ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

わが家の小さな自然 -1- 草花

(*写真ブログから記事を移動させています) 

🌸5月ころのコラージュです。

特筆すべきは左上の白い花、デンドロビウム。引っ越しをするかたから戴いたのですが、その時は葉もひどく色が悪くて「このまま枯れちゃうのかな」と心配でした。しかし日当たりのよい窓際でみるみる蕾を付け、その後たくさんの花が咲きました。まだ驚きがあって、その写真は下の方にあります。

コラージュ①

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↑ 左下の白い花はほうずき。あの雹が降った日(*)、流されそうになっていた植木鉢を追いかけて拾いに行き、しっかりせよと抱き起してやったのでした。*天気ヒョウ変!ウヒョーどころか、ドヒャーでした。

↓ 今年もたわわに実をつけてくれました。

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デンドロビウムに話を戻します。

鉢に雑草らしき小さな草があるのはわかっていたのですが、三つ葉のクローバーか何かかなあと思い、放っておきました。ただ葉がすごく大きいのが異様でした。

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するとこんな可愛いピンクの花を咲かせたのです。調べてみるとムラサキカタバミでした。ちょっとしたプレゼントをもらったような気分です。 

デンドロビウムムラサキカタバミの鉢の横のスペース

ここがうちの猫の特等席です。猫の顔と比べて見てもおわかりのように、ムラサキカタバミの葉は驚くほど大きい。

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コラージュ②

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↑今年もわが家はつつがなく”花盛り”だったので嬉しい限りでした。しかも去年は花を付けなかったシナモンゼラニウム(右上)の花がいっぱい咲いてくれました。 

↓私の部屋のベランダの一角(左。ここはひどくごちゃごちゃしてます^^)。

植えたつもりのない朝顔の双葉が出てきてビックリ。種がこぼれたに違いないんですが、いつも大輪をたくさん咲かせていたピンクではなく、わが家ではかなり珍しい青紫というのがおもしろい。猛暑の夏、涼風を贈りこんでくれました。

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朝顔は1年おきに種を蒔く、と決めています。

ヤマホロシ(右)の星型の花が可愛くて好きです。 

マーガレット モリンバ

たしかギアさまのお宅にもあるのでは?群生しますよね。目に鮮やかなピンクで人目を引きます。

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↑左:オステオスペルマム

 モリンバはあんなに強く丈夫なのに、今年の驚きとショックはマーガレットでした。もう7年もシマトネリコの脇で咲いていたんです。マーガレットも群生するのでけっこう手入れしていたのに…。

↓これは今年の春。

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なのに夏が終わるかなと思う頃、あっという間に枯れていきました。今はもう枯れた茎だけになってしまい、泣く泣く別れを告げました。わけがわかりません。 

ガザニア(勲章菊)  

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 日が当たらないと花が開かないため、いぜん山田ガーデンさんが嘆いていたのを思い出します。つまり 山田さんは朝早くお仕事に出かけるので花は朝まだ閉じていて、夕方に帰宅するとやはりもう閉じている。だから休みの日しか見られないという。また曇りの日も閉じます。私が「ちょっと反抗的ね」と書くと山田さんは同意してくれました。
ですがガザニアは高温乾燥にめっぽう強いので、東京の夏にはピッタリなんです。

最後に 柑橘の花

ご存知あおむしちゃんたちのエサのために育てている柑橘類。でも今年は小さな花をつけてくれました。写真を撮る時期が遅れ、あまりきれいに見えないけれど、香り高くうっとりする。かぐわしいという言葉はこのためにあると思っています。

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こんな花が一斉に咲くミカン農家さんのまわりってどんな匂いなんだろうな、空から香りが降ってくるんだろうか、と想像を膨らませてみます。

追記:

Jさまから教えてもらいました。ありがとうございました。

ムラサキカタバミって、「環境省により要注意外来生物に指定されている」そうです! 実は、我が家には、1.5m×2m位の巨大コロニーを形成し、毎年花を付けています。 

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わが家の小さな自然 -2- 蝶

(*別ブログを移動)

タツムリ

もらった有機野菜の中に入ってわが家にたどり着いた”ペット”です。実はこれで4匹め。昔は窓から飛んで入ってきたゲンゴロウを飼育していたことも。散歩の途中の見つけたカブトムシなど。思えば様々な昆虫と暮らしていたな~。

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野菜はいろいろ食べるらしい。殻のカルシウムのために卵のからを置いています。

 

庭にやってきたカノコガ

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カノコガ(鹿子蛾、Amata fortunei)は、チョウ目ヒトリガ科(カノコガ亜科)に属するガの一種。カノコガ - Wikipedia

 初めて見たカノコガスマホですぐに撮影しました。ちょっと自慢です。

 

あいかわらず蝶々と暮らす日々。

アゲハ蝶のサナギ

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今年は60~70匹は羽化しました。一番早かったのは2月28日で家の中で越冬したのです。

 

ギアさまの質問にお答えしますね。Q: 蛹の下、フンのように見えるものは何か。

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これはサナギになるときに脱ぎ捨てた”お洋服”です。幼虫は何度か脱皮するんですが、最後の脱皮となります。頭から尻へと上手に脱ぎ捨てていきます。

 

羽化した蝶の写真はもうこれまでにたくさん載せているので、今回はちょっとした気苦労を書いてみたいと思います。

↓これは先ほどのサナギが羽化して飛び立ったあとの殻。

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全部の卵が無事羽化にまでこぎつけ、晴れた朝の大空に・・・とは残念ながらいきません。自然界では2%くらいと言われているし、我が家でも6割くらいでしょうか。

ただ今年の夏は暑すぎて天敵の寄生バエや寄生バチが現れなかったので、たぶん8割以上は羽化できてラッキーでした。暑すぎて蚊もいなかったですよね。

 

4月ころ、最初の卵を見つけた時はとても嬉しい。左の小さな黄色い粒です。わが家では報告会が行われます。

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↓赤いテントウムシ、見えるでしょうか。太い枝の真ん中。

ありがたい助っ人です。というのも柑橘類の葉が蝶のえさなのでこれをちゃんと育てるのが私の大切な仕事です。害虫で葉がダメにならないように。

以前は山椒も含め、10鉢くらいあったんですが、今は4つしかありません。これで10月くらいまでもたせなければならない。けっこうハラハラします。

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そしてはらぺこあおむしたちが食べ漁った木はこんな無惨な姿に。↓

一枚も葉がついていない。さいわい、たくさん葉をつけたグレープフルーツがまだ1本あります。

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 サナギになるのも一仕事。うまく糸が掛けられず宙ぶらりんになったり下に落ちてしまったサナギにはちょっと手を貸してやらなければ。↓

 

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ちょうどケンタッキーのクーポンがそばにあったのでちぎって筒にし、サナギを入れてセロテープで貼り付けました。本当はもっと小さく、体と同じサイズがいいようです。

今はもう羽化して中は空です。

 

水槽は広いのになんで?

誰しもそう思うでしょう。既にあるサナギの上に、別の青虫がやってきてサナギになってしまう・・・なんとも困ったことです。不思議です。

おととしも同様のことが起こってブログに書いたんですが、やはり蝶をたくさん育てているはてなダイヤリーのみよちゃ様が、その後どうなったかぜひ教えてとおっしゃったので、下の方は死んでしまったとお伝えしました。

そして今回も…。

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↑ この写真では両方とも青くて大丈夫そうだけど、下のが羽化しようとするとうまく出られず死んでしまうようです。黒ずんだり、羽の一部だけをのぞかせて実に可哀そう。

 

ですが羽化の歓びは言葉にできないものがあります。そんなわけでお節介とは思いつつも毎年世話をしてしまうんです。

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蝶はここまで。

 

追記:東西南北にうまく位置取りしたサナギたち。(10月初め)

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東京藝術大学#藝祭2018 神輿を中心に。「指を売る店」今年も。

もう30年以上も通っている東京藝大の藝祭、昨日始まりました。

今年のテーマは「ほてり」。

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今年はお神輿が去年の8チーム(8体)から4チーム(=4団とも言うそうです)、つまり半分に減りましたが、完成度はどれも高く楽しめました。簡単にレポートします。

上野公園に着くと、神輿の模型が飾ってあるので、やってきたお客さんはまずそれらを見ながら想像を膨らませます。毎年やることです。

まだ朝の早い時間、模型を調整している学生さん。自分たちでデザインした法被を着ています。

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これは日本画・工芸・邦楽・楽理①のチームです。白竜と対峙する烏天狗、カッコいいですね。(あと3つ模型があるんですが、省略します) 

 

キャンパスの奥に待機している烏天狗。迫力あるな。もっと近くで見よう。

出発までまだ1時間あります。

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ミーティング中。ポップスターグループのようにおしゃれです。

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動き出しました。 ↓ 後ろ側。

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法被と色が合っていて美しい!

