ブリュッセルは、ベルギー王国の首都であり、北半分のフランダース地方の首府である。そのブリュッセルの位置はというと、フランダース地方の中に「島」みたいな形で浮かぶ仏・蘭二言語併用地域であるが、実際は85%かそれ以上がフランス語話者である。
しかしフランダース地方の経済の発展につれて、オランダ語が使えると就職にも転職にも有利、ということでオランダ語学習熱が一気に高まった。そのころの移民学校の様子を前回と今回、2回に分けて紹介している。
再び会話カフェ
(写真:学校近くの遊び場)
私にとってこのカフェの魅力は、様々なベルギー人に出会えること。退役軍人やフランダース独立を主張する人や、わけあってベルギーに移住したオランダ人など、普通の生活では出会わない人たち、ごく普通のサラリーマンや失業中の人たち、みんなそれぞれにおもしろい。学校では移民の人たち、カフェではベルギー人オランダ語話者、この二つが私にとっていわば「社会」だったのだ。人間について学ぶかけがえのない場所といっていい。当然のことだが、楽しいばかりではない。参加するテーブルのリーダーがハズレだった時などは。
ある日のリーダーA氏:
「やあ、みんな!僕は2時間かけてフランダース地方の町から来た。隠居後は趣味の生活をおくろうと考えていたが、いや、ボランティアとしてオランダ語の振興に力を貸す方が有意義なんじゃないか、まさに自分の使命じゃないかと、そう思いなおしたんだ」
は~、なんかヤバそうだぞ。さっきからフランダース地方の産業が、教育がいかに優れているか、そんなことばかり喋っている。今日のテーマも無視している。まだ自己紹介すらしていないテーブルのメンバーらは顔を見合わせた。
A氏が一息つくと、メンバーの一人がすかさず「こんにちは」を言い、自己紹介を始めたので安心した。もう2年もブリュッセルで働いているコンゴ出身の女性だ。最後に私の番がきたので簡単に済ませた。
A氏「日本人か?いつも思うんだが、日本人観光客は団体でわっと来て、ガイドの説明はまるで聞かないで写真ばかり撮っているよな。なんで?」
私「あのう、その人たちは確かに日本人なんですか」
A氏「だからガイドに失礼だろって言ってるんだ。ガイドの話をなぜ聞かない」
バスを3台くらい連ねて、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツへと回る中国人のツアーをよく見かけるのでついそう言ってしまったのだが、答えになっていないから機嫌をそこねたようだ。
私「そうですね、写真はうちに帰って家族や友人に見せるため、ですかね。それに時間が限られているとか、あまり歴史に興味がないとか、あるいはもしかしたらガイド以上に詳しいのかもしれませんよ」
なんとかやりすごしたと思った。A氏は、ふん、まあいいといった感じで今日のテーマに入っていった。しかしたいてい一人で喋っていて、こちらの意見も聞かないので、隣の人が私をつつき、早引けしようかしらと囁いた。
やっと終わりの時間が来て、さあ帰ろう、そう思って支度をしていたら、A氏が呼びとめる。
「あんた、まだ質問に答えてないだろう」
「なんの質問ですか」
「日本人はガイドの説明も聞かないでなぜ写真ばかり撮るのか、だよ」
「・・・」
ことばを失くした。社会は学びの場である。
(写真:通学路。高台からこの階段を降りていく)
移民学校の一年
学校では楽しい企画をいくつも用意していた。ディスコパーティー、TV局見学、合唱サークル。夏休み前の修了式は体育館で行い、飲食のテーブルを用意してくれて、そこで成績表を渡す。先生方全員で手作りの紙芝居も披露してくれた。
避難訓練もあり、教師と生徒全員、市当局者も参加して行われる。
シンタクロース(聖ニコラウス)のイベントも欠かせない行事だ。校長先生が扮装しているのはすぐわかった。あんな大男、めったにいないから。校長シンタクロースは休憩時間のあいだ、カフェテリアや教室、廊下を練り歩いて、生徒らに飴やお菓子を配っていった。
