的だった。国防軍からも忌み嫌われていた。

 

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Führer Quartett 1934年製作。

神聖ローマ帝国からヒトラーまで、約1000年の指導者一大コレクション。

 

貯金箱(フォルクスワーゲンの絵)         

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ドイツを代表するシュピーゲル誌も展覧会特集を組み、ビデオもあったのでたっぷり楽しめた。(下:フィギュアの画面を切り抜いた)

"Hitler und die Deutschen": Der Diktator im Museum -Video - SPIEGEL ONLINE

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Ausstellung „Hitler und die Deutschen“ in Berlin | Kölner Stadt-Anzeiger

f:id:cenecio:20170214130713p:plain『わが闘争』⑥

f:id:cenecio:20170214130623p:plain⑦館内の様子

f:id:cenecio:20170214130654p:plain⑧制服など

 

まじまじと見てしまうジョッキの数々(笑)

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Doch "die falschen Leute" wolle man mit der Schau "Hitler und die Deutschen" nicht anlocken, betont Museumsdirektor Hans | 4

 

⑩1937年4月20日。ヒトラー48歳の誕生日を祝う人々。

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⑪1938年4月20日、誕生日プレゼントとしてもらったフォルクスワーゲン。

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⑫戦後の パロディグッズ。

左からリッベントロップ、ヒトラー、ゲーリング、ゲッベルス。

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Deutsches Historisches Museum Berlin - Hitler und die Deutschen - Ausstellung

 日常生活の隅々にまで浸透していたナチズムとヒトラー崇拝。

1000点にも及ぶ品々が展示されていたそうで、興味しんしんなのだが、せめてカタログだけでも見たいなと思っている。

 

ヒトラーの弁士学校

ヒトラーの演説は当時のドイツ人を熱狂させたわけだが、現代の私たちが見ると吹き出すような滑稽さである。本物のほうは見たくなくて、チャップリンの『独裁者』を見てにんまりしていたい。

ヒトラーはいつ稀代の弁士になったのか、ちょっと調べてみた。

第一次大戦が終わるまで、ヒトラーはうだつの上がらないぱっとしない青年だった。前回も書いたように、オーストリア人にもかかわらず、バイエルン王国の第16予備歩兵連隊義勇兵として戦ったが、ベルギーでけがをしてさんざんで、終戦時にお情けで勲章を一個もらっただけだった。(しかもユダヤ人から)

1919年にドイツ労働党に入る。そして公開集会で演説をすることになった。しかしそれまで人前で話したこともなく、ひきこもりっぽい生活を送っていて、家族以外と接することもあまりなかったのだ。

ところが、これまでの鬱憤を晴らすかのごとく、ヒトラーは30分間、とめどもなく熱いことばを繰り出し、聴衆を魅了し、初演説を成功させるのである。(『わが闘争』)

内容はたいして重要ではない。共産主義やユダヤ人といった仮想敵を作り、攻撃し、聴衆に熱狂のなかで「この人なら国を変えてくれる」という期待感に満ちた雰囲気を作りだせばよいのである。

集会を重ね、ヒトラーは有名になっていくが、なにせヒトラーひとりだけでは全国規模には広がらない。そこでナチスは弁士学校を作ることにした。1926年のことである。ヒトラーの分身に演説の技術を教え込み、各地に送り込む。1932年までに約6000名の分身を養成したという。

このあとトーキーの時代が到来。ナチスの宣伝映画の中でヒトラーが「声」を持つのである。

(続きます)

 

今朝のニュースでおかしかったことーヒトラーの「分身」現る?

www.nachrichten.at

「ヒトラーの生家前、ヒトラーのドッペルゲンガー現れ、逮捕」というオーストリア発のニュース。どれどれ、と思って新聞を見たが、顔にはモザイクがかかっていた。

黄色い建物がヒトラーの生家。これは取り壊しが決まっている。ここがネオナチなどの「聖地」になることを恐れてのことだという。新しい建物を建て、自治体が公的な目的で使用するそうだ。

 

日本語の記事はこちらで。

www.huffingtonpost.jp

 

 

 

ヒトラーが守りたかったユダヤ人(ナチス時代を振りかえる-2-)

前回に続き、ナチスの時代を振り返っています。

コメントくださったみなさん、ありがとうございました。

 

物議をかもしたヤカン ヒトラーに似てるっていわれても…

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 最初にちょっと笑ってね。

どうということのない「やかん」だが、以前アメリカではTwitterで「ヒトラーに似てるね」と拡散され、話題になったことがあった。

どうです?初めて見るかた、ちょっと目を細めて見てください。

ヒトラーの顔に見えますか?