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通りに出ました。凄い迫力に歓声も上がります。

 

次は 油画・建築・声楽・指揮打楽器・オルガン・古楽のチーム『象』です。上野動物園の3頭の象はタイから贈られたそうですがそれがモデルだとか?

笑う象さんたちのインパクトと法被のカラフルさが抜きんでて愉し気です。

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すみません、象の足の裏に「藝」と書いてあるのが見えない💦ああ、失敗。

しかも法被のレタリングと同じもの。凝っていますね。

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象の背中八角堂が乗っていますが、これはこのチームの8つの専攻を表しているそうです。(よく落ちないものだ、とちょっとだけハラハラ。いらぬお世話・・・)

 

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通りに出ました。いつもこの交差点のところは賑わいます。

 

デザイン・芸学・作曲・弦楽のチームです。

う~ん、なんだろって思いますね。

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それで芸祭のHPを見ると

「MAD SCIENTIST

”それ”が誕生した」とあります。

このイラストも凄いな、ハリウッドの映画みたいな。

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他のチームと違った発想がおもしろいですね。

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マッドサイエンティストの実験室神輿 通りに出ました。

 

最後 彫刻・先端・管楽器・音環・ピアノチーム アヌビスです。

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私はこの法被が気に入っています。他と比べるとかなり地味なんだけれど。

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↑ おや、この白い人は メジェド神(メジード)ではありませんか!

↓ 写真中央 ここにもおられます、メジェド神。

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このあと上野公園の竹の台広場に集まり、神輿アピールがあるのです。一番盛り上がる見せ場なんですが、私は用があって帰宅。(youtubeなどで見られます)

twitterを見てみますと

藝祭 2018 [公式ウラ] (@geisai_ura_2018)さん

 

 🏮藝祭2018日本画・工芸・邦楽・楽理御神輿&法被🏮 (@omikosi2018nkhg) さん

 

アートマーケット

指、どうでしょうね、今年は?と思っていました。指を売る店については、去年とおととしのブログ記事を参考に。

cenecio.hatenablog.com

cenecio.hatenablog.com

 

制作者のジョニーさんは去年油絵の4年生だったから、今年はどうかなと思っていましたが、大学院に進学したそうでお変わりなく「指」を売っておりました。しかもバージョンアップしたさまざまなタイプを用意してきていました。

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今年買ったのはこちら。

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また去年も買ったPIGEONさんのお店も出ていました。

苦虫を噛み潰したような顔のおじさん人形が気にいっています。

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PIGEONさん。お名前も知らないんですけれどね。

とりあえず今日はここまで。ではまた近いうちに!

藝祭HP(日曜までです)http://geisai.geidai.ac.jp/2018/

 

追記:

jerichさま

神輿本体の制作は1か月くらい、その前のアイディアを練るのに数カ月かかるそうです。さっき見てきたら、象ちゃんはマケット賞など幾つか受賞しているようです。

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↑私が昨日撮ったマケットの写真  ↓Twitterからお借りしてきた足の裏の写真。

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追記:9月9日

あさん、みかんさん、コメントありがとうございます。

教えていただいて助かりました。直しました。本当にそそっかしくてすみません。

デザイン科さんのTwitter拝見しました。

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マッドサイエンティストの日常 (@MS_Ken_e_k) | Twitter

これですね!

もっと前に知っていればなあ…気がつかなくて残念。でも遅ればせながら貼らせていただきますね。心から感謝です。

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藝祭神輿 デザイン&芸学&作曲&弦楽 (@omikoshi2018) | Twitter

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「羽生結弦の写真撮るの下手くそ選手権」というハッシュタグがおもしろくて止められない &貴公子であり親善大使であり何よりもアーティストだったデニス・テン、若すぎる不条理な死

(*別ブログの記事を移動させています)

羽生結弦の写真撮るの下手くそ選手権 

というハッシュタグがおもしろくて止められなくて困る。平昌五輪で2連覇を果たし、仙台で凱旋パレードが行われた。その時撮った写真や競技中などの写真を羽生結弦選手のファンたちがツイートするのだが、タイミングが悪かったり人が多すぎたりで必ずしもうまく撮れるわけではない。そうした残念な、しかし愛すべき写真をこのハッシュタグのもとに集めるという試み。熱さが空回りし、おかしみに溢れ、見る人の心を和ませる。短いコメント(解説やツッコミ)もおもしろい。

 こちら↓ 画像をクリックして全体をみてください。

たっぷり楽しませていただきました。まだまだたっくさ~んあります。

ともあれ皆さんの愛を痛いくらいに感じた今日一日。

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追記:まだ熱が冷めない

1.一人でメガコンサート級の動員ができる羽生くん。

2.インド映画『バーフバリ』の王を引き合いに出すツイートも。 

インドの人々が王を讃えようと手を伸ばしているところが、羽生選手の写真を撮ろうと手を伸ばしているパレード観客とかぶる。

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↑これ、すごく気に入っていたのに削除要請があったもよう。映画の写真だろうか。

3.よい写真ですね!

4. 好きな選手が二人シンクロ(#^.^#)

 

追記:終わりを知らない  下手くそ選手権。(10月)

 

 驚くのはオリンピック公式サイトまでが おもしろがって記事にしていること。

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Hanyu parade brings thousands to streets of Sendai | olympicchannel.com

ネオンに注目 

私のブログはベルギーブログなので何としてもマグリットを載せないことには!

さて 私が好きなのを発表しますね。一番最初の投稿と最後↑の投稿です。

みなさん、ありがとうございました。

 

追記:12月1日

経済効果絶大

www.asahi.com

 

www.nikkei.co

 

2018-07-21 

貴公子であり親善大使であり何よりもアーティストだったデニス・テン、若すぎる不条理な死

昨日一報を聞いたときは耳を疑った。

にわかには信じられない。2014年のロシア・オリンピックで羽生結弦選手(金)パトリック・チャン選手(銀)と共に表彰台に上った。堂々たる銅メダルだ。もちろん実力のある選手でそれまでも数々の栄誉に輝いていたのだが、オリンピックは選手にとってやはり特別なのだろう。

ジョニーのツイート

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 ハビのツイート

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今朝になり、犯人も捕ったという報道があり、もはや受け入れざるをえない。なんということだ。こんな若さで人が死ぬ、殺されるなんて。

容疑者、デニス・テン選手と知らずに刺殺か 2人を拘束:朝日新聞デジタル

 カザフスタンからの報道によると、2014年ソチ冬季五輪のフィギュアスケート男子の銅メダリスト、デニス・テン選手(25)が刺殺された事件で、同国の最大都市アルマトイの地元警察は20日夕、2人目の容疑者を拘束した。先に拘束された容疑者とともに容疑を認めているという。

 2人は23歳と24歳。19日、アルマトイ中心部で、テン選手の車からミラーを盗もうとして口論になり、右太もも上部など複数箇所をナイフで刺して出血性ショックで死亡させたとされる。

 地元メディアは警察当局の話として、事件時2人は刺した相手が誰か分からず、逃走中にインターネットでテン選手だったことを知ったと伝えている。(モスクワ=喜田尚)

 

追悼文のような記事

www.globetrottingbyphiliphersh.com

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先週振付師のウィルソン(David Wilson)は、デニスからフリープログラムの振り付けを手伝ってくれないかとメールをもらったばかりだったという。

そのフリーの曲は”SOS d'un terrien en détresse” (「遭難した地球人からのSOS」という意味かな)昨年度(2017-18年)使用したプログラムである。しかしデニスは足の不調が続き、満足のいく演技ができないでいた。平昌大会も男子シングル・ショートプログラムで70.12点(27位)と点が伸びず、したがってフリー演技には進めなかったのだ。この美しいプログラムで再チャレンジしたい、それでウィルソンに連絡を取ったのだろう。

デニスがいないとわかった今、この曲を改めて聴くと涙を抑えられない。

Pourquoi je vis, pourquoi je meurs  なぜぼくは生き、なぜ死ぬのか。
Pourquoi je ris, pourquoi je pleure なぜ笑い、なぜ泣くのか。・・・

これはミッシェル・ベルジェMichel Berger — Wikipédiaの作った曲(1978年)でロックオペラ”Starmania.”のなかで歌われる。これまでに多くの人が歌っているが、カザフスタンの若い歌手Dimash Kudaibergenのバージョンをデニスは選んだ。

ちょっと見づらいが、昨年度のデニスのプログラムはこの通り。↓(ウィキペディア

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Dimash Kudaibergenの歌う”SOS d'un terrien en détresse” 

www.youtube.com

En Chine, le télé-crochet tourne kazakh

参考:

