ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

安すぎる外食と最低賃金を心配される日本&ソウルフードの話 追記: 笑顔の接客、帰宅して深酒の危険!

いっぺん書こうと思っていたテーマ。

一か月以上も前にアンさんにことわりを入れてあったのに、今日やっと…。(お写真貼る許可もいただいています)

anneneville.hatenablog.com

(一部引用)

小諸そばの天丼満腹セット¥640

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フランス バーガーキングのベーコンポテトとカプチーノのセット

6ユーロ✖︎130円=780円

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安くておいしい日本サイコー

「日本は食べ物がおいしくてしかも安い。都市交通や新幹線の料金は高いけれどあとは安いわね」ということばを初めて聞いたのは、2000年に入ってからだ。パリ近郊に住んでいる日本人が「我が家のまわりのフランス人、職場の親しいフランス人はほぼ全員日本へ行ったのよ。凄いと思わない?昔は日本旅行なんて高すぎてありえない夢のような話と言ってた人たちが!」とメールに書いてきたのだ。

その後(2008年)お宅にお邪魔したとき、たまたま立ち寄ったフランス人が「ぼくたちはこれまでに2回も行きました。また訪ねるつもり。今度は小さな島へ行きます」と満面の笑みを浮かべて言っていた。

確かに今や飛行機も格安航空会社があり、大手の会社だって様々なプランを用意している。宿泊施設も、パリやアムステルダム、ブリュージュ(統計によればベルギーで最もホテルが高いとされる古都)などと比べれば、選択の幅が非常に広い。若者の一人旅なら東京のわが家の近くでもドミトリー形式の宿が幾つもあり、清潔で宿の人も親切で、3千円くらいから泊まれるのでいつも賑わっている。日本は安い休暇先なのだと思う。

われわれ日本人も普段安い食の恩恵にあずかっている。東京に限らせてもらうが、特にランチは選択肢も多すぎて迷うほどあるし、値段もまるで競うかのように安く抑えられている。それに慣れているとヨーロッパ旅行で、え?この内容でこの値段?と驚くことになる。昼に「軽く温かいものを一品」というのがなかなか難しい。

 

おかしいのは日本のほう

「…それはきっと適正価格なのでしょうね」とアンさん。さきほどのバーガーキングのベーコンポテトとカプチーノのセットの値段だ。人件費のことにも触れている。

フランスと日本の値段の違いは最低賃金なのだ。フランスやベルギーでは時給が約1300円。バーガーキングで働いている人たちは笑顔なしでも(*追記この最低賃金が保証されている。

いっぽう日本は、以前「最低賃金の平均水準が最低生存水準および生活保護水準を下回っていること、並びに生活費が増加していることに懸念」(国連 社会権規約委員会の見解 2013年5月17日。「最低賃金1500円」求め若者がデモ、日本の最賃は先進主要国の半分程度、「最低生存水準を下回っている」と国連も指摘 | editor

「最低生存水準を下回る」と、社会権規約委員会から憂慮をいただいていた。「…ていた」ではなく、今でも変わっていない日本。最新のはこちらReal minimum wages

いいものを安く、なんて絶対おかしい。労働者の疲弊と搾取のうえに成り立っている外食(の安さ)はゆゆしいと思う。いいものは適正な値段で、が当たり前。しかも日本では多くの場合笑顔がタダでついてくる。接客態度やちょっとした心配りのことは、よく外国人との会話で話題にあがるので付け加えた(笑)。

まずは時給を上げるべき。過酷な業務形態も見直そう。それから飲食業やコンビニなど(少なくとも東京で見る限りでは)外国人の労働者なしでは一歩も立ち行かない状況も忘れてはならない。東日本大震災のあと、学生バイトの中国人がいっせいに国に引き上げた時のこと、今でも鮮明に覚えている。

 

ベルギー人がうどんに感動した話

2年前に、50代のベルギー女性が二人で10日間の旅行にやってきた。成田到着、帰りは大阪発で、飛行機代が往復約13万円と言っていた。

ときどき食べたものをスマホで撮って送ってきたのだが、やはりクオリティと安さに驚いていた。ある日のお昼ごはん。

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「すごいでしょ、これでたったの500円だよ~!信じられない‼」

うんうん、信じるね。フツーだもの。あとで日本の一般的な時給を教えてあげたら唖然として「それじゃ生活していけないんじゃないの?」とひどく心配してくれた。

ところでラーメンはだいぶ前から海外でも人気で、パリやブリュッセルの店の前には開店20~30分前には列ができているのをよく目にした。うどん店は今こそパリなどにあるけれど、ベルギーにはなかった。初体験のうどんがことのほか気に入った友人。天ぷらなんかどれもおいしそうで全部試してみたかったよと言っていた。毎日うどんとすしをかわりばんこに食していたようだ。次は香川県に行くしかないね。

先日Twitterのタイムラインに流れてきたこちら。

https://pbs.twimg.com/media/D1_BgOAUcAAt43B?format=jpg&name=small

こんな天ぷらを見たのは初めてだ。いやあ知らないことは多い。それとも私だけかも?

さっそく香川県在住のとにほ (id:toniho)さんに問い合わせたら、とにほさんのご主人にコメントをいただき(ありがとうございます💦) 喰回 (くうかい)を紹介してくださった。料理写真 : 喰回 (くうかい) - みの/うどん [食べログ]

うどんと天ぷら好きのベルギー人の友人、これを見たらどんな顔をするだろう。また興奮して写真をあちこちにばらまくんだろうなあ。

海外から旅行に来た人で、たこ焼き・お好み焼きなどの粉もののファンになって帰る人もけっこういる。たこ焼きパーティを自宅でやるというから、器具はどうするんだろうと思ったら、代替できるものがあったのだ。

http://thefoodpornographer.com/wp-content/uploads/2010/01/4198945951.jpg

Poffertjes (dutch mini pancakes) test run | The Food Pornographer

オランダのミニパンケーキ焼き器。丸い小さなパンケーキのことはオランダ語でPoffertjeという。

 

オランダ発おしゃれなフリット屋 

話変わり、ベルギー人のソウルフード”フリット”のことを少し

フライドポテトのこと?と思ったそこのあなた、それは少し違います。説明させてください。

ベルギーのフリットとは、単なるイモを揚げたものではない。長さや太さなど基準があって、二度揚げが必要で、よく油をきったあと、外はカリカリ、中はホクホクになっていなければならない。ベルギー人のフリット愛は、フリット用に改良したジャガイモビンチェ種を作りだすにいたり、フリット文化は世界無形文化遺産にもなっている。

そもそもフレンチフライというわけは、北米大陸に移民したベルギー人がフランス語を話していたからで、あちらではフランス語を話せばフランス人なのである。

ベルギー人の家庭には必ずフライヤーがある。外国に旅行してしばらくフリットを食べないでいると、イモ欠乏症になって機嫌が悪くなる、と聞いたことがある。

ゆるキャラとはいかないが、キャラクターもある。ミスター・ビント、James Bintというのだ。どこかで聞いたって?気のせいだろう。

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フリットは、料理の付け合わせとして必ずつくが、まちなかの屋台も人気がある。毎年、ベルギーの町ごとに人気コンテストも行われる。買ったフリットをそこで食べてもいいし、家や会社に持ち帰るのもよい。区画整理などで屋台の立ち退き計画があると、住民は署名を集め、その屋台を守ろうと団結する。

ミック・ジャガーもメルケル首相も立ち食いしたこちらの人気店(屋台)メゾン・アントワーヌhttp://www.maisonantoine.be/では、買ったフリットを近くのカフェに持ち込んで食べてもいいという、地域の取り決めもある。フリット 2,80€(350円くらい)とソース(100円。マヨネーズのほかサムライというピリ辛のものなど、種類が多い)。

ここまでベルギー人のフリット愛について書いてきたが、2年前にオランダのフリット屋が1号店をアントワープに出した。過去記事

ベルギーにオランダ人が殴り込みをかけてきた&フリット屋もアップデートしておしゃれに。 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/c/cenecio/20170213/20170213093425.png

(写真はアントワープ店、詳しくは過去記事↑)

チョコレート屋かと見まがうような店構えだ。ベルギーの庶民的なフリットとは違って、高級路線のようだ。

そしてつい最近2号店がブリュッセルにオープンした。https://www.fritesatelier.com/

夫がさっそく食べにいって写真を送ってくれたので貼ろう。

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フリットエビのクリームコロッケ(右)とビール13.50€、約1700円。(1€126円で計算。エビコロッケだけで730円くらい、フリットが500円くらい(ステラアルトワは普通は安い銘柄であるが、ここでは400円強とかなり高い)。

ちょっと考えさせられるお値段だ。1700円あったら東京ではどんな食事ができるかなと考えてみずにはいられない。

さらに夫をがっかりさせたのはジャガイモが皮つきだったこと。これは単なる好みの問題で、皮つきのほうがおいしいよという人もいるだろう。ここのオーナーでシェフのセルジュは、ジャガイモも自分で作っており、研究と試行錯誤を重ねてやっと現在の納得できるイモにたどり着いたのだ。だから自信を持って彼流のフリットを提供している。

まあ、私は次回行ったら小さなパックを持ち帰りで買いたいと思うけど。そのときはまた感想を書きます。

では今日はこの辺で。

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ブリュッセルの春

追記:外国人旅行者、特に若者たちは、食費を安くあげるため、大型スーパーなどのイートインコーナーを利用しているのを見かける。あくまで東京の話である。情報があるのだろうか。

