ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

エリカ 奇跡のいのち・オランダ人被爆者・私は誰の子? -1-

今年はオリンピック年だし、戦争が終わって71年で、去年の「70周年」的な企画は、テレビでは少ないようだ。去年の夏、私がTVで見た戦争映画はというと、すぐ思い出せるだけで

「日本の一番長い日」(1967年)

ビルマの竪琴」(1956年)

「黒い雨」(1989年)

「少年H](2013年)

「原爆の子」(1952年)など。

ほかにも見たいタイトルが幾つもあったのだが、あの頃はベルギー行きの準備で忙しかったので残念。で今年は放映自体ほとんどない。

公立図書館では、戦争について考える特集が毎年組まれており、新しいタイトルも含めて、各図書館でお手並み拝見というところ。

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エリカ 奇跡のいのち

作: ルース・バンダー・ジー
絵: ロベルト・インノチェンティ
訳: 柳田邦男
出版社: 講談社

発行日: 2004年

2016年の私が読むと、また違った感慨である。

著者はオランダ系だったのか。エリカさんはローテンブルク(ドイツにいるとき何度か訪れて思い出深い町)の人であったか。挿絵画家のインノチェンティはあれから日本ではずいぶん有名になった。インノチェンティ(*)の名前だけでこの絵本が手に取られる確率は高いな、 柳田さんはよい絵本を世に送り出してくれるなあ…など。 

(本書より部分引用)

お母さまは汽車からわたしを線路わきの小さな草むらの上にほうりなげたのでした。すぐちかくのふみきりで、村の人たちが汽車がとおりすぎるのをまっていて、わたしが貨車からなげだされるのを目撃しました。お母さまは、じぶんは「死」にむかいながら、わたしを「生」にむかってなげたのです。

  以前読んだときは衝撃を受けたこのくだりも、2016年の私は、戦争中同じような運命をたどった子供の話が、英語で読めるだけでも10冊近くあることを知っている。

中には、赤ん坊が死んでいると思って、そばにいた人がこっそり窓からほうりなげたり、政治犯強制収容所に送られる女性が、子供だけは生き延びて、と運命を託したり…。いずれの赤ん坊もちゃんと保護され、生きのびたのである。汽車が減速したとき、草むらにふんわりと落とすように親やまわりの人たちが心を砕いたのだろう。

あるいは汽車に乗る直前に、ドイツ人の目が届かないところで村人や警官に預けたり、という例も多く報告されている。そういう話に触れると、悲惨な戦争の最中にも人間らしい行動、勇気ある決断はふつうに行われていて、自分が知らないだけだったのだと思う。

註*インノチェンティの傑作はたくさんあるが、たとえばこれ『ピノキオ』。

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二人の被爆

戦争について考える機会は、日本において2000年ころからめっきり減っているような印象を受ける。まずメディアが取り上げなくなったし、つらい経験をした方々もなくなり、戦争を語れる人の数が減っているからかもしれない。

ところがヨーロッパにいると、日々あちらこちらで戦争の痕跡に出会う。特に2014年からは「第一次世界大戦100周年」も加わり、催しや出版が多い。加えて、恒例の第二次大戦の終戦記念日解放記念日と呼ばれる。ナチスが崩壊した5月)、空襲や激戦地や各国にある収容所の追悼式典など、主だったものはカレンダーでチェックしなければならなかったくらい、ものすごく多い。

アジアだったら、終戦戦勝記念日となり、それは8月15日であるだろう。この時期に、中国や韓国やフィリピンなどアジア諸国にいる日本人は気づまりな、いたたまれないような思いをするのではないかしら。

ヨーロッパだったら、ある時期(5月や8月)はオランダにいると辛いだろう。インドネシアで日本軍の捕虜となったオランダ人の中には、反日感情の強い人も多いからだ。今ではいきなり面と向かっていやなことを言われたりはしないと思うが、少し前は戦争の傷あと、身体の傷およびトラウマを抱えた人はたくさんいた。

日本人だって、戦地から帰った物言わぬ元兵士たちは皆トラウマに苦しめられていたのであるが。

被爆者認定のオランダ人、ショルテさん(92歳)

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www.youtube.com

この方はNOS(オランダ国営放送)と日本のTVニュースでたびたび紹介されてちょっとした有名人である。オランダの小学校でも長崎原爆のことを語ったり、体験を伝えていく活動もしている。

オランダ国の終戦は5月だが、ショルテさんの終戦は8月19日である。なぜならインドネシアで日本軍の捕虜になったあと、1943年長崎の「福岡俘虜収容所第14分所」に移送され、三菱重工長崎造船所で働かされていたから。第14分所には敗戦時、195人いて、うちわけは、オランダ人152人、オーストラリア人24人、イギリス人19人。原爆のあと、日本人の遺体を運ぶのも仕事だった。8月19日になって初めて戦争の終わりを聞かされたのである。

