『この世界の片隅に』 記憶の器として生きる -2-

先日の第29回東京国際映画祭で 『この世界の片隅に』上映後、イギリス、フランス、ドイツ、メキシコ、南米諸国をはじめ世界14か国で公開されることが発表された。

声優初挑戦の、のんさん(能年玲奈から改名した「あまちゃん」のこと)もどんなにか嬉しいだろう。

 

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(「ユリイカ」11月号でも特集)

 

書き足したいことが少しあるだけで、今日は短いです。

アニメと空襲

前回記事コメントで、カメキチさんがNHKでこの映画を紹介していたと教えてくださった。私が毎朝見ているTOKYO MX東京メトロポリタンテレビジョン)では、古谷経衡さんが熱く熱く宣伝していた。なので「民放は全部そっぽ向いている」わけではないと思う。

古谷氏はこの日「アニメで空襲はどう描かれてきたか」というのをまとめてくれておもしろかった。(古谷氏は、試写会ですでにこの映画を観てきた人。)

 

古谷氏がまとめた表による。(映画タイトルー制作年ー場所の順)

みなさんはどのくらい見ているのだろうか。私は1番、2番の二作だけ。

1. うしろの正面だあれ(1991年)ー東京大空襲1945年3月
2. 火垂るの墓(1989年)ー神戸大空襲、西宮空襲
3. 火の雨がふる(1998年)―福岡大空襲
4. はだしのゲン(1983年)―広島原爆
5. はだしのゲン2 (1986年)―広島原爆
6. ヒロシマに一番電車が走った(1993年)―広島原爆
7. つるにのって~とも子の冒険~(1995年)―広島原爆
8. NAGASAKI 1945 アンゼラスの鐘 (2005年)―長崎原爆
9. 対馬丸~さようなら沖縄~(1982年)―対馬丸事件、沖縄空襲
10.クロがいた夏 (1990年)―広島原爆

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こうして見てみると、2005年の『NAGASAKI 1945 アンゼラスの鐘』以来、実に10年ぶりのアニメ映画になる。また、本土空襲が四つに区分されることなど、わかりやすく解説してくれて、とても参考になった。

 

その四つとは

1.奇襲「ドーリットル空襲」1942年4月18日東京、横浜、名古屋、大阪
2.高高度精密爆撃 1944年6月16日~1945年3月5日
3.大都市夜間無差別爆撃 1945年3月10日~3月25日
  六大都市攻撃 東京3月10日、大阪3月13日、神戸3月17日、名古屋3月12日

4.中小都市無差別爆撃 1945年5月14日~終戦まで

ちなみに、呉市への初空襲は1944年6月19日だそうである。

 

できる人が器になる

さて、『この世界の片隅に』の中で、作者のこうのさんは、

「記憶の器として この世界に在り続けるしかない」

ということばを主人公すずに言わせている。それは漫画家、創作者としての役割の確認でもあると思う。「戦争を知っている世代と交流できる最後の世代だ」とインタビューで語っている。

『エリカ 奇跡のいのち』『アウシュヴィッツの図書係』または『ムシェ 小さな英雄の物語』など、最近話題になった戦時の物語のことをふと思い出した。

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他者の記憶を自分の器に受け入れ、創作をおこない、作品として残す。体験を伝えたくとも文章や絵にする力も機会もない人たち、名もない普通の市民、そうした人たちになり代わって体験を後世に伝えていく作業である。体験者が高齢で、さらに存命者が少なくなっていることもあってか、このところこうしたものの出版が相次いでいるように思う。

 

ヨーロッパでは第一次世界大戦(1914~18)の100周年でもあり、関連の出版物も多い。たとえばベルギーでは、祖父が遺したノートをもとに、第一次大戦を題材に作品を発表したヘルトマンスがいる(*)。大きな反響を呼び、賞を総なめにした。

第一次大戦はヨーロッパでは非常に重い国民的記憶で、特に小国ベルギーは辛酸をなめた。オランダが中立国であったのに対し、ベルギーは悲惨な戦場になったばかりか、一般市民の生活も毒ガス攻撃やらツェッペリンの空襲で破壊されたのだ。

