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アンデルセンとマリリン・モンローの違い

社会 日本・日本語

「みにくいあひるの子」は、アンデルセンが童話で書いた自伝だという人が多い。貧乏な靴職人の家に生まれて、気ちがいだった祖父と、その血をうけて多少どころでない変人だった父と、娘じぶんは乞食もして、男を転々した末に靴職人へ嫁したが、夫に先立たれると子づれでまた年下の靴職人の後妻にゆき、洗濯で体を冷やしてばかりいたので、アルコールを呑みすぎ、晩年は中毒症状のなって、施設で死んだとつたえられる母。こんな家庭と血統を思うだけでも、ただならぬ星の下といわねばならない…(略)

『自伝』によると、十一歳で父と死別、十三歳で貧民学校へ入学、同時に母が再婚、貧乏な靴職人を義父として同居。十四歳で出郷。それから放浪五十年。六十二歳で故郷オーデンセへ帰った時は名誉市民に推されるほどの童話作家になっていた。(略)

 

抜粋したのはこちら。

 あひるの子―アンデルセン幻想 (1976年) 
 水上 勉 (著) 集英社

 

本が手元にあったので抜粋で始めたが、今日は水上 勉 の話でも「みにくいアヒルの子」の話でもない。アンデルセンとマリリン・モンロー、不幸な星のもとに生まれ、悲惨な幼少期までは同じだが、その後の人生を分けるものは何であったか、という話。つまるところ、前回記事、子供の問題につながる。

 

アンデルセン

水上はアンデルセン(Hans Christian Andersen、1805 - 1875)に寄せる関心がつのりにつのって、デンマーク旅行を決行する。作家と関係のある土地を訪ねて歩き、人々に話を聞き、と同時に自身の半生を重ねる試みをしている。

f:id:cenecio:20161107150412p:plain写真:ウィキペディア

引用部分は、この本の書き出しである。実にコンパクトで見事な紹介だから、童話は知っているけど、アンデルセンについて全く知らない人にもこれだけでどんな生まれであったかわかるだろうと思って引いた。

 

マリリン・モンロー(Marilyn Monroe、1926- 1962)本名、ノーマ・ジーン・モーテンソン(Norma Jeane Mortenson)洗礼名、ノーマ・ジーン・ベイカー(Norma Jeane Baker)

f:id:cenecio:20161107151008p:plain写真:

http://stuffpoint.com/marilyn-monroe/image/93300-marilyn-monroe-wondering-marilyn.jpg

 

『百万長者と結婚する方法』(How to Marry a Millionaire)は子供のころ、TVの洋画劇場で見た思い出がある。「あたし、ロコ。モデルなの」とセリフまで覚えている。ロコはBetty grable.

写真を見るとめちゃくちゃ懐かしい。みなさんはご存じですか?

f:id:cenecio:20161107151923p:plain写真:ウィキペディア。

マリリンは眼鏡っ子のポーラ役だった。ほかマリリンの映画は『七年目の浮気』(The Seven Year Itch)など数本を映画館で見ている。

 

レジリエンス(resilience)

ここ10年位だろうか、よく聞かれることばである。『さとにきたらええやん』を見ているうちに思い出した。レジリエンス(resilience)とは心理学用語で、つらい体験や深刻なストレスなどをはね返す力のこと。バネのように。

「折れないこころ」「打たれ強さ」「へこたれない精神」などの言い換えも目にする。貧困や虐待、親のアルコール依存、精神疾患といった家庭環境に育つこどもが皆、親のような問題を抱えた人生をたどるわけではない。社会に適応し、健全な生活を送る人たちもたくさんいるし、それどころか自分の体験を糧とし、社会に尽くそうと進んで前に出る人たちもいる。子供たちのその後の人生を分けるものはなんだろう。そう考えていた時期に、フランスの精神科医 ボリス・シリュルニクの本を何冊か読んだ。

三十六歳で自殺したマリリン、かたや長生きをして世界中の人々に愛され、読み継がれているアンデルセン。この印象深い比較は、下の著書の序論である。シリュルニク氏は去年の今頃だったか、来日し、講演もしている。

 

妖精のささやき 子どもの心と「打たれ強さ」

ボリス・シリュルニク 著, 塚原 史 共訳, 後藤 美和子 共訳 彩流社

 

