リーネケへの手紙

 

アンネ・フランクの家

部屋のかたづけをしていると、昔、小学生の子供たちを連れていったアムステルダムアンネ・フランクの家、つまり博物館になっている隠れ家の見取り図が出てきて、しばし思いにふけった。実物はA3サイズである。

 

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隠れ家は、父親が経営していた店が入る建物の奥に作られ、アンネは家族や親戚とともに、そこに潜んでいたが、戦争の末期、密告によってドイツ側に引き渡されたのだ。あとちょっとだったのに…。密告者の名前も今はわかっているらしい。

唯一収容所から生還した父、オットー・フランクは再婚したが、再婚相手の連れ子だった女性が近年手記を出し、そちらも話題を呼んだ。

 

 リーネケの物語

今日は、やはりユダヤ人の少女だが、家族と離れて幾つかのオランダ人家庭にかくまわれながら、戦争を生きのびたリーネケの話をしたい。戦後、オランダから家族でイスラエルに移住した。

これが本である。というか函で、中には

 

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https://www.amazon.fr/carnets-Lieneke-Jacob-Van-Hoeden/dp/2211086624

タイトル:Les carnets de Lieneke –  2007年11月20日発行
著者:Jacob Van der Hoeden

出版社:L'Ecole des Loisirs

大きさ: 14 x 3,8 x 9 cm

 

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このような刺繍糸で背を簡単にかがった冊子が9冊おさまっており、リーネケ宛ての手紙を綴じたものである。

左下の紫の冊子は、リーネケの手記の形をとり、これを読めば一連の手紙の背景がわかるようになっている。 

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(写真:父からリーネケに宛てた、絵入りの楽しくて可愛い手紙。)

2007年のクリスマスシーズンに、フランスの出版社から「お子さんへの贈り物にピッタリ」という触れ込みで出版された。ブリュッセルの書店で一目で気に入り購入。包装はあちらでどうぞ、と言われ、クリスマスプレゼント用の包装特設コーナーへ。満面笑みの臨時の書店員に「お子さんに贈り物ですか。これを選ぶとは、センスがいいですね」と、どっちも当たっていないのだけど、お愛想を言われてしまった。

この本は児童書で、分類としては「6歳から~」「ユダヤ人」「反ユダヤ主義」「戦争」「20世紀の歴史」「書簡体文学」。

戦争中のリーネケの日々は不安に満ちている。その厳しい時代を生き抜く希望の光だったのがこの父からの手紙で、現在イスラエルのロハメイ・ハゲタオット記念館に展示されている。いち早くフランスが児童書に編んで出版し、2年後にオランダも翻訳・出版した。

オランダ語版も購入したので、本の中身はオランダ語のほうを載せている。

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(写真:http://parfumdelivres.niceboard.com/t2018p270-quand-limaginaire-rencontre-la-realite-index-1er-message

一番小さい子がリーネケ。姉二人、兄一人、そして両親。当時オランダのユトレヒトに暮らし、父ヤープは高名な獣医師で、動物から感染する病気の研究中だった。

リーネケが6歳のとき、第二次世界大戦が勃発。ユダヤ人狩りが進んでいくなか、リーネケはジフテリアに罹り、自宅で臥せっている。そこへナチス軍用車が轟音とともに玄関前にやってくる。家族もろとも収容所へ送られるのか、とおもいきや、ドイツ人はすぐに引き返していった。玄関ドアの ”INFECTIEZIEKTE”(この家には伝染病患者がいます)という札を見たからである。

しかし病気が治れば今度こそ連行される。父は子供たちの安全な潜伏先を、医師仲間やオランダ地下抵抗運動員の家庭や農場に見つけ、各自の偽造身分証を自分で精巧にこしらえ、約束事を確認・復唱させたのち、子供たちを各家庭に預けるのである。

そして自らは抵抗運動へ。病身の妻を気遣いつつ・・・。

 

名前も変え、家族と離れ、非ユダヤ人になる

まず名前:本名Jacqueline van der Hoeden ⇒ Lieneke Versteegに変わる。

Jacquelineの後ろ部分-lineに-ke(小さくて愛らしいものという意味がある)をつけると、いかにもオランダらしい名前になる。Anne→Annekeのように。ちなみにベルギー、フランダース地方も同じ。

これからはLienekeとして生きるのだ。

 

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http://www.lenfantetlashoah.org/wp-content/uploads/2012/10/Livret-dutilisation-des-Carnets-de-Lieneke.pdf

 

 してはいけないこと、言ってはいけないことの注意事項は山ほどあった。姉も別の名前を与えられ、しかも「いとこ」ということに。最初に世話になる家庭では姉も一緒だった。学校では自分は「ユトレヒト出身」ではなく、「アムステルダム出身」と偽らなければならなかった。

近隣のひとたちが疑いを持ち始め、やむなく次のゲストファミリーに移らざるをえなかった。このとき宗教も「カトリック教徒」から「プロテスタント教徒」へと変わる。ユダヤ人の年端もいかない少女にとって、いかほどの負担だったろう。

ゲストファミリーには、ほかにも複数のユダヤ人が身を隠していた。リーネケは学校にいったり外へ出ることもできるし、周囲の大人たちは思いやりのある温かいひとばかりだが、孤独や寂しさ、爆撃音の恐怖に苦しむ日々だった。

 

手紙は読後焼却

 

 そうしたリーネケの心の支えになったのが、父がイラスト入りで書いてくれる定期的な手紙。孤独をやわらげ、明るい気分になるようにユーモアたっぷりの文と絵が散りばめられている、しかもなんという画才!父は絵が得意で画家になりたかったという。

