始めに小さな広場から
シント・ヤンスフリート Sint-Jansvliet 聖ヤン水路広場
日曜市に来て、絵葉書やベルギーの漫画を買ったりした広場だが、この日は花屋が出ているだけで閑散としている。寂しい。
右奥の黄色い建物が、川向うへ渡る歩行者&自転車用トンネルの出入り口。
このトンネルを利用する人と自転車は年になんと700万という。市民は川幅572メートル、深さ30メートルを日々難なく横断し、暮らしているのだ。
スヘルデ川の方から撮った一枚。黄色い建物が川を渡るとトンネルの駅。
関連:
緑広場/フルーンプラーツ Groenplaats
毎日のように通る広場で、またここからバスやトラムに乗る。よく日が当たるのでカフェはたいていテラスのほうが満席、店内はガラガラである。
雨があがり、ぽつぽつ店が出てきた。花屋がここにも1軒。球根や鉢植えが多い。
フルーンプラーツといえばルーベンス像だろう!なんせ中央に立っているのだし、アントウェルペンで一番有名で一番重要な人物だったといってもいいわけだし…。
だが、市が出たりイベントの際などには、テントの影に隠れて姿なんか見えないのだ。
今は違う。晴れ上がった空を背景に鳩を従えて、俺様はここだぞと言っている。
「ルーベンス」はドイツ語読み、オランダ語では「ピーテル・パウル・リュベンス」という発音が近いようだ。1577年生まれ 1640年没。
右、ヒルトンホテルが見える。
カテドラルを背景に。この街の主って感じ?
ルーベンスは画家としてヨーロッパで広く評価され絶大な人気があっただけでなく、7か国語を操る教養人で外交官でもあり、精力的に一人でいくつもの人生を生きた人だった。
ルーベンスとイザベラ・ブラントの肖像。イザベラは最初の奥さんだった。(ウィキペディアから)
アントウェルペンにイタリア風の大邸宅を構え、死ぬまでそこで暮らした。現在はルーベンス博物館(Rubenshuis)で観光客で賑わっている。冬のこの時期でも結構日本人に出会う。邸宅には弟子や協力者とともに製作を行う工房や、コレクションの収蔵室、図書室なども備わっていた。
工房 Het atelier van Rubens © Jelle Vermeersch
http://www.rubenshuis.be/Museum_Rubenshuis_NL
カレル大帝高等学校
名前がかっこいいでしょ。12000人の生徒がいるという。
ええ?と思うのが当たり前で、実はここはキャンパスのひとつ(Campus Groenplaats)で、あと九つキャンパスがあるのだ。1995年にカトリックの13校が統合して生まれたそうだ。フルーンプラーツ駅の真ん前にあるので、いつもたくさんの元気な高校生たちに会う。
市の貸し自転車を運ぶトラックに遭遇。
夕方、市内を巡回して、自転車を集めているのだが、写真に撮れたのはこれが初めて。狭い道をよく上手に曲がれるねえ。
手袋市場(Handschoenmarkt)とネロとパトラッシュの教会
教会に入れるのは午後2時からだが、写真を撮るため、観光客は朝早くに来ている。
太陽が当たり、時計がピカピカ光る。
クリスマスの頃は、こんな風に赤く照明してあって、日が暮れると幻想的だった。ほかの色もあるのかもしれない。
カテドラルは、正式にはOnze-Lieve-Vrouwekathedraal 聖母マリア教会/聖母大聖堂、ただ短く「カテドラル」だけで通じる。アントウェルペンっ子が超自慢にしている。なにしろ123メートルの塔は町のどこからでも見えるから。
日本人にとって重要なのは、ここが『フランダースの犬』 の中で、ネロが見たかった絵が掛けられているところだから。ルーベンスだけでなく多くの絵画や芸術品、調度品があり、美術館さながらである。
この小さな広場には土産物屋も多く、のぞいてみるのも楽しい。
そのうちの一軒、ビール専門店Abbey N°8 Handschoenmarkt 8
「フランダースの犬」のビール&グラスを売っている。
市の観光案内所には韓国語のパンフレットがあった。日本語はなかった。韓国人も「フランダースの犬」のふるさと、ホーボーケン村を訪ねるのかと正直驚いた。
「フランダースの犬」は重要な観光コンテンツということになる。
追記:
2016年12月、このカテドラル前の広場に、あたらしいモニュメントができた!
Zo zal het nieuwe standbeeld van Nello en Patrasche op de Ha... (Antwerpen) - Gazet van Antwerpen
中央のBatist Vermeulenさんの作品。公募から選ばれた作品がこちら。
ネロとパトラッシュに毛布がかかっているようですね。
広場の周辺。
こじんまりとした家並みも可愛らしい。土産物屋や小さなホテルが並ぶ。
次はカテドラルのそばにある井戸(右側)について説明したい。
クイントン・マセイスの井戸 Putkevie Quinten Matsijs(1490年ころ)
当初、市庁舎前にあったが、その後何度も場所を変え、現在のところに落ち着いた。1900年まではちゃんと水がでていたらしい。また伝えられるところによると、1840年のルーベンス没後200年祭の時には、井戸から水ではなく赤ワインが出て、市民にタダでふるまわれたとか。
台座にこう書いてある。「この井戸はクイントン・マセイスが作った。愛は一介の鍛冶屋を一人前の画家へと変えた」と。
マセイスさんには恋人がいたのだが、彼女の父親に、大切な娘を鍛冶屋ごときに嫁がせるわけにはいかん、娘婿は芸術家でなくてはな、と言われた。そこでマセイスさんは一発奮起して立派な画家になり、めでたく結婚したのである。それでマセイスの井戸と呼ばれている。
な・の・に
アントウェルペン市専属写真家のEdmond Fierlantsが1865年に撮影したもの。台座が今のと違う。こちらの台座は四角形だし、文字は入っていない。このことから井戸の製作者はマセイスではないんじゃないかとも言われているらしい。てっぺんの像はローマ戦士のいでたちのブラボー様で、やはり巨人の手を持っている。
「マセイスが作った井戸」でいいんだろうな、と観光客の私は思う。(終わり)
🌸個人メモ
ルーベンスが葬られている教会(残念なことに改修工事中で入れないので、写真だけ)
追記:2019年4月