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写真: http://wwd.com/fashion-news/fashion-scoops/teapot-scandal-6958997/

もとは道路沿いの看板を見た人が気づいて投稿したことがきっかけ。

黒い持ち手は髪型、蓋の取っ手はちょび髭を思わせる。おまけに「ハイルヒトラー」の敬礼をしているようにも見えなくもない。
このやかんは、水ではなく話題が沸騰して売れに売れ、オンラインでは品切れになったということだ。しかし看板の方は市長の抗議もあって取り下げたそうである。
デザイナーは「似せようと意図して作ったのではない」とのこと。

 

『わが闘争』(Mein Kampf)がベストセラーに(続)

id:iireiさまのコメントです。ご教示ありがとうございました。

(略) 「我が闘争」は、帝国海軍の士官の間で好評で、ナチス・ドイツと協力して、世界秩序を再構成しようといった空気に満ちていたそうですが、最後の海軍大将・井上成美(いのうえ・しげよし)は同意しませんでした。彼は「我が闘争」を、原書で読んでおり、ヒトラーが日本人を「劣等民族」と呼んでいたのを知っていたのです。

『わが闘争』の中でも、強く印象に残る ヒトラーの歪んだ人種観のことをいっている。アーリア人種・ドイツ民族の優越性信仰とでもいうべきか。

上巻第11章「民族と人種」は大変重要で、まずヒトラー流の3種類の人間を頭に入れておかねばならない。

すなわち

  1.文化創造者(アーリア人種)

  2.文化支持者(その他の人種、日本人も)

  3.文化破壊者(ユダヤ人)

ヒトラーは自前の日本文化論も展開する。

いわく 日本人は一見、独自の文化を育んでいるようにみえるが、あれはヨーロッパやアメリカの、つまりアーリア民族の強力な科学・技術の労作を取りいれ、加工したにすぎない。外側に装飾を施しただけなのだ。真に文化の創造者とはなれない、せいぜい文化支持的民族止まりである。(p378~)
 
日本人は西洋文明の模倣をしているだけ ー 実際にそんなことを言われたことがある。昔、学生だった頃、ドイツでドイツ人の10歳くらいの子どもから。
「日本人って車も何でも西洋の真似をしてるんだってね」
「誰がそう言ったの?」
「パパだよ。そしてちょっと変えて安く売るんだって」
この子どものうしろに大勢の大人たちが見えたものだ。
 

最も優秀なアーリア人種、最良の民族が世界を支配すべきだと説く。さらに

「貴族主義的原理によって、最良の人物にその民族の指導と最高の影響力を確保するようにしなければならない」

「決定はひとりの人間だけがくだすのである。」(下巻第四章)

この貴族主義的原理は、ニーチェの影響があると言われている。ヒトラーはムッソリーニと会見したとき、ニーチェ全集を贈ったというくらい、傾倒していたそうだ。

 

さて③のユダヤ人については、低級な忌むべき人間で「寄生虫」で…云々。ここには書きづらい罵詈雑言を並べ立て、反ユダヤ言説は全巻に及んでいる。 

NEAL VEGA (id:ni-runi-runi-ru)さまのコメントのように、亡命したり潜伏することのできなかったユダヤ人の末路は、大量殺戮の地獄だった。

『わが闘争』を読むと、ヒトラーの頭の中では、マルクシズム=議会制民主政治=ユダヤ人、という図式なのがわかる。

しかし、驚くことにヒトラーが庇護したユダヤ人(家族も含め)が複数いたこともわかっているようで、のちほど取り上げたい。

 

いちご一笑 (id:sinsintuusin)さま、ありがとうございました。

歴史の中でヒトラーが象徴されていますが、一人の権力者の力はそこまで絶大だったのでしょうか?
そこに「歴史の流れ」と言う見えない力が働いたのではないでしょうか?
一人の力は弱いけど、そこに歴史の流れが加わった時に絶大な力が生じる、その流れはなかなか止められない。
歴史の流れを良い方向に仕向ける民衆の力が今正に必要な時かも知れませんね。いちご一笑 (id:sinsintuusin)

