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ドナルド・キーン氏と浪士さま再び  日本語-4-

ドナルド・キーン自伝

前回記事の続きだが、本当なら、みなさんにこの『ドナルド・キーン自伝』を読んでいただければよいのである。アーミー・メソッドのくだりはこの本からも引いている。

キーン氏は10年前に、読売新聞連載をまとめたこの本を中公文庫から出版した。前に読んだときはもうワクワクして、メモって人に聞かせたりしたものだ。

戦時、通訳将校だったキーン氏は終戦後、東京で「有楽町ビルヂング」に行くよう言われ、「有楽」を「雄略」だと覚えていたという。授業で習った残虐な天皇の名前がついているのはおかしいなと思ってはいたが。

何よりも交友録がゴージャスで驚嘆する。今だから聞ける話もあり、大変貴重だと思う。終生の友となった永井道雄のこと、川端康成や大江健三郎のこと、三島由紀夫が自決する前に共にした豪華な食事や、「ノーベル文学賞が三島と川端を殺した」(大岡昇平のことば)― その事情の詳細ないきさつ。

ニューヨークでグレタ・ガルボを芝居に連れていった話。『アンネの日記』を見たらしい。あるいは安部公房の『砂の女』が米国で翻訳出版され、映画監督の勅使河原氏と共に安部公房が、コロンビア大学の自分の研究室に訪ねてきてくれたときのこと。二人は自分たちの通訳として若い日本人女性を連れてきた。キーン氏は頭に来て、その女性を終始無視していたという。後年になってわかったのだが、女性はオノ・ヨーコだった。

(以前一度オノ・ヨーコについて書いた。ちょうどこの3年後のオノはベルギーで衝撃デビューを飾る)

あの頃 ヨーコ・オノと… - ベルギーの密かな愉しみ België-fan

 

f:id:cenecio:20161227160941p:plain前回の載せたチラシの写真。

 

1956年、喜多能楽堂で「千鳥」の太郎冠者を演じたときのもの。

現在もビデオが残っており、観客の顔ぶれがものすごい。谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、松本幸四郎(先代)という著名な人ばかり。

 

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( Douglas A-26 Invader ベルギー王立軍事博物館 2016年3月)

 

私が今回読み返してみて、おもしろいと思ったところは次のような点である。

アメリカ軍も陸軍・海軍ではずいぶん違うのだということ。日本やナチスドイツなどとも同じ。反目や競争があるのだ。

たとえば前回紹介したアーミー・メソッドの日本語部門海軍の話だ。1年未満で日本語を習得させるべく、生粋のアメリカ人の英才たちを集めている。

例えてみれば、日本でIS(イスラム国)対策にアラビア語の専門家を育てようと、外国語大学の学生などを中心に語学の適性がある者を選抜し、1年間缶詰にしてアラビア語を教えるようなものだ。その際、アラビア語の手書き文字を読むことや電話盗聴なども仕込まれる。(キーン氏は行書体はもちろん、草書体も読んでいたと語っているのだから)

キーン氏は海軍だが、ある時陸軍の通訳士にあった時驚いたという。こちらは白人アメリカ人、向こうは日系人だったのだ。海軍は日系人に全く信用を置いておらず、とにかく自前で通訳を育成した。日系二世がアメリカに忠節を誓い、アメリカ陸軍の制服を着ていようとも、海軍基地に入るのを拒否したのである。

 

もう一点だけ。

終戦後、キーン氏が身の振り方を考えている頃の話。

日本が戦前の地位を取り戻すには、少なくとも五十年はかかると、アメリカでは一般に考えられていたという。語学将校の中には、アジアで日本に取って代わるのは中国だと見越し、中国語の研究に切り替える者もいた。日本語を学んだ仲間の大半は、日本語を使うことに対する興味をすっかりなくしていた。

キーン氏はこう考えた。アメリカのどこの大学でも、日本の文学や歴史の教師は求めていなかったが、自分が気質的に日本研究に合っていると感じ、このまま研究を続け、運にまかせよう…。

そして、それまで日本の文化が中国の模倣に過ぎない、と決めてかかっていたアメリカ人の考えを変えることになったのは、映画『羅生門』の衝撃だという。ほかにもニューヨーク近代美術館に建てられた日本家屋や、各都市で開催された国宝展のほか、神のいない宗教としての「禅」の教え、などがあって、キーン氏も引っ張りだこになり、日本文学の翻訳に興味を持ち始める出版社が次々に現れたのだという。

 

再び 浪士さまの日本語と

次の文を比べてみてください。

①「Aさんって、奥さんいるの?」

 「いや、いないと思うよ」

②「野菜持ってきたんだけど、奥さんいる?」

 「いるよ。裏にまわってよ」

 

①と②の違い、日本人なら簡単にわかると思う。①は妻帯者かどうかを聞き、②は在宅かを問うている。両方とも「いる/います」を使っている。

浪士さまのブログを読むと、好んで「ある/あります」が使われているのに気づく。たとえば「○○という人が有って…」というように。

私が読んでいる他のブログではまだ出会っていない。昔の小説や書簡などでは普通にお目にかかるけれども。

 

わたしは こどもが あります

これは外国人研修生向けの日本語教科書の一文である。1980年代広く使われ、その後改訂を重ね、今でも世界中で使われている。

この文型は

・・・ ○○ が あります

・・・(主語)

○○には人が入る。主に身内。

意味は「所有」である。

私は 妻が あります。

私は 子供が 三人(人数はここに入れる)あります。

私は 恋人が あります。

 どうだろう。みなさんは違和感がないだろうか。

1980年代、若い教師の多くが「こんなこと、今は言わない。自分が言わないことは教えられない」と言った。年輩の教師は「あら、私は普通に使うわよ」と反論したものだ。権威である国立国語研究所はじめ、国語学者も同意した。

「子供が います」は例えば「庭に 子供が います」のように「存在」を表すのである。「所有」なら「子供が あります」が正しいのだと。

私は当時まだ若かったから、言わないねえ、と思っていた。ところがある日、こんな文を自分の口から発したのである。

どう見ても40代と思われる女性に孫がいることを知って驚いた折に。

「まあ!もうお孫さんがお有りになるんですか?!」

尊敬語を使っているが、まさにあの文型だ。

(女性)は (孫)が ある

私も使うのだと驚いた。この文型は私の体の中にちゃんと刻み込まれていたのだ。そんなことを感慨深く思ったものである。

 

浪士さまのことば使いは興味深い。気にいっているのは「なまくらな若い衆」とか「ぼんくら」など、私が決して使えない言葉。(いずれも私のことだなと思って自戒している)

「ねんごろに」「おもむろに」「げにおそろしいのは」なんてのも好き。

今ではあまり聞かれなくなってしまったことばたちが、浪士さまワールドでは生き生きと振る舞っている。

国立国語研究所では現代日本人のことばの使い方を調べ、サンプルを集めている。いずれ浪士さまにも連絡が行くかもしれない。(私がこっそり手を回したのは内緒にしておいてもらおう)。

 

終わります。

 

今日の写真は

今年初めのアントウェルペン、市庁舎前。

ああ、雪が降って寒いんだな、と思うでしょ。

 

f:id:cenecio:20160105122521j:plain

 

 

雪はフェイクでした。

この向こうに立って写真を撮って送る。

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ガラスには

「アントウェルペンからご挨拶を」と書いてあります。