真珠湾攻撃(1941年12月7日、日本は8日)から75周年。アメリカにとっては忘れてはならない日です。Pearl Harbor 75th Commemoration
この時期になると、思い出すエッセイがひとつあります。猪口邦子さんの『パール・ハーバーの授業』。皆さんのなかに、もしかして中学国語の教科書で読んだという人、リアルタイムで1980年代の文芸春秋誌上で読んだという人、ベストエッセイ集『母の加護』(文春文庫)で読んだという人…いらっしゃるかもしれませんね。
ベストエッセイ集『母の加護』(文春文庫)
「日本人として辛い日」というものがある
海外にいてどんな日が辛いかというと、滞在する国によって違うが…。真珠湾攻撃のあった12月8日にアメリカにいること、8月15日に中国、韓国をはじめアジアの国々にいること、8月15日と 5月8日(ヨーロッパ戦勝記念日)にオランダにいること(*)これは経験した人しかわからないだろう。気もちが塞ぎ、いたたまれなくなり、早く今日という日が過ぎ去ってくれればと念じる日…。*前にも紹介しましたが) オランダ 人と社会と教育と: 一年中で最も心が塞ぐ日
月日も流れ、戦争を生きた世代も少なくなり、今はそれほど辛く感じないかもしれないし、住む地域では記念の規模も異なるだろう。
猪口邦子(1952年生まれ)さんは皆さんご存じ、政治学博士(Ph.D.)であり、小泉内閣のときの内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画) だった。
猪口さんは小学校時代、ブラジルのサンパウロにあるアメリカン・スクールに通っていた。最終学年のとき、世界史教科書の後ろのほうにある、パール・ハーバーという大きな見出しのついたページが気になってしかたがなかった。授業がルネッサンスあたりに差し掛かった頃には、人力車ときのこ雲の写真が掲載されたそのページをほとんど暗記してしまっていたほど。
その授業の日がくることを考えると憂鬱で仕方がない。自分はクラスでたった一人の日本人だから、一人で日本批判の矢面に立たねばならないのである。
教科書には
野蛮で遅れた国民が、自由と正義を体現した偉大なアメリカに対して滑稽な挑戦をしかけたこと、そしてその野望は原爆によってついにくじかれたことなどが、物語のようにつづられている。それは、まさに善と悪の対決であり、世界の救世主対悪魔の落とし子の対峙する構図であった。
(『パール・ハーバーの授業』より部分引用しました)
猪口さんは仮病を使って学校を休むという作戦を立てる。しかしその世界史の先生のことは大好きだったから、パール・ハーバーの授業を休んだら、先生はどう思うだろうと気にもなるのであった。
結局スクールバスに乗っていつものように登校する。石のように固まったまま、周囲から音が消えてしまったかのような教室で、授業は始まった。
先生が黒板に、日本の石油の輸入の割合を書いている。教科書にはないことだ。そして解説するのである。
日本は資源が乏しいこと、発展するために外国から資源を輸入しなければならないこと、どんなに資源の乏しい国でも、貿易によって発展する権利があること、しかし、欧米諸国は、アジアの国が発展しすぎることは許せないと思っていたこと、そこで、日本の資源輸入を困難にしていったこと……しかもなんとアメリカは、実は、欧州戦に参戦する契機をつかもうとしていたこと……
教科書とは違うことを先生はしゃべっているではないか。クラスの誰もがそのことに気づいているが、誰も何も言わない。
戦争には、沢山の原因がある、と先生は言った。戦争だけでなく、国と国との間の事件には必ず複雑な背景がある。ーそれを単一原因論に短絡させてしまうのは、歴史に対する暴力だー……
エッセイはもう少し続きがあるが、ここに全部書いてしまうのはいけないことだと思うし、すでに書きすぎたきらいがあるのでここまでにする。ぜひご自分でお読みください。
私が凄いなと思ったのはアメリカン・スクールである。職場環境としての。
アメリカの教科書に書かれている、傲慢で偏見に満ちた歴史観には少しも驚かない。今はどうなのか知らないが、オランダ人もこのエッセイに書かれているように日本人を見ていたものだ。
しかしこの教師のように自分なりに調べたことをもとに、自分の視方を持ち、良心に照らしてそのことを生徒たちに伝えていくーこうした授業をすることを許すアメリカン・スクールに感心し、羨ましく思ったのである。
写真: Pearl Harbor 75th Commemoration
そんなアメリカですが、先日の記事、驚き、また呆れました。(11月16日)
ニュース番組The Kelly Fileがヒグビー(Carl Higbie)氏にインタビューしたもののまとめです。
ヒグビー氏というのは、米海軍の元特殊部隊員で、トランプ氏を支持する政治活動委員会Great America PACの広報担当だった人だそうです。なんというアナクロニズム!
写真: http://www.ctpost.com/local/article/Mission-Congress-for-retired-Navy-SEAL-5144029.php
日系アメリカ人収容所
ヒグビー氏の発言から、日系アメリカ人収容所が再びクローズアップされている。前回この名前を聞いたのはけっこう最近のことで、「カラー写真が見つかった」という朝日新聞の記事だった。そのときはうっとりしたものであるが…。
(朝日新聞を探したけれど見つからなくて、こちらからお借りしてきました。ありがとうございます。http://ricky4968.web.fc2.com/kimono/clips/ja_week15.html)
真珠湾攻撃の翌年には、大統領フランクリン・ルーズベルトの行政命令により、日本人、日系アメリカ人は強制的に収容所に送られた。三分の二の人たちは市民権を持つアメリカ市民だったにもかかわらず。約12万人もの人たちが、10か所の収容所に分散して入れられたが、どこも人里離れた辺鄙なところばかりだった。もちろんドイツ系移民やイタリア系移民は送られていない。
1942年7月カリフォルニア州マンザナー(Manzanar)はもっとも有名な収容所である。
1942年3月21日 荷物を持って収容所に入る人たち。
キタモトさんの子供を抱いて手伝うアメリカ人。すべての写真はこちらのサイトから。www.buzzfeed.com
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🌸よいインタビューです。ぜひどうぞ!
1988年のレーガン大統領の公式謝罪、補償金にこぎつけるまでも大変な道のり。大統領もギリギリまで悩んでいた…。↓
JANMへ行こう!! vol.50 - アメリカ大統領からの謝罪と補償、そして複雑な気持ち - ロサンゼルス 日刊サン
追記
第二次大戦中の日系人収容政策に抗議して戦った日系人コレマツ、ヒラバヤシ、ヤスイの子孫が、トランプの反ムスリム政策に反対する意見書を提出。 pic.twitter.com/sk4gSdsZQd
— エミコヤマ (@emigrl) 2018年4月12日
・今日の写真・
酉の市(とりのいち)・鷲神社(おおとりじんじゃ)に行ってきました。
鷲神社は江戸時代から浮世絵にも描かれ、有名です。
冬の季語でもあります。
人並に押されてくるや酉の市 (高浜虚子)
一葉忌ある年酉にあたりけり (久保田万太郎)
雑閙や熊手押あふ酉の市 (正岡子規)