ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

第一次大戦の終わりから100周年。だが非道な殺戮が再び始まるまであとたったの20年・・・  

*11月15日 すみません💦今朝記事が消えてしまいました。

 

(昨日のエントリ)

みなさん、こんばんは。

ちょっと間が抜けてしまったんですが、今日は第一次大戦終結の日11月11日のことを。

(写真はディクスミュード。 死の塹壕と呼ばれる)

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https://www.demorgen.be/fotografie/de-wereld-staat-stil-bij-100-jaar-wapenstilstand-f4e4d20d/

先日11日、ヨーロッパ各地で100周年の大規模な追悼式典があった。もう4年のあいだ、つまり2014年の勃発100年から毎日毎日、ヨーロッパの各紙は紙上で特集コーナーを設け、「100年前の今日はどこそこで戦闘があり…」と回顧してきた。「大戦争」と呼ばれた第一次大戦はまさに大規模な殺戮戦争。大戦を通しての戦死者は少なくとも1600万人(非戦闘員700万以上)と言われている。ヨーロッパ全土、そして義勇軍や志願兵としてやってきたアメリカ・アフリカ大陸の人たちにとって重い記憶だ。フランスのために戦った中国人やカナダの日本人(志願兵)のことも忘れてはならないだろう。

激戦地はあちこちにあるが、小国ベルギーは特に苦しめられた。ツェッペリン号からの空襲や毒ガス攻撃については、普段の平和な生活のなかでもベルギー人が繰り返し口にすることだ。第二次じゃなく第一次大戦の話が頻繁に出るので、私は学生だったころ驚いたものだが、ヨーロッパの各家庭にはこの戦争で亡くなった人が一人ならずいることを考えれば当然だろう。何でもすぐに忘れてしまう日本人のほうがおかしいと思う。

ベルギー・イーペルでの毒ガス・・・これが初の大規模化学兵器使用例となった。1915年4月のことである。大戦の戦死者1600万人のうち1%、およそ16万人が毒ガスの犠牲になったと推定される。これを開発したのは皆さんもご存じ、ドイツ人科学者フリッツ・ハーバー(Fritz Haber, 1868-1934)で、なんと呆れたことにのちにノーベル化学賞を受賞するのであるが、ヨーロッパ中で抗議のデモが起こったという。

ハーバーは陸軍幹部を説き伏せるのにこのように言っている。長引く戦争を早く終結させるのに化学兵器は効果的だ。むしろ兵士の命を救う人道的な兵器だと。(アメリカ側の原爆投下の理由と同じですね)

妻のクララも科学者で夫の研究を手伝っていたが、戦争に使うことには反対で、2015年自ら軍用ピストルを手に取り、人生を終わらせた。

The Father Of Poison Gas - Fritz Haber I WHO DID WHAT IN WW1? - YouTube

(↑5分でまとめてあるわかりやすいハーバーの紹介ビデオ)

戦争は終わるどころか、連合国軍側も競うように毒ガスを開発し、防毒マスクを完備し、大砲に詰めてドイツ側を攻撃する。フランドル地域で伝令だったヒトラー(*)もこのとき毒ガス攻撃を受けたと『我が闘争』の中に書いている。

 

*過去記事:去年の同じ時期もこのテーマを扱ったので参考までに。

cenecio.hatenablog.com

 

人骨も兵器も潜水艦も何でも!

今でもヨーロッパ各地で見つかり、そのたびに紙面を飾るので第一次大戦は身近に感じている。そして稀ではあるが遺骨の身元が判明し、末裔に引き渡すというドラマティックなエピソードが混じると100年後の私たちも胸があつくなる。執念のごとき地道な作業にも頭が下がる思いだ。

フランドル地方でこの夏、考古学者らが遺骨を発見という記事。

www.nzherald.co.nz

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 (↑写真はベルギー・オランダ語放送のビデオから切り抜いている)

 ニュージーランドから「大叔父」の遺骨を引き取りにきた男性。どんな思いだろうか。

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他の記事。

今年5月、イーペルの泥の中から300体の遺骨発見。

https://www.demorgen.be/binnenland/archeologen-halen-driehonderd-lichamen-uit-ieperse-klei-be4c82ee/

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また先日私がフォローしているオランダ人ジャーナリストの方から教えてもらったのだが、「日本人の英軍兵士」の話が興味深い。

 1891年横浜生まれのHarry Fusao O'Hara氏早稲田大学で学び、海外特派員としてインドに赴き、戦争が勃発すると志願して英空軍へ。初めはメカニック、そのあと唯一の日本人英軍パイロットとして空を飛ぶも、負傷70回というツワモノ。

イギリス人女性と結婚して現在子孫もいらっしゃる。O'Hara氏は第二次大戦の6年後癌で亡くなったとのこと。

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王室空軍博物館にポートレートが飾られているが、ここまで来るのにどれ程の道のりがあったか。つまり叙勲のことではなく、人種差別という意味で。

興味のある方はどうぞ記事Japanese national became decorated war hero for Britain in WWIをお読みください。易しい英語で書かれています。

 

ドイツの100周年展示

 

最後に

雨に濡れるのが嫌だから、と記念式典をすっぽかす困ったちゃんトランプ。

www.afpbb.com

 

🌸続き WW1その2

cenecio.hatenablog.com

・・・・・・・・・・・・・・

すっかりあわててしまいましたが、消えた記事は仕方がありません。どうしてかわからないのが問題ですけど。せっかくみなさんが書いてくださったのでブクマ欄を貼っておきます。いつもありがとうございます。

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メモ

 東京新聞朝刊 11月26日

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ロシアの羽生選手ファンサイト 家族愛の温かさに満ちていたあそこに戻りたいな -2-  

ノスタルジー、もの懐しさ、郷愁、ピッタリの言葉は見つからないが、ロシアのファンのことを思い出すとそんな感情が湧きあがる。前回も羽生結弦選手のファン、オリンピック2連覇後「羽生フィーバー」という言葉も生まれ、海外でもすっかり有名になった日本人ファンについて書いた。ユヅル愛 「大人女子」は羽生選手を追ってフィンランドへ。-1- - ベルギーの密かな愉しみ

今私が静かに思い出しているのは、ロシアの羽生ファン、家族のような愛と優しさでずいぶん早くから羽生に注目し、温かい応援を届けてくれた人たちのことだ。

今や7000人もの登録者を持つ巨大ファンサイトがあるロシア。アメリカには更に大きなフィギュアスケートのフォーラムがあるし、イタリア、中国、タイの羽生ファンも熱く、数多くのコミュニティが連なる。私はもう何年もそうしたところに立ち寄らないのだが、さっき調べてみたら私の訪ねていた小さなサイトは、ソチ冬季五輪以降、投稿は少ないもののまだ存在していた。Yuzuru Hanyu

日本以外で恐らく一番早い羽生ファンサイト、元祖的な存在ではないだろうか。イリーナさん(1967年生まれ。カリーニングラード在住)という人が2009年7月に始めたものだ。ジョニー・ウィアーのファンだというから羽生選手に注目したのもうなづける。

イリーナさんはよく旅行する人だとお見受けするから、ブログ開設のまえにもう羽生の演技を見にいっているだろう。2009年の2月、世界ジュニア(ソフィア大会)のことだ。ブルガリア開催だからロシアと近いし。大会最年少(14歳)で出場した羽生は、転倒も一度ならずあって全体の12位に終わるのだが、今の羽生のすべてはあそこにあると思っている。私の郷愁の原因もほぼ10年前のこのジュニアの大会にあると思う。ラフマニノフパガニーニの主題による狂詩曲」(フリーの曲)が流れてきたりすると懐かしさがこみ上げる。これについてはあとでまた触れる。

話を戻すと、このファンサイトの人たちはロシアで大会があるとき、また都合のつく人はヨーロッパ内で試合があるとき必ず応援に出かけてくれた。時間をかけ苦心して作った応援バナーを携えて。

こちらがバナー。第一号というべきか。

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November 14th, 2010 - Yuzuru Hanyu

 

2010年ロステレコム杯(モスクワ)は、女子は安藤美姫選手が優勝した大会で、男子は羽生選手と町田樹選手が出場した。ちょっと2010年11月22日のブログを覗いて、みなさんのウキウキぶりを見てみよう。November 22nd, 2010 - Yuzuru Hanyu

ユーモアと温かさにあふれた、居心地のよいお宅にお邪魔したような気分になる。羽生への誕生日カードやクリスマス、新年のグリーティングカードなど、手作り感いっぱいのサイト。

http://stat.ameba.jp/user_images/20130214/02/rose11kaori/2e/2d/p/o0438059612418600709.png

http://stat.ameba.jp/user_images/20130214/02/rose11kaori/2e/2d/p/o0438059612418600709.png 

(写真:フリー演技 サラサーテツィゴイネルワイゼン」の衣装

(イリーナさんのレポート。ざっくりまとめです。読みが間違っているところはすみません。↑衣装を見ながら読んで下さい)

ユヅルの衣装の色に合わせて花を買おうと思ってね。ピンク、赤、ボルドー色の薔薇で花束を作ってもらった。だけどズボンのところについている黒い小花はさすがに無理。市場にはそんなの売ってなかったから。ラッピングは緑にした。そこに絵葉書を入れるのだけれど、なんて書こうか迷った。「最愛の孫へ」というのは却下。「愛を込めて」にした。・・・

いつ渡すかもちょっと気をつかった。なぜってユヅルは四回転を失敗して転倒もしたのでしょげていたから。結局花束は放り投げたの、子猫ちゃんの頭の上に。(2階席から羽生を呼び止めて受け取ってもらったという意味)

話しかけるチャンスをうかがっていたら、通路のむこうからユヅルが町田の手をひっぱってやってくるのが見えた。それですぐに近づいて、私たちはずっとあなたのファンです、成功をいつもお祈りしていますと伝えた。写真も撮らせてもらい、サインももらった。その間町田はサムライのように静かに待っていた。彼は可愛いわね。でもさっきの写真は操作を間違えて失敗だった。

