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2016年12月12日
『キツネ』という絵本
マミーさんから教えてもらいました。本当に教えてもらえてよかった。自分では絶対にたどり着けなかったから。私の絵本との出会いは幾分受動的ですが、それでいいんだと思っています。
- 作者: マーガレットワイルド,ロンブルックス,Margaret Wild,Ron Brooks,寺岡襄
- 出版社/メーカー: BL出版
- 発売日: 2001/10/01
- メディア: 大型本
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オーストラリアの画家、イラストのRon Brooksにはやられたなあ。ガツンと頭を一発叩かれたような。しかも年末にこの衝撃ですよ。いやあ、参った!
絵も手書きの文字も凄かった。異様な手書きの文字がただ事ではない雰囲気を醸し出し、ザラザラとした気持ちで読み進むことになります。
表と裏の表紙いっぱいの赤いキツネ(上)、こっちをじっと見ている。後ろには荒れ野が広がっていますが、色調が暖色のせいで特に寂しい感じは受けないです。ええ、今のところは…。残念ながらストーリーにはどうしても触れてしまいますね。
おはなしは・・・
https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/originals/3e/d5/ad/3ed5adcb1f712c87040ef2345a90e1ad.png
イヌは、森が焼けてケガをして飛べないカササギを口にくわえ、介抱してやろうとねぐらの洞穴まで運んできます。
カササギは、余計なお世話だ、自分はどうせ飛べない、と言います。
するとイヌは、自分も片目が見えないんだと答えます。
一緒に暮らすうちに互いがかけがえのない存在になっていきます。
カササギはイヌの背中に乗って林や茂みを駆け回ります。カササギはイヌの目になり、イヌはカササギの「羽」になるというわけです。
月日が流れ、冬が過ぎ、春になったころ、一匹のキツネが現れます。カササギは不気味さを感じ取るのですが、イヌは一緒に暮らそうと迎え入れるのでした。
キツネの体、すごいですね。まるで通せん坊するみたいな、暗示めいた描き方でうなりました。
カササギはキツネを警戒し、その目を恐れます。(ここだけ原書のページを借りています)
夜になるとキツネの匂いが洞穴いっぱいに広がります。
怒りと妬みと孤独の匂いが。(訳)
rage, envy, loneliness!
ところがイヌはちっとも危険を感じておらず、カササギの忠告にも耳を貸しません。
キツネはカササギを誘います。自分はイヌより速く走れる、まるで「飛ぶ」みたいに。三度目でカササギは折れてしまい、キツネの背に乗り林を駆け抜け、これこそ飛ぶことだ、と有頂天です。森を抜け、赤い砂漠まで来ました。するとキツネはカササギを振るい落とし、言い放ちます。
これでおまえもイヌも、ひとりぼっちがどういうものか、わかるだろう。
さっきのキツネと肢体が似ていますが、目は冷たく光っています。 カササギは打ち砕かれた思いで、ここで死んでしまいたい気分です。しかしイヌが目覚めたらなんと思うだろう、自分がいないことに気づいたら…。
カササギは立ち上がり、遥か遠くのわがや、洞穴目指して一歩一歩進んでいくのでした。
(終わり)
写真は10周年記念版。
An Illustrated Guide: Fox written by Margaret Wild, illustrated by...
絵本ですからもちろん子供も読みます。子供向けの本ではふつう、人は間違ってもいい、失敗してもやり直せると前向きなメッセージを送るものです。しかし私たち大人は、小さなミスで大切なものを失ってしまうことがある、しかも永久に。人間関係のちょっとしたほころびで悲劇や不幸のどん底に…ということもあるとわかっています。人との関係はとても脆弱で、しばしば悪意やネガティブな力の方が優位にたつことを教わってきました。
キツネは皆がなかよく幸せになるのとは対極の、皆を自分とおなじくらい孤独で寒々とした生活に追いやり、そうすることで嫉妬心を鎮め、満足感や支配する喜びを得るのです。まるでサイコパスですね。
カササギがイヌのもとへたどり着けるか、子供たちと話し合ってみるとおもしろいでしょうね。
本の作者:Ron Brooks
絵本画家、絵本作家、イラストレーター、(オ-ストラリア在住)
https://www.youtube.com/watch?v=bJycrXNsGjs
Margaret Wild (南ア生まれ、オーストラリア在住)
http://www.thelitcentre.org.au/author/margaret-wild
Margaret Wild
↑いろいろなタイプの作品がある。
12月28日 新しい寓話・現代の寓話『キツネ』
あれから2週間がたち、もう一度『キツネ』について考えた。
動物が擬人化されているところは、ちょっと「イソップ物語」や「ラ・フォンテーヌ寓話」を連想させるが、教訓めいたところはない。open endingというのか、読者の解釈の自由に任されているところは大きな特徴だと思う。そして付け加えるなら、happy endingでは全然ない。
絵本であることが大事
Look! A New Exhibition on Illustrated Books — The Wheeler Centre
みなさんのコメントおよび、マミーさんのブログ記事、shellさんの数回にわたる「キツネ考」を読ませていただき、大変参考になった。お礼を言いたい。