総菜コーナーで買ったすきな食べ物(和・洋・中華などのパック・弁当のほか、寿司やパン、果物など選り取り見取り)を持ち込んで皆でわいわい食べる。飲み物は無料でお茶と水が用意されている。夏は冷房が効いて涼しい。他の季節は公園などで食べている人たちもいる。特に今の桜の季節。

🌸続きになっています。

cenecio.hatenablog.com

 

*追記:4月27日 

 笑顔の接客、帰宅して深酒。うん、わかるわかる。

映画『ROMA/ローマ』家族とメキシコ社会のタペストリー 

 1970年代の記憶のローマへようこそ。

先日のアカデミー賞3部門も含め、これまでに数多くの賞に輝いた、2018年のメキシコ映画ROMA/ローマに行ってきた。予告編はこちらNetflixのサイトで。↓

www.netflix.com

https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BMTkxMzU0ODMzMl5BMl5BanBnXkFtZTgwOTQyNTQ3NjM@._V1_SX1500_CR0,0,1500,999_AL_.jpg

*写真はすべてこちらから:Roma (2018)

まずは大雑把な感想。

引き込まれてまばたきするのも惜しかった。何ひとつ見逃したくない思いで、映像と音楽、ストーリーを楽しんだ。

スリリングなシーン、胸かきむしられる悲しみ、しかしユーモアもあちこちに散りばめられている。アルフォンソ・キュアロン監督の半自伝的なドラマだということで、私的な記憶、思い出の数々が源泉ではあるのだが、同時にその時代のメキシコ社会、苦い現実、強権的な政府(制度的革命党PRI政権)、貧富の差や人種差別なども下糸となって織り込まれている。

年越しのどんちゃん騒ぎや新年を迎える儀式といった歳時記的な要素や、宇宙飛行や超能力といった時代の流行まで上手に織り込んで、メキシコの一時代のタペストリーに仕上がっている。

 

幼年時代をどう描くか

映画は、キュアロン監督が子どもだったころに、家事・養育などの世話をしてくれた、いわゆる”ねえや”クレオという若い女性を中心に据えている。クレオは先住民ミシュテカ族の出身で、住み込みで働いている。ローマというのは、一家が暮らしていたメキシコシティコロニア・ローマ地区で、中産階級の人が多く住む瀟洒な住宅街。(現在も邸宅は残っている)。時代は1970~71年に限定されている。そうしたことがわかってから、私がもっとも興味があるのは、幼年時代をどう描くかだった。

無垢な曇りない目を通して見る世界を情感たっぷりに描くとか。子どもの認知は限界があるので「信頼できない語り手」の技法も使って劇的な展開に?それとも子どもからは離れて神の目線で家族や社会を描くのか・・・。

いやいや、私のお粗末な推測などすぐさま木っ端みじんに吹き飛んだ。キュアロン監督はオープニングのクレジットシーンから、モノクロームの画像と生活音に満ちた豊かなサウンド(THX)で私たちを映画の中へ中へと引き込んでいった。現代の大人のキュアロン監督が過去を訪ね、ちょっと距離を置いたところから静かに見ている感じだ。あったことを語るというより淡々と丁寧に綴られる。中心にいるのはクレオで、クレオだけは最初から最後までどのシーンにも登場するが、幼い自分(3男1女の末っ子ペペ)には特に重きは置かれず、他の兄弟たちと同等な扱いだ。

(*以降、ネタバレを含みます)

記憶の中の日常

オープニングは心憎い。掃除のため、中庭のタイルを延々と水で流しており、タイトルロールの文字はそこに写しだされる。建物と建物の影の間に、ぽっかり白く四角い空が写り、水溜りのなかを小さな飛行機が横切っていった。飛行機はその後何度も何度も出てくる。

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次にカメラは住宅の中を、まるで案内するように右に左に大きく広く写し出す。長く念入りに見せている意味は、映画の最後のほうでわかる。

家族は医師である父親アントニオと母親ソフィア(もうひとりの主役ともいえる)、子ども4人、母方の祖母テレサ、犬のボラス。

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クレオと共に家事労働に携わるアデラも住み込みで、料理や買い物を担当している。↑パティオの外階段を上っていった小さな部屋があてがわれている。二人の会話はミシュテカ語で行われ、字幕では〈 〉に入って示される。

奥行きのある環境音がすばらしく、観客は本物のメキシコシティの雑踏のど真ん中に放り出されたような錯覚に陥る。私は後ろに人がいると思って何度か振り向いたほど。子どもたちのはしゃぎ声、犬の吠える音、売り子の掛け声、車の走る音、人々の会話…。

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ペペの学校がひけるとクレオが迎えにきてくれる。校門の外にアイスクリーム屋(ペンギン印が見える)、屋上の物干し場でピストルごっこ…。監督は記憶の扉を次々と開けて子どもたちの日常を切り取っていく。

父アントニオの帰宅シーンは異様だ。狭いパティオにようやく入るほど馬鹿でかいキャデラックに乗っている。駐車するのに毎回一苦労でまるで儀式のよう。虚栄とマッチョ。しかもピリピリして嫌な感じ。のちにわかるのだが、妻とはうまくいっていない。

クレオは子どもたち全員から好かれている。ミシュテカ語の子守歌を歌ってやり、また家族と一緒にリビングでテレビを見たりもする。日本でいう奉公人とはちょっと違う扱いである。

子ども部屋の壁では、サッカーワールドカップ1970年のメキシコ大会のポスターが目につく。ロケットや宇宙飛行士などの切り抜きも貼ってある。

家族と一緒に見るTVショーでは、口に鎖をくわえ、それで自動車を引っぱって動かす男が写しだされる。あとで再度登場することになる、当時のヒーロー、ソベック先生(Professor Zovek*下に参考資料ありだ。

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〔写真:パティオに降った霰(あられ)をコップに集めるペペと姉]

 

クレオの試練

クレオのセリフは主役としてはとても少ない。心優しく控えめ、感情もほとんど外に出さないが、クレオの気持ちは要所要所で、目の動きや表情の変化でじゅうぶんにわかる。また若いながらも、母親ソフィアの窮状をしっかりと理解し、一家を守る責任も受け止めている。

クレオは、アデラの彼氏のいとこを紹介され、つきあっている。その男フェルミンがとんでもないヤツだということはすぐにわかる。母と二人暮らしでスラムに住み、悪いこともたくさんやったが武術に救われたと話す。武術オタクと思いきや、政府が秘密裏に組織している武装集団ロス・アルコネス(鷹兵団)に入っている危険な男だった。クレオは妊娠したかもしれないと映画館で告げると、さっさと姿を消したフェルミン。

クレオはソフィアと一緒に病院へ行き、妊娠を確認。フェルミンと連絡がつかないので武術訓練場に会いに行くが。

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イチ、ニ、サン、シ…アリガトウゴザイマス。日本語の号令が響き渡る。

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突然指導に現れたソベック先生。ヨガの立ち木のポーズをやってみせる。訓練生たちは誰もできないのに、見物の取り巻きの中にいるクレオだけは難なくできる。実はこの映画にはクスクス笑えるシーンがけっこうある。

ソベック先生がすごく気にいったのでいろいろ調べてみた。禅、ヨガ、テレパシー、超能力などをすべて混ぜ合わせたパフォーマンスで当時メキシコで大変な人気を誇っていたらしい。映画も作られたくらい。→El increíble profesor Zovek(1971年)

映画ローマでこれに扮したのがレスラーのラテン・ラヴァーLatin Lover (wrestler) - Wikipediaこちらもすごくはまっていた。

フェルミンに冷たく追い返されるクレオ。それでも赤ん坊のために準備をしなくてはならない。1971年6月が予定日だ。

 

1970年の年越し

話が前後するが、年越しパーティと新年の祝いのために親戚のアシエンダ(邸宅のある農園)を訪ねる。幾つかのファミリーが子ども連れで集まっている。ピクニックに行って大人は皆で銃を撃って興じる。

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おもしろかったのは、森の中を他の子たちや犬は走りまわっているのに、ペペは宇宙服のコスプレをしてゆっくりと歩いているシーン。

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別の場面でもスラムの男児が頭に箱を被り、宇宙飛行士になりきって歩いている。

また1969年のアメリカ映画『宇宙からの脱出』を見にいくエピソードもある。当時の宇宙飛行・月面着陸フィーバーぶりがわかる。

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なまはげのようなクランプス(Krampus)の登場には驚いた。ドイツや中欧の風習だと思っていたからまさかメキシコで見るとは!子どもを捕まえては、良い子にしているか、親の言うことを聞いているかなどと脅して回る。

この年の年越しでは山火事が発生。皆がせっせと火消しをしているのをよそに、クランプスは頭の被り物を脱いで、悠々と新年を迎える歌を歌う(上の写真)。火消しをやらなくていいのかとこちらはハラハラした。

翌朝、のどかな田舎の風景のなかを皆で歩く。畑やなだらかな山が遠くに見え、クレオは自分の村に似ているという。動物の鳴き声や匂いが同じだと。私たちもここで初めてクレオの出身地のヒントを得る。

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デモの学生たちを虐殺した事件

1971年メキシコ史に汚点を残す事件が発生した。コーパス・クリスティの虐殺(血の木曜日事件)と呼ばれている。学生およそ120人が殺されたという。

クレオが祖母と一緒に家具店にベビーベッドを買いに出かけた日は、運悪く反政府の学生デモの日だった。警察車両や警官が警戒する中、店内に入る。すると外で暴動になっているのが窓から見える。