神様に感謝よ。また一緒に写真を撮ることができたの。今度はばっちり、プロ級の写真よ。ユヅルは近くで見ると氷上に立っているときよりずっと幼く見える。瞳は真っ黒でとってもきれいで、細い目をしている。身長は170cm。彼の英語は私と同レベル、でもロシア語で「ありがとう」と言ってくれた。・・・(続く)

 

・・・とまあ、こんな調子でブログがアップされると、皆がわいわいとコメントを書いてくるのだが、私が驚いたのはこのときすでに羽生の応援バナーは5つあり、そのうち3つはロシア語だったというコメント。つまり自分たち以外に二つのロシア語のバナーがあったのだ。あとの二つは日本人かな。

2010年はジュニアからシニアに上がったデビューの年で、この大会は7位だった。羽生選手がどれだけ注目を浴びていたかがわかる。

 

「未来を見た」とユーロスポーツの解説者に言わせた2009年の羽生選手。(*2008~2009年シーズン。ジュニアデビュー)

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2009 J W Yuzuru Hanyu LP B ESP - YouTube

上にも書いた通り、14歳中学2年で出場した世界ジュニアは振るわず、全日本ジュニア選手権(名古屋)の総合得点より20点も低く、全体の12位だった。しかし映像を見てみればそのうまさは誰にもわかる。ジャンプもスピンも一級品で、軽やかで流れるような美しさがある。音楽の音を捉える才能もすでに備わっている。

解説はクリストファー(クリス)・ハワースさん(イギリスの元フィギュアスケーター。1980年全英チャンピオン。現在解説者・コーチとして活躍)。↓写真左の人。

www.youtube.com

(ビデオ:NICKY SLATER CHRIS HOWARTH - EUROS 2011 -このビデオは羽生選手と関係ないです、念のため)

みなさん、私たちが今日ここで何を見たか。そう聞かれたらこう答えます。未来を見ました。

ハワースさんといえば今やフィギュアスケートを見る人なら皆ご存じだろう。すばらしい解説者で、他国の解説担当も彼をお手本にしていると明言するほどの人だ。このハワースさん(と隣のニッキーさん)がここで未来のチャンピオン到来を予言してくれた。12位にもかかわらず。お二人が興奮気味に語るようすはこちらでどうぞ。2009 J W Yuzuru Hanyu LP B ESP - YouTube

このビデオでは羽生選手の演技がおわるころ、観客が連れてきた幼児の笑い声なども入っていて、私はそこが好きだ。揃わないまばらな拍手や観客の掛け声や、なんとものどかでアットホームな雰囲気がそこにある。張り詰めたシニアの大会とは大違い。

そしてもう私たちはそんなところへ戻れないのだ。羽生選手は今やメガスターだから。私の郷愁はそこから来ているらしい。今日はちょっと感傷に浸っておこう。

 

ではまた~!まだ続くかも。

ユヅル愛 「大人女子」は羽生選手を追ってフィンランドへ。-1-

羽生結弦選手、グランプリシリーズ・ヘルシンキ大会優勝おめでとうございます。改善の余地がまだまだたくさんあるところがすばらしい。プログラムをどこまで磨き上げていくのかとても楽しみ‼

㊗ 銀メダルのミハル・ブレジナ選手(チェコ)、銅ジュンファン選手(韓国)もおめでとう!すっごく楽しめました。私は1977年に初めてチェコに滞在してからずっとチェコ選手のことは応援していますからね。 

朝刊の雑誌広告をぼんやり見ていたら、「大人女子(50~70代)」という文字が目に入り、驚いた。大人女子ってもっと下の年代かと思っていた。更にこう続く。

「大人女子(50~70代)旅行、ファッション、音楽、家電…大人女子が爆消費。実はインバウンドの2倍」 

うう、唸った。なぜかというと、昨日同じような内容のフィンランド記事を読んだばかりで、それを夫に逐一話して聞かせたからである。羽生選手の追っかけファンの話だ。

こちらがその記事の写真一枚目。

https://images.cdn.yle.fi/image/upload//w_1199,h_800,f_auto,fl_lossy,q_auto/13-3-10491941.jpg

写真:Jyrki Kostermaa

https://yle.fi/urheilu/3-10491930?utm_source=twitter-share&utm_medium=social

フィンランドは去年2017年もフィギュアスケート世界選手権の会場となり、これまでも何度も公式大会を開催し、羽生選手の人気や日本のフィギュアスケート熱が他国と比べ群を抜いたものであることを知っている。今年も日本からはるばる3600人ものファンがやってきたそうである。

↑記事では羽生ファンの一人の女性にインタビューし、驚きをもってその生活ぶりを伝えている。

霧のかかる灰色の曇り空、ヘルシンキの11月はいつもこんな天気だが、職場に急ぐ市民とは違い、女性は満面の笑みを浮かべている。前にフィンランドは来たことがあるから、防寒もばっちり。スケートリンクに入場するときの行列なんて、10時間の飛行機の旅に比べたらどうってことない。8日間の予定でヘルシンキに滞在し、うち4日、つまり公開練習(1時間半)と試合の日を合わせて4日間は羽生選手を間近に見られる。そのために100万円支払っている。世界中どこまでも観戦・応援にいくのだ。ファン仲間も一緒だから楽しいし、羽生選手は生きがいであり、彼が平昌五輪後も競技を続けていてくれることが嬉しい、と話す。

夫の理解もある。夫が定年するまで専業主婦として尽くしたのだから今度は自分の好きなことに打ち込んでもよいだろうと思っている。夫も旅行好きだが別行動だ。「そのお金で車が何台買えただろう」と言われたこともあるが、自分は両親の遺産も相続しているしお金は自由に使ってよいのだ。子どものいない自分にとって、羽生選手は息子のようなかけがえのない存在である。

インタビュアーは、日本人のご一行が女子選手の演技ではごっそり姿を消すことが理解できない。これに対し、自分のアイドルが氷上に立つのを見るだけでじゅうぶん、と女性は答えている。それ以外の時間は、観光をするのでもなくホテルに戻っているようだ。

女性は自宅にアイドルのための部屋をしつらえている。写真や出版物、さまざまなグッズや旅の思い出が所狭しと収められている。(ざっとまとめ)

註:記事内にはかなりの個人情報が含まれており、そこは全て伏せた。フィンランド人記者はもちろん、この記事を日本人が読むことを前提としていないと思われる。

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https://www.is.fi/taitoluistelu/art-2000005887779.html

(↑写真は羽生選手のパフォーマンスのあと、リンクに投げ入れられたプレゼントの山。よく「プーが降る」という言い方をしているが、花束や他のものもあることがわかる)

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https://www.is.fi/taitoluistelu/art-2000005887779.html

( ↑羽生選手のショートプログラムの衣装をプーさんに着せている。多くの人がTwitterで共有した)

 

ユーリ!!! on ICE その影響力

日本人のスケートファンについてはいろいろなことが言われている。スケートリンクに一番乗りしようと寝袋を持って入り口に陣取る人がいることも、外国人ジャーナリストの記事で初めて知った。それでも私は、観戦する人たちが日本の国旗だけじゃなく出場選手の国旗も次々に取り出して応援するところなど、いつもいいなあと思って見ている。また外国人選手それぞれにサイトやフォーラムがあったりするのもいいな。

ドイツ人のマライさんも先日似たようなことをおっしゃっていた。

日本のスケートファンが日本勢だけでなく「ライバル」たる海外選手についてもリスペクトと愛と広い視野をもって接している雰囲気があって、そこが素晴らしいなと感じています。(次のツイートに続く)

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ユーリ!!! on ICE

いやあ、正直言って私はフィギュアスケートの漫画は日本だけだろうと思っていた。ところがフランスなどでは大ヒット!去年はルモンド紙にも紹介されて本当に驚いた(*)。

ユーリ!!!はさぴこさんさぴこ (id:sapic)がお詳しいんですよ。

 

ご存知ない方は雰囲気だけでも↓こちらで。

www.youtube.com

*参考 ルモンド紙記事。翻訳はご要望があればいたします^^

www.lemonde.fr

 今日はここまで。続きます。

 

🌸11月8日 続きです。 

cenecio.hatenablog.com

 

🌸関連過去エントリ

cenecio.hatenablog.com

cenecio.hatenablog.com

「日本酒の醸造は中毒のよう」 味噌も作れば酒粕を使ったビールも作るフランス人 -4-

ブルゴーニュといえば

ブルゴーニュといえばワイン、そして美食で有名な土地。美食…ってフランス人みんなそんな風じゃないの?と思ったら違うようだ。昔学生でパリに住んでいたとき、ステイ先の人が話していた。「あそこの奥さんはブルゴーニュのどこそこ出身だからうるさいのよ」「パリの人の食は貧しいわね、なんて言われちゃった」。

ブルゴーニュ産の日本酒を作っている人がいる、”Kura 蔵”というサイトだよと前々から言われていたのだが、去年日本酒関連のエントリを幾つか書いたにも拘わらず、その後は忙しくてほったらかしだった。今年に入ってカマルグ(前回記事参照)で、日本の酒米の栽培を始める(始めた)らしいと聞いて、おもしろいな、どんな人なんだろうと強く興味を引かれた。

するとインタビューが出ているではないか。こちら。

日本酒、 メード・イン・ ブルゴーニュ。 | OVNI| オヴニー・パリの新聞

この人がまためちゃくちゃおもしろい。エルヴェ・デュランさん(50歳)、醸造は中毒のようなもので、情熱は収まることなく高まる一方だとおっしゃる。

本職はエンジニア。日本ではNECで7年働き、つくば市と東京に住み、結婚もし、日本の文化や食、特に麹に深い関心を抱いたそうだ。

フランスに戻り、生まれ故郷の地にもどって日本酒作りを始めた。ついに2013年「酒ソムリエ」( saké sommelier certifié )の資格を取る。そして2年前に自身の会社Kura 蔵を立ち上げた。Fabrique de Saké et de produits culinaires japonais en Bourgogne l KURA