アンデルセンの母は不幸だった。実の母親がトンデモで、暴力をふるい、売春するよう強要する鬼女だった。そこから何とか逃げ出したアンデルセンの母は、結婚後、自分の子供には悲惨な生活をさせたくないと思い、洗濯女になった。当時は川に体を浸けて洗濯をする。非常に過酷な労働である。そのためアルコールを大量に摂取するようになり、依存症になり精神錯乱ののち病死した。父親は重度の妄想症で自殺した。父が死んだとき11歳だったアンデルセンは、はじめに毛織物工場、次にタバコ工場で働くのだが、そこでは暴力が絶えなかった。

しかし母の愛をじゅうぶんに受け取っていたこと、その後父方の祖母に温かく庇護されて、オーデンセの豊かな自然や共同体の人びとの居心地よい環境で育ったことが大きかった。しかもその共同体は語り部の伝統で知られ、詩やサーガを朗詠したりする文化を持っていたこともあり、アンデルセンは自分に価値を見いだし、生の喜びを得て、みにくいアヒルの子から白鳥に変わっていったのである。

しかし女性に対するイメージは最後まで分裂したままだった。自分を生んでくれた優しい母と、鬼のような祖母、この分裂したイメージが消え去ることはなく、遠くからしか女性を愛せなかった。女性に憧れながらも生涯を独身ですごしたのである。

 

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 (コペンハーゲン1994年)

 

マリリン・モンローは、精神の病を持つシングルマザーの母親から孤児院へ、そして里親を転々とする生活を余儀なくされる。中には暴力と性的虐待を疑われる家庭もあったようだ。情愛を得て周囲の人間と絆を結び、安定した感情を抱けないまま子供時代がすぎ去っていった。虐待に耐えて生きのびるためにマリリンは幻想の世界に逃れた。クラーク・ゲーブルが実の父親である、自分は王家の出であると公言したり・・・。

女優になってから結婚した男たちも、マリリンの傷や苦悩がわかるものはいなかった。それどころか、何でも言うなりになる女として扱われ、映画関係者に利用されたのだ。

悲惨な出自は同じでも、マリリンは「レジリエンス」を心のなかに育てることができなかった。わずかなチャンスにも恵まれなかった。ちぢこまって震えているひな鳥のままの人生だった。

著者シリュルニクは言う。誰もが「レジリエンス」つまり打たれ強くなるための熾火(おきび)を心の奥底に秘めているのだが、熾火に息を吹きかけてやらないと火は消えてしまうのだと。

 

子供の保護

シリュルニクは各章で、様々な子供のケースを取り上げている。どれもこれもおもしろいのだが、一つだけ例を挙げてみる。頭をガツンと殴られたような気がした。

私たちは報道で、子供の虐待や死に至るようなネグレクトを知ると、「早く助けてあげれば…」などとやるせない気持ちになる。酷い親から離して保護しなければいけないと思っている。

シリュルニクはアルベール少年の実話を出し、親と切り離しても子供のトラウマを癒してはくれない。それどころか保護施設に入れられることで、更なる孤立を招き、二度虐待されたように子供は感じ、逆に優しい両親というイメージをなんとか守ろうと努めるのだそうだ。

アルベール少年は、8歳くらいから、両親が夏のバカンスに出かけるたびに置いていかれた。家の中ではない。家のドアには鍵をかけ、戸外に出されるのである。というのも子供が家を汚すのが嫌だったからという理由で。戸外には犬がいて、少年は犬の世話をして暮らした。寒さと飢えに苦しみながら。庭掃除も熱心にやった。きれいな庭を見て、両親はまた自分に優しくしてくれるだろう。庭が幸福な家庭のシンボルであるかのように。

数年経ってから、隣人がこの不可思議な状況を見かねて社会福祉課に連絡した。少年は保護されたのだが、24歳になったとき、彼はその親切な隣人を法的に訴えようとしたという。

簡単に処方箋は出せない。一見正しく思える処置が、子供の健全な発達を保証するわけではない。子供がレジリエンスを身につけるのを邪魔せず、状況の悪化は防ぐためにはどうすればいいか。親子の関係からできるだけ多くの要素を引き出して検討しなければならない。 ー 著者はこのように述べている。

 

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次回に続きます。