リーネケへの手紙 (続き)

(前回の記事に続いています)

 

名前も変え、家族と離れ、非ユダヤ人になる

まず名前:本名Jacqueline van der Hoeden ⇒ Lieneke Versteegに変わる。

Jacquelineの後ろ部分-lineに-ke(小さくて愛らしいものという意味がある)をつけると、いかにもオランダらしい名前になる。Anne→Annekeのように。ちなみにベルギー、フランダース地方も同じ。

これからはLienekeとして生きるのだ。

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http://www.lenfantetlashoah.org/wp-content/uploads/2012/10/Livret-dutilisation-des-Carnets-de-Lieneke.pdf

してはいけないこと、言ってはいけないことの注意事項は山ほどあった。姉も別の名前を与えられ、しかも「いとこ」ということに。最初に世話になる家庭では姉も一緒だった。学校では自分は「ユトレヒト出身」ではなく、「アムステルダム出身」と偽らなければならなかった。

近隣のひとたちが疑いを持ち始め、やむなく次のゲストファミリーに移らざるをえなかった。このとき宗教も「カトリック教徒」から「プロテスタント教徒」へと変わる。ユダヤ人の年端もいかない少女にとって、いかほどの負担だったろう。

ゲストファミリーには、ほかにも複数のユダヤ人が身を隠していた。リーネケは学校にいったり外へ出ることもできるし、周囲の大人たちは思いやりのある温かいひとばかりだが、孤独や寂しさ、爆撃音の恐怖に苦しむ日々だった。

 

手紙は読後焼却

そうしたリーネケの心の支えになったのが、父がイラスト入りで書いてくれる定期的な手紙。孤独をやわらげ、明るい気分になるようにユーモアたっぷりの文と絵が散りばめられている、しかもなんという画才!父は絵が得意で画家になりたかったという。

手紙は地下活動家が密かに届けてくれる。しかし手紙を読んだら、ゲストファミリーの主人(やはり医師仲間)に渡すことになっていた。万が一家宅捜索で見つかった場合、リーネケ以外の人間にも害が及ぶかもしれなかったから。手紙は燃やされてしまう。だからリーネケは文と絵を脳裏に焼き付ける。実物がなくなっても心の中に手紙は残るように。

いまその手紙が現存するのは、あの主人が「美しすぎて燃やすのが惜しかった」と思ったからで、庭の林檎の木の根元に箱に入れて埋めておいたのだった。終戦になり、父親がリーネケを迎えに来て、お別れするときに渡してくれた。これが手紙が奇跡的に残ったいきさつである。

 

出版社グッジョブ(Good Job)!

今度は出版という観点から考えてみる。

リーネケへの手紙は、イスラエルのロハメイ・ハゲタオット記念館に展示されるようになって、注目を集め始める。父から娘への私信にすぎないはずだ。なぜ展示されたか。

それは、戦時ヨーロッパのユダヤ人の生活を知る資料・記録として意義あるものだとされたからである。(日本だったら、戦場からの手紙や空襲・原爆被災者の手記のような扱い)

でも展示ケースに並んでいる便箋を見て、「これを児童書として編んだらどうだろう」と考えた人がいたのが凄いと思う。そして出版社Ecole des Loisirsが、手紙9通分を可愛らしい冊子に仕立て、コフレ(小函)に収めたのである。Ecole des Loisirs社は児童書を中心に手掛ける大手で、我が家にも何冊も絵本がある。

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また手紙が描かれた時代背景を、「手記」の形にして、リーネケに語らせる(上記、紫の本)、といっても著者はリーネケ自身ではなく、デサルト(Agnès Desarthe 1966年~)という小説家、翻訳家。聞き書きをもとに、児童向け(対象年齢6歳以上)に書きおろした。

リーネケ本人がこの本を初めて見たときは、どんなに嬉しかっただろうと想像してみる。あの手紙がこんなしゃれた宝箱に入り、外国の子どもたちに届けられるなんて。

出版不況などと言われているが、アイディア次第でこんなこともできるのだ。

以来、リーネケは有名になり、本も大好評を博した。

2009年になって、オランダでも「翻訳」出版された。(翻訳は紫色の手記だけ。あとは手紙原文がもともと蘭語

 

教育の現場で

学校で教材としてあつかうときの手引書もでている。

クラスで話し合いをするために教師が押さえておくべきことや、テーマをいくつも提案している。

・子が親から引き離されたら、子供にはどんな困難が待ち受けるだろうか。

・子供は孤独や恐怖をどう乗り越えたらいいか。

・潜伏生活の困難や危険。

・援助してくれた人々、無名のボランティアはどんな人たちか。どんなに危険なことだったか。自分の良心に恥じない行いをする勇気について。

・名前がいかに大切か。別人に成りすますこととは。本当の私と演じる私。

・文化的アイデンティティの問題。

アンネ・フランクとリーネケを比較してみる。等々・・・

 

フランスやオランダの子どもたちは、あの愛らしい手紙を教材に、教師の導きのもと、クラスでの盛んな議論や、子供らしい想像力を膨らませて、あの戦争の時代を疑似体験してみるのだ。なんと豊かな時間だろう。

 

お祝いの手紙(#7)の訳

9冊中の7冊目、途中まで訳してみたが、雰囲気がわかっていただければ幸いだ。

11歳の誕生日を迎えたリーネケ宛ての手紙。(原文の語順をできる限り守っている)

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 このあとまだ続く。

リーネケは成績はオール10で、飛び級をした。父は獣医師だから農家で動物に囲まれて暮らしている。抵抗運動を続けながら。(この時点では)

 

終戦になり、父は娘を迎えに来るが、家族全員は揃わなかった。母親はもともと病身で、戦争中に必要な治療が受けられず、亡くなっていた。

リーネケは家族でイスラエルに移住し、看護婦として働き、今は孫たちに囲まれて幸せに暮らしている。

 

リーネケの別の本

フランスの本とは別に、やはり2007年にイスラエルのTami Shem-Tovというジャーナリスト、文筆家がリーネケにインタビューして書いた本がある。 Letters from Nowhere(注

これを2011年に岩波書店ヘブライ語からの翻訳で出版した。

父さんの手紙はぜんぶおぼえた

こちら、全部の絵入り手紙が複製されている。公立図書館にあると思うので、興味のある方はぜひ!

 

 

 追記:オランダ語

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オランダ人が書いた詳しい記事(オランダ語

http://jrvanderkolk.nl/files/artikelen%20Lieneke.pdf