このときはまだエンジニアの仕事をしていたが、今年に入っていよいよ杜氏一本でスタートしたとのこと。

粕を使ったビールも作る。白、IPA琥珀、黒の4種類がある。すべて甘酒の粕とソラチエース(30年くらい前に上富良野町で誕生したホップだそうで、きっとtatsumo77さんがお詳しい)を使っている。

http://kuradebourgogne.fr/wp-content/uploads/2016/03/Herve-200x300.jpg

https://d3v4jsc54141g1.cloudfront.net/uploads/reward_image/image/188532/KdB_HDU_a_Stasuki_201604-1479159188.JPG

写真:Fabrique Artisanale Kura de Bourgogne — KissKissBankBank 

(引用)

蔵では、日本酒づくりの週(三段仕込み。1週間で500ℓ生産)、ビールの週(1500〜2000ℓ)、味噌の週(300kg)と、順番で3つの看板商品を仕込む。日本酒には山田錦ササニシキ、南仏カマルグのジャポニカ種、カリフォルニアのカルローズ。

料理酒には、イタリア北部のポー平野で有機農法でつくられる米を使っている。イタリア米だと玄米酒にも似た濃厚な味の酒になるのだが、これが貝類、鶏肉、ヤギのチーズなどフランスの食材に合うという。 

また料理についての提案もおもしろい。

 「最近の発見は、酒粕とチョコレートの絶妙の組み合わせ」。酒粕スポンジケーキの 「カトル・カール」や、カルボナーラ・スパゲッティ、子牛の煮込み料理ブランケットに入れる。

ムール貝の白ワイン蒸しを、白ワインではなく酒で蒸すムール・マリニエール・オ・サケも気に入っています。白ワインだと酸味が口に残りますが、酒だと旨味が出ていいんですよ」。

どの角度から見ても、話をしていても、この人は食いしん坊だとわかる。彼が運営するKuraのサイトには、こんな酒気香るレシピがどんどん増えている。

インタビュアーも唸らせる、グルメならではの独自なアイディアがいっぱい。料理は HPに紹介されている。

カマルグのジャポニカ米からできる酒がなかなかのレベルだそうで、目指すは100%メイドinフランスの日本酒だという。

また地図を引っ張ってきた。デュランさんの住むポワソンは黄色い丸のところ。

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住所:KURA
Chemin de la Brosse Carrée, Lieu dit Bornat 71600 POISSON

(赤い丸はカマルグ、稲作地帯)

 

フランス人が自分の店で出す料理に合う酒を自分で探す時代

夏に読んだ東洋経済さんの記事がおもしろかった。

toyokeizai.net

今年も6月に日本酒コンクール(Kura Master)が開催されたのだが、去年と違うところ、それはフランス人のトップソムリエが積極的に自分がほしい酒を求めに前へ出てきているということ。つまり日本側が酒を広めるために開催したのではない。フランス人側がこのコンクール開催を望み、審査員を集めてきている。そして自分の店で出す料理にこの酒はどうか、あれは合うかと試飲し、議論もする。

記事によると、この5年間でフランスへの日本酒の輸出量は約2.5倍金額にして3倍以上になっている。注目すべきは日本酒の単価も上がっていることだ。日本料理屋や日本好きなフランス人が買うというより、パリの一流レストランが積極的に料理とのマリアージュを提案し、一皿の料理に純米酒吟醸酒、時には濁り酒を合わせる。それが今や地方のレストランにまで広がって浸透していった結果である。

二つ目は健康志向。たとえばバターや生クリーム、チーズなど伝統的にフランス料理に欠かせなかった乳製品はぐんと減った。和食のアイディアを取り入れる、たとえば旬のもの、素材を生かす、素材を生かすために火の入れ方も変える…ということで「備長炭を使った炭火焼き料理」もかなり広まっているということだ。

それから「酸味」。これは意外だ。ドレッシングならわかるがフランス料理は日本やアジアの食のように酢は使わなかったからだ。これも軽さ、ヘルシーさを追求してのことだろう。

三つ目、料理が変われば合わせる酒も変わるのである。フランス人は料理やデザートにまで飲み物を合わせる。たとえば

(引用)

ずっと昔からフランス人も愛してきたアスパラガスは、まさにワインに合わない素材の代表格で、アスパラギン酸とワインがケンカをしておいしく味わうことができない。

硫黄臭いフランス流のゆで卵やマヨネーズ、魚卵やくんせい、辛みのある素材やヨード香を持つ海藻なども、ワインとともに食してもまったくおいしさを加速させないどころか、むしろ食材のクセを強調してしまう。

しかし、日本酒はもともと苦みを含む野菜との相性がよく、ハーブを多用した料理とはなじみやすい。もちろん、干物や魚卵などは典型的な好相性素材だ。近年、フランス料理に多く取り入れられている生姜、わさび、山椒、それにクミンなどのスパイスとの相性もよい。海苔などヨード香を持つ素材とケンカしないのは、日本人ならば誰もが知っている。…

*記事は長いですが、興味のある方は読んでみてください。

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 (写真は記事からお借りしています)

 

酒めぐり in パリ

もちろん一般のフランス人も日本酒を飲む。こちら↓オブニーさんの記事を読んでワクワクした。

パリで日本酒。Tour des sakés à Paris | OVNI| オヴニー・パリの新聞

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今年2018年は日仏友好160年で、ものすごくたくさんの、あきれるほどたくさんの催し物がある。そのなかでこんな楽しい飲み歩き的なイベントも。パリのレストランやバーが日本の蔵元とペアになり、その蔵元のお酒とそれにマッチした一品を提供するというもの。参加する店は24軒で星付きのフランス料理店からベトナム創作料理店までいろいろだそうだ。すっごく楽しそう。新しい発見や人との出会いがあるだろう。

今日はここまで。

 

🌸先日のコメントでビーガンなど菜食主義に触れた方いらっしゃいましたが、今はフレキシタリスム(Flexitarisme)、フレキシタリアン(人)ってのもありますね。緩やかな菜食主義者(別名:ゆるベジ)のことで、無理せずにできるだけ肉や魚を食べないようにする。しかし外で人と食事したりパーティに招かれたりしたときは、雰囲気を壊さないように周りに合わせるというものです。これは知恵ですね。

ではまた!

 

メモ:フランスのテレビに出演

 仏TVfrance3 2017年10月3日

レポーター: François-Marie Lapchine
蔵のオーナー:Hervé Durand, fondateur de Kura de Bourgogne
杜氏:Adrien Cuffaro, brasseur de saké

www.youtube.com

デュランさん(真ん中)杜氏のキュファロさん(左)とインタビュアー。

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ビールの写真:Kura De Bourgogne à Vendenesse-lès-Charolles - Locavor.fr

追記:twitterから。個人メモ。

フランス人の作るドラゴン納豆 & カマルグの合鴨農法 -3-  

食・グルメの第三回。

きのこ→すし→なっとう…しりとりにもならず、どんな韻も踏んでいないのが残念ではあるが。今日は「フランス人と納豆」である。皆さん驚かれるかもしれないが、私は納豆はフランス人にイケると前々から思っていた。だってあんな臭いチーズを大量に食べる国民だもの。納豆なんかどうってことないだろう。しかも納豆はあまり匂わないタイプやほとんど粘らないのもいろいろなのがあるし。フランス人は発酵食品好きだし、菜食主義の人も多く、健康な食品に高い関心を寄せているから。

とはいっても実際にフランス人が自分で作って売り出すとは思わなかった。フランス国産納豆、その名もドラゴン納豆 NATTO DU GRAGON。フランス在住の日本人で知らない人はいないと思う。ホームページNatto du dragon : en Japonais。(日本語バージョン)

作っているのはこのかた、ローラン・ヴィラット氏(正しくは苗字のところがもっと長くてLaurent Villatte de Peufeilhoux。以後短く「ヴィラットさん」。HPから写真をお借りしてます)

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パーケージの絵がドラゴンに見えるかどうかの議論は置くとして、「納豆」という漢字もちゃんと入っており、ギアさまなら「納得」と言いそう。(先に言っちゃった^^)

いや大事なのはそこじゃなく右下のABラベル、これはフランス政府のオーガニック認定が素材である大豆に与えられている証。遺伝子組み換えではない有機栽培の大豆。EUの葉っぱ模様のマークもあるが(註:現在はドラゴン納豆のパッケージにもついている)、フランスはEUの基準よりも厳しいと言われている。

https://franponais-bio.webnode.jp/_files/200000003-1bbe11cbb8/AB%20marque.jpgLabel Agriculture biologique — Wikipédia

ところでなぜドラゴンなのか。

納豆を作っている町はドラギニャンという。ウィキペディアで見よう。

f:id:cenecio:20171230101632p:plainドラギニャン - Wikipedia

ドラゴンの紋章がついている。町の名前ドラギニャンは、大昔この地の山に住んでいたドラゴン伝説から来ているとか。

https://previews.123rf.com/images/clodio/clodio1402/clodio140200202/25852129-draguignan-var-provence-alpes-c%C3%B4te-d-azur-france-vue-panoramique.jpg

ドラギニャンは赤いピン↓のところ。黄色の丸(カマルグ)、緑の丸(トゥールーズ。ちょっと切れちゃってすみません💦)はあとで必要になるので。

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南に下ればサントロペやカンヌがある。この辺一帯は第二次世界大戦中の1942年、イタリア軍に占領されたいわゆる「イタリア南仏進駐領域」だったという。そんなことも今回初めて知った。

さてヴィラットさんってどんな人だろう。ドラゴン納豆のホームページには略歴などは書いていない。するとありがたいことに今年の初め、EUマガジンがヴィラットさんのインタビュー記事を載せてくれた。↓皆さんもこちらでお読みください。

EU MAG 母国でこだわりの納豆を広めるフランス人

おもしろいのは、ヴィラットさんの祖父が明治時代に観光客として日本を訪れていたこと。自宅に琵琶など日本の物があって、日本びいきの家庭で育ったこと。

そうした背景があって、1973年25歳のとき、青年海外協力隊員向けのフランス語教師として来日。納豆は最初は気が進まなかったが、日本人の友人に、3回食べたら好きになると言われ、食べ続けたら本当においしいと思えるようになったという。

3年の滞日後フランスにもどり、今度は在仏の日本の大手商社などでフランス語を教えた。納豆はパリの日本食料品店で入手できたのだが、気候のよい南仏ドラギニャンに家族で移住することになった。すると日本食品の入手は困難になった。