これはまず絵本なので、「作家さんにとって、子供向けとか大人向けとか関係なく、ストーリーを最もいい形で表現できる方法が絵本…」という志月さんの指摘から始めるべきだろう。
『キツネ』はタスマニア在住のRon Brooksによって描かれるべき絵本であった。オーストラリアの山火事や荒れ地、自然の過酷さや美しさなど、あの地で生きている者にしか表現できないものがあると思う。
そのうえでBrooksは、作家Margaret Wildのメッセージを受け取り、作品世界を作り出すのであるが、その強烈な個性といったら…。手書きの異様な文字はもちろんのこと、どのページも私たちの目を引き付け、逸らすことを許さないのだ。
色はなんといってもキツネの赤(オレンジというべきか)、そして補色となる美しい青が印象的で、そのあと茶系統や灰色も背景として見事におさまっている。
キツネは肢体の美を誇るかのように、横に縦に大きく長く描かれる。表紙もしかり。(前回の記事の写真参照)。豊かなふさふさの艶やかなファー。完璧な容姿に見惚れるばかりだ。森林火災から逃げのびてきたイヌやカササギと違って、キツネの外見には何一つ「傷」がない。外見には。
「イヌとカササギ」の組み合わせは意外であるが、両方とも身体にハンディキャップを持つという共通項がある。片目イヌと飛べないカササギ。しかし互いに補完し助け合って友情を育み、しあわせな日々を送っていた。お互いがなくてはならない存在であるから、絆も健常の者同士より強いのではないだろうか。
季節は夏から冬へ、そして春が来たころ、キツネが登場する。目をギラギラさせて、赤いファーをまとっている謎めいたキツネ。
ネットで原文を読んでみると
・・・flickers through the trees like a tongue of fire
木々の間から赤い体がチラチラと見え隠れしている。それはまるで火の舌のようだとある。不気味だが美しい比喩だ。重大なドラマが起きることを読者に予感させる。西洋ではキツネのイメージは大変悪く、悪や狡猾の象徴であることが多い。
しかしイヌは警戒もせず温かく受け入れる。ステレオタイプではあるが、犬はここでは疑いを知らぬ「善良」そのものとして描かれる。当初カササギを手厚く介抱してやり、心の傷も癒してやったイヌ。献身や心の優しさは賞賛すべき資質だ。しかし愛する者を守るには、優しさだけではだめなんだということもある。
カササギは危険を察知する敏感さを持っていた。キツネの毒に気づいており、不安になる。
・・・fill the cave a smell of rage and envy and loneliness
洞穴を満たす怒り、妬み、そして孤独。孤独なキツネにとって、イヌとカササギの友情は我慢ならない。見ているだけで腹がたつ。なんで奴らだけ幸せなのだ!
マミーさんが書いている。
キツネの羨望と嫉妬、それゆえの行動。
思わず目をそらせてしまいたくなる情念ですが、これも確かに人間の感情のひとつだと思うと、その悲しさに身が震えます。
焼けるような、あのオーストラリアの野火の如き、燃えるような「羨望と嫉妬」なのである。これを鎮めるにはカササギの最も弱い部分を攻めるしかない。キツネに愛はない。言葉巧みに誘う。自分の手管に自信もあるだろう。
カササギは欲に負けてしまった。イヌの背に乗って走っているとき、こんなのは、飛ぶことじゃない、と思ってしまう。わたしは飛びたいのだ。かつて羽があったときみたいに。残酷ではあるが、みすぼらしい片目イヌと美しい肢体のキツネとを比べてもみただろうか。
イヌを裏切り、友情と幸せの日々を捨てた代償は大きかった。つまりイヌの待つ洞穴に、生きて無事帰れるかわからないほど遠くまで来てしまったからだ。後悔してなんとか贖いたいと思うカササギだが。(open ending)
Jさまはこのように書いている。
他の方も書いていますが、「絵本=子供向けの寓話」・・と言うステレオタイプを一発で打ち砕く、破壊力のある一冊です。
でも、この本を通じて著者の発するメッセージは「子供への問題提起」とは、考えられないでしょうか?
例えば、イジメ。 なぜイジメるのか? イジメられたらどんな思いか? キツネとカササギは、そのメタファーではないでしょうか?
おっしゃる通り、「問題提起」は子供の年齢に応じて、そして私たち大人にも広く投げかけられている。イジメ問題はよい例である。
Jさま、ありがとうございました。
私は何度もこの本を読み返してみて、子供には8歳くらいからが適切かなと思っている。人は心の闇、深いところに潜む悪意を持っているのだ。私たちの心にキツネはいると思う。そのことを子供と率直に話してみたらいいと思う。
この話から学ぶこと
この三角関係にもう一つ「猜疑心」(さしずめイヌの役柄)が加わったら、シェイクスピアの悲劇になるのかもしれない。人間のもつ本質的な感情ー 愛、嫉妬、裏切り、後悔、欲望、猜疑などはドラマのエッセンスであるから。
とはいってもこの話はそんな悲壮やドロドロはなく、最後はわずかだが希望を残している。結局のところ、キツネの話ではなく、カササギの話だった。刺激や新奇なものに心惹かれたカササギ。イヌとの生活に少し退屈してだろうか。仮初めの喜び、それは偽りの喜びだった。大切なもの、イヌとの友情を裏切ってしまった。そしてやっと自分にとって本当に大切なものがわかったのである。高くついたレッスンであるが、私たちはカササギの帰宅を祈り、喜ぶイヌの顔を心に描こう。
著者についてはこちら(英語)
alchetron.com なお、頂いたコメントは下の記事「コメント集」に移してあります。