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店に逃げ込んでくる男女。追いかけてきたのは警官ではない。武装集団ロス・アルコネスのメンバーだった。容赦なく男の学生を撃ち殺す。そのあとクレオと祖母に銃を向けたのは、なんとフェルミンだった。彼はそのまま去ったがクレオは破水してしまう。渋滞ですぐには病院にたどり着けず、死産だった。

 

キャデラックで家族旅行

夫は家族を捨て、若い女のもとへ走った。母ソフィアは出版社で働くことにした。車も小型のルノーに買い替えた。

キャデラックで最後の旅行をしようとソフィアが提案する。傷心のクレオを連れて。旅先のトゥスパン村で、実は自分たちが留守のあいだ、夫が私物(夫が自分の所有だと思っているもの)を取りにくるのだ、と子どもたちに離婚することを告げる。

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胸をうつ最後のクライマックスはここには書かない。とてもじゃないが、私には言葉では表現できない。

最初の写真、砂浜に皆が体を寄せ合っている写真がこの家族を象徴している。血はつながっていなくても、クレオはみんなと強く固く心は結ばれている。

 

リボに捧げる

映画は、旅行から帰ったクレオが外階段を上へ上へ登っていくシーンで終わる。最後には空だけが写り、スペイン語で「リボに捧げる」。クレジットが流れる。ずっと空だけ。飛行機も横切る。

リボとは家政婦だった女性の実際の名前だ。今もお元気で、映画も鑑賞したそうだ。

アルフォンソ・キュアロン監督はリボに捧げるためにこの映画を作った。自分は白人で、何不自由ない環境で庇護されて育った。そのことは映画のペペの描き方に表れている。ペペは夢見がちな空想大好きな子だった。「大きくなったら…」という代わりに「大きかった時、ぼくは戦闘機乗りだったんだよ」と言い出すような。「生まれる前のことだよ」

また「大人だった時、ぼくは船乗りだったの。嵐が来て溺れたんだ。巨大な波だった。雷も落ちたし、ぼく泳げなかった」。こんな具合に夢想の世界に遊んでいた。クレオは優しくそばで聞いていてくれる。

キュアロン監督は言う。子どもの頃は何もわからなかったが、メキシコ社会も家族の歴史としても激動期だったあの頃。自分たちを守ってくれたのはリボや母親、家族の愛や絆であること。リボ自身からの聞き取りを通してそのことを再確認し、感謝と愛をこめて映画製作を決めた。取り壊す予定の家屋を見つけ、家族写真をもとに家を再現したという。

主演の女優ヤリッツァ・アパリシオは演技未経験の幼稚園教諭。監督は、アパリシオを役の子どもたちと一軒家で暮らす環境をつくり、自然な演技ができるように工夫したといっている。

舞台裏のことは書き出すと収拾がつかないのでここでやめておこう。

 

わたしだって郷愁を覚える70年代

www.youtube.com

70年代、若者だった人ならみんな知っていると思うこの曲。メリー・ホプキン『 悲しき天使 』。映画のなかで聞こえてきて懐かしかった。

ほかには70年代ファッション。母ソフィアや友人の女性たちの服装がいい。懐かしすぎる。この時代のファッションについては改めて書きたいくらいだ。好きな人は多いと思う。知り合いに、この時代の服とバッグなど持ち物でいつも完璧にキメている人がいる。初めて会ったときはもうびっくりしてタイムスリップしたかと思ったほどだ。

もうひとつ、監督の娘さん(Bu Cuarón)が歌をうたっていた。こちら。

www.youtube.com

 今日はここで終わります。

 

🌸メモ

youtubeでソベック先生が見られる。

El Increible Profesor Zovek Youtube

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www.youtube.com

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www.voanews.com

公道マリオカートをパリで?やめたほうがいいのでは。&世界同時アクション気候変動#FRIDAYSFORFUTURE 

マリオカート(Mario Kart)

最近のニュースで驚いたのは、外国人観光客に圧倒的人気の公道カート(マリカー)をパリでも走らせたいという熱い要望があって実現するかもしれないとのこと。詳細はまだ発表されていないようだが。→https://creapills.com/course-mario-kart-paris-20190306) 

マリオカート、もとい、マリカー(「任天堂は無関係」)については過去記事

cenecio.hatenablog.com

パリはやめておいた方がいいと思うな。なぜなら空気が悪すぎる。公道カートのあの低い座席に陣取り、高濃度の汚染物質を吸い込みながら走るなんて恐ろし過ぎる。東京住まいの私が言うのもなんだが、大気汚染度はパリはいつもEUワースト上位で、東京より遥かに高い。昔若い頃はパリでも自転車乗りだった私だけど、その頃の悩みといえば、ドライバーのマナーの悪さや道路の傷みだった。今は絶対に無理だな。パリ滞在のあいだ、雨がちだと空気がきれいでむしろ嬉しいという逆説的な気分だった3年前の春(笑)。

2年前には、パリに住む女性が、大気汚染を政府が放置していたため呼吸不全であやうく死にそうになったとフランス政府を訴えたことがあった。他の都市でも大気汚染被害者たちが訴訟を始めたという。

欧州環境機関によれば「EU加盟国だけでも年間46万7000人が大気汚染によって死亡している」。その原因として「交通渋滞が慢性的に発生し、幹線道路沿いでは汚染物質である二酸化窒素やPM2.5が排出されている」とのこと。

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渋谷スクランブル交差点近く 2019年3月15日撮影

エッフェル塔のてっぺんが見えないほどの深刻な日が続いた2015年、16年。2017年には市長が「五輪に合わせ、パリ市は2024年までにディーゼル車を禁止すると発表」した。とはいえ、ディーゼル車は安いから移動手段として乗っているだけの人も多く、ギリギリの生活で暮らしている人はエコな車に乗り換えるお金などないだろう。

もうひとつの大きな要因は薪ストーブと言われている。フランスの地方や東ヨーロッパでは暖房にこれを利用している割合が高い。調査によると、「欧州全体で発生するPM2.5のうち半分以上が薪ストーブ由来」らしい。

ほかにも原因はいろいろあるし、大気だけでなく、海や川もゴミで汚染され、水や土、農薬、放射能等、あげたらキリがないが、ここ数年顕著に誰の皮膚感覚にも等しく訴えてくるのは、気温の上昇ではないか。夏の尋常でない暑さだ。死にそうに暑い。暑すぎて何もやる気が起こらない。(←私だけじゃないだろう)。いや東京や日本だけではない。世界中そうだから。温暖化、それに異常気象!巨大な台風や干ばつや洪水が多すぎないか。海面下に沈む島、砂漠化する土地…。

そうした気候変動については、もうず~っと前から警告を受けてきたのに、環境に関する国際会議なんて何十何百と開かれてきたのに、な~んにも変わっていない。

もう大人に頼ってなんかいられない。経済発展のことしか頭にない大人たち、言い訳ばかりして危機に向き合わない大人たちを相手にしていても始まらない。若者が世界で同時に声を上げ、抗議行動に出たのが昨日3月15日金曜日だった。

 

15歳の少女が蒔いた種「未来のための金曜日」

なぜ金曜日かといえば、ご存じのかたも多いと思うが、スウェーデンの15歳の少女、グレタ・トゥーンベリさんが去年たった一人で国会前で始めたアクションに由来する。グレタは、スウェーデン政府がパリ協定(気温上昇1.5℃未満に抑えるなど)に沿った対策をやるまで、金曜は学校を休んで気候ストライキをすると決めたのだ。

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写真:スウェーデン紙 Malena Ernman försvarar Greta Thunberg | Aftonbladet

異常気象はスウェーデンも例外ではなかった。北欧と聞けば北海道みたいに涼しくて快適なのでは、と思うかもしれない。しかし去年は熱波に見舞われ、山火事も起きたそうだ。グレタは8歳の時から環境問題に興味を持ち、勉強している。知識が増えれば増えるほど恐ろしくなってくる。大人はいつも子どものことを考えていると言いながら、口先だけ。壊れそうな地球環境問題に無策だ。未来を生きるのは子どもたち、若者なのに。すぐに行動を起こさないともう時間がない。そう思ったのだ。

国会議事堂前で一人で座り込みをするまでに、紆余曲折あったのだが、現在では金曜日の授業をボイコットすることへの理解と支持は広がっている。研究者や環境団体、大学教授、メルケル首相やベルギー国王も支持を表明した。さらに昨日の英ガーディアン紙によると、ノーベル平和賞にノミネートされたそうだ。Greta Thunberg nominated for Nobel peace prize | Environment | The Guardian

グレタの行動に各国の若者がすぐに反応し、連帯の意を表した。特にベルギーは最も早く、1月に初回ですでに1万人以上の中高校生の抗議活動を決行。1月最後の日曜には、ベルギー全土で10万人、フランスでも8万人が参加する大規模行進に発展した。

その後、毎金曜日に抗議活動があり、グレタもベルギーやフランスを訪れ、同世代の仲間たちと集い、意見交換をし、一緒にマーチに参加した。

またそれ以前にグレタは、国連会議COP24やダボス会議にも招かれ、スピーチをおこなってきた。すばらしく胸をうつスピーチである。ネット上で全部聞けるし、日本語訳でも読める。(TEDもあった)

 

東京と京都で「未来のための金曜日」

東京は午後2時国連大学前に集合。初めに学生や子どもたちのスピーチがあり、3時にマーチ開始。

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若者たちは、自分の訴えたいことを厚紙に書いてきてくれた。

 

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コースは前回記事#国際女性デーのときと同じ。

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コース FridaysForFutureJapan ‏ @FridaysFutureJP

若者中心のマーチであるから私は歩道の方を行き、一緒にコールしたり時々写真を撮ったりすることにした。高い位置から撮った写真は木に登った…んじゃなくて歩道橋の上から。

この日の運動はグレタのツイートによると

125か国、2000カ所以上、参加者百万人もの規模だったそう。 

NHKニュース

 朝日新聞朝刊3月16日

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最後に環境を考える際、いつも思い出す言葉がこちら。

 自然は祖先から譲り受けたものではなく、

未来の世代から借りているのです。

ネイティブアメリカンの言葉より)

https://www.wallquotes.com/sites/default/files/insp0166-01_1.png

謙虚でなくてはなりません。 

ではまた~!