グレゴリー・ルマルシャル(Grégory  Lemarchal、1983年 - 2007年4月30日)のバージョンも秀逸。グレゴリーも短い人生だった。2005年にデビューして、私が2007年にベルギーに着くといきなりの訃報。先天性の病気だったそうだ。その後国葬にも似た葬儀があってフランス中が喪に服したのを思い出す。

www.youtube.com

 

 

今は貴重なフリーの映像

www.youtube.com

悲しすぎて今は見られないが…デニスの過去映像まとめ。

www.youtube.com

 

BBCと英ガーディアン紙の記事

www.bbc.com

www.theguardian.com

みんなに愛されたデニス。日本にも大勢の友人がいた。みんな心にぽっかり穴があいた気持ちだろうね。

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www.instagram.com

Denis Ten: Olympic figure skater stabbed to death - CNN

  

ご冥福をお祈りします。 

追記:2018年12月

無念の死をとげたフィギュアスケーター、デニス・テンの思いは別の世界で再生。彼の脚本が映画化(斉藤博昭) - 個人 - Yahoo!ニュース

引用

・・・

そんなデニス・テンの思いが、映画になって復活すると、ロシアのニュースサイト「sport.business-gazeta」が報じた。

デニス・テンは映画の脚本を構想していた。彼は死の6日前に、自分の作品を映画会社による脚本コンテストに応募し、準入選(セミファイナル)のランクまで進んだことを明かしていた。7月14日、死の5日前に彼がインスタグラムに残したコメントによると、世界中から250本以上の応募があり、その中で準入選に残ったのは18本だったという。デニスの脚本の内容は、青年と聾(ろう)の少女とのラブストーリーだそうだ。

・・・

ティムール・ベクマンベトフ監督)

2004年、監督したロシア映画のダーク・ファンタジー大作『ナイト・ウォッチ』がロシア国内で異例の大ヒット。その評判が世界各国に広まり、同作は日本でも劇場公開された。

そしてベクマンベトフの祖国こそ、デニス・テンと同じ、カザフスタンなのである。

ベクマンベトフによると、スポンサーとの交渉で製作費に目処が立ち、映画化の最終判断を下すべく、デニス・テンの母親に会うためにカザフスタンに向かうという。そしてすぐさま撮影を開始し、2019年内の劇場公開をめざすそうだ。・・・

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華麗なる中世ギルドの大行列(プラド美術館展)中世の職業カタログ

(*別ブログの記事を移動)

プラド美術館は世界屈指の美術館。

artexhibition.jp

そこからディエゴ・ベラスケス(1599-1660年)の作品を含む60点あまりを持ってきている。

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見どころは多々あれど、見るべきはかの華麗なる中世ギルド員の大行列ではないだろうか。https://www.volkskrant.nl/kijkverder/2014/AarsmanCollectie/#180228

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ありがたいことに、オランダの日刊紙フォルクスクラントはビデオもあげて解説してくれている。それをざっとまとめてみよう。

ベルギー・ブリュッセルには、世界一美しい広場と言われるグランプラスがあって、そこには豪華絢爛たるギルドハウスがたち並んでいる。この絵はギルド組合員たちの壮麗な行列を描いている。時は1615年、画家は Denis van Alsloot または Denijs van Alsloot (1570–1626年ころ)。

www.youtube.com

「まるで職業カタログだ」と記者は書いている。様々な職業の人々が絢爛たる列をなしてグランプラスを練り歩くのだ。それを市民が鈴なりになって建物の窓や広場を取り巻くようにして見物している。

行列の先頭にはさほど重要でなく貧しいギルド。徐々に裕福で権勢のあるギルドへと連なる。

絵に見入る日本人男性の立ち位置で見れば、行列が目の前を通り過ぎていくような感じがするらしい。それにしても、中世ではこうしたイベントはよく行われたが、これほどの規模のものはめったにないという。

ギルド組合員は皆まるで制服のように、黒い服装で白いレースの襟をつけている。そのなかで銀のチェーン(首当て?*写真)をかけているのがギルド組合長。赤い色の服は旗手(keersedragers)。ギルドのシンボルや紋章のついた棒を携えている。

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写真:矢印のさし示す人が首にかけているチェーン。実物の写真もビデオの中で見られる。

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ギルド長の上に文字が見える。これは職種をフランス語で書いたものである。絨毯職人、樽職人、ビール醸造人、服仕立て屋、肉屋(下の写真↓)…

職種の下に書かれた数字はギルド組合の人数である。たとえば仕立て屋は380人だ。

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行進は一列になって進むのだが、画家は全員を一枚の絵におさめるために、花綱のように列をうねらせた。

肉屋が手前の目立つ位置、つまり特等の位置取りをしているのは、宣伝効果をねらって金を積み、手前中央に描いてくれと頼んだからである。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/27/Alsloot-ommeganck-isabella-brussels-1615-prado-P01347.jpg/1920px-Alsloot-ommeganck-isabella-brussels-1615-prado-P01347.jpg

全体。いずれにしてもこの小ささでは何も見えない。美術館でじっくり見よう。 

 

🌸 画家denys van alsloot のタンブラーから。

大行列(オメガング)の絵は8点作られ、うち6点が現存ということである。様々なバージョンがあるようだ。denys van alsloot | Tumblr

https://78.media.tumblr.com/8e7ee4b5a6992b396560a7a2d9e04a57/tumblr_nvns4tkrxK1raxetmo1_1280.jpg

Denys van Alsloot, The Procession of the Guilds during the Ommeganck in Brussels, 1615.

 

🌸Denis van Alsloot - Wikipedia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Denis_van_Alsloot_-_The_Ommeganck_in_Brussels_on_31_May_1615._The_Triumph_of_Archduchess_Isabella.jpg/1920px-Denis_van_Alsloot_-_The_Ommeganck_in_Brussels_on_31_May_1615._The_Triumph_of_Archduchess_Isabella.jpg

 中央部拡大

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https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/TreeJesseOmmeg.png/800px-TreeJesseOmmeg.png

De boom van Jesse. (Detail: De ommgegang Brussel, 31 mei 1615)

Denijs van Alsloot - Wikipedia

 

ギルド組合の行列の絵、近くで見られてよかった。よくぞこんな大きな絵を持ってきてくれたものだ。

当時ブリュッセルを統治していたイサベル大公妃は、幼少の頃より弓矢のたしなみがあって達人だったこと。サブロン教会の塔のてっぺんを弓で射抜いて賞賛されたこと。弓の射手組合ギルドによって「大弓の女王」と呼ばれたことなど、展覧会カタログの立ち読みで知った。

 

高木選手らを支えたオランダ人コーチの物語&ベルギー70年ぶりのメダル!(平昌五輪) 

高木姉妹が合計五個のメダルという快挙!

すごかったなあ。 そしてその傍らにいつもいたオランダ人コーチから目が離せなかった。オランダから招聘したコーチ ヨハン・デ・ヴィット(Johan de Wit) と ロビン・デルクス(DERKS Robin (スピードスケート) - 平昌オリンピック2018 - JOC)のこと。心からお礼を言いたい。外野がこんなことを言うのはおかしいかもしれないけれど。

ヨハン・コーチ(38歳)は強化リンクのある帯広を拠点に、1年のうち10カ月余りを指導し、日本チームと共に歩んできた。妻も来日しており、息子Moos君は日本生まれ。現在はオランダに戻っている。彼は帯広の地がとても気にいっているそうだ。

平昌五輪への態勢を整えてから、指導を受けた女子選手たちの進歩は目覚ましい。オランダでは 'De meiden van De Wit'(デ・ヴィットの娘たち。ここで娘とは「女の子」という意味)と呼ばれているとか。

オランダでの報道もここ1年で日本に関するものがぐんと増えて、賞賛のことばも惜しまず「今や日本はスケート王国」などという記事タイトルが踊るほどに。

昨日の金メダルをかけたレースのあと、画面に左で飛びあがっているヨハン・コーチが見えた。↓

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そしてすぐに駆け寄って祝福する。

ヨハン・コーチはどんないきさつで日本に来たのだろうか。インタビューによると、背中を押してくれたのは病床の母親だと言う。私のことはいいから、このチャンスをつかんでちょうだい、でないともう二度とチャンスはやってこないわよ。意を決して2015年、未知の国日本に向かったのだ。

2015年4月のオランダの記事にはすでに、

De Wit allroundcoach in Japan | Schaatsen.nl

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コーチのヨハンが日本スケート連盟の招聘で3シーズン、日本で「オールラウンダー」を育成すべく移籍する。日本のほかドイツからも招聘があったが日本行きを決断。

 「母は正しかった」と言う。彼はオランダで8年コーチをしていたのだが、トップアスリートを続けて指導することはなかった。なにせアスリートもコーチも多いスケート王国オランダである。コーチとして更なる成長を目指したい。日本行きは大きな賭けであったが、またとないステップアップであっただろう。これからのコーチ人生にも幸あれ! 