(*)Oorlog en terpentijn(作者: Stefan Hertmans)オランダ語

 

戦時下の国民生活

こうのさんはこの作品を描くにあたり、膨大な資料を集め、年表をきっちり作り、多くの人々にじかに話を聞いている。

また双葉社の「漫画アクション」で連載したとき、昭和と平成の年号が偶然同じというのも奇跡のようにも思える。つまり昭和18年から21年までの物語を、こうのさんは平成18年から21年まで雑誌に連載したわけでる。

戦時下の生活については知らないことも多く、いろいろなことを教わった。当時のいわゆる決戦下の国民生活は笑ったり呆れたり。過激なプロパガンダアジテーションには背筋が寒くなったり…。

 

国策炊きなど、皆さんはご存じだろうか。米をとがずに二倍の水で弱火でゆっくり炊き上げる方法だそうだ。

代用炭団(だいようたどん)? 木炭の粉をふのりで固めて干したのが炭団(たどん)、いわば木炭の代用品。落ち葉の燃えさしをうどんのゆで汁で固めて干したのが代用炭団だそうである。家庭では女性たちがこうしたものをせっせと作っていたのである。

一番驚いたのは終戦前後は食糧だけでなく塩も不足したため、海水を味付けに使ったりもした。また「尿から塩分を抽出する方法」(!)まで、新聞に紹介されたそうだ。

火なしこんろには、はたと膝をたたいた。戦時下をテーマにしたTVドラマなどで、みなさんもご存知ではないだろうか。なんのことはない「保温調理・余熱調理」のことである。わが家も東日本大震災以降、エネルギー節約のため積極的に取り入れている。私のやり方は、調理途中の鍋を火からおろして、古い毛布でぐるぐる巻きにして放っておくだけ。余熱で柔らかく火が通り、焦げることもないし、食卓を囲むころにもまだ温かい。煮込み料理には最適だし、優れた知恵だと思う。

 

すずは言う。

節米しても燃料を無駄遣ひでは つまらない

ここは大日本帝國の利器 火なしこんろに任せて

 そして木箱に古布や古新聞などを詰めている絵がついている。

ウィキペディアによると、江戸時代にすでに存在していたとの説もある。

一般に火なしこんろは、あり合わせの箱などを用い、中に布団を敷いて断熱材を詰め、熱い鍋を中に入れて布団をかぶせる。断熱材としては新聞紙、紙屑、ぼろ布、藁、綿、オガクズ、籾殻などが用いられた。(ウィキペディア

 

もちろん「大日本帝國の利器」なだけではなく、他の国々にもある。

フランスでは「ノルウェー鍋」という。こちら

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Marmite norvégienne — Wikipédia

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ドイツのもの。Kochkiste – Wikipedia   左:19世紀末。 右:1926–1930

 

 

ああ、女はつらし。

一億総特攻の生活を裏で支える女性たちの生活は多忙を極めた。決戦服と呼ばれた「もんぺ」姿で、隣組など地域の仕事だけでなく、様々な労働に駆り出された。特に昭和19年の「女子挺身勤労令」により、12歳から40歳までの女性たちが、軍需工場や通信・交通などの職場に広く動員されたのである。

そして雑誌の表紙を飾っている。

 

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同時に家事、育児もやらねばならず、さらに出産も奨励され、前線帰りの傷病兵と結婚することまで求められていたのだから。女はつらいよ、と言いたかったに違いない。

特に戦争末期、婦人竹槍部隊など笑止千万。アメリカ兵と戦えるわけないのにまじめに訓練に臨んでいる写真を見ると、悲しくなってくる。

 

さて、 『この世界の片隅に』に戻ろう。

映画を観に行こうかどうしようかと迷っているみなさん、私からひとこと。

ラストがとってもいい。こんなラスト、想像してもみなかった。みんな幸せな気持ちになれること、請け合いです。

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追記:映画応援

cenecio.hatenablog.com