 

ヒトラーはアジ演説がうまくて人気があり、1920年代初めにはライバル(ドレクスラー)を蹴落として「国家社会主義ドイツ労働党(NSDAP)」の全権を握った。

と同時に組織をいじり、突撃隊や機関紙、ナチ党青年同盟(1922)まで 作るという、すばらしい手腕を見せる。

その後、暴動を起こして反逆罪で逮捕される(1924)。ミュンヘンのランツベルク要塞拘置所に収容されて、ここで『わが闘争』を書くのである。実際は協力者エミール・モーリスとルドルフ・ヘスを相手に口述した。拘置所ではよい部屋を与えられ、厚遇を受けていた。

なぜ?と思うだろう。暴動は失敗したが、バイエルンの国家主義的な空気のなかで、ヒトラーは愛国者であり、英雄であると捉えられていたのだという。

 

ワイマール( ヴァイマル)共和政の失敗

長くなるといけないので、ヒトラーが登場する背景を短く。

社会民主党が無力だったほかに、国民のヴェルサイユ条約への反発、極度なインフレなどの経済の混乱があった。一方で陸軍の軍国主義も復活してきた、と歴史書にはある。

そう、お膳立てができていたのである。ヒトラーはうまく乗っかることができたのだ。

 

 

ヒトラーが守りたかったユダヤ人

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こちらがその人。

ヘス氏(Ernst Moritz Hess、1890年生まれ、1983年没。*ヒトラーは1889 年生まれ。ついでに言うとチャップリンも1889年生まれで、誕生日はヒトラーと4日違いである。)

 

数年前、この男性に関する一通の手紙が発見されて一躍有名になった。

その手紙とは、ヒトラーの右腕で親衛隊長のハインリヒ・ヒムラーがデュッセルドルフのゲシュタポ幹部宛てに書いたものである。

ユダヤ人のヘス氏を庇護するように、これは総統が望んでおられることである、という驚くべき内容だ。

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1940年8月27日付

Hitler’s Jewish Commander and Victim | Jewish Voice From Germany

 

第一次大戦のヒトラー

バイエルン王国はドイツ帝国の構成国だった。ヒトラーは第16予備歩兵連隊義勇兵となる。伝令兵として西部戦線の北フランスやベルギーなどで、ソンムやパッシェンデールなどの会戦に参加した。

f:id:cenecio:20170211182429p:plain f:id:cenecio:20170211184035p:plainWikipediaより

右がヒトラー。

Warfare History Network » Adolf Hitler’s Brush with Death in World War I

 

ヘス氏の運命

第一次大戦中、ヘス氏はヒトラーの上官だった。自身も父親も法律家という教養ある裕福な家柄の出身。宗教はプロテスタント、妻もドイツ人だったが、母がユダヤ人だった。母親がユダヤ人だと、ニュルンベルク法では「ユダヤ人」の枠に入れられてしまうのである。

ヘス氏は1936年、反ユダヤ法により判事の職を奪われる。すると彼はヒトラーに手紙を書き、直談判する。そして1937年に、特別待遇としてイタリアのボルツァーノ(いわゆるチロルと呼ばれている地域。ドイツ語圏なので言葉の問題はない)へ家族で移住を許される。ヘス氏は、当時11歳だった娘の教育を重要視していた。

ところがヘス氏、なんと1941年にドイツに戻ってしまった。するともうヒトラーの特別庇護はなくなっていた。強制収容所に送られ、終戦まで労働を余儀なくされるが、生き延び、その後ドイツ国鉄で重役になった。そういう人である。

 

実はヒトラーは Edeljude(高貴なユダヤ人)というカテゴリーを自ら設け、実家の家庭医ら数人のユダヤ人を保護していたらしい。

さきの手紙は、ユダヤ人の新聞記者がノルトライン=ヴェストファーレン州の公文書館で偶然見つけたそうである。その記者さんが、当時86歳でドイツ在住の娘Ursula Hess さんにインタビューしている。興味のある方はこちら。

Interview with Ursula Hess – “My father was treated terribly” | Jewish Voice From Germany

(続きます)

 

おまけの写真

ベルギー王立軍事博物館、2016年3月

 