そんなとき日本人の友人が納豆菌をプレゼントしてくれた。それをきっかけに、買えないなら自分で作るしかない、と思い切った決断を下す。ちょうどその頃、イギリス発の狂牛病が問題になっていて、ヨーロッパ中をパニックに陥れていた。ちょっと思い出してみても集団ヒステリーのようだった。肉食への懐疑や嫌悪が広がった時期である。

ヴィラットさんは考えた。肉に代わるたんぱく源として納豆を売り出すことはできないか。思い立ったら吉日。茨城県水戸市へ赴き、納豆作りのノウハウを学んだ。その後自宅に工房を構え、試行錯誤しながら納豆を作り続ける。もちろん本業(フランス語講師)のかたわら。安定した味と質にたどり着くまでに数年を要したが、日本人の客からの率直な感想やアドバイスが大いに役立ったということである。

http://www.fopoleopro.com/wp-content/uploads/2014/05/carte_soja.png

↑この地図の色の濃い地域が大豆生産が盛んな所。ヴィラットさんはトゥールーズ最初に挙げた地図の、緑で囲んだ所)から有機栽培・高品質の大豆を取り寄せる。

ヴィラットさんの一日はこの大豆をえり分けることから始まる。週に約350パックのペースで生産している。1パック150gと大容量で、4.33ユーロ(本日のレート1€≒128.42円)だから、リーズナブルな値段である。現在、通信販売が中心で、以前はベルギー・オランダなどにも発送していたが、品質を維持するためにフランス限定で販売しているという。

日本人の常連客は「子どもの頃に日本で食べていた納豆の味が、ちゃんと再現されている」と賞賛する。またフランスでドラゴン納豆しか食べていない子どもが、一時帰国してスーパーの市販品を食べると「おいしくないよ。ドラゴン納豆でないと嫌だ」と言ったとか。またフランス人の常連さんで、1~2か月ごとに40パックも注文する人がいたので、電話でわけを聞いてみると「納豆は動脈硬化で病んでいた私の母を救ってくれました。だから毎日食べているのです」と返した話など。ここには紹介しきれないので、どうぞ記事を読んでいただきたい。

フランスならではの納豆の食べ方は参考になる。

ヴィラットさん:

「サラダに添えて食べるフランス人が多いかな。夏には、オリーブオイルをかけて冷たいラタトゥイユと一緒に食べてもいい。チャーハンを作る時、ハムの代わりに納豆を入れるのもおいしいよ。また、フォークでつぶしてトーストにペーストし、薄く切ったトマトを載せてビネガーをかけると、アペリティフ(食前酒)のおつまみにも」

「わが家の子どもたちは生卵をかけたものが好き」

私はヴィラットさんのお子さんとハイタッチしたい気分である。

 

カマルグといえば

*カマルグ自然公園は上の地図黄色い丸

私がフランス語を習い始めたころ、カマルグといえば馬、馬といえばカマルグだった。というのもフランス語の教科書に写真が載っていたから。うっとりするような野生の馬たちが駆けている写真。カマルグは馬や牛や鳥たちの天国だと書いてあった。(教科書は残念ながらもうない)

 

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c0/Saintes_Maries_de_la_Mer-F%C3%AAte_du_cheval-20110717.jpg/800px-Saintes_Maries_de_la_Mer-F%C3%AAte_du_cheval-20110717.jpg

(こちらはサントマリ・ドゥラメールSaintes-Maries-de-la-Merという村の祭りの様子Camargue (cheval) — Wikipédia)

 

なんとも羨ましいことに、アンさんが去年行ってきたというではないか。

アンさんのカマルグ紀行はこちら。なぜカマルグなのか、その熱~い想い、思春期の思い出などを振り返りつつ、ガイド付きのツアーの様子が綴られ、馬やフラミンゴの写真も載せている。

anneneville.hatenablog.com

 

そしてカマルグで米を買ってきたという。そう、この地方は有数の稲作地帯なのだ。そして最近あちこちで紹介されているからご存知の方もいらっしゃると思うが、 日本の合鴨農法をやっている男性がいる。(写真はビデオから切り抜いています)

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ベルナール・プジョルさん。カマルグ米の農家を営んでいる。

ある日、息子が日本から帰ってきてこう言った。「パパ、日本では水田の雑草をアヒルに食べさせるんだ。うちでもやるといいよ」それは日本の合鴨農法のことだった。合鴨やアヒルは雑草や虫を食べるが、稲そのものは食べない。EUの殺虫剤規制は大変に厳格で、250種類にものぼる成分が禁止されている。プジョルさんも殺虫剤はやめたかった。合鴨農法こそ稲作の未来を担うのではないかと考え、8年前に実践に踏み切った。だが他の農家は従来のやり方を守り、追随してくれる人は今のところいない。孤立しているのかと思いきや、あちこちから取材を申し込まれ、いつも人に囲まれている。

 

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ヒルたちを「小さな労働者」と呼ぶプジョルさん。しょっちゅう話しかけているところがとてもいい。30ヘクタールの広さの耕作地に1200羽のアヒルを放している。

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でもひとつだけ問題がある。1年もたつとアヒルは丸々と太って大きくなりすぎ、稲を倒してしまうのだ。すると買い替えなければならない。もっとゆっくり育って長く幸せに生きてほしいとプジョルさん。次は体のサイズの小さいタイプのアヒルを試してみようと言っていたが、その後どうしただろうか。

今日はここまで。

ではまた~!

 

🌸食・グルメ-1-

cenecio.hatenablog.com

🌸食・グルメ-2-

cenecio.hatenablog.com

フランスSushi Shop 進化する寿司とその無尽蔵なアイディア -2-  

フランスの寿司がすごい。

と言ったら何を今さらと思うかもしれない。ずっと前から人気なんだって聞いてますけど、というのが平均的な反応だと思う。10年くらい、いやもうちょっと前だったら「な~んちゃって寿司店」が雨後の竹の子のように増えてきて、衛生上問題のある店舗に続々と指導が入っている、といった話をフランスでもオランダでも聞いたものだ。その後改善され、品質も上がり、スーパーにもパック詰めがたくさん並んでいるし、家庭での巻きずし作りはちょっとした流行にさえなっている。

私が今日取り上げたいのは、フランス大手寿司チェーン”Sushi Shop”である。ここの寿司は、私たち日本人が考える寿司とは違う道を歩んでいる。西洋との融合、それともアウフヘーベン(どこかの知事さんの好きな言葉^^)、いやもしかしてガラパゴス化するのかも。その進化は留まるところをしらない。恐るべし!フランス人の食への情熱とセンスに私はひれ伏そう。

たとえばこれは、 Sushi Shopの新作のひとつ。

HokkaidoTulip 北海道チューリップ

https://www.sushishop.fr/fr//Components/AdvancedTemplatingWidget/current/img/caviar/hokkaido_tulip.png

白いのはフロマージュ・フレ(発酵させただけで熟成させていない生チーズ)、中にはワカメ、カブ、赤玉ネギ、黒コショウが入っている。名前の「北海道」はイクラが乗せてあるからだと思われる。下にシャリが入っている。と思う。そうでないとフランス料理のアントレの一品になってしまう。

 

RussianCalifornia ロシア風カリフォルニア

https://www.sushishop.fr/fr//Components/AdvancedTemplatingWidget/current/img/caviar/russian_california.png

上の赤いのはビーツ。ロシア・東欧諸国でよく食されている。生サーモンのタルタル、バジル、松の実、フロマージュ・フレをシャリで巻いてある。

 

Mango & CrabGunkan マンゴー&蟹の軍艦巻き

https://www.sushishop.fr/fr//Components/AdvancedTemplatingWidget/current/img/caviar/mango_crab.png

材料は見てわかるとおり。マヨネーズとポン酢を合わせたソースであえたとのこと。

こうした華やかで創造性豊かな寿司の品々を詰め合わせたボックスがこちら。なんともカラフルだ。

https://www.sushishop.fr/widget-7244-origin/Autour-du-caviar.png

真ん中にキャビアをおいた寿司ボックス。これは1998年創業の Sushi Shop社が20周年を記念して売り出したキャビア入り特別バージョンである。Autour du caviar

https://www.sushishop.fr/Components/AdvancedTemplatingWidget/current/img/caviar/box-open.png

ベルギーの高級チョコレート店の豪華ボックスを連想させる。何かのお祝いの席で、これを贈られた人が蓋を開けたときの驚きはどんなだろう。

他にも様々なボックスデザインがあり、凝ったモダンで斬新なものや重箱を思わせるものなどいろいろ。見るだけで楽しい。

https://www.parisgourmand.com/images/stories/a_shopping/sushi-shop-20-ans-2.jpg

http://www.stylistic.fr/wp-content/uploads/2015/09/sushi-shop-london-box-660x373.jpg

巻きずしを見ると、色の組み合わせや味のコンビネーションに腐心して丁寧に作ってあるのがわかる。

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学生が始めた冒険 めくるめく成功ストーリー

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(↑Sushi Shop経営陣トリオ。写真右のマルシアーノ氏Grégory Marcianoが創業Grégory Marciano: sushi story

 

どんな人が始めたのかと思ったら二人の学生だったという新鮮な驚き。マルシアーノ氏はパリで法律専攻の学生だったが、1995年に1年間アメリカに留学した。そのとき出会ったのが寿司。寿司ならパリの日本料理店で食べられるし、値段はバカみたいに高いけど珍しいものではなかった。ただアメリカでは気軽にテイクアウトができる。出前もしてくれる。値段も高くなく繁盛していた。

フランスに帰国し早速調べてみると、これだけ多くの日本料理店があるというのにそんなサービスをしているところはどこにもない。おもしろいな、やってみたい、とうずうずした。法律よりこのビジネスに挑戦してみよう。そして竹馬の友(写真左、商学部の学生)を誘って二人で30㎡の小さな店を出すのである。もちろん料理人(日本人)は雇った。

若く経験もなく予備知識のないことが逆に強みで、恐れを知らず、失うものはなかった。この新しい形態の寿司ショップはその後の6年で、1年につき1店舗を増やすという成長ぶり。2000年代に入ると和食ブーム・寿司ブームがフランスやヨーロッパ中にわき起こり、二人は瞬く間に先駆者・トップランナーとみなされるようになる。

