あの頃 シルビア・クリステルと…  ヒューホー・クラウス編 続き

 f:id:cenecio:20160219134841p:plain写真はシルビア・クリステル自伝

 

2月の記事「あの頃 ヨーコ・オノと…」の続きになります。

cenecio.hatenablog.com

 

 Hugo Claus (1929 –  2008)

ヒューホー・クラウスを語るのは私には荷が大きすぎるが、できるだけ簡潔にやってみる。

この人はものすごく早熟だった。19歳のとき、”De Metsiers”(メツィエル家の人々、という意味)を発表、「アンファン・テリブルの出現だ」と話題をさらった。

渋澤龍彦の邦訳がある。フランス語からの重訳で、"La Chasse aux canards"というフランス語のタイトルをそのまま訳し、『かも猟』。著者名もフランス語読みで「ユゴー・クラウス」としている。難点はいろいろとあるのだが、ベルギーやクラウスのことをほとんど知らず、しかも重訳であるから、致し方のないことである。

クラウスは、詩も戯曲も小説もたくさん書き、映画監督をやり、絵も描き、CoBrAという前衛芸術運動にも参加していた。私生活では二度の離婚のあと、上記自伝の女性、オランダ人女優のシルビア・クリステル(Sylvia Kristel、1952ー 2012)と同棲し、一児をもうける。

クリステルは「エマニュエル夫人」「プライベート・レッスン」ほか数多くの映画に出演し、一世を風靡した女優だった。(自伝は英語・フランス語で同時出版。クラウス研究の資料でもある。私はj上記の英語版を買った)

 

Het verdriet van België

クラウスの代表作といえば  Het verdriet van België (1983)『ベルギーのかなしみ』である。7年もの歳月を費やして書き上げたという、自伝的要素の濃い作品である。700ページの長編にもかかわらず、たちまちベストセラーになり、20近い言語(ブルガリア語やギリシャ語、中国語に至るまで)に翻訳された。邦訳はまだない。

時代は第二次大戦の直前、1939年から始まる。11歳のルイ少年の眼を通して物語が進む。そして少年が成長し、小説家になる(1948年)までが描かれる。ビルドゥングスロマンであり、戦争小説であり、家族のサーガであり、またコラボ(対独協力)、フランダース民族主義、ベルギーの歴史、カトリック教会など様々な素材を扱っている。

この作品以降、クラウスは幾度となくノーベル文学賞の候補に上がり、オランダ語文学で初の受賞者(*)になるだろうと誰もが期待した。

1994年には、オランダのNRC Handelsblad紙の文芸主幹が、スウェーデンの信頼できる筋から「最終の二人に残った」ことを聞きつけ、いよいよだと期待が高まり、万全の手筈を整えて発表のときを待った。しかし受賞はならず。その年受賞したのは大江健三郎だった。

「ベルギーのかなしみ」を書いた理由としてクラウスは、「二人の息子に、自分の少年時代のことを知ってもらうため」と述べている。二人の息子とは、シルビアとの子、Arthur Kristel 、そしてその後結婚して生まれたThomas Clausである。

*注:いまだにオランダ語で著作をした作家のノーベル賞受賞はない。ベルギーには文学賞受賞者がひとりいる。あの「青い鳥」で有名なメーテルリンク (1862 - 1949)である。しかし彼はフランダース出身でありながら、フランス語で執筆し、晩年はフランスに住んだ。当時ベルギーの公用語はフランス語だった。

 

f:id:cenecio:20160219150640j:plainシルビアとクラウス

 

参考までに「ベルギーのかなしみ」DVDのジャケットはこんな感じ。

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安楽死を選ぶ

2008年3月20日、ベルギーの駅や空港のキオスクに並んだ新聞の一面は、すべて同じ男の顔だった。フランス語、オランダ語、英語(経済紙を除いて)の全紙が、クラウスの安楽死を伝え、突然の別れを惜しんでいた。

(当日のオランダの新聞 フォルクスクラント紙。1面と3ページめ。写真に撮って保存しておいてよかった!