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赤ちゃん用のガスマスクのポスター。珍しいです。(アントウェルペン文学資料館、2016年3月撮影)

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ナチス時代を振りかえる試み-1-

ここ数年、ナチス時代やヒトラーとその側近、戦後処理などをテーマにした映画や出版が相次いでいるように思う。

私にとっては、2004年の『ヒトラー最期の12日間』(*)がすでにショックだった。つまりあの時代をテーマに描く映画は多々あったのだが、ヒトラーの秘書を主人公に立て、回想の中のヒトラーは事実上の主人公であり、その内面にしっかりと光を当てていたのだから。

これを境にタブー視していた雰囲気は薄れ、多視点からあの時代を扱うようになった気がする。

 

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『帰ってきたヒトラー』(2016年)のようなコメディータッチの映画まで現れて、隔世の感がある。

 

『ヒトラー最期の12日間』は別の流行も生み出した。ニコニコ動画やyoutubeなどで、空耳&嘘字幕がついて広く楽しまれているあれ、そう「総統閣下シリーズ」である。総統閣下がささいなことで怒り出し、キレるのだが、テーマはさまざま。世界中で流行していて、私が初めて見たのは2008年のオランダ人が作った話。残念ながら内容は忘れてしまった。

 

『わが闘争』(Mein Kampf)がベストセラーに

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写真: http://www.bbc.com/news/world-europe-36536317


昨年度、大きな話題を読んだ『わが闘争』の出版。戦後初めてドイツで出版されたのである。この本は1923年にヒトラーが牢獄で書き、1925年に出版されたものだ。戦後ドイツでは70年間発売禁止だった本がなぜ?と思うだろう。

この本の著作権はバイエルン州が所有していたが、2016年1月1日をもって著作権が切れた。切れるとどんなことが起こるか。発禁も解除になるわけで、誰でも出版してよくなるのである。

過激な右翼団体がヒトラーをまつりあげようと、この本を利用するかもしれない。それなら、注釈付きの学術書として出版しようということになった。国内の世論は真っ二つに割れたようだが。

この注釈版を出したのは、ミュンヘン現代史研究所(IFZ)という組織で、2巻本とし、2000ページにわたって何千という注が付けられているとか。(私は実物を見ていません)。 なお、ドイツで出版されても、オーストリアやオランダなど、相変わらず出版禁止の国は多い。

 

そしてベストセラーになったようだ。こちらの記事

ヒトラー「わが闘争」、再版でベストセラーに ドイツ:時事ドットコム

(略)

同研究所によると、これまでに約8万5000部が売れたという。
 再版により極右のイデオロギーが広まるのではないかとの懸念が上がっていたが、同研究所はこれを否定。その代わりに、今日の欧米社会で再び台頭し始めている「全体主義的な政治観」に関する議論を深めたと評価している。
 同研究所が各地の書店が収集したデータをまとめたところよると、購入者は「政治や歴史に関心のある人や、教育関係者」が多く、「反動主義者や急進右翼」ではなかったという。

 

日本では発禁ではなかった。

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わが闘争(上)(下)―民族主義的世界観(角川文庫) 文庫 – 1973/10

1936年版の翻訳が角川から出版され、版を重ねてきている。調べてみると、平成27年8月で改版30版だった。

私は大学で、選択科目の「西洋史」をとったが、その年度は「ナチズム」だったから、『わが闘争』の上巻は読んだのである。扇動の手管に留意しつつ、批判的にメモを取りながら読むことが推奨されていた。講師は招聘していらしていた、高名な村瀬興雄先生だった。

 

膝まづいて何を思うヒトラー

ヨーロッパではいろいろな関連催しがあるので、少しずつ紹介していきたい。

2013年のポーランド、ワルシャワゲットー跡であった印象的な展示イベント。(フランス、ルモンド紙の記事から)

FUREUR – Une statue d’Hitler en plein cœur du ghetto de Varsovie | Big Browser

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Photograph: Czarek Sokolowski/AP

 

Himーこれが作品のタイトルである。

イタリア人アーティスト、マウリツィオ・カッテラン(Maurizio Cattelan)氏がこのヒトラー像をワルシャワのゲットー跡に展示したのだ。ヒトラーはよく目にする軍服ではなく、一市民のスーツ姿である。