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(レース後NOSのインタビューに答える。めちゃくちゃ嬉しいと言っているのだが、残念ながらもうビデオが見られなくなってる😢)

まさに歴史的快挙ともいえるパシュート女子の金メダル。そして2.53,89.というオリンピック記録。4年前の屈辱を胸に、選手たちの努力も並みではなかったと思うが、オランダ流のモダンな技術指導が実を結んだのだろう。

もう、凄すぎる!とコーチは興奮気味。レースの途中、ヤバい、ダメかな?とドキドキした瞬間があったけど、うまくいった。ぼくら日本のチームの強みは、息をピッタリあわせて滑れる選手が3人、4人、5人といること。そこがオランダとの違いかな。

本当は高木は1500でも金を取れたはずなんだが、ヴュストに持っていかれ残念。でもパシュートで自分の本来の力を見せつけて金メダルを奪うことができた。

https://nos.nl/pyeongchang2018/artikel/2218623-gouden-coach-de-wit-dit-is-gewoon-te-gek.html

 

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↑NOSの写真から。日本とアメリカは大喜び、オランダはがっかりの図。

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参考にしたオランダの記事

Japans schaatssucces maakt coach De Wit emotioneel | NOS

https://www.ad.nl/schaatsen/hoe-de-wit-het-japanse-schaatsen-uit-het-slop-trekt~a50faa97/

Schaatscoach Johan de Wit: 'Je kunt je niet voorstellen hoeveel druk er vanuit Japan op die meiden wordt gezet' - Sport - Voor nieuws, achtergronden en columns

 

五輪初の種目 マススタート まず女子から。

高木菜那選手 金メダル。悔しがっているのはこちら Irene Schouten(イレーヌ・スハウテン*註)選手。マススタートでは様々な大会で優勝している経験豊富な選手で今回も優勝候補の一人だった。

Schouten verovert olympisch brons op massastart - Olympische Winterspelen 2018 | NOS

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今回の決勝にはオランダ人はもう一人 、Annouk van der Weijden(アヌーク・ファン・デア・ウェイデン)も進んだ。ところがアヌークは転んで足を痛めてしまい、あらかじめ計画した通りには展開できなかった。

高木らのコーチ、ヨハン・デ・ウィットは、レースの何日か前にイレーヌといろいろ話をしたと言っている。なんとヨハンは以前イレーヌとアヌーク二人のコーチだったのである。二人のことは選手として知りつくしているし、今大会でもよく練習を見ていたらしい。NOSのインタビュアーが「ヨハンは心理戦を仕掛けてきたのかな」と言うとイレーヌも「そうかもね」と答えた。

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(レース後、NOSのカメラは談笑しているヨハンコーチをわざわざ映し出している)

イレーヌの後ろに高木をぴったりつける作戦が功を奏した。頭を使う競技なんだなと思った。駆け引きがたまらなくおもしろい。陸上マラソン自転車競技を組み合わせたような…。

ビデオを改めて見ると、イレーヌはゴール前ちょっと態勢を崩している。焦りとショックがあったのだろうか。この銅メダルはオランダの19個目のメダルとなった。

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https://www.ad.nl/andere-sporten/live-olympisch-debuut-voor-het-onderdeel-massastart~a5731572/

*註 :日本電産pdf↓に写真があります。右端ヨハン・コーチ、その隣イレーヌ、真ん中の女性アヌーク。https://www.nidec.com/~/media/nidec-com/news/2014/0530-01/140530-01.pdf

オランダはソチ五輪では、スピードスケート男女計12種目36個のメダルのうち、23個のメダルを獲得した。今回は少し減って20個で、金は8個である。さすがスケート王国。日本はスピードスケートでは6個。すばらしい!この大躍進はオランダのおかげでもある。

 

バート・スウィングス選手 おめでとう!

さてマススタート男子は、驚いたことにベルギー人選手が銀メダルを獲得した。(オランダ銅。)

twitter.com

 ベルギー国内は歓喜に沸いた。今大会唯一のメダル。「唯一のメダル」といえば私は2006年トリノオリンピックの、荒川静香選手金メダルを思い出す。日本はこれ1個だけだった。

だがベルギーの場合、ここに「20年ぶりの」という形容がつく。1998年に長野オリンピックでスピードスケート5000mで男子選手が銅メダルをもらって以来なのだ。

しかも話はここで終わらない。下のオランダ・フォルクスクラント紙によると「本当は( 'echte' )70年ぶり」なのだという。なぜなら先ほどの銅メダルの選手は実はオランダ生まれで、ベルギーの国籍を取ってオリンピックに出場したからだ。

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Bart Swings wint eindelijk een 'echte' medaille voor België - Sport - Voor nieuws, achtergronden en columns

70年前というと、1948年スイスのサンモリッツ・オリンピックで、戦後初めての大会だ。1940年、44年は第二次世界大戦のため中止だった。

サンモリッツ五輪は、1948年1月30日から2月8日まで開催された。どんな国が出ているか見てみよう。

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今大会、羽生結弦選手が「66年ぶりに連覇」したことがビッグニュースだったが、そのアメリカ人選手ディック・バトン氏は、この1948年サンモリッツ大会で最初の金、次の52年オスロ大会で連覇したのであった。サンモリッツではベルギーはフィギュアスケート男女が金、ボブスレーが銀メダルだった。

 

70年ぶりに銀メダルをもらったスウィングス選手ってどんな人?

バート・スウィングスは1991年生まれ。インラインスケートのスピード競技の選手である。インラインでは数多くの輝かしい成績を収めている。8年前から氷上のスピードスケートを始め、2014年ソチでは(*ウィキペディアから切り取り)

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5000m4位(ちなみに1~3位をオランダが独占)10000m5位…とすばらしい!

そして平昌五輪では、マススケート銀メダルのほか、このような好成績。

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「夢がかなった」と喜びもひとしお。それもそのはず。ベルギーではスピードスケートを練習するリンクもなく、切磋琢磨する仲間もいないため、もう一つのスケート王国ノルウェーに練習拠点をおいていた。

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Swings na zilveren medaille: "Dit is een droom die uitkomt" | nieuws | De Morgen

さらに学業もある。現在は工学部の修士課程に在籍している。学業とスケート、これをここまで両立させてきているのも、本人の努力以外に、コーチやサポートチームの協力と大学の教授らが実習などを個別に許可してくれる環境があるのだという。

スポンサーもいくつかついているし、フランダース政府からの資金もあるので、いわば「事業主」のようにそれらを賢く使っている。例えば安い航空会社を利用したり、民泊に泊ることもあるという。

理系の人は違うな、と私が思ったのは、ピーキングを重要視しており、練習プログラムをコーチと共に綿密に工夫していること。ひとりぼっちで孤独なのかと思いきや、オランダ人選手より有利な点もあるという。つまりオランダは選手層が厚く、オリンピック代表選考のために全力でレースをしなければならない。だからどうしてもピーキングが五輪以前の大会に設定されてしまう。

一方、スウィングスは国内にライバルもいないので代表争いもなく、平昌でピークが来るように少しずつ調子を上げていけばよかったと話す。今後の活躍も楽しみだ。

Bart Swings is meer dan alleen een topsporter - Ondernemen Online

 *オランダ・ベルギーの様々な記事を参照に簡単にまとめました。

 

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 追記:オランダからまとまった記事が出ている。ヨハンコーチの大活躍について。インタビューも二つ。

 

nos.nl

 

追記:オランダからまた優秀なコーチが来る!

Telesport.nl - Japanse schaatsbond haalt tweede Nederlandse toptrainer binnen

Dennis van der Gun氏、39歳(右)。

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小平奈緒選手 オランダ語インタビュー(平昌五輪)

(*別ブログの記事を移しています)

小平奈緒選手の魔法の呪文

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小平奈緒選手は500Mで見事金メダルを獲得。

NOS(オランダ国営放送)の記者がさっそくインタビューにやってくる。すると小平選手は金メダル獲得の秘密を教えてくれるのだ。それは魔法の呪文のようなもの。

どんな呪文か。

nos.nl

(↑ 写真は中のビデオから切り抜いています)

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このインタビューのとき、記者の男性はスマートフォンを通してオランダと繋いでいる。オランダ側にいるのは小平選手が2年間コーチングを受けたマリアンヌ・ティマ―さん(*註)。三人での会話が始まる。

小平選手が言う。競技場に向かうバスのなかで、昔ティマ―から教わった「早口言葉」を100回位唱えていた。それは

”Leentje leerde Lotje lopen langs de lange Lindelaan”

「レーンチェがロッチェに長いリンデ通りで走ることを教えた。」というもの。この思い出深い魔法の早口言葉で500mを制したのだ。一緒に滑った銅メダルのチェコ選手エルバノヴァ―( Karolina Erbanová )もティマ―の門下生で、オランダでは毎日一緒に切磋琢磨してきた仲間である。

スタートでは体がちょっと動いてしまい、フライングを取られるのではと一瞬不安が頭をよぎったが、思い切って行った。そのあとの滑りは類まれといっていいもの、自分の滑りの中でもベストの一つだと振りかえった。三連覇がかかっていた韓国の李選手に差をつけてオリンピック記録で優勝したが、李選手に対しては常に深い尊敬の念を抱いているという。 

*マリアンヌ・ティマ―Maria Aaltje ("Marianne") Timmer (1974ー)

凄い選手だったんですね!