 

追記:3月19日

www.youtube.com

www.japantimes.co.jp

 追記:

 

女性が24時間仕事も家事もしなかったら? #国際女性デー2019

先日8日は国際女性デー(International Women's Day)だった。

まずはぶっ飛びのジョー・ペリーのツイートから見ておくれ!

#国際女性デーだが、ジョーは妻ビリーのご自慢?いや、ど迫力の椅子の方を見せたかった?

3月8日は、女性が権利と平等を訴える日である。とはいえ各国で少しずつ違いは見られ、政治色が全くない国もけっこうあるようだ。イタリアではミモザを贈る日であるらしく、twitterを見ると上司からミモザのブーケをもらったよ、と呟いている人もいらした。それもいいな。

東京では、差別や暴力のない社会を作ろう、社会を変えていこうと皆で訴えるために、ウィメンズマーチが行われた。それについては記事後半で。

東京新聞の6日朝刊に載っていた斎藤美奈子さんのコラムがよい。「デモには参加できなくても、仕事や家事を少しサボってみる。そんな抗議や連帯の方法もあるかも。」

女性が一日24時間、仕事も家事もしなかったらどうなるか。みなさん、考えたことある?

女性が止まれば世界は止まる

そのことを身をもって示してくれたのがスペインの女性たちである。去年の#国際女性デーで話題をさらった。女性たちのゼネストは世界の主要メディアに大きく取り上げられ、世界中から惜しみなく拍手が送られた。

エル・パイス紙(El País)から写真を借りてこよう。

https://elpais.com/elpais/2018/03/08/album/1520530110_838725.html

https://ep00.epimg.net/elpais/imagenes/2018/03/08/album/1520530110_838725_1520536386_album_normal.jpg

https://ep00.epimg.net/elpais/imagenes/2018/03/08/album/1520503045_092058_1520520938_album_normal.jpg

スペインの、マドリッド、バルセロナ、セビリア、ビルバオなど各地で女性が街路に繰り出し、その数500万人以上ということだった。

会社や議会には男性だけが取り残されている。

https://ep00.epimg.net/elpais/imagenes/2018/03/08/album/1520503045_092058_1520503666_album_normal.jpg

エル・パイス紙も編集部の空き席だらけの写真を載せ、女性がいないとまるで仕事にならないと書いていた。交通機関、特に飛行機の便にも影響が出た。

女性たちの連帯もすごいけれど、スペインの男性たちも尊敬に値すると思う。日本ではちょっと無理かな。せいぜい早引けしてデモに行くくらい?

ゆゆしいのはトルコで、共同通信によれば、「黙らない」と連呼する女性のデモに対し、治安部隊は催涙ガスを使って排除しようとしたという。 

https://www.dw.com/image/47830869_303.jpg

Turkey: Riot police fire tear gas at banned women′s day rally | News | DW | 08.03.2019

 ベルギーでは

 KLMオランダ航空 

 IMFと世界銀行のトップは

 

 ウィメンズマーチ東京2019

クラウドファンディングで、目標金額を上回る504,500円の支援‏が集まったそうだ。

国連大学前に集合して、18時に出発、下のコースを歩く。

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https://twitter.com/WomensMarchTYO/status/1097679818429063169/photo/1

https://pbs.twimg.com/media/D1H9sTPUcAADpTH.jpg

集合場所の国連大学前では出発前、みなさんとご挨拶したりおしゃべりしたり、写真を撮ったり…。「そのピンクのニット帽、ご自分で編んだんですか」なんて会話があちこちで聞かれた。私ももちろん編んだ猫耳ピンク帽をかぶっていった。この日、風がすごくつめたくて毛糸の帽子はちょうどよかった。

https://pbs.twimg.com/media/D1H9sTPVYAAN0uo.jpg

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https://pbs.twimg.com/media/D1IglwPU0AAVKhk.jpg

参加者は450人と発表があった。圧倒的に若い人が多く、男性もけっこう来ていたのに驚いた。女友だちと一緒ではなく一人で参加しているのだ。学校帰り、仕事帰りの人たち。また、東京に住んでいる外国人たちがここで待ち合わせてあとでお食事に繰り出す、なんて話もしていた。

高級ブランドの店などが数多く立ち並ぶおしゃれな青山・表参道を大声でコールしながら、北風が冷たかったけれど楽しく練り歩いた。歩道の皆さんから時に熱い拍手や声掛けをいただいた。

そういえば警察の存在はまったく感じなかったな。

毎日新聞 

NHK国際部

 以上、簡単なレポートでした。

 

東京大空襲と3.11、追悼の日々ですね。今も5万人以上の人たちが避難していることを考えると、悲しみと憤りでいっぱいになります。

昨日は私も国会議事堂前の”#0310福島・希望と共に”に参加したんですが、台湾から来てくれた人たち(台灣綠色公民行動聯盟、写真左の三人。うち一人の女性が通訳でした)が「お話聞かせてください」と集まった人たちに声をかけ、インタビューして回っているのが心に残りました。(ここは裏側の庭。奥の方でも別の外国人記者グループが家族連れにインタビューしています)

https://pbs.twimg.com/media/D1Rwj1xU0AIUMRf.jpg

今日はここまで!

 

編み物男子たち第4弾 パンクな編み師ほか &TVで『カメラを止めるな!』『鋼鉄ジーグ』やるよ。 

(おとといに続き、今日も駆け込みで編み物の話題を。冬が終わっちゃった~。急げ急げ!)

羊も飛ぶ三月です。 

編み物男子について書くのはいつもワクワクする。前にもフィンランドスノーボード男子チームの選手らが、オリンピックの氷上で編み物をしていることを紹介した。編み物をすればみんなしあわせに、世界は平和に!(編み物男子②)

11歳のジョナー君が編んだものを売って、自身が出身であるエチオピアの孤児院に寄付する話もした。109歳のおじいちゃんがペンギンのニットを編んでいる話も。これは重油流出で健康被害を被ったペンギンを救うためだったが、手伝いたいと手をあげるボランティアが世界中に増える、というすばらしい効果をもたらした。あのおじいちゃんはどうなさってるだろう。

https://greenz.jp/main/wp-content/uploads/2015/03/pgfoud1.jpg

写真:こちらの記事から借りています→https://greenz.jp/2015/03/19/the_penguin_foundation/

https://images.vdonline.dk/55/2255_606_450_0_0_0_0_2.jpg

Norske strikkeguruer besøger strikke-camp - VD Online - Forside - Korsør

ノルウェーのお二人が毎年企画している、2泊3日の編み物キャンプもいいな。北欧は編み物が伝統的に深く根付いている。

いや日本だって昔、お侍が編み物をしていたと文献にあるらしい。興味のある方はキーワードを入れてググってみてください。

ところで、日本で編み物男子といったらあの人ではないだろうか。あのレジェンド的存在、広瀬光治(1955年‐)さんである。「ニット界の貴公子」と呼ばれ、NHKおしゃれ工房」などで90年代は一世を風靡した。公開講座をやろうものなら各都市の広い会場を毎回、女性でいっぱいにしていたものだ。

しかしこのようなプロの人でなくとも、趣味で楽しんでいる男性は世界中にたくさんいて、現代は自分で発信する時代だから、ネット上で様々な国籍の人たちと知り合えるのが嬉しい。

最近の大発見はこちら、札幌で看護師をしているたかおさんの日傘!(今年1月)

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なんとも凄すぎて言葉が出ない。趣味の領域を完全に超えている。なのにご自身はいたって謙虚。 

それから、編み物中のレニー・クラヴィッツ(Lenny Kravitz1964年₋ ミュージシャン)。カッコいいですね。ニット帽や小物を編んでいるらしい。

www.instagram.com

また、こちらのパンクなお兄さんは、激かわなニット作品を作っている。編み物愛好家の間ではかなり有名な人だと思う。

https://pbs.twimg.com/media/Dxio5G4UcAAJECJ?format=jpg&name=360x360

Vincent the Yarn Punk (@knotbadcrochet) January 22, 2019

「パンクな編み師」と勝手に命名^^ ヴァンサン(Vincent)の最近のツイートをちょっと載せてみる。 他にも手袋やマフラー(ショール)などたくさんある。

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編みぐるみ

ポケモンや” kawaii ”ものが好きなんだって。「可愛い」は2000年に入ったあたりで国際語。編んだ小さな人形やキャラクターのことを編みぐるみという。わざわざここに書くのは、以前マミーさんのブログにお邪魔したときコメント欄に「編みぐるみということばを始めて知りました」というどなたかのコメントがあったので。