ワルシャワのゲットーは、数多くの小説や映像作品などで扱われていて、かなり有名だと思うが、第二次世界大戦中にナチスがワルシャワ市内に作ったユダヤ人隔離地域である。そこに40万人以上のユダヤ人が集められ、病気や暴力や飢えで死んだ人も多かった。また計画的に家畜のごとく列車に積み込まれ、絶滅収容所へと送られていった、そんな場所。

そんなところにヒトラー人形を置くのである。予想通り、ユダヤ人を中心にたちまち非難が巻き起こった。ヒトラーが許しを請うって?わけないでしょうと私も思ったものだ。

しかし、このヒトラー像、前から見るのではない。上の写真はスタジオかアトリエ内で撮ったもので、実は扉の穴から見る。後ろから、かなり離れている。

 

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Maurizio Cattelan's Statue Of Praying Hitler In Ex-Warsaw Ghetto Sparks Emotion » GagDaily News

 

ゲットー跡を歩いてきて、ちょっと立ち止まり、ドアの穴を覗いてみる。そしてしばし考えてみるのだ。


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ヒトラーが何を しているのかについて、アーティストは一切説明を加えていない。見た人が自分で考えたり人と話したりすればよいのだ。

この展覧会の主催者はこのように言っている。

悪の本質について考えるきっかけになればいい、こんな愛らしい祈りを捧げる子供のような姿に偽装して、人を陥れる悪もあるのだと。

 

ポーランドのラビ(ユダヤ教の指導者)のトップであるMichael Schudrich氏も、モラルについて考えさせる強いメッセージになる、と理解を示したそうだ。

戦争の記憶が薄れ、悲惨な体験を語れる人々も減っていく。そうした抗いがたい現実はあるが、公の記念式典以外にも、ちょっとしたアイディアで人々の意識を刺激する企画を見るにつけ、感心する。しかもヨーロッパのあちこちの都市で。特に今は(来年2018年までは)第一次大戦の100周年だから、さらにイベントがあるわけで、手帳につけても追いつかないほどだった。

 

 

 続きます。

 

おまけ

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2008年の雑誌特集記事。「ヒトラーが政権をとって75年」

この写真がおもしろくて保存しておいたもの。若者たちの熱気がよく伝わってくる。

ピコ太郎ベルギーへ。ポケモンGOをおさえての受賞。(+フランス篇)(追記)

ベルギー フランス

PPAPが ”Hype of the year”受賞! 

ピコ太郎さん、昨年のフランスのあと、ベルギーには寄らないの?と思っていたら、昨日2月4日土曜日、Ketnetというオランダ語TV局主催の「黄金のKの祭典」('Het Gala van de Gouden K's' 今年で4回目) に登場しました。これは2016年に大活躍した、音楽・ドラマ・芸能・スポーツなどのスターが集まる一大イベントです。

 ピコ太郎さんのPPAP(Pen Pineapple Apple Pen)はもうご存じですね。

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「黄金のKの祭典」('Het Gala van de Gouden K's')の Kとは、Ketnetの頭文字でもありますが、Kinderen(子どもたち)のKでもある。つまり子どもたちが選ぶ2016年のスターです。16部門ありまして、ノミネートされたタレントやスポーツ選手の中から1か月かけて投票をおこないます。

ノミネートリストは今年元旦に発表されました。こちら↓

Genomineerden 'Gala van de Gouden K's 2016' zijn bekend | TVvisie

TVのファミリードラマや歌手、スポーツ選手、TVスター、Ketnet局製作の番組…など様々ですが、今年度”Hype of the year”にノミネートされたものを見てみましょう。”Hype”とは刺激的なもの、ワクワクするもの、といった意味のようです。

Hype van het jaar:

 ・Pokémon Go
 ・De Rode Duivels
 ・Musical.ly
 ・Pen Pineapple Apple Pen

 

おやまあ、ポケモンGOを差し置いて、ベルギーの子どもたちはピコ太郎さんのPPAPを選んだのですね。(ちなみに2番目はベルギーサッカー代表チーム「赤い悪魔たち」)

授賞式とショーは、ブリュッセルにある”Paleis 12”というライブ会場(下の写真)で盛大に行われました。

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こちら #GoudenK'sさんのあげている集合写真です。受賞者や番組スタッフたちと。

ピコ太郎さんは後ろ左のほう。トロフィーを頭に乗せています。

 

