自分の首を持っているのは聖ディオニュシウス、普通「聖(サン)ドニ」と呼ばれている。
この彫像はノートルダム寺院の正面入り口の扉横を飾っている。
うちの子供たちは小さいころ、聖ドニ伝説が大好きだった。サンドニはパリの司教で、殉教し、フランスの守護聖人となった。斬首されたのがモンマルトルの丘(「殉教者の山」というのが本来の名らしい)で、自分の首を拾い上げたあと、説教をしながら歩いていった。ついに力尽きて倒れて死んだ場所に、人々は礼拝所を建てた。それが現在のサン=ドニ大聖堂があるところ。サッカーのスタジアムでも有名だ。(市内から空港に行くとき、電車から巨大なスタジアムが見える)
そのモンマルトルの丘、行ってみよう。帰国する日の、朝の早い時間に行くことにする。約20年ぶりだ!1994年は小学生だった二人の子供も一緒に登った。
さらに遡って1980年代、1年に満たなかったが住んでいたこともあったのでめちゃくちゃ懐かしい。
モンマルトルの丘
もちろんホテルのある北駅から歩く。
昔ながらの売店 いいねえ。
イル・ド・フランス地方で銀賞をもらったというパン屋さんを覗いたりしながら。
ほら、あれ。あそこにのぼる。パリで一番高い丘なんだけど、ちょっと尾道とか小高い所にある神社にのぼる感じかな。
通学通勤の人がたくさん降りていく。坂道も階段もある。
霧がかかっていて見晴らしは悪いけど、仕方がないね。雨でないだけでありがたい。
見えてきた。
ここがサクレ・クール寺院。ロマネスク。ビザンティン様式の寺院で、あのドームにのぼってパリを一望しようと、たくさんの観光客が訪れる。
この横にあるテルトル広場には、その昔たくさんの画家たちが集まって、芸術家村を作っていた。ゴッホやピカソ、ロートレックやモジリアニ…など。
朝早すぎてカフェも開いていないけれど、昼間は似顔絵を描いて商売する人や土産物店をひやかす観光客でいっぱいになる。パリで最も賑わうエリアのひとつだ。
降りるのも坂道を延々と。
歩きたくない人のために、ケーブルカーもあり、メトロと同じ切符で乗れる。
上りと下りがすれ違うところ。
一応地図を見ておこう。時間がなくなって、かつてのアパートを訪ねることはできなかったのだが。
私は丘の裏側に住んでいた。治安もよく閑静な住宅街で、遊びに来た人にみな羨ましがられた。典型的なパリのアパルトマンの屋根裏部屋(最上階のいわゆる女中部屋)なのだが、美しい暖炉(火をおこすのは禁止)、磨きこまれた床、可愛い小花の壁紙、全部気に入っていた。また台所が別になっていたり、シャワーもちゃんとお湯が出たり・・・これで当時3万円くらいだったから、今考えても信じられない。ただし集中暖房はなかったから、小さな電気ストーブを使っていた。
どうやって見つけたかというと、
アメリカ人の友人から引き継いだのだ。彼女は急きょ帰国することになり、物件を探していた私と条件などが合ったからである。
ところが引き継いだのはアパートだけじゃなかった。まず電話代。アメリカの家族や恋人にかけた国際電話料金を丸々踏み倒していったので、私が電話局で事情を説明する羽目に。もちろん私に払う義務はない。「わかりました。アメリカ大使館に問い合わせます」と係りの人は言ったが、アメリカの友人は手紙で「何も来なかったわよ」とのんびり知らせてきた。
それから友人たち。彼女が帰国したあとも、私のアパートに遊びにやってくるのだ。まるで自分のうちみたいな感じで。
グループはふたつあった。パリ大学法学部の学生たちとそのきょうだいや関係者。もうひとつはフリーメイソンのみなさん方だ。学生たちは年が近いから話も合うし、パーティーや食事会や遠出(だれかの別荘や親の城館や乗馬施設に行く)も三回に一回くらい受けて、あとは断ればいいのだが、フリーメイソンの人々には困った。ま、この話は長くなるからいい。
最後にパリのウィンドーの写真を1枚。
サブカルチャーのグッズを扱う店はさすがパリ。ベルギーの比ではなく、たくさんあり、充実していた。(このおじさんがどうしても離れてくれなくて)
追記(4月13日)
実は4人ひと組だったんです。左の王は誰だかわからないそうです。(↓赤字部分、ウィキペディアから)
un roi non identifié et saint Denis décapité, portant sa tête et entouré de deux anges.
ついでに首のついているサンドニ像も西側にあります。
Statue de saint Denis sur le contrefort sud de la façade ouest.
写真はウィキペディアから。
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