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戦争の深き傷あと ・ 両陛下のお志(戦争-2-)

オランダ 日本・日本語 新聞・TV・ニュースまとめ

オランダのべアトリクス前女王は、2013年に生前退位され、今は近所の住民とお茶を飲んだりお喋りしたりの日々だという。

私も天皇陛下に一日も早くのんびりしていただきたいと思っている。美智子さまとともに、軽井沢でテニスや読書、散歩や住民とお茶会などなさったらどうだろう。

陛下はテニスだけじゃなく、卓球も得意だそうだ。パラリンピックに出場する卓球選手と、10分くらいラリーをなさった、それも式典の後だったので、式服のままだったとか。さっきTVを見ていたら、目撃したコメンテーターが興奮気味に話していた。

行事・式典などで東京にいなければならないときは別として、お好きな地方へのんびりご旅行もいいだろう。

これまで陛下ご夫妻は公務などで日本各地を全部まわり、外国にも、特に戦場となった数々の国や土地を訪れ、献花し、祈り、人々と向き合ってお話をされてきた。

こちらの写真

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Akihito, de eerste Japanse keizer zonder goddelijke status | Buitenland | de Volkskrant

2000年5月に4日間の予定で、陛下がオランダ訪問をしたとき、ライデンの街でのこと。ライデン大学の学生たちが窓から顔を出しているところへ歩み寄り、しばし歓談したときのショット。

陛下と美智子さまの気さくなお人柄がわかる。この写真は昨日付けのフォルクスクラント紙に載っていたのだが、王国であり、日本の皇室と関係の深いオランダ・ベルギー両国では、ここ数日、陛下の話題は大変大きく報道されている。おかげで昔の写真も見られるというわけ。

 

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養護施設の少女を抱っこする美智子さま。(2000年5月)

この子は施設の皆と、美智子さまをお迎えする準備をしていたのだが、興奮のあまり、そして待ちきれなくて、疲れて眠ってしまったそうだ。目が覚めたら歓迎会がもう終わっていて、泣いていたところ、美智子さまが抱きしめてくれたという。

まるで聖母マリアだ!

翌日の新聞を飾った写真を見るなり、人々がそうつぶやいたとか。

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アムステルダム 2000年5月23日 

戦没者記念碑に供花され、1分間身じろぎひとつせず、黙とうなさった様子は、オランダ全土に広く報道された。それを見て、ベアトリクス女王は涙したと伝えられている。

 

深い傷跡の残るオランダ

日本軍は1942年に、蘭印(現在のインドネシア)に進攻し、ほぼ全域を制圧した。

ジャワ島内で蘭印軍66,219名を含む、連合軍82,618名を捕虜とした。(内訳は、蘭印軍66,219名、オーストラリア軍4,890名、イギリス軍10,626名、アメリカ軍883名)。

民間人9万人あまりも粗末な施設に抑留した。劣悪な環境や栄養失調や虐待により、多くのオランダ人が命を落とした。2万人を超えると言われている。またオランダ人女性や少女などが強制連行され、慰安婦にされた。

終戦後オランダは、捕虜虐待などの容疑で、多くの日本軍人をBC級戦犯として処罰した。
戦後も、日本からの謝罪・賠償がないまま、反日感情は残った。1971年(昭和46年)に昭和天皇がオランダ訪問した際には街中に「裕仁は犯罪者」という落書きが見られ、卵が投げつけられ、天皇の乗った車のガラスは、投げられた魔法瓶で割れた。日本の首相が来て、植樹をするとすぐに引き抜かれたりした。

1986年、ベアトリクス女王の訪日計画がオランダの国内世論を受けて中止。

1989年、昭和天皇の大喪の礼も、オランダからは王族は葬儀に来なかった。

1991年、来日したベアトリクス女王は、宮中晩餐会で「日本のオランダ人捕虜問題は、お国ではあまり知られていない歴史の一章です」と、この間の事情の一端について触れた。

同年、海部俊樹首相がオランダ訪問した際には、戦没者慰霊碑に捧げた花輪が池に投げ捨てられており、いかに反日感情が根強かったかが窺える。

(ウィキペディアからごく簡単にまとめてみた。詳細は「日蘭関係」参照)

 

そうしてもう一度2000年の写真を見ると、両国サイドがどれだけ修復に努力し、進展があったかがわかる。また大切な点は、王室・皇室とも「国民の象徴である」という立場を常に踏まえ、国民の感情に配慮しながらも、なおかつ互いに本音を言い合うことができる良好な関係だったことだ。これは驚くべきことではないだろうか。

ベアトリクス女王は91年の来日のとき、陛下に事前にスピーチ内容を伝えていたらしい。反日感情を抑えるためにも戦争中の捕虜問題について触れざるをえないのだと。

女王が退位し、息子のウィレム・アレキサンダー国王に変わっても皇室との絆はそのまま保たれた。そのことは2014年の国王来日の際のスピーチでわかる。お母さんと話をし、念入りに準備してきたなと思った。歴史を踏まえつつ、未来を向いた内容であった。

 

日本大使館前のデモ

とはいえ、ことはそう簡単ではない。

日本の大使館は、オランダのハーグという町に所在するが、毎月第二火曜日はデモがある。インドネシアで捕虜だった軍人や民間人、その子孫ら、およそ10万人が登録するグループで、NGO団体「対日道義的債務基金」(JES、またはSJE)という。

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Stichting Japanse Ereschulden

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毎回昼の12:15ころ集まって、13:30までデモをする。

そして、日本に公式謝罪と補償を求める嘆願書を、大使に手渡す。

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60人の証言を集めた本も出ているらしい。

 

こちらが「対日道義的債務基金」会長のワハテンドンク氏。

インドネシア生まれで、4歳のときに抑留された。祖父と父は抵抗運動をしたかどで、拷問の末、殺される。弟は煮えたぎる鍋の中に落ちて死亡。という壮絶な少年時代を過ごした。会員の高齢化がすすみ、亡くなった家族のためを思い、10年くらい前からこの役職についているそうだ。

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後ろには10万人分の資料が並んでいる。

政治家の靖国参拝や歴史修正的発言に心を痛めて、日本政府に過去をきちんと認識してもらいたいと望んでいる。

 

またウィキペディアによると、

2007年(平成19年)にはオランダ議会下院で日本政府に対し「慰安婦」問題で元慰安婦への謝罪と補償などを求める慰安婦問題謝罪要求決議がなされた。2008年(平成20年)に訪日したマキシム・フェルハーヘン外相は、「法的には解決済みだが被害者感情は強く、60年以上たった今も戦争の傷は生々しい。オランダ議会・政府は日本当局に追加的な意思表示を求める」と述べた。

日韓は、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」をうたって、財団が設立されたようだが、今後の進みもかなり気になるところだ。

 

今日はいったん終わります。

次回は、私が元捕虜のオランダ人に手紙を書き、丁寧なお返事をもらった話を書きたいと思います。

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(写真:王立軍事博物館)