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Het Gala van de #GoudenK's zit erop! Bedankt om te stemmen!

https://twitter.com/hashtag/GoudenK?src=hash&lang=ja

 

ピコ太郎さんのツイート。

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https://www.facebook.com/pikotaro.official/

↑動画が見られます。

 

 

こちら古坂大魔王さんのツイートです。

この方はピコ太郎さんのプロデュースをしている人で、一応「別人扱い」になっているようです。念のため。

驚いたのは アントウェルペン行ったの?!です。

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Twitterにあげた写真を見ると、本当にアントウェルペンのカテドラル(聖母大聖堂)前の広場*にいますね。

広場については過去ログこちら。お暇でしたら*http://cenecio.hatenablog.com/entry/2016/02/01/000000

 

マジで?

だって忙し過ぎるでしょう。ブリュッセルで授賞式&ショーだというのに、その前に他の街にいくなんて…。それとも大魔王さん、瞬間移動もできるのかな。

 

 大魔王さんが抱きついて離さないこのモニュメントは、ネロとパトラッシュです。

去年の12月にできたばかりなので、私は実物を見ていません。

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Zo zal het nieuwe standbeeld van Nello en Patrasche op de Ha... (Antwerpen) - Gazet van Antwerpen

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Dekentje ligt over beeld Nello en Patrasche - De Standaard

古坂大魔王さんのおかげで大きさがわかりますね。写真をUPしてくださって本当にありがたいです。

ついでに、こちらも。アントウェルペン市郊外のホーボーケン村にあるネロとパトラッシュの銅像。

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http://www.standbeelden.be/standbeeld/120

フランダース観光局は、『フランダースの犬』人気にあやかって、日本人と韓国人観光客を誘致しようと一生懸命です。去年の連続テロ以降は特に。

この広場にはすでに、トヨタ自動車が寄贈 した「ネロとパトラッシュの記念碑」(ベンチ?)もあるのです。しかも日本語で説明が書いてある。

 

「フランダースの犬」

この物語は

悲しみの奥底から見出す

事の出来る本当の希望と友情であり、

永遠に語り継がれる私達の宝物なのです。(注:行替えはそのまま)

 

フランス篇

昨年12月は、ピコ太郎さん、フランスで大暴れしていました。

まず、”France5”局の”CàVous”という音楽番組に出ました。

レディー・ガガも出演したと言っていましたね。

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www.france5.fr

興味のあるかたは↑こちらにビデオがあります↑。

 

そのあと、ジャスティン・ビーバーも出演したという、有名なラジオ局”NRJ France”に出演しました。

下の写真の男性はSébastien Cauetさん。

1972年生まれというからピコさんとほぼ同い年だし、気も合いそう。司会者、DJ,歌手、お笑い芸人、物まねなど多才な人です。

 

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ラジオ番組の収録風景も見ましたが、みんな壊れそうなくらいノリノリでお腹がよじれるほど笑いました。

このあと、ピコ太郎さんはパリオペラ座や凱旋門、エッフェル塔などあちこちの名所を歩きますが、そのたびにパリの若者や観光客に声をかけられ、とり囲まれ、写真を頼まれて、文字通りもみくちゃにされていました。

 

 

最後に、ピコ太郎さんも大好きだという

PPAPのインドバージョンを貼っておきます。

インド人はやっぱりおもしろい!

www.youtube.com

 

おまけ①

札幌雪祭りのどなたかのツイート。お借りします。

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おまけ②

Ketnet局の司会者Sander Gillisさんもピコ太郎さんの大ファンらしい。

1992年生まれととてもお若い。

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右下の写真、気になりますね。↑

  

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古坂大魔王(@kosaka_daimaou)さん | Twitter

 

(追記)

pikoさん、ベルギーを好きになってくれてありがとう!