ちなみに外国(英語・独語・仏語…)でもそのまんま” Amigurumi”といい、広く使われている。Amigurumi - Wikipedia

もうひとつ、ついでに、日本の手芸用品は品質が良いので大人気。何も「ニッポンスゴイ!」の片棒を担ぐわけではないが、私はよくお土産にしたし、特に70~80年代は通販などなかったから、向こうから「裁縫セットをお願い」と熱く頼まれたりもした。編み棒やかぎ針のほかに、ハサミや単純な縫い針セル待針なども賞賛と羨望の的だった。セル待針がわからないかたのために画像を貼っておきます。https://www.monotaro.com/p/3041/2235/

https://jp.images-monotaro.com/Monotaro3/pi/full/mono30412235-160829-02.jpg

薄地用や厚地用、耐熱などいろいろある。大変丈夫で長持ちする。

 

毛糸のCM動画「七人の編み物をする男たち」

さて、フィンランドといえばムーミンムーミンといえば間もなくテーマパークがオープンするらしいですね。埼玉県飯能市宮沢湖の湖畔に16日開業とのこと。興味のあるかたはこちらで→ #ムーミンバレーパーク hashtag on Twitter

フィンランドといえば毛糸ならNOVITA、優良な毛糸メーカーで、フィンランドだけでなく北欧諸国どこにでも売っているポピュラーな毛糸である。日本でも買える。

そのメーカーがムーミンとコラボするという。今年の初めに入ってきたニュース。今までやってなかったの?とちょっと驚いた。

さっそくメーカーのサイトに行ってみると、楽し気な感じ。

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https://www.moomin.com/en/blog/first-look-at-the-long-awaited-moomin-themed-yarn-collection-by-novita/

そのNOVITA が「七人の侍」ならぬ「七人の兄弟」というタイトルのコマーシャルを作った。youtubeで見られる。1分未満。

www.youtube.com

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着ているニットがどれもいい。もううっとりする。いいCMだ。

七人の男たちは最後は静かな小屋の中で編み物をするのだが、コメント欄を見ると、フィンランド人女性が「ふん、誰も編み物しそうな顔してないわよ。それに私の周りに編み物する男なんか一人もいないからね」と手厳しいことを書いていて笑えた。

見る人の視線をじゅうぶん惹きつけたから成功だね、といったコメントも。

編み物男子はここまで。

最後にテレビで見られる映画の宣伝をしておきます。

まず明日、金曜ロードショーカメラを止めるな!

とにかくおもしろい。コマーシャルが入るのはしかたないですね。お見逃しなく。

私は劇場で2回見ました。SPYBOYさまのレビューはこちら→超満員のお話:映画『カメラを止めるな!』 - 特別な1日

それとまだ見ていないので楽しみにしてた映画、『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグがシネフィルWOWOWでやります。ラッキー!見られる人はどうぞ。

今日 3月07日(木)17:30〜19:45
それと3月16日(土)5:30〜7:45。

www.cinefilwowow.com

こちらもSPYBOYさまが書いてらっしゃる。心のドアを開くお話:映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』と『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』 - 特別な1日

 そしてご自身の「2017年の映画ベスト10」において第2位にランキングされています。楽しみだな♪

ではまた~!

https://pbs.twimg.com/media/Dn9_BgIX0AAKHHB.jpg

https://twitter.com/LionBrandYarn/status/1044693304271622150/photo/1

春めいてきたこの頃 雑感(キーン氏お別れ&編み物の世界) 

こんばんは。

暖かく気持ちの良い季節が戻ってきました。季節は浪士さま(id:akouroushix)も連れて戻ってきました。

何とも不思議な気がしたものです。ちょっと、聞いてくださいます?過去エントリで、浪士さまに言及した記事がすごく読まれているので、「今頃どうしてるかな浪士さまは。竜宮城から早く戻ってほしいな」と思っていたんです。

お初のおめもじなれば・・・( 浪士さまブログ 日本語がおもしろい) 日本語 -1- 

 ドナルド・キーン氏と浪士さま再び(日本語-4-) 追記:

2年以上前の記事が読まれるわけ、それはドナルド・キーン氏が亡くなったからなんですね。記事内でキーン氏や浪士さま、加えてデーブ・スペクター氏や外国人日本語学習者たちの言葉使いを扱っているのですが、10日前、訃報が入るや急にアクセスが増えました。そして記事を読んだ人は「だれ、この浪士という人は?」と思うんでしょう。そして読んだ人はみな浪士さまを気にいってくれたでしょうね^^

いろいろと大変だった浪士さまのご事情はこちらでhttp://akouroushix.hatenablog.jp/entry/2019/03/04/163803

さてキーン氏の訃報を聞いた朝、すぐに自転車を飛ばして赤レンガ図書館へ向かいました。キーン氏が貴重な愛蔵書(和書・洋書あわせて700点以上)を寄贈した北区立中央図書館です。1919年築の赤レンガ倉庫を改築して10年くらい前にオープン。キーン氏もイベントの折などよくいらしてました。

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↑入り口ホール (2月24日)

↓訃報を受けて特設コーナーを。2012年にキーン氏が日本国籍を取得したときの映像を流していた。

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ご自宅はJR駒込駅の近くにあります。以前は時々駅の改札口でお会いしました。普通に切符を買ってお出かけになる。商店街でアイスクリームやお惣菜を買う。大好きな 旧古河庭園の喫茶室でお茶タイム…と、まったく飾らない気さくな方でした。

旧古河庭園は3年くらい前、当ブログにも写真を載せたのでちょっと引っ張ってきます。

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薔薇と銀座 旧古河庭園・奥野ビル 追記:

キーン氏はこの美しい薔薇園が大好きで、ここを見て暮らしたら幸せになれると思ったそうです。庭園を見下ろすマンションの一室が空くのを2年待ち、1974年に引っ越してきました。

朝日新聞2月25日朝刊。優雅なお茶のひととき。

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キーン氏のことならいくらでも書けそうですが、前にも書いていますし、今日はここまで。今頃はあの世で作家・文学者仲間と再会してお喋りしていることでしょう。

 

お詫び

実は皆さま、このところ忙しくてじっくりブログを書く時間がないんです。テーマを決めて、という意味で。それでも切り裂き…じゃなかった、切り抜き魔である私は、よく記事や情報をスクラップしたりメモしたりはします。スクラップは中学1年頃からやっています。

で、先日、大変な失敗をやらかしました💦まあ、ご覧になった人にしかわからないので言わなくてもいいんですけど、スクラップやメモしたものをUPしてしまい、☆までもらってしまいました。気がつかなかったんですよね。もう恥ずかしいったら!穴を掘って入りたいとマジで思い、スコップを探しました。そそっかしいのがバレてますね。え、とっくにだって? 以後気を付けます。

 

編み物 もっと語らせて!

さて、記事後半は編み物の続きを書きたいのです。というのも、冬が過ぎると楽しい編み物&毛糸シーズンも遠ざかるわけで「駆け込みなんとか」って気分ですね。

前回の記事にはたくさんのブクマを頂きました。編み物だけにとどまらず手芸全般はちょっとしたブームです。「女の人が家でチマチマやっている作業」ではもはやありません。アート表現や連帯・コミュニケーションの手段であり、社会変革にもつながっていきます(これについては別の機会に書きます)。

①イノシシ柄に感動したこと。

こちらの作家 矢羽田梨花子(kukka)さん、干支のイノシシ柄を入れています。考えてもみなかった。イノシシは地味過ぎて「絵」になりにくいと思っていたから。

(*すみません、ツイートが消されていました)

②ワンちゃんのセーターを作っている人はけっこう多いこと。

https://i.etsystatic.com/11062773/r/il/7fb5b0/1506892168/il_570xN.1506892168_h2x1.jpg

Italian Greyhound apparelhandmade knitwear-5color | Etsy

③猫だって!飼い主さんとお揃いのセーター。下のも同じ人Kellyさんの作品。

www.instagram.com

Kelly Jensen Sembos on Instagram: “Yokels.” 

 ④ストリートアートのバンクシー「赤い風船と少女」もヤーン・ボンビングという別のストリートアートに形を変える。絵柄はステッチですね。

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⑤可愛いスターウォーズ

https://www.amazon.com/dp/1781574006/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_CEwpCbM98N91A

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/61CurMCmPTL._SY448_BO1,204,203,200_.jpg

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ウィケット

 可愛い💛みんな欲しい~!マミーさ~ん!