*シンタクロース(ウィキペディアから)
14世紀頃から聖ニコラウスの命日の12月6日を「シンタクラース祭」として祝う慣習があった。その後、17世紀アメリカに植民したオランダ人が「サンタクロース」と伝え、サンタクロースの語源になったようだ。
就職のためのオリエンテーションもある。自分に合った仕事はどんなものがあるか、そのためにどんな資格が必要で、どのくらいの時間がかかるかなどを担当者とともに考える。至れり尽くせりで驚いた。とりあえず私も参加したが、いろいろと勉強になった。
試験と進級
最初のレベル1の試験で半数くらいの生徒はつまずく。一回だけ同じレベルをやり直せるが、勉強習慣がなかったり、やる気も中途半端だったりするとそれでも難しいようだ。したがって順調に進んで1年2か月~4カ月(レベル1から6まで)で終了なのだが、はたしてどのくらいの人数、何割の生徒がそこまでたどり着くのか私にはわからない。
試験は聞くこと、話すことに重点が置かれる。書くことはその次に来る。読むことは重要視しない。文法の間違いには目をつぶる。「サバイバルのオランダ語を教えています。すぐ社会に出て働いてもらう人に、細かいニュアンスの違いなど必要ありません」と事務局の人はそう言いきっていた。授業も試験もこの方針に基づいて行われる。
私の受けた最後の試験、2月末(レベル5)について簡単に書いてみよう。
試験1日目
聴解問題から始まる。TV画面に流されるDVDを見て、解答用紙の質問に答える。一問めは実写のおとぎ話。(グリム童話 ルンペルシュティルツヒェン)。話の筋を理解したか、キーワードを聞き取ったか、結末はどうだったか、などの問いが5~6個あって答えを書き入れる。二問めは本物のTVニュースから、カフェの給仕人にインタビュー。…といったぐあいに、シチュエーションも使われる語彙も違ったものをいくつか用意していた。答えは常に「書く」ので、けっこう時間がかかる。
次は作文。
「近所に越してきた新しい隣人が、大音量の音楽や話し声でまわりに迷惑をかけている。自分も困っている」と友達がいう。その友達にアドバイスをするべく手紙を書く。手紙の構成や適切な表現はもちろん、前向きな提案・解決のアイディアも求められる。A4の用紙で1枚半くらい書いたと思う。鉛筆不可、ボールペンのみなので、はじめに箇条書きの構成をメモし、一気に書くのがいいようだ。
(楽しい空き瓶回収ボックス)
試験2日目
話す試験。一問目:教師に渡された話を読み、メモ(5個 以内)をとり、そのあと話のあらましを述べるというもの。全体を網羅していればよい。私はこのとき「ヤギ」というオランダ語を知らなかったのだが、本筋とはたいして関係がなかったのでよかった。
二問目は親しい相手(友人や配偶者)に悪い癖を直してほしいと頼むもの。私が妻、教師が夫役になり、対話をするのだが、勿論そう簡単にうんと言ってくれない。怒らせないようにやり取りして、なんとか約束させる。
三問めはディスカッション。私がくじで引いた紙には「結婚制度は必要か」とあった。私が「必ずしも必要でない」というと、自動的に教師は「必要だ」の側に立つ。理由を述べたり、反論したり、知っている例をあげたり…。そこから派生して「あなたの国でお見合いがあるんだって?」とか「結婚式のあとハネムーンに行ったの?」みたいな個人的なことも興味深そうに聞いてくる。リラックスした雰囲気だ。
私は結婚式を挙げていない。教師「え~っ!ほんとう?」何もそんなに驚かなくても。「はい、書類を書いて出しただけです」
これで試験は終わり。翌日は休みで、翌々日に成績をもらう。
個性的な人たち
クラスメートの中には自己主張の強い人、自己顕示欲の塊のような人もいる。試験が難しいと言って教師を責め立てたり、授業中チーム対抗で問題を解くゲームに負けたからといって地団太踏んで悔しがり、「あんたたち、フランス語でこそこそやってたんだろう。ずるいよ」と言い捨てて出ていったり。