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2d/Marianne_Timmer_%2809-12-2007%29.jpg/240px-Marianne_Timmer_%2809-12-2007%29.jpgf:id:cenecio:20180219102709p:plain

Marianne Timmer - Wikipedia

このNOSのインタビューをうけて、 魔法の早口言葉はすぐさま記事になった。

「マリアンヌ・ティマ―が金メダリスト小平に教えたことは、うまく滑ることだけじゃない。オランダ語もだ」という見出しで大きく扱われている。

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写真のキャプション:「リーシェはロッチェに走ることを教えたが、マリアンヌ・ティマ―はナオ・コダイラに(よりうまく)滑ることを教えた。」

Marianne Timmer leerde 'gouden' Kodaira beter schaatsen én Nederlands - Sport - DVHN.nl

ところで女子の名前は Leentje、Liesjeの二通りあるようだ。文はもう少し長くて子どもの数え歌みたいになっている。参考までにこちら。

★Versie 1:
Leentje leerde Lotje lopen,
Langs de lange Lindelaan.
En toen Lotje goed kon lopen,
Is zij weer naar huis gegaan.

★Versie 2:
Leentje leerde Lotje lopen
Langs de lange Lindelaan
Maar toen Lotje niet wou lopen
Toen liet Leentje Lotje staan
In de lange Lindelaan

 

🌸マリアンヌ・コーチのツイートすてき👍

”イエス@ナオ・コダイラ 金メダル とっても誇りに思う #BozeKat(怒った猫)”

エスススススとsを強調するところや「とっても誇りに思う」と書いたあとにハッシュタグ#bozekat(怒った猫)をつけ、短いなかにもユーモアと愛情が溢れている。

怒った猫のポーズはティマ―さんが小平選手にフォームを教える時の喩えで、画像を見れば一目瞭然。

またこのレースは銀メダルの李相花(イサンファ)選手とのライバル関係・友情も大きな注目を集めた。

こちらのツイートはオランダの元スケート選手のもの。「すばらしい光景だ」。

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このツイートに多くの人が賛同・賞賛のコメントを返している。

「この悲惨なことの多い世界で実に心温まる情景」

「ソファーに座って見ていたが涙が出てきた」

「世界はこうでなくちゃいけないんだよ」

「スポーツはきょうだいのような契りを結ばせるってことじゃない?」など。

私も何度見ても目頭が熱くなる。イ選手も銀メダルおめでとう!

  

総括的な記事

nos.nl

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 大体の内容。

1.000 meterは惜しくも銀だった小平。金はオランダ Jorien ter Mors。高木が銅で表彰台に日本女子が二人並んだ。
ソチで結果が出せなかったことから、オランダに移り、ティマ―のチームで練習を始めた。2年でスプリントの花形選手へと成長。そしてこの日曜日、祖国に金メダルをもたらした。その日本ではオランダ人コーチ二人、ヨハンとロビン(Johan de Wit と Robin Derksが、日本選手のために働いている。

 

 

日本人女性として初の金メダル(オランダ、トラウ紙より)

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小平選手と一緒に滑って銅メダルだったエルバノヴァ選手(Karolina Erbanova)は、オランダで同じコーチの指導を受けた門下生。本当に嬉しいことだ。(下にも写真を載せた)。

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 写真ここまでトラウ紙。'Boze kat' Nao Kodaira leerde in Nederland bravoure tonen | TROUW

 

「怒った猫」は自分の代名詞、そしてオランダの恩師からの贈り物。

小平奈緒選手はソチで芳しい成績が収められなかったあと、2年間オランダで修業した。無名時代からの相沢病院の支援はもう感涙ものだし、相沢孝夫理事長は小平をオランダへ「スタッフの留学」という形で送り出したことにも頭が下がるばかり。コーチも含め、周囲の人々が凄すぎる。

下は2016年、長野市で行われたワールドカップを取材したNOS(オランダ国営放送)の記事で、記事内にビデオが2本ある。

 

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Kodaira in het Nederlands: ik ben de baas | NOS

インタビュー「ボスは私。吾輩は虎である!」

もうすでに500mでは負けなしだった。インタビュアーのオランダ人記者に目覚ましい成長と快挙の秘密はなに?と聞かれ、「ただハードなトレーニングをしただけ」とあっさりひとこと。

私が思うにポイントは、記事タイトルにある: ik ben de baas「ボスは私」ではないだろうか。オランダでは滑る前に常にコーチに言われたフレーズであるらしい。

「ボスは誰なの?」

そのたびに「ボスは私」と答えていたという。オランダの2年で大きく変わったメンタリティ。コーチに言われたことをやるのではなく、自分で考え、自分を主張する。控えめで謙虚でにこやかな態度は普通なら美徳かもしれないが、スポーツ選手には必要ないものだ。

自分の人生、自分のスケートの主人公は私なのだという覚悟と闘志、そして獰猛さのようなものまで身に付けた。力強くしなやかで、自己への信頼に満ちた滑りがそのことを表していると思う。もはや猫ではなく虎である。

小平:「今回滑るときも、ボスは私、ボスは私と言い聞かせたんです」。

インタビュアー:「しかもここは故郷の長野だからあなたがボスだね」と笑わせてから「プレッシャーはないんですか。どう向き合っているの?」

「みんなから力をもらっているんです」「私は前に進むだけ。すでに取ったタイトルは振り返らずに行きます」…

 

オランダ時代の練習風景(youtubeより)

www.youtube.com

 

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(写真:youtubeから切り抜き。エルバノヴァ選手と。)

小平選手が暮らしていたのはオランダのフリースランド州のWolvega(ウォルフェガ)というところ。ここではオランダ語に近いフリジア語が話される。方言ではなく言語的に独立している。小平選手はフリジア語もどんどん覚えて話したので、周囲の人たちに愛されていた。

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この地域の親切な農家に部屋を借りていたとか。そして第二の故郷と呼んでおり、どれほどこの土地が気にいっていたかがわかる。スケーティング技術を磨くだけでなく、土地の文化やとりわけオランダの「スケート文化」一般について深く学んだようだ。

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↑最初のフレーズIk ben thuis.ただいま、という意味。ハッシュタグの2番目「フリースランドが好き」、3番目「怒った猫」とくれば、どんなオランダ人も微笑み、感激するにちがいない。可愛いひらがなや絵はステイ先のお子さんかな。

赤いハートはフリースランド州の旗のデザインにもなっていて、”Pompeblêd”と呼ばれるシンボル。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ca/Frisian_flag.svg/220px-Frisian_flag.svg.png

またフリースランドには”Thialf ”という有名なスケート競技場がある。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/03/Thialf_stadion_2008.jpg/800px-Thialf_stadion_2008.jpg

Thialf - Wikipedia

参考までにこのスケートリンクの記録を貼ってみる。日本人の活躍が誇らしい。(上記ウィキペディアにこの表が載っている)

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 500m 小平選手 37,29 昨年2017年11月のワールドカップの快挙だ。

そしてパシュートも、平昌五輪の金メダルのメンバー3人。2分55秒77.すばらしい大会記録。しかし今回はさらに飛躍して五輪新記録である。2分53秒89!

とてつもない記録で、繰り返しビデオを見た。何度見ても美しい隊列に惚れ惚れする。

 

🌸 おまけ

 小平さんの2年前のツイートがおもしろい!道路をスケートで?!