今日はこの辺で。続きます。 

 🌸メモ キーンさん関連切り抜き

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2月25日朝刊

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東京新聞

 

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映画『 YARN 人生を彩る糸』かぎ針編みで 世界を優しく包もう。追記:減りゆく羊毛刈り名人

YARN(ヤーン)って英語の単語、知ってる?編み物などに用いる糸のほかに、動詞で「おもしろい冒険談をたっぷりと話す」という意味もあるんだって。知らなかったなあ。「編む」という冒険を世界をまたにかけて楽しんでいる人たちの、とっても素敵なドキュメンタリ(アイスランド映画)を見てきた。

ひとつひとつ丁寧に作られた手しごとへの回帰やクラフト・フェアの活況など、昨今の世界的なクラフト・ブームの中、YARN(糸)を紡ぎ、編み、表現する4組のアーティストが、彩り豊かな糸に人生を見出したパワフルな姿を描いたクラフト・アート・ドキュメンタリーが、編み物が生活に根ざしている国・北欧アイスランドで誕生した。。映画『YARN 人生を彩る糸』オフィシャル・サイト

その前に、こちらの写真をどうぞ。

2016年3月、ブリュッセル連続テロから1週間、恐怖と不安のなか散歩の途中で出会った木。交差点の真ん中に立っている。誰かが毛糸できれいなモチーフを編んでくるんだのだ。(後ろの八百屋さんの、カラフルな果物たちと呼応してさらに美しい)。

これは何かというと、

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ブリュッセル 2016年3月撮影

ヤーン・ボンビング Yarn bombing - Wikipediaというストリートアートの一種で、2007~08年の滞在時にはベルギーでもフランスでも見かけなかったのに、前回はあちらこちらで見かけ、この活動が根を張ってきているのを感じた。

橋の欄干を飾ったり、銅像にニット帽を被せたり。また自分の自転車をまるごとニットでくるんでもよし、社会的なメッセージを込めて建物の壁に貼ってもよし。スプレーのグラフィティと違って(毛糸とはいえ違法ではあるのだが)剥がされたりなどしない。

冬枯れの街に花を添えるアート、家庭の中の、女の人の手から外へ飛び出して人々とつながる温もりのアート。

東京でも去年、六本木ヒルズの有名な蜘蛛「ママン」を、こんなおしゃれなデザインで編みくるんだイベントがあった。

https://bt.cdn.bijutsutecho.com/magazine/14507/main/max1920x1080/DSC_1507.jpg?v=5

写真:六本木ヒルズ、開業15周年。 ルイーズ・ブルジョワの蜘蛛の彫刻 「ママン」が期間限定でカラフルに|MAGAZINE | 美術手帖

「ママン」は彫刻家ルイーズ・ブルジョワの作品である。高さ10メートルのお母さん蜘蛛は、体内に卵20個を孕んでいる。できた当初から評判で、待ち合わせスポットとしても有名だ。このブロンズのオブジェを、繋げたモチーフ(600ピース)ですっぽり包んだのはマグダ・セイエグさんというアーティスト。(マグダさんの写真と、繋いだ部分の拡大を見たい人は記事にあります)

 

「編むことは言葉であり、コミュニケーション」

映画は4人(4組)の個性的なアーティストの情熱、哲学、日々の暮らしを追っている。皆、実に楽しそうなんだな。その喜びが観る者にも感染してくる。

ナレーション:「すべての始まりはもちろん羊と草。

地球は気を揉み、夢を見ながら黙って編み物をする」

というわけで、この風景から始まる。

http://www.yarn-movie.com/assets/images/artist_p_3.jpg

祖母と曽祖母から編み物を習ったというアイスランドティナ。彼女はバルセロナキューバを旅しながらゲリラ的にヤーン・ボンブしていく。

アイスランドの伝統に、旅先で出会った色遣いやモチーフを取り入れている。

http://yarn-movie.com/assets/images/intro_main.jpg

 

オレクは明るい太陽のような人、恐れを知らない行動派でフェミニスト

http://www.yarn-movie.com/assets/images/artist_p_1.jpg

因習的なポーランドを飛び出してアメリカを拠点に活動している。全身着ぐるみニット人間とか、機関車を毛糸で包むという仰天の作品とか…オレクのエネルギーにつられて多くの人が集まってくる。

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https://cdn.shopify.com/s/files/1/0702/0437/files/Blog-yarn-the-movie.jpg?13488326689285088186

 

うってかわってこちらスウェーデンパフォーマー集団「サーカス・シルクール」(Tilde Björfors & Cirkus Cirkör) 

この”Knitting Peace”という作品は白い糸を使った非常に印象的な作品。シンプルながら超絶パフォーマンスに目が離せない。

http://www.yarn-movie.com/assets/images/artist_p_2.jpg

https://artipelag.se/app/uploads/2015/06/knitting-peace_mb-8976_100.jpg

Cirkus Cirkör – Knitting Peace - Artipelag

パフォーマーが言う。「糸はいろいろなものの象徴であり、人生のメタファーだ」。

 

最後に堀内紀子さん (Toshiko Horiuchi MacAdam)。

みなさんもご存じではないだろうか。現在はカナダ在住であるが、箱根の彫刻の森美術館の「ネットの森」が有名で、以前報道でよく紹介された。「ネットの森」は様々な賞に輝いた。2010年こども環境学会賞デザイン賞、2013年第7回キッズデザイン賞など。

HPからお写真をお借りした。

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http://www.hakone-oam.or.jp/kidsfamily/?id=2

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http://www.hakone-oam.or.jp/kidsfamily/?id=2

なんと楽しい遊具だろう。色のカラフルさだけでなく、紐の強度や編み方など、よく計算して作られている。

あの穴から下の層に入ったり出たりできるのだ。丸い玉にまたがって揺らしたり。私も子どもだったらなあと羨ましく思う。

https://i.ytimg.com/vi/6_ZAy3DDYR8/maxresdefault.jpg

かぎ針でネットを編む堀内紀子さん。

堀内さんがおっしゃるに、棒針編みは直線的であるが、かぎ針編みは六角形つまり横にも自在に広がる。なるほどと納得した。

それにしても、映画の中でお話をしている堀内さんご自身にも感銘を受けた。昔、私の周りにもいた凛として古風で聡明な女性のタイプだ。明晰な思考と品のいい話し方に魅せられる。

最初は孤独な(?)テキスタイル・アーティストだったのだが、あるとき展覧会で、自分の作品に飛び乗った子ども(客が連れてきた)を見て、あ、これだと閃いたのだそうだ。自分がこれから目指すアートの形は、人とコミュニケイトすることだと。

こちらは映画の中に出てくるイタリア・ローマのネットの森。

http://www.yarn-movie.com/assets/images/director_main.jpg

映画を作ったのは、 アイスランドの女性でウナ・ローレンツェン監督。また忘れてならないのは、心に沁みるナレーションだ。誰が書いた詩だろうと思っていた。アメリカのベストセラー作家、バーバラ・キングソルヴァーという人だとか。詩のような言葉が映像と呼応して映画をさらに魅力的にしていた。

それから私などはいつも気になるのは配給のこと。どうやってこの映画を見つけてきたんだろうと興味がある。すると ”kinologue”とあったのでピンときた。ムーミン谷だ!ビョークが歌を歌っている劇場版『ムーミン谷の彗星』と同じ会社。なるほど!過去記事→「小惑星が地球に接近」でムーミン谷の彗星を思い出した。劇場版『ムーミン谷の彗星』追記:

 

予告編(↓写真の人魚のひれはオレクの作品)

www.youtube.com

私が行った映画館http://chupki.jpn.org/の入り口。現在かかっている7本の作品を黒板で紹介しています。素敵でしょう。「YARN」のまわり、小花のモチーフで飾っています。

ついでにYARNの下『百年の蔵』も見ました。

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前にSPYBOYさまのレビューを読んで見たいなと思っていたのです。

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映画館の中の天井にも壁にも至る所に飾りがあって、楽しい雰囲気を醸し出していました。

みなさん、ご存知ですか? 

機織りと編み物の素敵なブログPEKO (id:rimikito)さん、去年映画をご覧になって、映画館内外の華やかなお写真(ヤーン・ボンビング)を載せてくださっています。ぜひ!

YARN人生を彩る糸@シアターイメージフォーラム - 日曜織り人PEKOの休日

こちらもご覧ください。ウキウキしますね!

編み機が欲しい@毛糸だ!まつり - 日曜織り人PEKOの休日 

今日はここまでです。またね

 

追記:朝日新聞記事 羊毛刈り 世界でもっともきつい仕事。減りゆく名人。

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ピカソのゲルニカを連想させる 井上有一の書「噫横川国民学校 」 東京大空襲 追記:

前回記事顔真卿(がんしんけい)から 細野晴臣コンサートポスターを思い出した。

こんな地味で簡素なエントリに、まさか1000近くもアクセスがあるとは!思いがけないことがあるものだ。9割以上がSmartNewsTwitterだった。

展覧会について知りたければ、私のよりこちらのすばらしいブログをぜひお薦めします。→東京国立博物館 - 1089ブログ

 

井上有一

前回記事では、亡くなった甥を悼み、憤怒と悲嘆のなかで、泣きながら綴ったんじゃないかと思わせる顔真卿の「祭姪文稿」について書いたが、あれを見て井上有一(1916-1985)を思い出す人は少なからずいると思う。噫横川国民学校 (ああ よこかわこくみんがっこう)のことだ。

https://static1.squarespace.com/static/5508d7d4e4b0bcc6146cb138/t/58be93836a49639029618ce1/1488884704285/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%9C%89%E4%B8%80%E5%B1%95%4021_208.JPG?format=750w

Inoue Yuichi Retrospective, 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa
©︎Yuichi Ihara

井上有一はいわゆる「書家」の枠には収まらない人で、生き様も含めて、日本国内にとどまらず大きな影響を与えた人だ。ひとことで紹介すると、小学校教員で東京大空襲を生きのび、亡くなるまで書と向き合った人…。まあ、こんなことをちょろっと書くことさえ憚られるほどの巨大な人だ。