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クラウスは前の晩3月19日(8年前の今日)、安楽死を選び、アントウェルペンの病院で亡くなった。78歳。その安楽死という方法に人々は衝撃を受けた。しかし、アルツハイマーにおかされていたクラウスは、意識のはっきりしている僅かな時間を利用して、親しい友人や編集者たちを自宅に招き、一緒に食事をとり、別れを告げるという、人生の幕引き計画を粛々と進めていたのである。シルビア・クリステルは翌日のベルギーの新聞で、インタビューにこたえ、そのことを明かしている。

 

追悼の記事の中に「男は皆、あなたに憧れ、あなたに嫉妬した」というものがある。クラウスは常にスポットライトを浴び、女性に囲まれ、華やかな話題を振りまいていたからだ。
また”dandy playboy”、 “Paus Claus”(「法王クラウス」)、「ローマ皇帝」(風貌から)など、様々な呼称がついた。

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前首相で友人でもあるギイ・フルホフスタット(写真左)も、いち早く胸を打つ追悼文を書き、翌日の新聞に掲載された。(あまりに美しい文章だったので、賞賛の嵐だった)

フルホフスタットはこう言う。

クラウスの代表作「ベルギーのかなしみ」は鏡である。クラウスは情け容赦なく、ベルギー人の真の姿や宿命を鮮やかに写しだしてみせた。またクラウスは博覧強記で、出来事や人の名前 、それもボクサーから俳優に至るまで、自由自在に引き出せたし、モンテーニュを引用したかと思うと、アポリネールの詩を朗々とそらんじてみせる、といった類まれな才能の持ち主であった。それが病魔におかされ、ものの五分前のことも思い出せなくなるのだ。小説が無理なら詩を書く。それもかなわなくなると画筆に持ち替えた。いよいよ創作活動が無理だとわかったとき、人生にはもはやなんの意味もなく、それを続けていくのに耐えられなかったのだろう。

f:id:cenecio:20160318170309p:plain葬儀

 

 シルビア・クリステル

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(写真:クラウスとの子供 アルチュールと)

1952年生まれのクリステルは、 2012年に肺がんでなくなった。ヘビースモーカーだったそうだ。2008年9月、フジテレビのSMAPXSMAPに出演したときは、すでにガンはわかっていたのだろう。気品ある、穏やかな物腰の女性で、受け答えの軽妙さから、頭の良さとユーモアが感じられた。

香取慎吾が上半身裸で籐椅子に座り、エマニュエル夫人を気取っているのを見ると、くすっと笑い、「アーティストですね」と言ったときの表情を今でも覚えている。

 

 

ベルギーのかなしみ』と私

2007~08年、ブリュッセルに滞在してオランダ語を習っていたわけだが、帰国するとたちまちにモチベーションが下がった。そして2011年あの震災である。直接のきっかけというわけではないが、いろいろと思うところあって、もう一度まじめにオランダ語に取り組もうという気になった。

ベルギーのかなしみ』は2008年、発売25周年を記念して廉価版が出版されたので、私もすぐは無理だがいずれ読むこともあるだろうと思って購入していた。

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左:2008年版

右:ついでにフランス語訳も入手

700ページだから4カ月くらいかかった。わからないところはフランス語版を参考にした。それでもわからないところは多々あった。

とりあえず最後まで読んで、また初めに戻り、翻訳に挑戦。三分の一くらいのところで年末が近づき、多忙でいったん中断。そのあと訳文は作っていないのだが、このかんに私のオランダ語はかなり進歩したと思う。

 

クラウスの育った町はKortrijkというところである。

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一度行ってみたいのだが、下調べが充分にできていないと思って、自分にゴーサインが出せずにいる。

 

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カフェ「金箔の花」ブリュッセル

クラウスが2度目の結婚をしたとき、友人たちとパーティーをしたところ。

 

 追記:5月21日

 

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Magritte, Hergé, Claus: alle groten hebben iets achtergelaten in het Goudblommeke | DM Magazine | De Morgen