三人目の共同経営者(写真中央)が現れる。彼がフランチャイズチェーン方式を提案したのだ。パリから地方の町へ、そして今や中東の3か国も含め、12か国で展開し、160店舗を構える。2017年には2億200万ユーロの売り上げがあり、その半分は宅配だったそうである。

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(写真左:ロンドン 右:ジュネーブにあるSushi Shopレストラン)

 

成功の秘訣を聞かれても、実はこんな大成功は予想外だったという。ポイントはタイミングがよかったといえるだろう。つまり爆発的な寿司ブームだ。それからよい素材、新鮮さ。店を開いた場所もよかっただろう。もちろんハードワークもした。

食の激戦地ロンドンでも広めていきたいし、大規模スーパーマーケットのコーナーで販売もしたい。

だけどいずれ別の道、新しいチャレンジを始めるかもしれない。それはいつかはわからないが、今はSushi Shopを育てていく。

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2016年は、思い出を込めて、マルシアーノ氏がアメリカ時代に食べたもの、彼の原点ともいえる寿司メニューを提供した。

 

*お断り:2年前にベルギーで読んだ記事を中心にまとめています。現在は違う点があるかもしれません。 写真なども記事からお借りしました。

Grégory Marciano: sushi story

 

柚子やワサビ、日本の食材が人気

2000年代に入ってから、昆布やカツオ、シイタケでとった出汁を使ったり、レモンやオレンジに代えて柚子やすだちを使ったりして、自分たちの料理にうまく日本のやり方を取り入れる料理人が増えている。海苔は黒くて不吉な感じと前は言っていたのに、今はワカメも含め海藻類は抵抗がないようだ。料理に日本酒も使うとか。最近はポン酢が流行っているみたいで、自家製という意味だと思う。

話は逸れるが、パン粉(Panko)が普通に売っているのも驚いた。アメリカの料理番組でも「お宅にあればここにパン粉を振りかけて焼きます」などと言っている。

グルテンフリーのパン粉(笑)もある。さすがだ。

https://az836796.vo.msecnd.net/media/image/product/fr/medium/0006608614440.jpg

今日はここまで。また続きを書きます。

 

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パリでもブリュッセルでも 街の真ん中でシイタケ作り-1-追記:2019年

今日はシイタケの話です。

シイタケは英語でもフランス語でも”shiitake”、フランス語は別の言い方もあるが「シイタケ」でも普通に通じ、今やシイタケはヨーロッパで思いのほか浸透している。

シイタケに入る前にキノコの思い出をちょっと書いてみよう。

フランスではキノコは料理の大切な付け合わせのひとつなので、マッシュルームはもちろんのこと、モリーユ茸(Morille)やムスロン茸 (Mousseron)など季節によって違うキノコを食べることができる。そしてキノコについて語りたがる。私のような無知な人間をつかまえては蘊蓄を傾けたがる。

世界三大キノコといえば、トリュフ、マツタケと並び、セップ茸 (Cèpe)がある。あるときフランスのステイ先の旦那さんが満面の笑みを浮かべて言ったものだ。「ほら、これ!これがセップだ。分けてもらったんだ。君は運がいいなあ。今日はこれを食べよう」。しかしどんな味だったか全然覚えていないのが悲しいところ。豚になんとか…ってやつ。

そうだ、セップはイタリアではポルチーニ(porcino)と言い、その名は「豚」から来ているんだそう。ポーランドではボロヴィックと呼ばれ、あの人たちもよく食べている。きっとヨーロッパ中で広く食べられているんだろう。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2a/Boletus_edulis_2008_edit.jpg/250px-Boletus_edulis_2008_edit.jpg

(写真:セップ Herkkutatti – Wikipedia

キノコといえばキノコ狩り。皆さんもいらしゃるんだろうか。野山や森を歩きながらキノコを探す。なんと贅沢なレジャーだろう。ただ私は子どものとき数回行ったことがあるだけ。

キノコ狩りといって真っ先に思い浮かぶのはチェコ共和国のことである。チェコ人の国民的ホビーと言ってもいいくらい。いつだったか、このチェコ人のキノコ熱を「日本人の潮干狩りイベントの10倍くらいの情熱」のように書いてあるのを読んだ。でも潮干狩りはそんなに一般的かな?我が家はよく千葉県に行っていたのだが、もちろんタダではできない。何キロまでいくら、超過分はいくらと料金を払わなければならない。

それに対し、キノコ狩りは自然の恵みを分けてもらう太っ腹なイベントである。チェコ人は秋になれば雨の上がった週末など、皆が一斉にキノコのため森を目指す。必要なものは

キノコ図鑑(下の写真*1 毒キノコを見分けるため)

キノコを入れる籠(*2)

キノコを採るナイフ(*3)、それだけ。

https://www.databazeknih.cz/images_books/17_/170006/big_cesky-atlas-houby-170006.jpg*1

*2

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Češi loni nasbírali lesní plody za 5,1 miliardy, na houby vyrazilo sedm z deseti českých rodin | Reflex.cz

*3

f:id:cenecio:20181025113034p:plain*3

Opinel Houbařský nůž - leshoubeles

…と、ここまで書いてきて実は私、チェコでは一度も行ったことがないのである。「秋になったら行こうね」「おいしいキノコ料理食べようね」と言われても私が滞在できるのは夏の間だけだったから。でもその情熱は話の端々からもよくわかったし、乾燥キノコをストックしてある棚やキノコ柄のテーブルクロスを見れば、半端ないキノコ愛が伝わってくる。

チェコにはキノコ狩り用のグッズ専門店がある。籠だって様々なデザインのものがあり、背負うタイプもあるし、普通の長靴から膝上までの長靴、キノコを干して乾燥させるドライネット(網)など、見ているだけで楽しめる。

たくさん採れたら干して保存する。小分けしてビニール袋に入れておけば、家庭で食べても贈り物にしても市場で売ってもよい。キノコ類は干すと栄養価も増し、旨味が出て味も変わるのがおもしろいと思う。

  

シイタケを作る人たち

日本にも何十何百という種類のキノコがあるのだろう。でも都会で手に入るのは栽培もので、せいぜい5~6種類かな。

先日お蕎麦のモゼムさんのサイトを覗いたら「クリタケの幼菌」の写真を載せていた。見るからにおいしそうだ。他にも天然の舞茸の写真があった。

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http://sobamozem.com/mozem_biyori/

私は日本のシイタケがとってもおいしいと思っている。冬茹(どんこ)など最高だ。中国人の友人も日本産の冬茹は別格で夢のようにおいしいと言っていた。

ところで私は、シイタケは家で簡単に栽培できるものだと思っていた。というのも子ども時代、自宅で栽培していたのだ。隣の家との隙間だから狭いが、日が当たらなくて湿度が理想的なスペースがあった。いわゆる原木栽培(ほだ木を利用)というもので、ご存知のかたいらっしゃると思うけど、1m位の長さの木にシイタケ菌を打ち込み、育つのを待つだけ。しばらくすると魔法みたいにシイタケが生えてくるのだ。ぷっくりしたツヤツヤのシイタケが次から次へと。しかも翌年は何もしないでも生えてきたのでまさに魔法だと思った。木は10本程度だったと思う。家族が食べる分だからそれで十分。

そのシイタケをブリュッセルの街なかで栽培していることを知ったときは「マジで~!」だった。

 

シイタケ三銃士 ブリュッセルの真ん中でシイタケ栽培

Bienvenue sur le site du Champignon de Bruxelles!

三人の若者たちが始めたビジネス。それも学生時代に読んだグンター・パウリの本「ブルーエコノミー」(The Blue Economy: 10 Years, 100 Innovations, 100 Million Jobs)に感化され、「循環型経済」を実践していこうという心意気から始まった。

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そのシイタケ三銃士とはこ~んな明るい若者たちだ。左からチボーさん、カンタンさん、アドリアンさん。

これまでは、資源を使ってものを作り消費して捨てる、で終わっていた。これからは捨てるのではなく再び資源として使い、循環させよう。そうした持続可能な経済と社会を実現していこうという考えである。EUでもこのようにうたわれている。

循環型経済とは、より持続可能な方法で資源を無駄なく利用すること。製品のライフサイクルを利用することにより、あらゆる原材料、製品、廃棄物を最大限に活用し、温室効果ガス削減とエネルギーの節約を目指す。

EU MAG EUが取り組む「緑の未来」への投資

彼らも高らかにうたっている。HPの初めにこんな嬉しいことが書いてある。

Le Champignon de Bruxelles c’est l’union de la sagesse du Japon et du folklore Belge. La fusion du shiitake et de la bière!

ブリュッセルのキノコ、それは日本の知恵とベルギーのフォークロア(=有形無形の文化遺産)との融合。シイタケとビールの結合である)

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ではビールとどうつながるのか。

それはビールの搾りかすを利用するのだ。これまでビールを作ると廃棄されていた搾りかす、こうした身近なものに着目し再資源化するのが循環型のポイントでもある。搾りかすを回収し殺菌して菌床として利用する。HPにはこのようなわかりやすい循環図を載せている。絵をみればだいたい理解できると思うので解説しないが。

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また、使われていない建物の地下空間という理想的な場所も見つけた。ここをキノコ栽培の拠点にする。このアイディアを引っ提げてクラウドファンディングで資金を集め、ブリュッセルの公的機関からも補助金を受けて起業した。また三人は農学や経営学を専攻しており、必要な知識は備えている。

見学ツアーもあって賑わっている。↓地下空間の美しいこと!

https://i2.wp.com/www.lechampignondebruxelles.be/wp-content/uploads/2016/07/DSCF4342-2.jpg?resize=1024%2C683&ssl=1

Visites des Caves de Cureghem - Le Champignon de Bruxelles

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↑場所です。

パリの真ん中でも!