ただ、大空襲の3月もじきやってくるし、東京のあと空襲は各地を襲い、日本人にとっては忘れてはならぬ悲惨な出来事だから、この機会に改めて井上の書を見るのもいいと思った。それになんといっても、唐に渡った空海王羲之顔真卿の書を学んできて、それが現代に、井上有一に受け継がれているというのも壮大な流れだなと感慨もある。

ところで、去年パリでも 「井上有一 1916-1985 -書の解放-」展

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書と絵画の境界線を超えた前衛書家 井上有一の個展がフランスで開催 | パリを彩る日本文化の祭典 「ジャポニスム2018」

戦後を代表する前衛書家 井上のまとまった作品展ということで、日仏友好160周年記念の一環としてパリで開催され、そのあとアルビ市へ移動。作品や詳しいことは上の記事でどうぞ。 (写真もそちらからお借りしています)

 

crea.bunshun.jp

 パリからアルビ市トゥールーズロートレック美術館 へ。

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井上の略歴はこちらが詳しい→井上有一略歴 — Kami Ya Co.,Ltd.それによると

1958 年ブリュッセル万国博記念「近代美術の50年」展出品。

という記述がある。全然知らなかった。戦後初の万国博覧会だ。

井上は生前、ヨーロッパなど幾つかの都市で個展を開いていた。

そして2016年の中国では、井上の生誕百年を記念して大規模な展覧会があった。

jp.sdchina.com

 

引用

主催者の一人 張健氏:

「17歳の時に井上有一氏の作品に出会って一目ぼれし、現在になってもその思いが消え失せることはなかった。命を削って書き上げられた作品ばかりで、その印象は忘れられない」

作家の王見氏:

紫禁城太廟芸術館で展覧会を開くということは、中国のアーティストによる井上氏への敬意の表れである。井上氏のアートは、オリエンタルな要素と、ビジュアルを強調する欧州のモダニズムを一つに融合しており、欧州や中国にも大きな影響を及ぼしている」と述べた上で、「中国では井上氏を称える声が多い。一方で、井上氏が伝統的な書をどのようにしてモダニズムへと導いてきたのか、このことに対する研究がまだ物足りないように思う」

…といった熱いコメント。また作品展も1995年の天津のあと、中国各地で11回も開催されてきたという。また中国で出版した本(翻訳本)があるのも驚きだった。

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噫横川国民学校(ああ よこかわこくみんがっこう)

横川国民学校は現在もある。墨田区立横川小学校として。スカイツリーのすぐ近くだ。井上はここの教員だった。一時六年生を連れて千葉県へ疎開していたが、東京に戻るよう指令があり、3月3日に生徒を連れ上京した。自宅が被災していたので学校に宿直。

3月10日の未明だった。B29の焼夷弾により、2時間くらいのうちに10万人もの命が奪われた。井上は火消しに奮闘したが、気を失って仮死状態に。校庭に引き出されて人工呼吸で7時間後に息を吹き返した。6年のクラスの生徒8人が犠牲になったことを知る。

戦後も教師を続け、退職してからこのときの体験を書に表すのである。それまでに30年の月日が必要だった。

「噫横川国民学校」(1978年)

http://www.maroon.dti.ne.jp/k3is/ds/aaykokwL.jpg

(↑群馬美術館所蔵。http://www.maroon.dti.ne.jp/k3is/ds/tokyoA.htm

2005年8月16日NHK放送では、緒形拳の朗読があったらしい)

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横川国民学校は、その地域でもっとも頑丈な建造物だったから千人もの住民が避難していたのだ。多くの人が焼死、川に飛び込んで溺死した人たちも。

内容は上で読んでいただければわかると思うが、夜が明けてみると白骨が散らばり、火葬場さながらだったと書いている。一番ショッキングな描写、妊婦の腹が裂け、胎児が露出しているくだりなどは読むに辛すぎる。親子の断末魔の声を一生忘れない、と結ぶ。

「噫横川国民学校」は1995年ニューヨークの展覧会に出品された。「1945年以後の日本美術」というタイトルである。そこを訪れたジェームス・カプラン氏という文芸評論家が、ピカソの「ゲルニカ」を連想させるとコメント。

・書がわからない人間でもぞっとする衝撃を受ける

ゲルニカと同様、モノクロである

・無辜の民が虐殺されたという悲劇の訴求が共通している。

美術評論家 海上雅臣氏の談話より。(上記2005年8月16日NHK放送)。

 

ゲルニカ」が出てくるとは思わなかったが、書からは凄惨さや執念のような強い感情が伝わってくる。怒りも叫びも感じる。つぶやきながら無我夢中で書いた、と何かで読んだことがある。

太い縦線は焦げた材木のようだし、文字は瓦礫、あるいは死体、ちぎれた四肢のように見える。あまりの衝撃に一度見たら絶対に忘れられない作品だ。目を逸らすなと言っているようだ。

 *参考 

NHK 昭和の選択 東京大空襲が生んだ悲劇の傑作「噫横川国民学校」ビデオより

赤が東京下町で炎上・消失したところ。

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https://www.dailymotion.com/video/x5ec6eq

今日は終わります。

 

 

🌸お答えします。

先日の「明朝体の横画がなかったら」に、ひふみん(将棋の加藤 一二三)はどうなるの(ni-runi-runi-ru)という質問がありました。ツイ主さんによりますと、

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https://twitter.com/Yuki_jukjis/status/1034095332336914433/photo/1

三角のちっちゃな山になってしまい、ひふみんらしくて可愛いんじゃないですか。 

ではまた~!

 

追記:おもしろい。シュ・ビン(徐冰)

天書 シュ・ビン(徐冰)

artsandculture.google.com

天書
徐氷1991/1991
『天書』は、作者を一躍有名にした作品である。1989年に中国美術館(北京)で開かれた「中国現代芸術展」で、巻子装の『析世鑑』とともに、広い空間全体を飾るインスタレーションとして発表された。当時の中国においては、その表現形式も斬新であったが、最も耳目を驚かせたのは、実社会では意味をもたない「文字」であった。それらは、一見漢字のようでありながら、『康煕字典』を参考に独自の法則を作り、それに従って漢字の偏や旁を組み替えて一つひとつ設計した「文字」であった。版木に彫られ、伝統的な書物の形に印刷された「文字」は4000にものぼり、4年という歳月と労力をかけて作られている。この作品以降も、作者は漢字とアルファベットを融合した「文字」や、象形文字や絵文字を使った造形など、文字にこだわり続けている。それは、漢字を発明した中国文明脱構築し、現代社会にふさわしい文化の創造を提示する試みだといえよう。

徐氷 - Wikipedia

徐 冰(シュー・ビン、XU Bing、1955年2月8日 - )は中国の芸術家である。重慶生まれ。

中央美術学院(北京)にて版画を専攻、1987年芸術学修士号取得。

独創によって全く意味を成さない偽漢字を数千文字作成し、これを用いた書や印刷物、インスタレーションなどの作品(「天書」)を発表し、大きな反響を呼んで中国の現代美術の旗手となった。その後、ローマ字を組み合わせて一つの英単語から一つの漢字風の文字を作る「新英文書法」のシリーズへと移行している。1999年マッカーサー賞受賞。2003年第14回福岡アジア文化賞芸術・文化賞受賞。2008年より、中央美術学院副院長。 

顔真卿(がんしんけい)から 細野晴臣コンサートポスターを思い出した。(東京国立博物館)展覧会-3- 

書の展覧会に行ったら戦場だった、というお話から。

上野の国立博物館へ、書を見に行った。特別展「顔真卿王羲之を超えた名筆」東京国立博物館 - 展示 日本の考古・特別展(平成館) 特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」

 

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上野は近いのでまず予めチャリで下見に行き、係員のお兄さんに様子を聞く。休日は3時間待ちもあるとのこと。平日の朝9時前ならどうだろうと尋ねると、最初のグループに入れると思うと言ってくれた。実際50人目くらいだったかな。でも開場まで外でじっと並んでいるのは寒くてつらかった。

見たところ、3~4割は中国人で休みを利用して大陸から来た人たちだった。小さな子連れ、小・中学生くらいの子たちもいて、親たちが説明したり感想を言い合っているのをよく聞いていた。若い人たち(たぶん留学生)も多かった。日本人の若い人はあまり見かけなかったが、書道愛好家や漫画『とめはねっ! 鈴里高校書道部』(顔真卿が登場する)ファンの若者たちは、去年盛んにツイートしていたから、週末にでも来るのだろう。期間はたったの6週間と短い。

みなさんのお目当ては顔真卿がんしんけい 709年(景龍3年) - 785年(貞元元年)]の「祭姪文稿」(さいてつぶんこう、758年)。台北国立故宮博物院からやってきたお宝、それも最高峰の文物だ。なんせ約1300年前の紙だから、劣化を恐れ、台湾でも最後の展示は10年以上前という。よくぞ貸してくれたものだ。

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Wikipedia 中国語版

その前に、誰それ、顔真卿?と思うでしょ。教科書にも出てくる書道家、王 羲之(おう ぎし303年 - 361年)なら有名だけど。顔真卿は、私たちが毎日お世話になっている、明朝体*下にちょっとだけ解説のもとの書体を作った人である。・・・とまあ、そのくらいの知識しか私にはなかった。書道は中学まで9年くらいやったが、実は全然うまくもない。

「顔法」で覚えているのは蚕頭燕尾(さんとうえんび)ということば。起筆が蚕の頭で、払うときは燕のしっぽの形になる、というのが子どもの私にとってはおもしろいと思っていた。