 

羽生結弦選手オランダ語記事「ユヅル・ハニューは半神になった」(平昌五輪) 追記:2019年3月 IOC理事会後の記者会見

記事タイトル:フィギュアスケート選手ユヅル・ハニューはこの週末 日本で半神になった」オランダ日刊紙フォルクスクラン2月18日付けのスポーツ欄。

羽生結弦選手の優勝と二連覇について、興奮気味に温かくしかも大きく取り上げています。なにせ新聞名の下にこの大きな写真ですし、タイトルが大袈裟なのでちょっとびっくりしますね。中にもう一枚写真があります。イェルン・フィッサー(Jeroen Visser )記者の記事。

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Kunstschaatser Yuzuru Hanyu is na dit weekend een halfgod in Japan - Sport - Voor nieuws, achtergronden en columns

ユヅル・ハニューは、オリンピック二連覇を成し遂げて今やほとんど神の地位にあるといえるだろう。この図抜けた才能の持ち主、仙台出身の23歳の日本人は、アメリカ人ディック・バトンが1948年と1952年に打ち立てた偉業に並んだ初の男子フィギュアスケーターとなった。

江陵(カンヌン)の競技場でハニューは、フリーでいくつか小さなミスはしかもしれないが、それ以外の卓越した申し分のない演技でじゅうぶんにカバーすることができた。それに前日の金曜に、ショートで111.68点をたたき出し、これは自身の持つ世界記録に数ポイント足りないだけだった。こうしてフリーには貯金をもって臨んだ。合計点で317.85点にまで達し、他の選手たちをすべて脇役にしてしまった。

リンクの外では控えめなのに、氷上では表現力に富み、力強い演技をする。そんな対照的な側面を併せ持つハニューだが、ソチの金メダル後はもう神話の世界の存在であるかのようだった。多くのファンが国内であろうと海外であろうと、ハニューが出場する大会のチケットを買うのに奔走する。そればかりか競技リンクに一番ノリしようと入り口のドアの前で眠る人たちも現れた。

 

連覇の望みが危機に

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(金メダルのあと喜びをかみしめる)

いつもリンク脇にいるハニューのマスコット、ウィニー・ザ・プーも、ファンたちが大量に買い込んでいた。そしてこの土曜もいつもと変わらず、演技のあと黄色の熊の雨が氷上に降り注いだ。それに続く90分の間、ハニュークン (原文:Hanyu-kun)というハッシュタグツイッター上で110万回使われたのである。

ハニューの偉業はケガからの復帰後だけに一層センセーショナルなものになる。11月のNHK杯(*記者はここを「モスクワ」としていた)公式練習で、ジャンプの着地の失敗により足首を損傷してしまい、以来数カ月も氷に乗れなかった。このケガのあと百人ものジャーナリストが記者会見に詰めかけて、足首の状態を聞きたがった。オリンピック出場の展望は危機に瀕していた。

「足が痛む日が長く続いて、もう二度と滑れないんじゃないかと思ったこともあります」ハニューは土曜日こう話した。「でも滑れないからこそ、戦略を練る時間が充分にありました」

金曜には足首はどうやら大丈夫そうだと見受けられた。172cmのこの日本人選手はショートプログラムで、灰の中から不死鳥のごとく蘇り、堂々たる点数をたたき出してみせた。このときハニューの金メダルを疑う者はいなかっただろう。更に喜ばしいことに、同胞のウノが銀メダルに輝いた。

 

取り戻した自信

ソチ五輪での優勝は、日本人男子スケーターにとって初の金メダルであるが、多くの日本人にとって優勝は励ましの意味もあっただろう。2011年3月11日の大震災では16000人の命が失われ、福島原発の事故もあった。そのとき仙台のスケートリンクで練習していたハニューは、建物の屋根が落ちる前に外に飛び出さねばならなかった。その後は一時的に横浜に移ってスケートを続け、60ものアイスショーに出て、仙台のリンクを立て直すための資金を集めたのだ。再びアイスリンクが使えるようになったのは4か月後のことである。

ソチの金メダルは日本の「復活」のためのもの、平昌の金メダルは日本が「取り戻した自信」を祝うものではないだろうか。2年後には東京オリンピックがある。日本は、現代的で自信を取り戻した自国の姿を世界に見せるだろう。歴史に名を刻まれるほどの最高のスケート選手を生んだ、ということがさらなる多くの成功に繋がる予兆となるだろう。

(訳終わり)

 

フィッサー記者はこんなかた。

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Jeroen Visser (@jeroenlvisser) | Twitter

 

ツイートが熱くておもしろい。参考までに例です。

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葛西選手の大ファンです。2026年まで楽しめますね。

 オランダはスピードスケート王国ですが、フィギュアの方は近年はさっぱり。でも数年前に子どもたちの指導を組織的に始めたようですから、いずれいい選手が出てくるかもしれません。

有名な選手ではディアンネ・デ・レーブ(Dianne de Leeuw、1955年生まれ)という人がいます。1975年世界フィギュア選手権で優勝。1976年のインスブルック・オリンピックで銀メダルを取りました。現在コーチをしています。

羽生選手関連でオランダといえは、すぐにデン・ハーグ(Den Haag)を思い出しますね。羽生選手が世界ジュニア 選手権(2009-2010シーズン)で優勝しました。映像は今でもyoutubeで見られます。

その後オランダのフィギュア中継では、司会者やコメンテーターたちが嬉しそうにデン・ハーグで見たジュニアの羽生を振り返るのが印象的。成長を楽しみに見つめている…まるでお父さんですね。なかでも、フィギュアの審判の資格も持ち、国際的に活躍しているプリンス(Jeroen Prins)氏の解説が素晴らしいです。

 

追記:勝手にメモ。

3月13日 Olympic Channelさんのツイート

3月21日 TrinityNYCさんのツイート

2018年10月27日ふじつぼさんお借りしています。

 2019年3月

www.jiji.com

3/29(金) 0:46配信 時事通信
 【ローザンヌ(スイス)時事】国際オリンピック委員会IOC)が運営するインターネット向け動画配信サービス「五輪チャンネル」の担当責任者は28日、最も人気のあるコンテンツとして、フィギュアスケート男子で2014年ソチ、18年平昌五輪で連覇を果たした羽生結弦ANA)を挙げた。IOC理事会後の記者会見で、「彼は最大のスター。日本に限らず、世界中のどこでも同じだ」と述べた。

 IOCは16年に五輪チャンネルの運営を開始。日本は米国に次いで世界で2番目に利用度が高く、フィギュアスケートは突出した人気があるという。 

 

ノルウェー人飛行士の造る日本酒・仏議員の「日本酒友の会」・駅弁売り場がパリの駅に・南部鉄器ファン -2-

  (前回フランスの日本化がおもしろい!日本酒ブームの欧州&㊗『鬼火』銀賞受賞! -1- -の続き)

ノルウェーパイロット、欧州で最初に日本酒を作った男

北海道の人ならご存知でしょうか。chancepapaさまはこの日本酒ブーム、TVでご覧になったことがあるとコメントにあったので、もしや、こちらシェティル・ジキウン氏(kjetil jikiun、写真)の作る「裸島」の話?

スカンジナビア航空の旅客機パイロットのジキウンさんは、何度か日本に飛んでいるうち、あるとき日本酒と決定的な出会いをする。飲んだ瞬間たましいを持っていかれた、一目惚れだったと言います。その後来日の度に飲み歩き、ついに大阪の大門酒造で醸造を学び、2010年からノルウェーで酒造りを開始…という、驚きの経緯です。

http://www.cdn.tv2.no/images?imageUrl=http%3A%2F%2Fwww.cdn.tv2.no%2Fmultimedia%2FTV2%2Farchive%2F00880%2Fsake5_880859a.jpg&width=1000&height=563&compression=75

Norsk bryggeri med sake-suksess i Japan

 ジキウン氏がもともとクラフトビール醸造所も経営していたことも、日本酒への挑戦のハードルを下げたと思います。北海道の米「吟風」を使うのは、ノルウェーと緯度が近いから。山廃仕込みという、伝統的だが手間のかかるやり方を採用したのは、ノルウェーの自然の菌を活かせるからだといいます。問題となる水ですが、グリムスタ(地図参照)の澄んだ雪解け水を使っているそうです。ミネラルのバランスがとてもよいのだそう。酸味が強くてパワフル、すっきりした後味が残る…こうした特徴はヨーロッパの人の口に合い、それも考慮に入れて酒造りをしています。

現在純米酒にごり酒など6種類を生産し、デンマークやカナダ、イギリス、アメリア、スペイン、イタリア、そして日本でも販売されています。

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(赤印グリムスタGrimstad。私はオスロやベルゲンには行きましたが、この辺はまだ) 

gne ø 裸島

このノルウェー醸造gne ø(ヌグネ・エウと読み、その日本語訳が裸島ノルウェー作家ヘンリック・イプセンの詩に由来)は、昨年2016年の3月、”NHK WORLD”のなかでも、またさらに遡り2013年のNHK北海道放送の特集番組でも紹介されて大きな反響があったそうです。

ノルウェーも他の欧州諸国と同じく、和食ブームが押し寄せており、特に新鮮な魚介類がたくさんとれるノルウェーではすしバーが大繁盛です。すしをつまみながら日本酒をおちょこで飲むのが流行なのです。(↓おちょこで乾杯するノルウェー人たちの画像があります↓)

www.youtube.com

醸造所Nøgne øで日本酒担当は↑白い作業着のカナダ人、ベネット(Brock Bennett )氏。この人のエピソードも大変に興味深い。なんと化学者なのです。

製薬会社の研究者をしていたが、10年くらい前カナダの日本料理店で味わった日本酒に衝撃を受け、店で買うだけでは飽き足らず、ネットで作りかたを調べながら自宅で醸造していたという情熱の人。