これも驚いた。パリ18区、昔住んでいた地域だ。そんなところでシイタケ栽培?それを教えてくれたのは、朝よく見ているフランス2(NHKBS)のニュース。20階建てのアパルトマンの地下駐車場でシイタケを作っている若者たちがいるという。(↓中にビデオがあります。)

Métiers de demain : un maraîcher dans l'immeuble

https://images1.persgroep.net/rcs/-Hre5IgR9OJdhMZSjl0qx7n5aRU/diocontent/112682439/_fitwidth/694/?appId=21791a8992982cd8da851550a453bd7f&quality=0.9

https://www.ad.nl/buitenland/dichtgeslibd-parijs-hoopt-na-autovrije-dag-op-groene-revolutie~af04f6646/

農学博士でもあるシャンパニャ(Théophile Champagnat)さん。駐車場を栽培施設に変える許可をパリ市からもらい、この事業を始めた。毎週20キロのシイタケやマイタケなどを収穫している。配達もパリの街中なので自転車でスイスイ。客側も新鮮なものがすぐに届くので喜んでいる。「若者らしいチャレンジ」「新しい経済モデル」だと国内外の新聞で報道された。

HPには”SHIITAKÉ, le cèpe japonais”(「シイタケ、日本のセップ茸」)と書いてあり、ちょっと嬉しい。

 

コソボ 欧州最大規模のシイタケ工場「ヒラノ・マッシュルーム

今年7月、NHKワールドで見たベジヤナ(Besjana)さんとシイタケ工場のリポート。(番組名:Cultivating Better Ties)。いやあ、コソボとは!しかもヨーロッパで一番大きな工場で、多くの国に輸出しているという。

それよりもベジヤナさんの身上が仰天だった。コソボの紛争でけがをし、NGOの招きで家族と一緒に来日、治療を受けた。50回にもおよぶ手術に耐え、無事に回復して帰国。

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(↑↓写真:NHKワールドから切り抜いた画像)

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( 職場のベジヤナさん) 

自分を「コソボで最も幸せな人間」と言っていた。シイタケを作りつつ、平和をつくり、人と人の繋がりもつくっている。

マイタケやエリンギも生産し、輸出が始まったそうだ。

会社のHPはこちら↓。写真がとってもきれいでおしゃれ。 

Hirano Mushroom | Shiitake and Wild Mushrooms

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会社のサイト内写真ギャラリーの中で個人的には ↓これが印象的だった。コソボ治安維持部隊(参加国36か国、兵力約16000人)の兵士たちが見学に来たときの写真。こんなに優しい顔をするんだと思って胸が熱くなった。

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シイタケの話はここまで。

食とグルメのネタは、去年の「2017-12-26ノルウェー人飛行士の造る日本酒~」以来です。けっこう溜まっているのでどんどん書いていきたいと思います。

ではまた。

🌸追記:11月28日

🌸追記:

編み物をすればみんなしあわせに、世界は平和に!(編み物男子②)

秋風が吹くと毛糸が恋しくなり、編み物をしたくなる。

だけどここ数年、私は毛糸や編み棒を見ないようにしている。なぜって一度始めるとのめり込んで他のことに気が回らなくなるから。自分の性分は熟知している。他にやるべきことがたくさんあるし、年をとってくると優先順位というものがあるのだ。ルリユール(製本)だって今は避けているくらいだ。これも一旦始めたら部屋から出てこなくなる。

子どもたちが小さいころ、暑い夏以外はよく編み物をしていた。セーターとか小物がほとんどで、キャラクターなどの編み込みも自分で図を描いていた。近所や知り合いのお子さんたちにも、教えていた学生たちに子どもが生まれた時は、プレゼントはいつも「編んだもの」だった。いつも編み針と毛糸をカバンに入れていて、電車でも待合室でもさっと取り出した。80年代の私はルリユール一筋、90年代は「編みだおれ」だった。

フランスにいた時は、子どもたちを学校に連れていくのに片道電車で40分くらいだったから、行きでセーター前身頃、帰りに後ろ身頃が編めた。編み図は頭の中に入っているので持ち歩いたこともなかった。フランス人は興味深そうによく声をかけてきて、お喋りも弾んだ。

去年のエントリ

cenecio.hatenablog.com

「中学体育に銃剣道」ではなく、銃剣道の木刀を編み棒に持ち替えて男女とも編み物をやったらどうか、編みぐるみのテディベアを製作するのを必修にしたらどうかと書いた。そのあと創作テディベアの全国コンクールやってもいいな。頭の柔らかな中学生はいろいろなアイディアを出してくるだろう。編み物をする中学校の教室風景を想像しただけで平和なしあわせな気分になる。

なのに日本は平和とは逆の方向に進もうとしている。そんなことを嘆いていると、2月の平昌五輪で、これ以上ないという平和な光景を目にした。ご存知の方も多いと思うが、フィンランド選手の「編み物男子」一団である。実はロシアのソチ五輪ですでに彼らを見ていて、本当に驚いたものだ。

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(↑この写真はソチ五輪時)

スノーボード男子スロープスタイル」という競技だ。実際に滑る選手は写真中央の、フィンランド代表ルーペ・トンテリ(Roope Tonteri)選手。右はコーチでアンティ・コスキネン氏。編み物をするコーチとしてソチでも有名で、平昌でもせっせと編んでいた。

なぜ編み物かというと、ソチ五輪の前にフィンランドチームの心理士が「気持ちを落ち着かせるには、なにか他のことを考えたり手を動かすのがいいよ」と助言したのが始まりらしい。そして今回平昌では、アイスホッケー女子チームとジャンプ男子の選手が率先したそうだ。

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一体何を編んでいるのか、そんなにたくさんのモチーフをどうするかというと・・・

フィンランドの大統領に赤ちゃんが生まれたので、モチーフを繋げて「おくるみ」にして贈るということだった。

https://pbs.twimg.com/media/DW-SJW1XUAE_XX4.jpg:large

色もデザインもすてき!選手やスタッフの愛情がたっぷりで、大統領夫妻も赤ちゃんもしあわせですね。

 

片手袋研究家と もう片方を編むアーティスト

ちょうどオリンピックのころ、「片手袋」を研究している人がいるのをメディアを通して知った。手袋が片方、と言えばすぐにウクライナ民話の絵本『てぶくろ』を思い浮かべる人は多いと思うが、そう、その落ちている手袋のことだ。誰だって片方、落としたことも見つけたこともあるんじゃないかな。

片手袋研究家の石井公二さんは、落ちている片方の手袋が気になって気になって仕方がなく、写真を撮り始める。2005年にはそれに「片手袋」と命名する。「片手袋」は落ちているものだけでなく、拾われたもの(見つけやすい場所に人が置いたもの)も両方ある。この片手袋の背後に落とした人や拾った人の物語を想像するのだそうだ。

またどうして片方だけ落ちるのか、そのメカニズムを探ったり、いつ、どこで片手袋は見られるかなどについて考察している。

詳しくはこちらで。片手袋とは?東京別視点ガイド : 「片手袋は呪い」なぜ道路に手袋が落ちているのか。その道30年、片手袋研究家に聞いてきた

ここからが編み物の話である。石井さんがすごいことを教えてくれた。こちらのツイートをどうぞ。

 うわ、すごい!柵にずら~並んでいる手袋のインスタレーション!こちらのAkiko Diegelさんというかた、生まれは日本、ニュージーランドで美術教育を受け、現在はスウェーデン在住だそうだ。(Akiko さんのサイトwww.akikodiegel.com

北欧柄は美しくて大好き。またバルト三国ラトビアのデザインもいいな。(↓知らない方のブログからちょっとお借りした)

https://i1.wp.com/xn--cbk4evexd2401bqoo.com/wp-content/uploads/2016/12/last.jpg?resize=450%2C600&ssl=1

http://xn--cbk4evexd2401bqoo.com/2016/12/09/latvian_mitten/

まあ、これくらいなら大丈夫。何が大丈夫かって?すぐに何か編みたいよお~!とは思わない。見てうっとりすればよいのだ。

ところが、である。

なんと和柄が出た!数日前のこと。

和文様の編み込みミトン&手袋』日本ヴォーグ社 (2018/10/19)

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内容紹介
北欧やフェアアイルの編み込みミトンに人気があり、日本的な柄に興味を持つ人も増えている中、和柄を編み込み模様で表現したレディスのミトン、レディスとメンズの5本指手袋を28点掲載。メインは『和のクロスステッチ図案帖』の著者遠藤佐絵子氏が伝統的な模様を手袋用にデザインしたもの、他に『こぎん刺し模様あそび』の植木友子氏オリジナルこぎん刺し図案を利用したミトン、フェアアイルニットに定評の風工房の和柄ものもあります。編み込み模様のミトン、手袋を編むときのテクニックとポイントを写真とイラストで紹介するページもあります。ミトンや手袋の作品集としてはもちろん、和柄の模様集としても楽しめる本です。 

和文様の編み込みミトン&手袋

和文様の編み込みミトン&手袋

 

大事件だ。もう、気になるなあ。本屋で立ち読みしてこよ。 

手編みといえば、1700年前のエジプトの靴下という記事を読んだ。

www.hazardlab.jp

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大英博物館の収蔵品で、エジプトに滞在していた学者が1913年〜1914年にかけて、ナイル河流域の遺跡から発見し、博物館に寄贈したものだそうだ。最近の詳しい分析により、「草花を使って緑やオレンジ、紫色など7色に染め分けられた羊毛を編んだ靴下」だということが判明。子ども用で日本の足袋のように指先が別れているとのこと。詳しくは記事をお読みください。

編み物が好きな人たちは何でも編んでしまう。こちら今年のハロウィーンの衣装。型紙などはなく、フリーハンドのかぎ針編みだそう。

 

knitted-camouflage ニットでカムフラージュ

最後に、編み物で一風変わった試みをしている写真家Joseph Fordさんの作品。

https://irorio.jp/wp-content/images/uploads//2018/01/221_Bus_Joseph_Ford_073_63.jpg

手編みのセーターが背景に溶け込んで同化するアート写真を撮っている。セーターを編むのは友人の女性、着ているのはモデルだとか。この男性はバスのシートと同じ柄のセーターを着ている。出典はこちら↓

https://josephford.net/project/knitted-camouflage/3070 

11月3日は手編みの日です。全国でいろいろなイベントがありますよ。東京だったら下北沢とか、https://www.amuuse.jp/amicole_amidaore.html

ユザワヤhttp://www.yuzawaya.co.jp/news/41881.html

などが有名です。

ではまた。

サッカーベルギー代表 団結の象徴 -2- 

新しい時代の到来?信じていいのか?