国立博物館HPにはこうある。(*抜粋して引用しました)

王羲之の書法は一世を風靡しましたが、安史の乱を境として次第に形骸化します。やがて伝統に束縛されず、自らの情感を率直に発露する機運が高まります。顔真卿はこのような意識の変化を、書の表現に見事に反映させました。・・・

安史の乱を境として興った“情感を発露する書風”は、宋時代の士大夫(したいふ)たちによって受け継がれ、さらに発展しました。書は人間性によって価値づけられるという考えから、顔真卿の書が高く評価され、古人を模倣しない、個性的な書が尊ばれました。・・・(略)

東京国立博物館 - 展示 日本の考古・特別展(平成館) 特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」

 

 祭姪文稿(さいてつぶんこう)とは。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8f/Jizhiwengao_xqf.jpg

顔真卿 - Wikipedia

安史の乱(755年)で玄宗皇帝は亡命。長安安禄山たちに占領された。8年続いた内乱も763年に収束するが,顔真卿従兄の顔杲卿とその子の顔季明を失ってしまう。

哀悼のために書いた草稿が「祭姪文稿」である。書き始めは感情を抑えているが、しだいに怒りと悲嘆をぶちまけて、字は乱れ、上から消して推敲するなどして一気に書き上げている。現代語訳と照らし合わせて読んでみると、悲痛さが伝わり、こちらも胸詰まる思いがする。

6行目あたり:甥っ子の顔季明は、才能に恵まれ、幼いころから立派な人徳を表し、期待されていたのに…。

最後から5行目あたり:最近お前(季明)の兄が再び常山に行き、お前の首を納めた棺を持ち帰った。…憐みの思いで胸が張り裂け、腸が断ち切れ、悲憤にかられる。いつの日かお前が安住できる墓を作ってやりたい。…(続く)

「 祭姪文稿」が幾多の戦火をくぐりぬけ、奇跡的に今、21世紀の東京に来ていることが感慨深い。赤い印鑑がぎっしりと押してあるのにも驚いた。歴代の皇帝や所有者が変わるたびに、蔵書印を次々に押したからである。そして1948年ころ、国民党が大陸から台湾へ持ち込んだということだ。ほかの夥しい数の所蔵品とともに。

 

唯一の撮影コーナーでは、高さ12m✖幅7mという銘文の度肝をぬく大きさに驚愕。

「紀泰山銘」(726年)

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山東省泰山の崖の写真、↓こちらの方が載せてくださっている。

https://pbs.twimg.com/media/DzlgMaoVAAE-Zhj.jpg

コロコロ on Twitter: "#顔真卿 #紀泰山銘 この岩に玄宗皇帝の書。隷書体はこれのこと?文字は金に。この地が大観峰。文字はどうやって彫るの?下書きなく直接という話が!これだけの長さを写し取る紙の強度は?厚さは?繊維の状態は?途中繋いでる?上から叩いて墨を染み込ます。紙が厚いと大変。中国の摺師?の技もすごい!… https://t.co/sZZzVsriYO"

 

とにかく見どころの多い、そして書道に馴染みのない人でも一から学べる大展覧会だった。3時間くらいで切り上げたが、もっとゆっくり時間をかけて見たいコーナーもあった。ビデオも全部見たかった。だが、いかんせん、「立ち止まらないようにお願いします」とせかされるのだ。昼ころには人がぎっしりと数珠つながりになっていた。立ち止まることは許されない状態…。ふ~っ、書を見るのも大変なんだな。

( 特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」はここまで)

 

顔真卿の書体は明朝体のルーツ

私たちが馴染んでいる明朝体。横画が細くて縦画が太い。

横画をもっと細く細くしていくと…。

 これ、おもしろい。横画なくてもわかる。

で、いきなり細野晴臣さんに飛びます。これです。受賞ポスター。

http://www.end-tokyo.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/hosono.jpg

細野晴臣コンサートポスター | THE END

細野晴臣コンサート/ポスター

東京ADC賞2015 入選 東京TDC賞 2016入選 Graphic Design in Japan 2016入選
Atr Direction:赤迫仁 Design:山東隆之

STEREO RECORDS デザイン受賞一覧 | STEREO RECORDS COLUMN SITE

明朝体賛歌で終わります。 またね~!

 

🌸次の記事

cenecio.hatenablog.com

岡上淑子「沈黙の奇蹟」展 報道写真と50年代ファッション 展覧会-2- 

前回岡上淑子フォトコラージュ「沈黙の奇蹟」展 糊とハサミと洋雑誌と。展覧会-1- の続きです。

http://www.thethirdgalleryaya.com/artists/toshiko_okanoue/images/080128.jpg

『天性』1951年 The Third Gallery Aya - Artists 岡上淑子 BIOGRAPHY

 

戦禍と天災

 岡上淑子についてはほとんど前知識なく展覧会に行った。頭部が物に置き換わっている女性がよく登場する。写真のコラージュをする。…この程度の乏しい認識で行った。

彼女の生きた戦時、戦後の日々を考慮に入れなかったから、さっそくガツンと頭を殴られる事になる。1928年生まれだった。私の母よりちょっと年上。多感な時期と楽しい娘時代はみんな戦争に持っていかれた世代。大空襲のあと、がれきと焼野原の渋谷付近を、ひとり自転車をおして友人を探す強烈な体験がある。

前回、瀧口がマックス・エルンストの画集を岡上に見せたところまで書いた。エルンストの『百頭女』に影響を受け、岡上はそれまで単色だった背景(例:上の作品『天性』)に様々な写真を使い始める。

進駐軍の置きみやげのグラフ誌にはおびただしい数の報道写真が載っている。岡上は背景として、戦争で荒廃した町や侵攻する兵士たち、戦闘機や落下傘部隊などの写真を使う。あるいは干ばつで動物の死骸が転がる荒涼とした土地、荒れ狂う海や洪水なども重要なモチーフである。

そこに、イブニングドレスや宝石を身に付けた、西洋人美女たちの優美な肢体を切り貼りする。この相反する要素が緊張感に満ちて同じ空間におさまり、うまくバランスを保っている。

つづけて見ているうちに不思議な快感すら覚える。岡上の独特なセンス、ブラックユーモア、幻想の世界に嵌ってしまうのである。切り刻まれたパーツに深刻な残虐さはなく、メッセージがあるわけでもない。え、そう来る?と奇抜さにニヤリと笑ったり、ああそういう時代だった、と当時の世界情勢を振りかえってみたり、で予期せぬおもしろさが溢れている。

戦後の混乱、復興期、核・水爆実験、大災害など、20世紀の歴史のひと時代がコラージュの中を流れていて、こちら21世紀からのぞき込むと(惨禍を生きた人々には申し訳ないが)新鮮で驚きである。『廃墟の戦慄』という作品の背景は、1948年の福井地震だということだ。その甚大な被害をLIFE誌が大きく報道しているのだ。

コラージュ作品を見に来て歴史を振り返るとは思わなかった。

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『予感』1953年

 

https://www.cinra.net/uploads/img/news/2013/20130710_shuru3_v.jpg

『はるかな旅』1953年

https://www.cinra.net/news/gallery/19531/2

 

「沈黙の奇蹟」

岡上淑子は約7年の間に140点ほどの作品を制作した。今回の展覧会にはヒューストン美術館にある12点も来日した。 制作から半世紀を経て、再評価と称賛に包まれている。展覧会場には外国人のお客さんも多かった。

最先端の50年代ファッション、ディオールバレンシアガのドレスも展示されていて、邸宅(=庭園美術館)の雰囲気にしっくりとマッチしていた。岡上だけじゃなく、私たちだってハリウッド映画に出てくる女優たち、そのファッションに憧れていた。しかし、岡上が洋裁の勉強をしていた時期は圧倒的に物資が不足しており、光沢あるサテン地やチュールレース、襞をたっぷりとった贅沢なドレスは、憧憬や羨望の的だったろう。私はジバンシーのドレスが好きだ。ココ・シャネルもいい。岡上さんは誰のファンだったんだろう。

さて展覧会のタイトル「沈黙の奇蹟」というのはこれです。

私の好きな作品のひとつ。岡上の作品は全体的に「沈黙」よりむしろ「饒舌」だと思うけれど。(解説・コメントはつけません)

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『沈黙の奇蹟』1953年 写真:公式カタログより

写真が見づらくて申し訳ない。

他にも好きなのはいろいろあるが、最後に楽し気な作品をひとつだけ紹介しておこう。

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『陽気なリズム』1952年

椅子、テーブル、帽子や瓶、人間の足、給仕の男性など・・・登場するパーツたちの適正な大きさを見つけてくるのがすごいなと思っている。椅子は壁に影が写っているからあそこに掛かっていたんだろうか。おかしいな。あれこれ考えるのも楽しいし、自分でも何か試してみたくなる。

岡上淑子展はこれで終わります。

 

*『予感』『沈黙の奇蹟』『陽気なリズム』の写真は公式カタログ岡上淑子 フォトコラージュ -沈黙の奇蹟- | 青幻舎 SEIGENSHA Art Publishing, Inc.よりお借りしました。

この青幻舎の作ったすばらしいカタログに感激!苦心のようすがTwitterに見えるので貼っておきます。 

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🌸チラシ

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ではまた~。次回は毛色の変わった展覧会を紹介します。

 

追記:こちらのかたの記事、充実しています。ぜひ!

casabrutus.com