ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

文化侵略からオタク文化の受容 -6- マンガの翻訳(日本語→仏語)

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先週はベルギー色の一週間だった。

今年2016年は、日本・ベルギー修好通商航海条約が締結され、日本とベルギーが外交関係を樹立してから150年、という記念すべき年なのだ。それで春から(テロ事件発生にもめげず)数多くの行事が両国で開催されている。

 ベルギーでは8月、ブリュッセルのグランプラス(広場)に、日本をテーマにしたモチーフの花の絨毯が出現。息をのむ美しさなので、ぜひご覧あれ。(下の過去記事)。いつも思うけど、ボランティアの人たち、凄すぎ!

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そんなわけで 人の往来も活発で、12月末までイベントがぎっしり。

先週はまず、国王ご夫妻が訪日された。

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なんと天皇陛下は、日本・ベルギー友好150周年の日本側の名誉総裁になっている。ベルギー側ではフィリップ国王陛下。こういった周年の名誉総裁に天皇陛下が就かれることはあまり例のないことだという。

国王が両陛下と会われるのはもう10回目で、昔から、オランダ・イギリス同様、日本の皇室とは親交が深いのである。

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着いた日、さっそく我が家の近くにある根津神社へ。

境内の中にあるこの千本鳥居だが、乙女稲荷神社という名前で、根津神社末社なのである。お二人とも背が高すぎて頭がつっかえるので、この姿勢のまま鳥居を抜けたようだ。お疲れ様です。

ここから本題に入ります

下の冊子は、フランス語学校のイベント案内である。頁をめくると「150YEARS JAPAN-BELGIUM ベルギー・日本」とあり、二つの企画が記載されている。

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東京は10月12日(水)、大阪は14日(金)。私は大阪の方に参加した。というのも大阪ではこの企画がもう一つの大切なイベントの一部となっているからである。その重要なイベントとは「ベルギー文化の祭典 公益財団法人フランダースセンター40周年記念事業」というものである。

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フランダース地方の文化部、「フランダースセンター」は大阪の地でなんと40年も活動してきた。国ではなく、一地方の文化部がこれほど継続しているのは、実に特筆すべきことである。私も以前お世話になったこともあるので、この機会にお祝いイベントに参加すべく、行ってきた。ベルギー人の漫画家も来るし、kana出版のお偉いさん(Executive general manager)も来てトークをやるという触れ込みだった。

ただ残念なことに、フランダースセンターはさらに活動を拡大するべく、大阪の地に別れを告げ、この2月に東京に移転した。(住所:東京都武蔵野市吉祥寺東町4丁目2―2)

 

ベルギー文化の祭典 第2部日本✖ベルギー「文学・マンガ」 

以下、「マンガ」部分のレポートです。ベルギーからお招きしたのは、こちらのお二人。

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1.マンガ出版社KANA 

マンガ出版社KANAについては以前に何度か書いている。過去記事参照。NARUTOデスノートを出しており、ブリュッセル南駅のすぐそばにある有名な出版社。

cenecio.hatenablog.com

2. KANA出版のクリステルさん(Christel Hoolans)

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マンガ出版社KANAのエグゼクティブ・ジェネラルマネージャーである。現代史の修士号を持ち、1996年入社。2000年よりマンガ、コミック事業の編集部で活躍している。

今回、日本の漫画を翻訳する際に苦心する点、編集の工夫などについて語ってくれた。快活なエネルギッシュな女性で、話したいことがいっぱいあるんだ、という熱い思いがみなぎってかなりの早口で話す。ベルギーのフランス語を聞けて懐かしく思った。

 

3.本の顔:タイトルと表紙デザイン

「例えば 築島治 (ツキシマハル)氏の『私たちには壁がある。』という作品ですけどね」とクリステルさん。「そのまま、私たちの間には壁があります、なんて訳したら変でしょう?ロマンチックな話なんだから。壁ドンの場面もいくつもあるんですよ…」とちょっと照れながら、そばの壁に手をついてみせた。「結局、きみとぼくのあいだ、みたいにしましたね」(主人公は女子かもしれません。私はストーリーを知らないのですみません

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他にもこんなのはどう?と見せてくれたのは、葛西 りいち氏『あしめし』。

「アシスタントでメシが食えんのか?」略して「あしめし」。アシスタント先での事件や日常を赤裸々に毒をもって描いた、自虐的かつ漫画愛あふれる漫画ブログが単行本化! 描き下ろし漫画に加え、漫画業界初(!?)アシスタント通信簿も。さらに、編集者のぼやきコメンタリをそっと収録。

あしめし 葛西りいち - コミック小学館ブックス 公式配信

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これは『漫画家のアシスタントブログ』にしたけどね、とにっこり。

もっと困ったのはこちらの作品。長い題名のものはそのまま訳さずに、別のタイトルに変えたほうがいいという。

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「話の内容から、”Q Mysteries”としました。表紙を変えることもありますね」

 

