ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

恐ろしい事件が続く・子どもたちへの日本語支援取り組み・フランス語になった「ひきこもり」-1-

 暗い七月

月末はいつも、自分なりに気になったニュースをまとめている。しかし今日はパソコンに向かったまま、茫然としてしまう。なぜなら凶悪事件とテロ続きの日々なので、神経が疲弊しているからだ。

そして正直に言おう。悲しいかな、慣れ始めている。

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アントウェルペン 街角のマリア像

まずは相模原市障害者施設の恐ろしい事件。

いつも読んでいるベルギーやオランダの新聞ではトップ扱いで、残忍な理解しがたい事件として報道されていた。しかも今朝になって大島理森衆院議長に宛てた手紙の内容が公開され、仰天し、さらに移送される際の不気味な笑みに衝撃を受けた。肥大した自我、自己愛、歪んだ偏狭な思考や冷徹な実行力・・・何をどう対策したらいいのやら。

 

ひきこもり (ニース)

7月14日の革命記念日のパリ。国中で花火やコンサートや様々なイベントが企画された。この時期は11時近くまで明るいし、学校は休みだし、人によってはバカンスに入っているしで、もっともリラックスした時期である。

南仏の美しい海岸線を持つニースで、あんなテロ事件が起きるとは。花火大会がはねたあとの人の群れをめがけて、「ボーリングのピンを倒すように」「芝でも刈るように」(いずれも現場にいあわせたフランス人の言葉)トラックがつっこんできたのだ。すぐ秋葉原の事件を連想した。ほかのいわゆる「通り魔事件」も思い出した。1人で実行できる、武器もいらないテロ。

翌日NHKのニュースで、インタビューに答えるフランス人青年のことばがショックだった。犯人の近所に住む知り合いの青年がこう言ったのだ。

「あいつはひきこもりだったよ」

フランス人なので”h”は無音化し、(h)ikikomori,「イキコモリ」と発音していた。「人を避け、自分の殻にこもる」程度の意味で使っていたが、「ひきこもり」が普通名詞化しているのはわかった。

個人の絶望が、あるいは精神的な疾患が原因で、破壊・殺戮の衝動に走る。にわかじたての「テロリスト」が増えていくのは恐ろしいことだ。自暴自棄になる人間はいつの時代にもどこの国にもいる。アラブ系の場合、「イスラーム過激派」「宗教」は本人に関係あってもなくても、あとで自動的に被せられる。

そのレッテルを貼るのは被害を受けた側であることも多い。フランスのオランド大統領のように。「フランス全土がテロの脅威にさらされている」と発言し、慎重さが足りないと非難された。IS(イスラム国)もそれに便乗し、「敵」を震え上がらせる目的はまたしても達成されたとほくそ笑むのである。

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年若き銃撃犯 (ミュンヘン

ミュンヘンの事件は痛ましすぎる。犯人は事前にフェイスブックのアカウントを手に入れ、「マクドナルドで値引き」と嘘の情報で人々をおびき出したようだ。動画があるらしいが、怖くて見られない。

そして移民難民の子弟の生活のなんと難しいことか。学業の遅れや学校でのいじめ、教育格差など、日本もそうだが、移民大国ドイツでも同じだし、子供たちの疎外感はもっとずっと大きいのかもしれない。学校には行きたくない。かといって家も生活保護を受けていて貧しいし、たいていインターネットやゲームをする孤独な日々。年若く、精神的に不安定だと、過激な思想や誘いに感化されるのはたやすい。インターネットは危険な入り口になる。

 

ネット配信の日本語教室ーNPO法人青少年自立援助センター

最近読んだ新聞記事でいいなと思ったのは、日本にいる外国ルーツの子どもたちを支援する試みだ。ブラジル人やインド人など、外国籍で日本で働いている人が多く住む地域ではすでにいろいろな活動があり、同じ文化を持った人々が助け合って暮らせる。日本の行政側の支援も厚い。

しかし外国人が少ない地域の子どもは孤立しがちだ。まず親は二人とも遅くまで働いている。おしゃべりしたり勉強を見てもらうこともできない。

文科省の調査では、日本語指導が必要な子供は約37000人(2014年度)。このうち2割が日本語など必要な支援を受けられていない。母国語も日本語も年齢相応に習得できていない「ダブルリミテッド」(double limited )になり、進学や就職がむずかしくなる。

こうした子供たちに、インターネットのシステムを使い、スクールでの授業を中継する。個人で受講してもらうだけでなく、学校や地域団体と連携しよう、という試みである。

ヨーロッパの移民問題をみると、学齢時の言語習得がいかに大切かがわかる。不登校や非行、ひきこもり、家出などを予防するためにも、ことばは重要である。相手を理解し、自分を表現する。視野を広げ、抽象的な思考をする。そういったことも意識的に導いてやる必要があるのだと、外国の事例は教えてくれる。

 

読み聞かせの出前

ブリュッセルでは、大学生のグループが回り持ちで、「移民家庭のこどもたちに絵本や児童書を読み聞かせる会」というのがあった。TVの特集で見ただけなのだが、夕方など自分の住む地域の担当家庭に行って本を読む。たいていきょうだいもいるし、近所の子も集まっていたり、お母さんもいるので、ギャラリーは多い。読む学生さんもちょっと緊張する。でも上手に読んであげると拍手や笑顔といった、かけがえのない笑顔をもらえる。

ここで大切なのは、たとえば「赤ずきん」などグリム童話は、親も子供も初めて聞くお話なのだ。非西洋世界では、西洋の話や小説は読まないのである。子供たちはグリム童話との出会いにびっくりやら、大笑いやら…。ま、グリムはちょっと毒があるから、適切な話を選ぶのだと思うが。

 

*心して読みたい記事

相模原の障害者施設殺傷
尊厳否定「二重の殺人」 全盲・全ろうの東大教授、福島智

毎日新聞2016年7月28日 東京夕刊

http://mainichi.jp/articles/20160728/dde/001/040/075000c

 

*追記2017年5月11日

日本語を母語としない子どもたちを支援する取り組み

www.kodomo-nihongo.com

news.yahoo.co.jp にほんご×こども プロジェクト

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http://www.nihongo-kodomo.net/