今度こそワールドカップに連れていってくれるんだな?頼んだぞ!

・・・というのは日本じゃなくてちょっと前のベルギーの話。サッカーとなると国民的ヒステリーの渦に、喜怒哀楽の激しく揺れる感情にベルギー中が押し流されていたころの話。もちろん今は落ち着いて余裕がある。何しろFIFA世界ランキング1位である。この10年で他国ではちょっと見られないほどの急成長を遂げ、眩いばかりのスター選手軍団を擁するベルギーだが、過去にはなんと71位と、嘘のような低迷期もあった。

https://cdn.uc.assets.prezly.com/ff041558-b452-439c-8433-13aa99b295fd/-/resize/1108x/-/quality/best/

(ベルギー代表「赤い悪魔」の専用機)

ベルギー人のサッカーを初めて見たのは2002年日韓大会で、テレビで観戦したのだが、日本と引き分けたことくらいしか覚えていない。それよりベルギーチームが日本へ自国から「レストラン」を丸ごと持ちこんだことを知り、ご相伴にあずかりたいと心から思ったものだ。シェフや栄養士はもちろん料理器具や豪華食材・ビールなど飲料まで運びこんでいた。

2007年私はベルギーに滞在し、オランダ語とフランス語で新聞を読み、テレビ・ラジオなどからできるだけ多くの情報を得ようとしていた。自分なりにベルギーという国を包括的に理解しようと思ったのだ。ベルギーでスポーツといったらサッカーと自転車(あとホッケーも強い)しかない、と言ってもいいほどで特にサッカーは特別な地位を占める。だからしょっちゅうサッカーの記事を読むことになる。「国民を団結させているのはサッカーベルギー代表と王室」と言われている。ここに私は歌手ストロマ(*)を加えよう。この複雑な状況はあとで述べるとして…。

今振りかえると、あの頃つまり2007年がベルギーサッカーの再興の始まりだったかもしれない。というのも、エデン・アザール(Eden  Hazard、1991年生まれ。プレミアリーグチェルシーFC所属)が16歳でプロ契約した年であり、すぐに代表デビューも果たし(翌年17歳)、ベルギーのサッカーファンを熱狂させていた時期だからである。そのせいで静かに暮らしていたアザール一家にはメディアに追いかけられる日々がやってくる。女性雑誌などで母親はエピソードや子育て法を教えてくれとせがまれ、父親はまだ3人いる小さな息子たちをサッカークラブに送るたびに人々に囲まれていた。母親はかつて女子サッカー一部に所属してフォワードだった。父親は確か二部だったと思う。

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(写真:AP】ロシア杯の香川・アザール選手。二人は偶然同じ時期にプレミアリーグに移籍することになり大きな関心が寄せられた。その後二人は明暗を分けることにhttps://www.football-zone.net/archives/119033

ベルギーは子どもたちの育成に力を入れ、徐々に環境も整えてきた。移民の子弟もやる気とポテンシャル次第で各地のクラブに迎えられた。それまではフランスなどとは違い、ベルギーサッカーは「白人」のチームだった。

また指導法も、個人の長所を生かすことに重きを置き、自由を与え、どんどんチャレンジをさせた。

さらに隣の強豪国オランダやフランスの力も借りる。そのためにクラブ間でユース育成の提携を行い、若いうちから外へ出す。たとえばアザールがフランスのリールに行ったのは14歳のときだ。そんな子どもが外国で?と思うかもしれないが、アザール家はラ・ルヴィエール(La Louvière)という町にあり、私も行ったことがあるのだがフランスに近い。リールとの距離は、東京都心から静岡、群馬、茨城といったところだろうか。週末に家族のもとに帰れるし母語フランス語で意思疎通ができる。

フランダース地方の若い選手は北の隣国オランダへ。オランダ語で意思疎通ができる。年若い選手にとってこれは重要だと思う。たとえば南米の若い選手がドイツやイギリスに渡るときの文化の違いや言葉の問題を想像してみる。どんなにか心理的な負担が大きいだろう。

2009年はまだ世代交代が行われず、5月に国立競技場で開催されたキリン杯で、ベルギー代表は日本にボロ負けした。結果は次のとおり。

http://www.jfa.or.jp/national_team/2009/national_t/20090531/result.html

このとき通訳・マネージメントでチームに帯同していたベルギー人に数日後会う機会があったので「どうでしたか」と聞いてみた。実はちょっと気の毒で目を合わせづらかったのだけど。

「日本が強すぎた」そう一言答えた。この頃はベルギーはランキング60幾つだったかな。でも前年2008年の北京オリンピックでは4位だった。オーバーエージ枠でロナウジーニョを入れてきたブラジルに負けての4位。

2010年南アフリカ杯で日本が新時代の息吹を感じたころ、ベルギーは予選敗退で大会に出られず、「それならオランダの応援に!」とベルギーのサポーター一行は元気よく南アに出かけていったものだ。そのおかげか(?)オランダは準優勝した。

そしていよいよ黄金世代が登場する。選手はとても若いがキャプテンのコンパニ選手がしっかりまとめている。2014年ブラジル杯に向けてチームには自信がみなぎり、国民は大きな希望を抱いていた。何しろ予選負けなしで勝ち上がってきたのだから。興奮と熱狂の絶頂にあって2013年11月、親善試合のためホームにコロンビアと日本を迎えた。このすばらしい1年をすばらしい結果で締めくくりたい。そう皆が思っていたはずだ。

それにしても日本はランキング44位、ベルギーは5位、こんなに差があって試合に意味があるのだろうか。新聞にはそんな記事も出ていた。また先にオランダが日本との試合を終えて2-2で引き分けたことに対し「ランキングの低い日本に勝てないのだから、オランダチームの病は相当深刻なようだ」と意地の悪いコメントが載っていたのもはっきり覚えている。

11月20日試合の日がやってきた。首都ブリュッセルでキックオフ。結果は日本は柿谷、本田、岡崎選手のゴールで3得点。ベルギーは2点にとどまった。3点目が入った時は悲鳴とも怒号ともつかないような騒音のなか、ベルギーのアナウンサーは「バルセロナのゴールだ」と叫んだ。

その後多くの記事が出たが、読んだものでは「本田が中心のチームで、ショートコンビネーションがすばらしく、バルサっぽいパスサッカーをやる」と、日本の良さを挙げ、こんなに技術が高かったなんてと驚いていた。しかしサポーターの落胆は大きかった。年の終わりに崖から落とされたようなもんだ、ランキングなんて当てにならないな、監督がアザールをセンターで使うのはダメだろ等々。監督への批判は多かった。

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「赤い悪魔は素晴らしい年をふたつの敗戦で締めくくる」(コロンビアにも2-0で負けた)というタイトルのオランダ語新聞。日本代表は軽やかに楽しそうに試合をしていた印象を受けた。ところがこれが本大会に繋がらないのだ。みなさんご存じ、ブラジル大会ではグループリーグ敗退だった。

 

2018年ロシア杯

熱かった6~7月のワールドカップ。まだまだ記憶に新しい。またしてもベルギーと対戦。いつも人に聞かれるのだが「どっちを応援するの?」。決まってるじゃない、日本だよ。いつだって日本を応援する。ベルギーに勝つとは思っていなかったけれど2点が入ってからは「行ける」と思ってしまい、最後の逆転が相当にこたえた。

 ↑ベルギー仏語新聞LeSoir表紙「奇跡的に」

今見てもちょっと涙が出る。

↑香川選手に声をかけるベルギー選手たち、 エデン・アザール(左上)、デブルイネ(左下)、ルカク選手(右)。

↓涙をぬぐう酒井選手。フランス人のツイート主も心揺さぶられた様子。日本選手の健闘をたたえている。画像はフランスのTV1チャンネルから切り抜いている。マルセイユで活躍する酒井選手にはたくさんの応援団がいるのだ。(前回記事の追記に酒井選手が侍に扮している壁絵写真を載せておいた。リツドアン 堂安 律選手のことを中心に-1- 追記:10月18日(酒井宏樹&南野拓実選手) 

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ああ、この写真も。

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日本、決勝被弾直後の"感動の1枚"を海外メディア公開「胸が張り裂け、心が温まる」 | THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト - (3) 

インタビューに答えるベルギー・ディフェンスの要ヤン・フェルトンゲンの言葉がおかしかった。「日本に2点入れられたときには、ああ、もうベルギー行きの赤い飛行機に乗るんだな」という考えが頭をかすめた。

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翌日のフランス語紙のひとこま漫画

Le Kroll du jour sur la victoire des Diables rouges face au Japon - Le Soir Plus

http://plus.lesoir.be/sites/default/files/dpistyles_v2/ena_16_9_extra_big/2018/07/03/node_166046/22347592/public/2018/07/03/B9716226126Z.1_20180703074800_000+GDMBK79IJ.1-0.jpg?itok=isssrAja

(上の絵)月曜18時

  「日本が相手か、ちょろいだろうな」

  「ブラジルよりは、だな」

(下の絵)同日22時

  「おれ、死ぬかと思った」

  「で、いつなんだ、ブラジルとは?」

 

ベルギー代表はみごと3位で帰還。ブリュッセルのグランプラスは赤黄黒の人で埋め尽くされた。数万人の人がお祝いに駆けつけたという。

https://images.vrt.be/width1280/2018/07/15/5b58bab0-8846-11e8-abcc-02b7b76bf47f.jpg

IN BEELD: 40.000 uitzinnige fans bedanken de Rode Duivels in Brussel | VRT NWS

上の写真を見ると「ああ、ベルギーはサッカー熱がすごいんだな」という感想を持つかもしれない。でもちょっと違う。ベルギーは四国ほどの大きさだが言語は三つ、主にフランダース地域のオランダ語圏、ワロン地域のフランス語圏に分かれている。そしてこの二つが「言語戦争」などと揶揄されるくらい仲が悪い。私が滞在した2007年はそのピークともいえる危機的状況で、本当に国が分裂するんじゃないかという危惧から大規模なデモ行進が行われた。フランダースの第一政党が分離派になってから危機感は募る一方だったのだ。そのころサッカーも不調だった。