そして2009年に大阪で開かれた日本酒のワークショップに参加したとき、ノルウェーのジキウン氏と運命的な出会いを果たし、二人は意気投合します。ベネットさんはバンクーバーに戻ると、醸造所”Artisan Sake Maker”というところでいったん働き始めますが、そのあとノルウェーへ誘われるのです。

 

「米、水、麹、酵母の奇跡に魅せられて」

今年の春読んだクーリエジャポンの記事がおもしろかったです。ベネットさんは

「Q:日本酒造りのどんな部分に魅力を感じるのか」という質問にこたえます。

カナダ人がノルウェーで醸すパワフル日本酒、その名も「裸島」|北欧の雪解け水が生んだ珠玉の一杯を! | クーリエ・ジャポン

米、水、麹、酵母から成る日本酒造りの過程すべてが大好きです。

この4つのシンプルな材料が、化学、直感、そして経験の絶妙な融合を通じて酒に姿を変えるところが素晴らしいと思いますし、神秘的ですらあります。

それに、酒造りは奥が深い。仕込みを経験すればするほど、よりよい酒を生むためのヒントが見えてきます。日本酒って、造るたびに進化していくんです。ですから、私の酒造りに対するモチベーションが衰えることはありません。

私の好きな日本酒は、山廃の純米酒純米吟醸酒。香りのなかにかすかな強さがあり、調和のとれた酸味とうまみ、さらに米と水の特徴がわかるようなものが、私の理想の日本酒です。

化学者と詩人と求道者の側面を併せ持つベネットさん。

ノルウェーの日本酒、これからもますます楽しみですね!

 

フランスの議員たちが「日本酒友の会」を結成

日本の議員が「ワイン愛好会」や「ベルギービールファンクラブ」(←あるかどうかも知りませんが)を作って集うのとはわけが違います。

2013年5月、フランス社会党のGilbert Le Bris氏は、社会党の議員たちだけでなくUMPの議員も巻き込み、「日本酒友の会」( l’association parlementaire des amis du saké japonais)の結成を呼びかけました。フランス人は、日本旅行でおいしい日本酒を味わったことや和食ブームも背景にあると思いますが、原発事故のあと、日本酒の蔵元が被災したことに心を痛め、日本の友人たちの力になりたい、日本酒のイメージを高めたい、という強い思いからだということです。

 

ドパルデュー氏も大のファン

http://static.mensup.fr/article/grande/un_vin_de_riz_en_passe_de_conquerir_la_france.jpg

このほか ”Becs Fins de Sakés”というフランスの日本酒愛好家の会もあります。この初代会長を務めたのはあの有名な俳優、ジェラール・ドパルデュー(Gérard Depardieu)氏で、自分も日本酒ファンなので日本酒の普及にひと肌脱ぎたい、とパリにある豪邸を試飲会の会場として提供してくれたそうです。

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写真:サケマニア(sake mania)が集うドパルデュー邸。2012年9月Le saké, nouvel alcool chouchou des Français - L'Express   Sakémania

日本酒の話はまだまだあるのです。長すぎるので今日はここでいったん切ります。

 

ところで先日の報道韓国のマッコリ輸出が5年で75%減 日本酒と対照的

安定した海外市場の構築に失敗して減少するマッコリ(韓国伝統の濁り酒)と、高級なイメージを確立して売り上げを伸ばす日本酒との対比が興味深い。

 

フランスに浸透するニッポンあれこれ

①お料理の本は数えきれないほど出ているのですが、クリスマスプレゼントの一案に、と楽しいアイディアが目をひきました。ポチしてみてください。12秒で中を見せてくれます。出版社「おまけブックス」omakebooksの本。 

twitter.com

②”BENTO” はすっかりお馴染み

今やキャラ弁&デコ弁を作るフランス人も多い。この火付け役はトマ・ベルトランという京都在住のフランス人で、弁当をこよなく愛し、弁当箱の魅力を世界へ発信するべく、弁当箱専門店”Bento&co”を2012年にオープンしました。

当時日本でもフランスでも多くのメディアに取り上げられたので、皆さんもご存知かもしれません。現在は世界90カ国に輸出しているそうです。

フランス人は通販でここから好みのものを買って自分なりのお弁当を作ります。

とりあえず今日覗いてみたらサイトのトップはこんな風。可愛い~!

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La Boutique du Bento – Bento&co

 追記:2018年6月

③パリ・リヨン駅構内に 駅弁売り場が。

https://news.mynavi.jp/article/20160423-a183/images/001.jpg

JR東日本・NRE、パリの駅弁売店「EKIBEN」好評につき出店期間を26日間延長 | マイナビニュース

テロもあって、2015年も終わりから2016年の春は暗く不穏な雰囲気でした。私もブリュッセル空港が破壊されたために使えず、帰国難民になり、パリまで流れてきていました。そのころパリでは駅弁を売っていたんですね。当時は全然知りませんでした。たぶん皆さんは日本のメディアを通してご存じだったんでしょう。

JR東日本NREが、パリ・リヨン駅に期間限定の駅弁ショップ「EKIBEN」を出店しました。年末12月の予定が、テロのせいで3カ月遅れたのですが、これが好評を博したため、さらに一か月延長したということです。シャロレー牛を使用した和風弁当「パリ・リヨン弁当」や「幕の内折詰弁当」など5種類の駅弁が販売されました。写真で見るかぎり、とってもおいしそうでした。フランス人は日本への旅行を通して「弁当」にはかなり馴染んでいます。その素地があるから受け入れられるんじゃないかと思います。

また次回に続きます。しばしお待ちを!

 

コメントありがとうございます。

アイディア次第でいろんな挑戦ができますね。いちご一笑 (id:sinsintuusin)さまが、

 長崎の離島の会社で焼き芋を真空パックし、電子レンジで加熱して食べる、という商品を販売している会社があって、海外に販路を広げたい・・・

と書いてらっしゃいました。いいアイディアだと思いますよ。ぜひ! 

よんばば (id:yonnbaba)

 日本酒にしろお茶にしろ、日本人が離れて消費が落ち込み、苦しんでいる生産者も多いいっぽうで、舌の肥えた外国人がその良さに気づいて広めてくれる。なんとありがたいことでしょう。
日本家屋や伝統工芸品などにもよくある現象ですね。日本人は、もっと自分の価値観でしっかりものを見る力をつける必要があると思いますが、日本の教育は自分の頭で考えることを教えませんから、日本の文化は外国人が支える、なんてことになっていくのかもしれません。

まったくおっしゃる通りなんで、私たちは自国の文化をよく知り、もっと積極的に売り込まなければなりませんね。今や南部鉄器(*註)はフランスの家庭に普通にあったりして驚きます。日本茶もよく飲まれています。「ないのは京都の水だけだね~!」と笑い、どらえもんの「どこでもドア」を欲しがっていました。

id:mangokyoto

 まさに花の香を昨晩、頂いたところでした。フランスの赤ワインビネガーと刻みエシャロットで食べる牡蠣は日本酒こそが合うのではないか、と密かに思っております。

前回記事で フランス人が選ぶ審査員特別賞だった、熊本の「花の香」を召し上がっていらっしゃるマンゴーさま。ああ、羨ましい!

