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北極飛行に必須なサバイバルキット ・アムステルダム羽田間の初フライト

*別ブログの日記を保存しています。 

飛行ルート

ありがたいもので、2016年の今、ヨーロッパは近い。去年、成田からベルギーへの直行便が飛び、これまでのようにオランダやドイツやフランスで乗り換える必要もなくなった。ANAスターウォーズ絵柄の飛行機には乗れなかったが。

昔は北回り、南回りがあった。

北回りといっても、東西冷戦の時代だったから、今のようにロシア上空は飛べず、まずアンカレッジに飛んで燃料を補給してから目的地へ向かう。アンカレッジ経由北極回りだ。1980 年代まではそうだった。

南回りは、3か所くらい経由地があることもあって、乗り継ぎまでに待ち時間が相当あるため、30時間くらいかかることもあった。安くあげるために、複数の飛行機会社のチケットを組み合わせることもよく行われた。懇意にしていた旅行代理店(今でも原宿にある)の人が、職人のごとき組み合わせ技でもって、バンコクやカラチで一泊するという、より疲れないフライトプランを作ってくれたものだ。ホテル代は航空会社持ち、翌日丸一日自由行動に使える、というすばらしいプランのときは感激した。おかげでバンコクで一日半観光もできた。

この南回りは、タフな人、若者向きといってよいだろう。逆にヨーロッパからのバックパッカーも、この南回りを利用して、途中アジアの国々をいくつか巡りながら最終的に日本へ飛んだりしていた。

他には、船とシベリア鉄道でヨーロッパへ入る方法もあった。鉄道だけで1週間だから、つわものでないと厳しいかな。一度、ソ連へ向かう船の中で、日本の女子学生が殺害される事件があった。そんなこともあって、もちろん私は試したことはない。

  

北極ルート初飛行 1958年

 

http://4.bp.blogspot.com/-qUItJOU3kKI/UEehYFrKp9I/AAAAAAAACGk/NUWW2WnsqrE/s1600/2.+Crew+1st+flt+via+Pole.jpg

Left to right: Capt. Snitslaar, Rijpstra, Bik, Groothoff, Welscher, Germann, Ten Hoopen, Galama, Buren and Jansen.

KLM Royal Dutch Airlines Polar Flight Survival Kit - AR15.COM

1958年。画期的なことだった。

北極圏の上を飛ぶなんて、当初はものすごい冒険に感じられたようだ。極寒で未開の地だぞ。もしも不時着陸したらどうする?救援はすぐには来れないな。熊もいるだろ。さあ、対策をしよう!

ということで、航空会社は「サバイバルキット」(またはポーラーキット)なるものを用意した。こちらのかたのブログでどうぞ。

 

http://patmcast.blogspot.pt/2012/09/saved-from-dustbin-11.html

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キットの中には、テント、食料、防寒着、ガスバーナー、サングラス、ロープ、蝋燭などのほかに、特徴的なものとして、ナイフ、猟銃(下)

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シャベル、4人で一緒に入る寝袋(下の写真。互いに温めあうため)、

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雪用のノコギリ(氷を切り出してイグルーを作る)、斧(氷を叩き割る)などが入っていた。

こうしたものを一式、飛行機の中の、狭いキャビンに押し込んでいたのだ。ものすごく場所を取ったことだろう。

結局一度も使われることはなかったみたいで、ホントよかったね。

 

KLM 初飛行

1958年11月1日、KLM(オランダ王国航空会社)のDouglasDC7C機は、約100人の乗客乗員を乗せてオランダから東京へと飛んだ。

写真以外にこの記念すべき日について書かれたものはないのか、というと実はある。

1996年になって見つかった手紙である。

 

書いた人はこちらの人

f:id:cenecio:20160208173436j:plain1963年

ボーマンス氏 Godfried Bomans(Den Haag生まれ1913 – 1971)。

この飛行機で日本に飛び、その様子を手紙に記している。

 ボーマンス氏はオランダでは人気ベストセラー作家だったが、残念ながら邦訳はいまのところない。またテレビタレント&司会者としても、超がつくほどひっぱりだこの有名人だった。日本だったらタモリ黒柳徹子北野武さんたちに匹敵するだろう。しかし本業は文筆家だが。

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マレーネ・ディートリッヒと。1963年(wikipedia

 

KLMはこの記念すべき初フライトに、当時45歳で絶大な人気を誇るボーマンス氏をかり出したのである。10年後にNCRVテレビが映像をまとめたようで、現在DVDで見られるらしい。

隣国ベルギーのオランダ語圏でも有名だった。彼の出るTV番組や旅のレポートシリーズは常に大人気で、「オランダの叔父さん」として慕われ、愛されていたのである。だから1971年に急死したとき、「ケネディ大統領が撃たれた」くらいの衝撃が、オランダ・ベルギー両国に走ったという。

 

手紙の内容はというと。

総勢100人ほどが、飛行機に搭乗。慣れない長距離の移動にみな疲れ切って、着陸したときはフラフラしながら飛行機から降りていった。

すると羽田空港には歓迎のため、ものすごい人数が集まっていてびっくりした。

「ヨーロッパからの北極回り初フライト」ということで、天皇陛下にもお目にかかった。陛下は「Hm Hm」と相槌をうつだけで話はなさらなかった。

そのあと日本料理を食べにいったが、自分では指一本動かさなくてもよかった。だってそばの芸者が、箸で口に入れて全部食べさせてくれるんだから。芸者はそのまま旅館に連れていってもいいと言われたが、ぼくはそんなことしなかったよ。

ざっとこんな感じ。(直訳ではないので)

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http://www.godfriedbomans.nl/voor-kinderen/

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JAPAN - Scott 432 - On 1958 KLM Tokyo To Amsterdam First Polar Flight Cover | eBay

http://i.ebayimg.com/00/s/NTE4WDg1MA==/z/u3MAAOSwhQhY0y2B/$_35.JPG

http://i.ebayimg.com/00/s/NDc3WDgwMA==/z/dFoAAOSwB-1Y0yJS/$_12.JPG

JAPAN - 1958 KLM First Flight Cover - Tokyo To Biak, Dutch New Guinea | eBay

 

愛人 Miriam Güde

さきの手紙は友人や妻ではなく、ミリアム・ギューデという女性にあてたものだった。ミリアムは1947年にボーマンスと知り合う。ミリアム22歳、ボーマンス34歳だ。彼女はイラストや絵を描いていたので、ボーマンスは自著のカバーやイラストをまかせた。ボーマンスが死ぬ前年、つまり1970年までこうした秘密裏の交際は続けられた。

1996年、ボーマンス著作集の第一巻が刊行されようというころ、突然ミリアムが現れて、自分は彼の友人で、彼からの手紙が多数持っていると言ってきたのである。家族や周囲の人はどんなに驚いたことだろう。

その後手紙やはがき類は一冊の本にまとめられたようだ。

ともあれ、ミリアムあての手紙でわかったことは多い。周囲の誰にも言えなかった本音がそこに書かれているからだ。TVのパーソナリティーより自分は本が書きたいんだ、とか…。断るのが苦手なボーマンスはスケジュールに文字通り謀殺されてしまった。

 

 

参考:ボーマンス著「エリック あるいは 小さな昆虫の本」1941年

Erik of het klein insectenboek 

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