手紙は地下活動家が密かに届けてくれる。しかし手紙を読んだら、ゲストファミリーの主人(やはり医師仲間)に渡すことになっていた。万が一家宅捜索で見つかった場合、リーネケ以外の人間にも害が及ぶかもしれなかったから。手紙は燃やされてしまう。だからリーネケは文と絵を脳裏に焼き付ける。実物がなくなっても心の中に手紙は残るように。

いまその手紙が現存するのは、あの主人が「美しすぎて燃やすのが惜しかった」と思ったからで、庭の林檎の木の根元に箱に入れて埋めておいたのだった。終戦になり、父親がリーネケを迎えに来て、お別れするときに渡してくれた。これが手紙が奇跡的に残ったいきさつである。

 

出版社グッジョブ(Good Job)!

今度は出版という観点から考えてみる。リーネケへの手紙は、イスラエルのロハメイ・ハゲタオット記念館に展示されるようになって、注目を集め始める。父から娘への私信にすぎないはずだ。なぜ展示されたか。それは、戦時ヨーロッパのユダヤ人の生活を知る資料・記録として意義あるものだとされたからである。(日本だったら、戦場からの手紙や空襲・原爆被災者の手記のような扱い)

でも展示ケースに並んでいる便箋を見て、「これを児童書として編んだらどうだろう」と考えた人がいたのが凄いと思う。そして出版社Ecole des Loisirsが、手紙9通分を可愛らしい冊子に仕立て、コフレ(小函)に収めたのである。Ecole des Loisirs社は児童書を中心に手掛ける大手で、我が家にも何冊も絵本がある。

 

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また手紙が描かれた時代背景を、「手記」の形にして、リーネケに語らせる(上記、紫の本)、といっても著者はリーネケ自身ではなく、デサルト(Agnès Desarthe 1966年~)という小説家、翻訳家。聞き書きをもとに、児童向け(対象年齢6歳以上)に書きおろした。

リーネケ本人がこの本を初めて見たときは、どんなに嬉しかっただろうと想像してみる。あの手紙がこんなしゃれた宝箱に入り、外国の子どもたちに届けられるなんて。出版不況などと言われているが、アイディア次第でこんなこともできるのだ。

以来、リーネケは有名になり、本も大好評を博した。2009年になって、オランダでも出版された。(翻訳は紫色の手記だけ。あとは手紙原文がもともと蘭語

 

教育の現場で

学校で教材としてあつかうときの手引書もでている。クラスで話し合いをするために教師が押さえておくべきことや、テーマをいくつも提案している。

・子が親から引き離されたら、子供にはどんな困難が待ち受けるだろうか。

・子供は孤独や恐怖をどう乗り越えたらいいか。

・潜伏生活の困難や危険。

・援助してくれた人々、無名のボランティアはどんな人たちか。どんなに危険なことだったか。自分の良心に恥じない行いをする勇気について。

・名前がいかに大切か。別人に成りすますこととは。本当の私と演じる私。

・文化的アイデンティティの問題。

アンネ・フランクとリーネケを比較してみる。等々・・・

 フランスやオランダの子どもたちは、あの愛らしい手紙を教材に、教師の導きのもと、クラスでの盛んな議論や、子供らしい想像力を膨らませて、あの戦争の時代を疑似体験してみるのだ。なんと豊かな時間だろう。

 

お祝いの手紙(#7)の訳

9冊中の7冊目、途中まで訳してみたが、雰囲気がわかっていただければ幸いだ。

11歳の誕生日を迎えたリーネケ宛ての手紙。(原文の語順をできる限り守っている)

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 このあとまだ続く。

リーネケは成績はオール10で、飛び級をした。父は獣医師だから農家で動物に囲まれて暮らしている。抵抗運動を続けながら。(この時点では)

終戦になり、父は娘を迎えに来るが、家族全員は揃わなかった。母親はもともと病身で、戦争中に必要な治療が受けられず、亡くなっていた。リーネケは家族でイスラエルに移住し、看護婦として働き、今は孫たちに囲まれて幸せに暮らしている。

 

リーネケの別の本

フランスの本とは別に、やはり2007年にイスラエルのTami Shem-Tovというジャーナリスト、文筆家がリーネケにインタビューして書いた本がある。 Letters from Nowhere(下の本)。これを2011年に岩波書店ヘブライ語からの翻訳で出版した。

父さんの手紙はぜんぶおぼえた

こちら、全部の絵入り手紙が複製されている。公立図書館にあると思うので、興味のある方はぜひ!

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オランダ人が書いた詳しい記事(オランダ語

http://jrvanderkolk.nl/files/artikelen%20Lieneke.pdf

                            

花の話題

その1.うちの朝顔です。(6月17日)

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自分で育てていても、「朝顔市」は行きます。うちは「 恐れ入谷の鬼子母神」の入谷(いりや)へ。あと「浅草 ほおずき市」も。 

その2.アンゲロニア セレニータ

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はてなの園芸家さんたちはご存じなのだろうけど、私は初めて教わった花。夏の東京オリンピックで東京都心を埋めるかも。オリンピック委員会は、暑さに強いきれいな花を捜している。そこで専門家がこの花を押しているらしい。猛暑でも30㎝ほどの草姿をくずさずシャキッとしていて、花も色のバリエーションがあるという。今度園芸店で探してみよう。

(終わり)

 

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ギアさまへ。青いアジサイ、珍しいなと思って写真を撮ったのを忘れていました。

あちらでは赤いのが優勢でしたからね。