しかし代表が強くなると、不思議と人々も団結していった。さらに移民の子弟なども混ざり、チーム内でも比率が高まる。するとフランス語・オランダ語の対立などは過去へと押しやられ、さまざまな出自の子弟たちが集まり、うまくコミュニケーションを取り合ってサッカーをするようすや、多様性を具現化した代表チームに人々が魅せられ、誇りに思うようになった。しかも強いときている。ワールドカップではどんな小さな町でも住民は集まって自分たちの「代表」を応援した。

また監督も、ベルギー人からスペイン人のマルティネス監督に変わったところで、チーム内の言語は英語になった。選手たちはベルギー以外の国で普段はプレーをしているので数か国語が話せる人も多い。ルカク選手はアントワープ出身でオランダ語母語だが、インタビューでフランス語、英語、スペイン語も使い分けていた。

そう、多様性こそベルギーの強さであり、魅力なのだ。そしてベルギー代表が国をひとつにまとめ、団結の象徴となって分裂の悪夢から救ってくれた。これは言い過ぎではないと思う。

今日はここまでです。

 

参考:ヨーロッパのサッカーチームにおける移民率

ベルギーはチームの選手の47.8%が移民・外国ルーツの子弟。12.1%が国民全体に占める移民の割合。(ベルギーは植民地だったコンゴやモロッコからの移民が多い。)

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Infographic: World Cup 2018: Nearly one-third of players in European teams are migrants - Times of India

 ↑写真の選手はベルギー代表のフォワード、ルカク選手。両親がコンゴ出身。

 

*歌手ストロマエ ストロマエ・世界が羨むベルギー人&ストロマエを苦しめるマラリア予防薬の副作用&㊗ストロマエがパパに!(9月23日) 

リツドアン 堂安 律選手のことを中心に-1-  追記:10月18日(酒井宏樹&南野拓実選手) 

新しい時代がやってきた。間違いなく。今日はサッカーの話です。

そう思わせてくれた昨日のウルグアイ戦(キリンチャレンジカップ2018)。ご覧になったかた、報道で知ったかたは 日本が4-3で勝利したことなど結果や内容についてご存じだろうし、私も解説をしたりする知識はないのだが、ちょっと感じたことを書いてみたい。

個のレベルが上がった選手、強靭なメンタリティーを持った選手たちが次々に現れてくるなと思った。チームプレイや連携が大切なことはもちろんだが、まず自分でもどんどん前へいく。年齢や上下関係は関係ない。個でできることは物おじせず遠慮せずやる。そのことが頼もしくて、ますます日本代表の成長を楽しみにしていこうと思った。

日本代表で背番号10を背負う中島翔哉選手、ロシア杯には呼ばれなくて本当に残念だった。彼はおもしろくて目が離せない。ボールと遊んでいる子どものような喜びに満ちあふれている。笑顔がとってもすてきだ。楽しくて仕方ないんだろう。試合が終わったらまた原っぱ行ってサッカーやろう、とでも言い出しそうな感じがある。香川真司選手のセレッソドルトムント初年度を思い出させる。香川選手がキレキレだったころだ。巧みなドリブルや独特な意表を突く切り返しで相手のデイフェンスを難なくすり抜け、切り崩していく。嘲笑うかのごとく。

失礼ながら中島選手は私より身長が低い。164cmはスポーツ選手としてかなり小さいと思う。でもモドリッチだってマラドーナだって小さい。中島選手はチビならではの敏捷さと高い技術で、背の高い外国人選手らを混乱させ、きりきり舞いさせ、自分はあっという間にゴールへ向かっている。すごい選手が出てきたものだ。

また2得点挙げた南野拓実選手についてはすばらしいの一言。

 

リツドアン?

どうあんりつ、日本式に読んでも日本人っぽくない名前だ。堂安 律選手、20歳になったらしい。というのもオランダ・フローニンゲン所属なのだが、19歳で8得点。これがオランダ人の度肝を抜いたし、この数字は記録に並ぶ快挙だというので話題になっていた。

若手版バロンドールなるものがあって、これは21歳未満の選手が対象となる、仏サッカー専門誌『フランス・フットボール』が設けた賞であるが、なんとその10人のノミネートに入っている。活躍を間近で見て知っている人は当然だというのだ。え、そうなの?いや申し訳ない。私はキリアン・エムバペ選手など錚々たる選手たちが名を連ねているので腰を抜かしたのだ(*註)

 昨日もウルグアイ戦で代表初ゴールを決めた。すばらしいゴールだった。もう1点取れていたかもしれないな。すぐに所属クラブのフローニンゲンがツイート。

長友選手のツイート(メンバー全員の写真が載っていて、いい雰囲気なので載せてみた)

今朝見たらオランダ地元紙でも記事になっていた。

FCフローニンゲンの選手が日本代表でゴール」

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FC Groningen-voetballer Ritsu Doan scoort voor Japan - Sport - DVHN.nl

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Vriendschappelijk » Nieuws » Japan door Doan's eerste goal naar zege op Uruguay

とにかくオランダでは、去年2017年にガンバ大阪から移籍してきてからその活躍が話題になっている。サッカーの実力だけでなく明るくてお茶目、社交的な人柄も大人気のようだ。

地元フローニンゲンのテレビ局も堂安選手が「若手版バロンドール」にノミネートされた際インタビューを行った。(日本語で話しているが下にオランダ語字幕をつけている)。彼の活躍ぶりは当然ながら日本へも伝わり、今や堂安選手の試合を見るためにフローニンゲンに来る家族連れ(下の写真2枚)も増えているという。

 (TV局の動画↑から切り抜いています)

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インタビューでは落ち着き払った堂々たる話しぶりにビックリ。そのまま文字起こししても文章になる。時々カメラに目線を合わせ、しっかりと自分の意見を述べる。

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サインをもらう子どもたち。

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ときどき見ているNOS(オランダ国営放送)でも試合での活躍ぶりが報道される。先日大きく取り上げられたのがこれ「ドーアンは移籍しない。フローニンゲンでプレイを続けるよ」というもの。オランダでは彼の去就に関心が寄せられていたのだ。高額の移籍金を積む他クラブのオファーを断った。

FC Groningen legt smaakmaker Doan vast | NOS

https://www.fcgroningen.nl/mediadepot/198519e665454/800/1200/SneltlangsSchone.jpg

FC Groningen licht optie en contracteert Ritsu Doan - FC Groningen

堂安選手は他の日本人選手とどこが違うか、それはこちらの記事が的確に指摘している。

フランス誌編集長に訊いた、堂安律を“若手版バロンドール”候補に選んだ本当の理由(SOCCER DIGEST Web) - Yahoo!ニュース

(部分を引用)

まるでずっと前からヨーロッパに住んでいたかのように、あっという間にさらりと先発の座を確保した。勢いのままに駆け抜け、(全公式戦で)10ゴールを叩き出し、4つのアシストを記録してチームの躍進に貢献したのだ。持ち前のドリブルは切れがあり、スペタクルなプレーで観衆を楽しませる。「10番」や司令塔として進化できると思わせる一方で、左右両サイドに置いても実に危険だった。

言うなれば彼は、ヨーロッパの舞台に来たにもかかわらず、まるでいまでもガンバ大阪の少年たちとプレーしているかのように、易々と高質なパフォーマンスを示したのだ。 
 ヨーロッパにやって来る日本人フットボーラーは、かなりの頻度で臆病さを露呈し、どこかおどおどしがちだ。ヨーロッパのフットボールが突きつけるフィジカルな「アンガージュマン(がっつり噛み合うこと)」に、なかなか馴染めない。

ところが堂安律は、恐れを知らない。そんな目つきをしている。

どことなくエムバペに似たところがある。
プレーレベルの単純比較はできないものの、堂安が見せる態度やキャラクターは、どことなくキリアン・エムバペパリ・サンジェルマン)と似たところがある。自信を漲らせ、成功を掴むんだという強い欲求と意志。プレーの中ですでに垣間見せる、一定の成熟ぶりも共通している。・・・

文●レミー・ラコンブ(France Football誌編集長)翻訳●結城麻里 

赤字にしたところ、私が共感するところです。ラコンブ編集長に代弁してもらいました。

もう遅くなったのでまた後日続けたいと思います。

 

*註 ノミネートの10人を発表するツイート。 仏レキップ紙より。

 

 追記:10月18日

堂安選手はオランダに帰国。クラブのサイトに「堂安が代表初得点」という記事と、子どもたちと一緒に日の丸を掲げる写真が載っている。

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Doan maakt eerste interlandgoal - FC Groningen 

またイタリアの記者ペドゥーラ(Alfredo Pedullà)氏もすぐに堂安選手を取り上げ「オランダ征服へ リツ・ドーアン日本のメッシ」というタイトルで、生い立ちから始まり、移籍の詳しい経緯や成績、パフォーマンスについてまとまった記事を書いています。

ALLA CONQUISTA DELL'OLANDA: RITSU DŌAN, IL MESSI GIAPPONESE | Alfredo Pedullà

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追記:マルセイユで活躍する酒井宏樹選手、彼を侍にした壁絵が街角に登場し、話題を集めています。仏語でさむらいは同じく”samouraï”でいいのだが、ここでは禅ファイター、”ZENFIGHTER”となっている。

https://medias.laprovence.com/-ib0Uce3YPnPNKI6yqp4ZgROEiQ=/0x215:1344x955/850x575/top/smart/e247cd520ceb4da29031cb4c52d655a8/1539073501_f-vauban.jpg

Insolite | Marseille : Hiroki Sakai comme un samouraï au quartier Vauban | La Provence

場所:102 boulevard Vauban

 

追記:ザルツブルグの新聞にも南野拓実選手の活躍を伝える記事が。

「南野が今週の勝者」というタイトル。つまりザルツブルグ所属の他の選手たちは芳しくなかったが、南野は2得点と、日本の勝利に大いに貢献。

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Minamino ist der Gewinner der Woche | SN.at