また教室内でお茶会をするときのこと。コンゴ出身の男子(プロのDJ)が「皿を配ったり飲み物をついだりするのは男の仕事じゃないからやらない」という。「ベルギーではまわりに合わせろよ」と他の男子が言ってもだめ。
コンゴ男子「絶対にやらない。卑屈な気分になるんだ」
「あなたはどう思う?」と私に振られた。「うーん、でもまあ嫌だって言うなら仕方ないんじゃないの」
すると「何言ってんの!そんな考えだからいけないのよ!ちゃんと教育してやるべきなのよ!」と女子たち皆に怒られてしまった。
(写真:旧ラジオ局 Maison de la Radio)
私が自分で勉強しているのは教師たちは最初から知っていた。カフェテリアなどで読んでいる本について話したりしていたから。
ある日、教師が「あなたを飛び級で最終クラス(レベル6)に送る」と言ってきた。「事務局のコーディネーターと話をしたの。1月からは授業初日にレベル5、次の日にレベル6のクラスを見学して好きなほうに決めていいわよ。それに3月にはもういないんだもんね」。3月に帰国するから1~2月は最後の学期なのだ。
ところがクラスで教師がそれを発表すると
「意義あり!」
南米出身のMさん(母国で英語教師・通訳)が「なぜ彼女だけヒイキする?私も同じように優秀だ。それに私はベルギー人と結婚していて毎日練習しているよ」
フランスから来た黒人のPちゃん(24歳、法学士)も「そうよ、おかしいでしょ。私だっていい成績だし。私も飛び級したい」
教師はあきれ顔で、二人はまだまだ文法や書く力などやるべきことがたくさんあるし、じっくり取り組んだほうがいいと思う。それに私が一人で決めたんじゃなくて、去年の6月から何度も事務サイドと話し合いをして決めたことだ、と言った。
「日本人ってずるい!」
Mさんが大きな声で言った。しんとなった。ちょっと感情の起伏の激しい人ではあったが、これは何なんだ。もの凄い剣幕で言い放つ。
「あんたなんか、ハンサムな金持ちの夫がいるんでしょ!何不自由ない生活してるんでしょ!」
はあ?この人、頭おかしい。
教師「ご主人に会ったことがあるの?」
私「いいえ、ありませんよ。それに夫はハンサムでも金持ちでもないですっ!」
Mさんは過去の追憶の世界に飛んでしまっていた。カトリックの学校時代、いつも日系のK子がクラスの花だった。裕福な家庭に育ち、学業優秀でしかもかわいい。先生にもヒイキされていた。ホント、ずるいよ。日本人って…。思い出の中に埋没している。
ふーん、そういうわけだったのか。「でも私はK子じゃない。上のクラスへ行って苦労してくるからね」。Mさんはぷんぷん怒りながら帰っていった。
その後レベル5の教師に会って腰を抜かすほど驚いた。150センチくらいのおチビさんなんだが、そのパワーたるや、まだいっぺんも会ったことのないタイプの教師だった。即そのクラスに決めた。それにとどめの一発はこれ。
「わたし、子供のころ一寸法師(いっすんぼうし)に憧れていたの。小さくてカッコイイ。お父さんが紙芝居でよく日本の昔話を読んでくれたの」
は?一寸法師、紙芝居、日本の昔話・・・何者なの、この人!
「移民学校の日々」はこれで終わり。
*自分で設定した例の検定試験ですが、その後合格しました。
下の表、1から5へ難度が上がります。その試験は4でPTHO、現在は名称が変わっています。
Examens
1- Maatschappelijk Informeel ( PTIT)
2- Maatschappelijk Formeel ( PMT)
3- Profiel Professionele Taalvaardigheid
4- Educatief Startbekwaam ( PTHO)
5- Educatief Professioneel ( PAT)
「棺桶」という名前のカフェ。まあいつかは入るのだが、今すすんで入りたいとは思わない^^