4.日本語のオノマトペ問題

オノマトペと呼ばれる日本語の擬音語、擬態語、擬声語の圧倒的な多さ、多彩さは、ネイティブじゃな外国人にとって学ぶだけでも大変なのに、それを翻訳しなくてはならない。さらに厄介なのは、日本のマンガではオノマトペが絵の構成の一部であることが多い。

例えばKANA出版が出しているNARUTOで見てみる。 

注:以下の絵は説明の都合上、私がインターネット上から引っ張ってきたものです。クリステルさんが紹介したわけではありません。

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http://mangalecture.free.fr/index.php/image/7987-chapitre-scan-naruto-561-vf-page-05

NARUTOでは このようにカタカナが効果的に使われているので、いじらず、そのままにする。意味はなんとなくわかるし、迫力が伝わる。

 

フランス語の翻訳を併記している例として『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』竜田一人。講談社

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「シュッ」「キュッ」の横にフランス語が入れてある。

 

神々の山嶺』(かみがみのいただき)の場合。

谷口ジロー:作画、夢枕獏:原作の大人気マンガ。谷口ジローは日本よりヨーロッパの方が遥かに評価が高く、「神」扱いされているのだが、その話は別の機会に。

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http://Summit of the Gods | Pluris Magazine

谷口ジロー氏は、すべてのオノマトペをフランス語に書き換えるよう、出版部に頼んだという。

 

5.吹き出しにどうおさめるか

日本語の縦書きテキストを、同じ吹き出しの中に、横書きのフランス語にして入れる。ここでまたひと苦労。翻訳の一単語が長い場合、いくつにも切らないと入らない。その場合は別の表現、単語を捜すそうだ。例としてあげた単語が忘れられない。それは

anticonstitutionnellement

違憲の、憲法違反の、という意味の単語だった。笑いたくなるくらい長いのだが、私たちを笑わせることには成功しなかった(みたい)。

 

6.翻訳者と注釈

翻訳はフランス語が母語の人がいいという。日本語を単に訳しかえるのではなく、細かなニュアンスを汲んで、字数も限られるなかで、読者によりよく伝えるためには、仏語ネイティブの知恵と技が必要なのだ。

また日本の文化・習慣について解説が必要な場合、欄外に短く注を入れるそうだ。マンガをビジネスとしてただ売るのではなく、異文化を正確に伝える、橋渡しをしている、という高き志を感じ、非常に感銘を受けた。

 

7.右開きと左開き

これが一番の問題である。私たちは基本的に縦書きの本を右へ開いて読む。あちらの人は横書きの文章を、左に開いて読む。マンガ出版の初期は、自分たちの文化に合わせて左開きに印刷していた時代があった。その際マンガ原稿を反転させ、絵は裏返しになる。みんな左利き、左手で銃を撃ち、箸を持ち、テニスラケットを振り回すのである。

KANA出版では、オリジナルを尊重し元のマンガと同じように編集している。20年前、マンガ出版部ができた時からの方針だという。(この辺よく理解したか不安)

 オリジナルを尊重する。そこに心打たれる。というのも、引き合いに出すのは適切じゃないかもしれないが、アメリカではアメコミ風に、つまりケバケバしい三色刷りにして日本のマンガを出していたことがあるから。

またアメリカでは、日本の絵本も反転させて印刷することがある。

たとえば酒井駒子さんの『ゆきがやんだら』(学研)

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左: フランス語      右: 英語

がっかりして、言葉もない…。ちなみにオランダ語訳はオリジナルの通りである。

 

8.ヨーロッパ初の漫画家? Moonkey(ムーンキー)

ムーンキーさんはBD作家ではなく、”manga-ka”なんだそう。小さいころBDが大好きで、それを真似て絵を描く少年だった。その後マンガのおもしろさを発見し、日本語の本を売る書店でマンガを買って読んでいた。高校卒業後はブリュッセル王立美術アカデミーへ進学。

日本の漫画家で好きなのは、あだち 充、荒木 伸吾、三浦建太郎久保帯人だという。日本人の友人をたよって日本に短期滞在した。そのとき、幸運にもあだち 充先生に紹介してもらえたそうだ。その滞在で日本の出版社を見学し、マンガの売り出し方を教わった。マンガ家として立つことを決心する。

その後、永井豪のダイナミック企画が所有するブリュッセル支社(現在のDybex S.A)で、イラストレーターとして2年働いた。2005年、PIKA出版社(10月2日のグラフ参照

http://cenecio.hatenablog.com/entry/2016/10/02/170637)の雑誌 ”Shōnen Collection”(少年コレクション)に ”Dys” の連載を始める。雑誌連載から始まり、単行本化へ、という日本のシステムを踏襲する。

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他の作品はPIKA出版のサイトでご覧ください。

またムーンキーさんのfacebookにはアキバ、原宿、新宿、池袋などのおもしろいスナップ写真がいっぱいで、とても楽しめた。

f:id:cenecio:20161019111005j:plainサイン会の様子。

 