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ピコ太郎(PIKOTARO)(公式)(@pikotaro_ppap)さん | Twitter

フルーンプラーツ (Groenplaats)に立つピコ太郎さん。

 

 

ベルギー・オランダ語新聞HLN(最新ニュース、という意味)

「ペンとリンゴから始まった。最初はバカみたい、と思ってた。」

インタビュー記事です。

www.hln.be

 

 

他にもオランダ語公共放送dededactie.beで取り上げられました。

deredactie.be

ベルギーの芸能・ショービズの世界に飛び込んできたピコ太郎さんに驚いているようです。投票したのはベルギー人ですし、どこに行っても引っ張りだこでしたからね。

ロシアの真実  ”the bald truth”「はげの真実」  

社会

「ポスト真実」(post-truth)じゃありません。「はげの真実」です。

私は最近アメリカに腹を立てており、なんとかして笑いを補給したいと思っています。

そこで最近見つけたのがロシア人のTwitter。この人の自虐ネタがすごく気にいっているので、皆さんにもぜひストレス発散の材料として紹介します。

 

その前にタイトルの”the bald truth”「はげの真実」ですが、ご存じのかたも多いのでは?これは日本では「つるふさの法則」(ロシア語: Лысый — волосатый)と呼ばれています。

このネタは10数年前、代ゼミに行っていた息子が「今日、授業でおもしろいこと習ってきた」といって教えてくれたものです。「ハゲフサの法則」ともいいます。

すなわち

帝政時代から現在まで、およそ200年もの間、ロシアの最高権力者に、禿頭の者(つる=bald)とそうでない者(ふさ= hairy)が交互に就任する。

写真などはこちらウィキペディアでどうぞ。

つるふさの法則 - Wikipedia(ウィキペディアから引用)

この法則が広く知られるようになったのはブレジネフの時代である。この頃から考察に足る肖像が資料として蓄積されていき、停滞の時代という鬱屈した状況がアネクドートを生み出した。もともとはレーニンから始まる。 その後に作家のウラジーミル・サフチェンコが法則を発展させた。

 

英『タイムズ』紙もこの法則を用いてロシアの政治を分析したことがある。Catriona Bass (2008年3月7日). “Russian politics: the bald truth”. The Times

レーニン:つる

スターリン:ふさ

フルシチョフ:つる

ブレジネフ:ふさ

アンドロポフ:つる

チェルネンコ:ふさ

ゴルバチョフ:つる

エリツイン:ふさ

プーチン:つる

メドベージェフ:ふさ

プーチン(再選):つる

 

厳密にはちょっと違うかもしれませんが、ロシアでは浸透しているジョークらしいです。(受験生にはいらない知識ですが、ロシア理解の基本としてチェックしておきましょう)

 

さてこちらのOnly In Russiaさん。

Only In Russia (@CrazyinRussia) | Twitter

 

①日本とロシアを比べると

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②宇宙飛行士 ユーリイ・ガガーリン少佐の記念碑

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③春のトレーニング

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④中国のプーチンさん

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⑤ロシアのトランプさん

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⑥ロシアのパワーレンジャー

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⑦おい、同志。あの娘のことは忘れろ。

森にはたくさんのビーバーちゃんがいるぜ。

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⑧ロシアのウーバー

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⑨ごく普通の日曜日のドライブ(シベリア)

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⑩電線

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⑪自家用車の比較

1978vs2009

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⑫ここで罰金を払うらしい

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⑬今なら二本おまけ。

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⑭そっくり

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⑮ロシアではごく当たり前の地下鉄風景

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最後は

ロシアから愛をこめて💛

 

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今日は以上です。

上村一夫の世界に耽溺 仏アングレーム国際漫画祭 

日本アニメ・マンガ フランス ベルギー

「昭和の絵師」と呼ばれた男。

上村一夫(1940 - 1986)神奈川県横須賀市生まれ。武蔵野美術大学デザイン科卒業。

 

イラストレーター出身で、漫画の世界で大成功をおさめた恐らく唯一の人。

女性像の追求と劇画風タッチの絵は、一度見たら絶対に忘れられないと思う。

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私が上村一夫という存在を知ったのは中学生のころで、男性向け雑誌の表紙を通してのことだった。本屋の雑誌コーナーに並ぶ『平凡パンチ』や『週刊プレイボーイ』『ビッグコミック』といった雑誌の顔として君臨しているふうだった。

それは大人のエロティシズムの世界であり、中学生として覗いてはいけない世界であった。

大人になっても、そしてもともとあまり漫画は読まないこともあって、相変わらず縁遠い人だった。45歳という若さで亡くなったのだが、闘病生活や死去のことは、フランスに住んでいたため全く知らなかった。

TVの「寺内貫太郎一家パート2」にレギュラー出演していたらしいが、「パート2」のほうは既に大学生になり時間もなくて、一度も見たことがなかった。(映画『津軽じょんがら節』1973年にも出ていたとか。みなさん、ご存じ?)