フランス人の有名シェフが言っていましたが、魚介類のほか、卵料理(ワインは全然合わないと言い切っていたのが印象的)、キノコ料理、フォアグラなど、そしてスイーツにも日本酒はバツグンの相性だとのことです。

みなさん、いつもコメントをありがとうございます💛 

追記:南部鉄器(*註)

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www.dammann.fr

diamond.jp

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追記:獺祭の社長の訴え

地元山口県の地酒ということもあり、安倍総理が来日したオバマ前大統領にプレゼントしたことでも話題を呼んだ「獺祭」。海外でも人気で、三ツ星レストランのフランス人シェフ、ジョエル・ロブション氏も認めるほど。パリ中心部に「獺祭」の名を冠した店を出店する予定もあるのだという。

 「獺祭」はその人気の高さゆえ、転売されるなどしてプレミアがつき、…

abematimes.co

追記:2018年4月 めちゃくちゃカッコいい旭酒造会長 桜井博志氏のインタビュー!

style.nikkei.com

フランスの日本化がおもしろい!日本酒ブームの欧州&㊗『鬼火』銀賞受賞! -1-

世界に浸透するWASHOKU そしてUMAMI

フランスの若者や子どもたちを虜にする日本アニメ・漫画に対し、日本からの「文化侵略だ」と大人たちが憤っていた80年代、90年代。今から振り返るとちょっと信じがたく、隔世の感があるとはこのことです。

今やフランスは日本のサブカルチャーのみならず、日本を代表する他のコンテンツ、文化や食などを率先して宣伝し広めてくれる国、ありがたいことです。「フランス人は保守的」ってほんとう?と言いたくなります。

ヨーロッパはだいぶ前から盆栽や太鼓がブームですが、その火付け役はフランス人じゃないかもしれない。でも食に関しては、あのうるさい人たちが好奇心満々で知りたがり、太鼓判を押して世界に紹介してくれたのです。

そして日本料理の食材や調理法を、伝統的なフランス料理に見事に取り入れるあたり、さすがフランスだなあと思うし、逆にわれわれにとっては日本料理の再発見にもつながり、学ぶことが多いです。

フランス人がUMAMI (旨味)と初めて遭遇した時の驚きはいかばかりであったでしょうか。つまり甘味、酸味、塩味、苦味に次ぐ第五の味です。

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2000年代に入ると世界的な和食ブームが起こり、フランス人シェフたちは日本に研修にやってきては、カツオや昆布などからどうやって出汁(だし)をとるかを熱心に学んでいきました。自分らが知らなかった新しい味覚を発見したのですね。(もちろん「旨味」は日本だけじゃなく広くアジアの料理に共通するものですが。)

ともあれ旨味の衝撃は、ヨーロッパのあちこちに”UMAMI”と名の入ったラーメン店・日本風の飲食店を出現させるに至りました。ベルギーでさえ数店ありますから。

フランスのブルターニュ地方・コンカルノにはかつお節工場が誕生しています。日本国内では最高品質を誇る鹿児島県枕崎市水産加工業協同組合と、かつおぶし関連会社9社が出資して設立した「枕崎フランス鰹節」の工場です。

これまでフランスに出回っているかつお節はほとんどが中国・韓国産で、日本とは燻しや乾燥の方法などが異なるし、味もよくなかったようですが、ここブルターニュで作るホンモノの日本のかつお節は、繊細な舌をもつ仏人シェフらを唸らせるそうです。

12月2日パリで、かつお節についての講演会があったらしく、どなたが喋るのかと思っていたらこちらの方。Du katsuobushi à Concarneau - Agenda - Maison de la Culture du Japon à Paris

https://static.actu.fr/uploads/2016/05/MER-Makurazaki-854x570.jpg

L’usine de katsuobushi se termine – actu.fr

やはり「枕崎フランス鰹節」支店長のグエネル・ペリラン(Gwenaël Perhirin)氏。本職は弁護士さんという変わったバックグラウンドです。

父親(銀行マン)の転勤で日本に13年住んでいたそうで、出身のブルターニュ地方に鰹節工場ができると聞いたとき「全身全霊を注げられる仕事だと感じ」即応募したそうです。

これ以上望めないような人材を見つけられて、枕崎フランスは本当に幸運でした。

ペリランさんの感動のインタビューはこちらで。https://ovninavi.com/815interview/

 

フランス国産の日本酒 

和食ブームもあって、世界中で酒の売れ行きがここ10年で急激に伸びており、高いものも売れるということです。確かに高級レストランでなくても普通に日本酒は数種類メニューに載っています。

今年画期的だったことは、フランス人が作ったフランス国産の日本酒が販売されたこと。多くのメディアに取り上げられました。昇涙酒造(Les larmes du levant)これが名前です。 levantには「日が昇る」、ひいては「東」といった意味があります。

Appétit - Les larmes du levant - Appétit - TL7, Télévision loire 7

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写真(tvインタビューから切り抜いている):

蔵元のグレゴワール・ブフ(Grégoire BOEUF)さん。場所はリヨン近くのペリュサン(下に写真)という村。ブフさんは2015年に鳥取県の梅津酒造で修業した。

杜氏には日本人二人を迎えて、現在三人で酒造りをしている。ブフさんによれば「フォアグラと日本酒の相性はバツグン!」なんだそう。

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Brasserie de saké française les Larmes du Levant - Midorinoshima

こちらがサイト   ↓酒3種類(小さくてすみません)。

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所在地: 4 Rue du Regrillon, 42410 Pélussin, フランス。美しい村です。

http://www.hotelroomsearch.net/im/city/p%C3%A9lussin-france-1.jpg

http://www.hotelroomsearch.net/im/city/p%C3%A9lussin-france-4.jpg

Pélussin France - hotelroomsearch.net

写真に見える山の湧き水が軟水(!)なので酒が造れるのですね。フランスはたいてい硬水ですから。

米は日本から玉栄(たまさかえ滋賀県鳥取県を中心に栽培されている酒造好適米)を輸入しているそうです。いずれフランス産の米を使う日もくるかもしれません。

 

さらにあとに続くフランスの若者たちが…https://mainichi.jp/articles/20170531/ddl/k44/040/269000c

フランス人の兄弟が宇佐市で修業をしている話を毎日新聞で読みました。クリストフ・フェルナンデスさん(39歳)とステファンさん(36歳)。二人は南仏でビール工房を営んでいるが、10年前に来日したとき居酒屋で飲んだ日本酒が忘れられず、酒造に挑戦することにしたという。

ところが東京はじめ全国をまわって修行できる蔵元を探したが、15カ所で断られ、16カ所目の小松酒造所でやっと受け入れてもらえた。小松潤平さん(40歳)とは年が近く、意気投合したとのこと。小松さんのところでは、稲の栽培から酒造りを行い、地元産の米(大分三井)で造った「豊潤」が人気商品だということです。

ただフランス人の二人は、「フランス料理に合う日本酒」を目指しているのだそうです。マリアージュということばがありますね。フランス語で「結婚」ですが、食と飲み物の食べ合わせの意味でよく使われます。ワインには向かない食材でも日本酒にはよく合うことを知ってフランス人は驚き、いろいろな種類の日本酒と食材を組み合わせて試したうえで、レストランでは料理に応じて、白ワインではなく日本酒を進めることもよくあるのだそうです。舌の確かなソムリエの勧めに従っていれば間違いないでしょう。

 

” KURA MASTER” 2017年6月

フランス人によるフランス人のための日本酒品評会 

とてもおもしろいのが、日本人が日本で造る日本酒のコンクールをフランス・パリでやるということ。今年初めて開催されたこのコンクールには全国220社から550銘柄のエントリがあったそうです。

審査員は32人、フランストップのソムリエや有名なワイン醸造家、ワイン業界誌ジャーナリスト、レストラン関係者などで構成され、ブラインドテイスティングで高品質の日本酒を選びます。

審査委員長 グザビエ・チュイザ氏と運営委員会代表の宮川 圭一郎氏KURA MASTERは二人とも日本酒の啓もう活動に力を尽くしてきました。

宮川氏のエピソードはとても有名です。1990年代にレストランを回って日本酒を置いてほしいと頼むのだが、「酒はいらない」と断られる。すると「では吟醸はどうですか」といって勧めたというのです。

こうした人たちが業界のプロやソムリエに試飲させ、日本酒の魅力をわかってファンになってもらう…実に地道な努力、血の通った活動でファン層を広げてきました。ファンになった人は必ず日本へ来ます。好きな蔵元を訪ねたり、和食や居酒屋を楽しんだりするそうです。

チュイザ氏は、フランス国内での日本酒の普及について「一流レストランの多くで、ドリンクメニューの15%を日本酒が占めるようにしたい。今後3年での達成を目指す」と語りました。

そうそう、受賞のお酒がまだでした。

最優秀のプレジデント賞 :天山酒造(佐賀県)の「七田 純米吟醸 雄町50」

2位の審査員特別賞 :花の香酒造(熊本県)の「花の香 桜花」

 2銘柄を含む、優秀銘柄2017年度 受賞酒発表は、パリの高級ホテルクリヨンのメニューに採用されるそうです。
 

日本酒の話はまだまだあるのですが、今日はいったん切ります。

 

🌸お知らせ

『鬼火』アトリエ銭湯さんが銀賞!!

日本国際漫画賞(Japan International Manga Award)知っていますか。

外務省が海外への漫画文化の普及と、漫画を通じた国際文化交流に貢献する漫画作家を顕彰するものです。

実行委員長は 河野太郎外務大臣です。

審査委員長は 里中満智子さんです。

第11回受賞作品|日本国際漫画賞

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詳しくはサイトをご覧になってください。

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新潟日報の記事を貼っていますね。

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「 9番目の芸術」さんのTwitter

 

参考

東京のこちらの学校に通っていたそうです。セント・メリーズ・インターナショナル・スクール - Wikipedia

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かつおぶし初体験は14歳、 グエネル・ペリランさん。

 

追記:2018年2月25日

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セシルさん、おめでとう!

楽しい日本滞在を💛