9.アニメの威力

最後に、対談や質疑応答の中で、私にとっておもしろかった点について簡単に。

「ベルギーで日本のマンガは人気ありますか」と私たち日本人は聞く。しかしこの問いは意味をなさない。ベルギーは北のフランダース地方ではオランダ語、南のワロン地方ではフランス語を話す。首都ブリュッセルは二言語併用地域である。(ドイツ語の地域はあまりに狭いので触れない)。言語を背景にして文化もかなり違っている。したがってマンガの受容も同じでない。しかもお互いに相手側の事情は知らない、または関心がない。

ベルギーのフランス語話者は、隣国フランスと同言語なので、似たような文化環境で成長する。ムーンキー氏がいうには、小さいころからTVで日本アニメを見て育ち、いわば「刷り込み」が行われ、日本文化には違和感を感じていない。小さいときはアニメ(=受動的な受け入れ)、長じてマンガ(能動的に読みたいもの、ジャンルを選ぶ)に移行し、どっぷりハマる人も出てくる。ともあれ出発点がTVアニメだったこと、改めて確認した。

オランダ語圏ではどうか。質問を受けてクリステルさんは困ったふうだった。たぶん、イギリスで出ている英語訳のマンガを読むんじゃないかしら、と事情に疎いことを明かしている。私の見たところ、それは正しいと思う。

オランダ語圏の子供はまずベルギーやフランスのBDを読む。年長のきょうだいがいたら、DVDや衛星放送のチャンネルで日本アニメを見ることもある。PCが与えられる年齢になれば、無料ダウンロードサイトで見たりするようだ。海賊版も多い。その際、英語字幕なので英語も必死で勉強した、日本語の意味をなんとかわかりたいから、と話してくれた人もいる。DVDを繰り返し見ていると、日本語の音にも次第に慣れていき、日本語に関心を持ったり、声優やそこに流れる歌やバンドグループに憧れたりもする。

マンガもイギリスの出版社の英訳を買って読み、ここでもまた英語の勉強!ドイツや北欧の国々では言語が英語と近く、英語がわかる比率がかなり高い。こうして英語経由で日本のサブカルチャーへの道が開かれる。

 (レポートはここまで)

 

 ヘレンさん

f:id:cenecio:20161019141218p:plain写真:AMAZON

皆さん、とっくにご存じかもしれないが、イギリスには、ヘレン・マッカーシーという偉大なる元祖オタクさまがいらっしゃる。失礼のないように、「日本文化の専門家」と言い換えよう。教祖さま、カリスマ、伝道師…肩書をいくら並べてもたりないかな。日本のマンガ・アニメについて数えきれないほどの本を書いている。大変に質が高く、多くの賞も受賞している。

Amazon.com: Helen McCarthy: Books, Biography, Blog, Audiobooks, Kindle

翻訳は今のところ一点しか出ていない。

『手塚治虫の芸術』 (ゆまに書房
[著] ヘレン・マッカーシー [編集協力] 手塚プロダクション [序] 大友克洋

2014年10月刊行手塚治虫の芸術 - ゆまに書房

本書を推薦します 小野 耕世 国士舘大学 21世紀アジア学部客員教授 日本マンガ学会会長

【夢の実現】 
 2010年、フランスのアングレーム国際コミックス祭で、私は手塚治虫についてのトークを行なったが、来場した海外の手塚ファンの層も、彼らが好きな手塚漫画も多彩だった。それは手塚作品の驚くほど広い内容が世界性を持っていることを示していた。手塚マンガの翻訳海外版も、初期作品も含み、いままで多くが刊行され、研究も進みつつある。  
 これこそ生前の作者が、最も望んでいたことだった—と思い返すのは、手塚治虫の海外旅行に、私は六回ほど同行しているからかもしれない。手塚治虫は、世界の漫画家やアニメ作家たちと目を輝かして語り、その知的好奇心とユーモア、暖かい人柄で彼らを常に魅了していた。  
 そしていま、その生涯を追ってきたイギリスの研究者によって、手塚マンガの魅力を豊富な図版と写真で一望できる本書が刊行されることを、なによりも喜びたい。手塚先生、まるで夢のようですね。

【本書の特色】
●ふだん見ることのできない写真をたっぷり紹介。
●マンガとアニメの世界にもっとも大きな影響を及ぼした人物のすべてを明らかにする。
●ハーベイ賞受賞、アイズナー賞ノミネートなど、海外の専門家たちから高評価を得た名著、待望の翻訳!

次回は浦沢直樹+フィリップ・フランク の対談です。

おまけ

 レセプションのテーブル

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Chouffe Soleil 150 (シュフ・ソレイユ150 )

日本・ベルギー友好150周年を記念して発売されたビール。五重塔や富士山が見える。「爽やかな柑橘類とハーブ、胡椒の風味を感じる無濾過のブロンドビール」ということです。おいしくいただいてきました。