 

あれから20年余りを経て、この人の名前を再び耳にすることになる。それもフランスを通して。作品は数年前から次々とフランス語翻訳されて、コアなファンがついているようだ。

フランス人はとにかく絵がうまい人でないと評価しない。上村一夫は文句なしだったが、それにもまして上村だけが持つ独特の世界に、フランス人は惚れ込んだようだ。

 

f:id:cenecio:20170131114713p:plain昭和の女

 

 特に出版元のKANA社(*1)のクリステルさん(下の写真*2)は大ファンであるらしい。

以前にも書いたことが、この出版社は「ナルト」と「デスノート」で華々しい成功をおさめ、そこからの儲けを他に回しているのではないかと思っている。つまり商業路線に乗らずとも自分たちが本当にいいと思うものを世に送り出しているのだ。

 

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こうの史代の『この世界の片隅に』もそうだし、広島原爆後の市民を描いた、同作家の『夕凪の街 桜の国』も2年後にはもうフランス語に翻訳された。編集部のただならぬ熱意を感じる。

*1.KANA出版 http://cenecio.hatenablog.com/entry/2016/02/20/000000

*2Christel Hoolans http://cenecio.hatenablog.com/entry/2016/10/19/152623

 

そして、このたびアングレーム国際漫画祭( Festival international de la bande dessinée d'Angoulême)で 上村一夫はPRIX DU PATRIMOINE(遺産賞)に輝いた。これは長年の偉大なる功績を称え、遺産として後世に残しておくべき作家と作品に与えられる。

 

( 下の写真右から2冊目)

(左から3冊目も見ておいてね。あとで出ます)

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44e Festival de la Bande Dessinée d'Angoulême – Du 26 au 29 janvier 2017 - Palmarès officiel 2017

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作品として「離婚倶楽部」が選ばれている。

 

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喜びの受賞!クリステルさんのツイート。写真中央の人です。

 

 

 同時に、アングレーム国際漫画祭ではただ今「上村一夫原画展」を開催している。

下はフランスのTV局ARTEで、上村一夫原画展の紹介をしているところ。

ちなみにイタリアでは、2016年10月に回顧展が開催されている。

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info.arte.tv

 

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Une rétrospective de Kazuo Kamimura à Angoulême ! | Kana

このような原画です。(上記サイトから借りています)

 

上村一夫の受賞は、フランス・ベルギーなどでは大反響で、歓喜や賞賛やら感謝(立役者のクリステルさんに向けられたものも多かった)のツイートがあふれた。

ツイートの絵があまりに美しいので並べてみる。うっとりしますね。

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「 タランティーノに影響を与えた上村一夫の展覧会」と紹介するル・モンド紙

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今日は時間がなくて作品には触れられない。報告だけです。

 

 

もうひとつ凄かったのがこちら「シリーズ賞」に輝いた

望月ミネタロウ氏の 『ちいさこべえ』

シリーズ賞といってもピンとこないかもしれないが、主要な賞の一つで、日本人がこの種の賞をもらったのは、2004年の『20世紀少年』(浦沢直樹)にまでさかのぼる。

 

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写真のデュヴァル氏がやっている老舗出版社から出ている。

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http://www.bodoi.info/chiisakobe-prix-asie-acbd-2016/

 といっても私は未読どころか、今回初めて作家さんと作品を知り、調べてみると非常におもしろそうなのでぜひ読んでみたいと思っている。

山本周五郎の小説『ちいさこべ』を下敷きにしたマンガで、主人公は大工の棟梁だという。きっとみなさんのなかにはよくご存じのかたもいらっしゃると思う。マンガに詳しいさぴこさんに聞いてみよう。

 

驚いたのはフランスのリベラシオン紙の表紙を飾ったことである。

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わあ~、(@_@)びっくり。

 

 

はてなブログでは、こちらの素音異空さまが

漫画家の望月ミネタロウさんの魅力についてお書きになっている。

紹介させていただきます。

callmesnake1997.hatenablog.com

 

とりあえず駆け足で、世界最大の漫画祭における、日本人受賞者だけを取り上げました。今日は終わります。

 

追記:

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