2009年の記事だが、インタビューが載っている。

朝日新聞の紙面から - 広島・長崎の記憶〜被爆者からのメッセージ - 朝日新聞社

 

もう一人の被爆者はこちらの方。

nos.nl

記事が書かれた2016年3月時点で、95歳のブッヘルさん。やはり工場労働の最中に原爆が落ち、意識を失ったという。不思議なことに、焦土を歩いたにもかかわらず、死体を見ていない、と言う。そんなはずはないだろうに、恐らく悲惨な記憶は脳が書き換えをするのだろう。防御メカニズムが働くのかもしれない。

 

架け橋

葉子・ハュス・綿貫さん(読み方:ようこ・ハュス・わたぬき、Yoko Huijs-Watanuki、1959年 生まれ)という日本人女性がさまざまな活動を通して、オランダと日本をつないでいる。日本人や韓国・朝鮮人と同じように、オランダ人も被爆者認定が受けられるよう助力してくれている。

Yokoさんは大分県出身で、もとは青年海外協力隊保健婦隊員だった。現在オランダに住み、二人の娘の母であり、訪問介護・看護の仕事をしながら、著述、翻訳・通訳活動をしている。Yokoさんによれば、原爆投下時に長崎にいた150人のオランダ人のうち、140人は生きのびて帰国したのだが、上に紹介した二人のほかの人たちは亡くなっているらしい。

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Yokoさんはまた、日系2世のオランダ人に対する父親を捜すボランティアを行っている。上記は著書。

 

オランダの日系2世

2014年朝日新聞が連載で特集したので、かなり詳細に状況がつかめた。

オランダの日系2世はー

インドネシアを植民地にしていたオランダの女性と、戦時中の1942年にインドネシアを占領した日本軍の関係者や民間人との間に生まれた。 戦後、連合国の方針で日本人の大半は単身帰国。インドネシアでは独立戦争があり、多くの母子がオランダに引き揚げた。2世は800人とも3000人ともいわれるが、反日感情が強いなか、事実を明かさない母親もいるとされ、実数は不明だ。

様々なケースが写真入りで紹介され、胸をうつ話ばかりだ。二つ紹介する。

ヒロシ・デ・ウィンターさんの話。

”2011年突然「弟がいる」と知らされる。68歳のときだ。母が保管していた父の住所を手掛かりに「弟」にたどりつく。札幌市の待ち合わせ場所に現れた男性(61歳)は、ドッペルゲンガーかというほど、顔のパーツや輪郭、体格、どこをとってもそっくりだったという。父親にも会い、自分の母が大切に保管していた写真を見せる ことができた。”

ロブ・シプケンスさんの話。

”日本人は残酷な悪人、とシプケンスさんもそう考えて暮らしてきた。自分はこの世に存在してはいけない人間なのか。精神のバランスを崩し、働けなくなった。”

転機は09年秋。元捕虜や日系2世を戦争被害者として招く外務省の事業で日本に10日間滞在した。礼儀正しく、自分の生い立ちに熱心に耳を傾けてくれる優しい日本人がいた。「日本人の血を引いたことは恥ではない」。

行く先々で、いつも日本語で話しかけられた。外見が日本人だからだ。「異物」扱いされず、社会に溶け込んでいる感じが心地よかった。

(略)

「たとえどんな悪人だったとしても、父を知りたい。それは自分のルーツだから。自分の半分の錨が、そこにあるのだから」

これまでに40人の父親が判明したが、多くは死亡していたという。戦後70年、いかにも長すぎた。 

 

映画製作

そして昨年2015年には、これをテーマにしたドキュメンタリー映画も上映された。

監督は砂田有紀さん。

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http://www.uplink.co.jp/movie/2015/38732

砂田有紀さん プロフィール
同志社大学卒業後、米系テレビ局に就職。ロータリー奨学生としてロンドン大学修士課程で映像メディアを学ぶ。日英退役軍人の和解を描いた作品でロンドン帝国戦争博物館映画祭ベストドキュメンタリー賞受賞。英国の大学での人種問題を描いたショートフィルムは英国チチェスター国際映画祭で受賞。海外メディアの現地プロデューサーなどを経験。元兵士の取材を重ねる中、7 年前に日系オランダ人の話に出会い、この作品の制作を決意。http://powresearch.jp/news/wp-content/uploads/Childrens-Tears2.pdf

 ここまでです。