ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

ヒトラーが守りたかったユダヤ人 ナチス時代を振りかえる-2-

前回に続き、ナチスの時代を振り返っています。

コメントくださったみなさん、ありがとうございました。

 

物議をかもしたヤカン ヒトラーに似てるっていわれても…

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どうということのない「やかん」だが、以前アメリカではTwitterで「ヒトラーに似てるね」と拡散され、話題になったことがあった。

どうです?初めて見るかた、ちょっと目を細めて見てください。ヒトラーの顔に見えますか?

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写真: http://wwd.com/fashion-news/fashion-scoops/teapot-scandal-6958997/

もとは道路沿いの看板を見た人が気づいて投稿したことがきっかけ。

黒い持ち手は髪型、蓋の取っ手はちょび髭を思わせる。おまけに「ハイルヒトラー」の敬礼をしているようにも見えなくもない。
このやかんは、水ではなく話題が沸騰して売れに売れ、オンラインでは品切れになったということだ。しかし看板の方は市長の抗議もあって取り下げたそうである。
デザイナーは「似せようと意図して作ったのではない」とのこと。

そういえばこんなことも。

https://nos.nl/data/image/2016/04/14/273913/xxl.jpg

Ontwerper: bouten en schroeven, geen hakenkruis op jas Máxima | NOS

オランダのマキシム王妃のジャケットのデザインが何かに似ていると話題に。デザイナーはハーケンクロイツではありません

 

『わが闘争』(Mein Kampf)がベストセラーに(前回に続いて)

id:iireiさまのコメントです。ご教示ありがとうございました。

(略) 「我が闘争」は、帝国海軍の士官の間で好評で、ナチス・ドイツと協力して、世界秩序を再構成しようといった空気に満ちていたそうですが、最後の海軍大将・井上成美(いのうえ・しげよし)は同意しませんでした。彼は「我が闘争」を、原書で読んでおり、ヒトラーが日本人を「劣等民族」と呼んでいたのを知っていたのです。

『わが闘争』の中でも、強く印象に残る ヒトラーの歪んだ人種観のことをいっている。アーリア人種・ドイツ民族の優越性信仰とでもいうべきか。

上巻第11章「民族と人種」は大変重要で、まずヒトラー流の3種類の人間を頭に入れておかねばならない。すなわち

  1.文化創造者(アーリア人種)

  2.文化支持者(その他の人種、日本人も)

  3.文化破壊者(ユダヤ人)

ヒトラーは自前の日本文化論も展開する。

いわく 日本人は一見、独自の文化を育んでいるようにみえるが、あれはヨーロッパやアメリカの、つまりアーリア民族の強力な科学・技術の労作を取りいれ、加工したにすぎない。外側に装飾を施しただけなのだ。真に文化の創造者とはなれない、せいぜい文化支持的民族止まりである。(ざっとまとめ p378~)
 
日本人は西洋文明の模倣をしているだけー 実際にそんなことを言われたことがある。昔、学生だった頃、ドイツでドイツ人の10歳くらいの子どもから。
 「日本人って車も何でも西洋の真似をしてるんだってね」
 「誰がそう言ったの?」
 「パパだよ。そしてちょっと変えて安く売るんだって」
この子どものうしろに大勢の大人たちが見えたものだ。
 

最も優秀なアーリア人種、最良の民族が世界を支配すべきだと説く。さらに

「貴族主義的原理によって、最良の人物にその民族の指導と最高の影響力を確保するようにしなければならない」

「決定はひとりの人間だけがくだすのである。」(下巻第四章)

この貴族主義的原理は、ニーチェの影響があると言われている。ヒトラームッソリーニと会見したとき、ニーチェ全集を贈ったというくらい、傾倒していたそうだ。

 さて③のユダヤ人については、低級な忌むべき人間で「寄生虫」で…云々。ここには書きづらい罵詈雑言を並べ立て、反ユダヤ言説は全巻に及んでいる。 

NEAL VEGA (id:ni-runi-runi-ru)さまのコメントのように、亡命したり潜伏することのできなかったユダヤ人の末路は、大量殺戮の地獄だった。

『わが闘争』を読むと、ヒトラーの頭の中では、マルクシズム=議会制民主政治=ユダヤ、という図式なのがわかる。しかし、驚くことにヒトラーが庇護したユダヤ人(家族も含め)が複数いたこともわかっているようで、のちほど取り上げたい。 

いちご一笑 (id:sinsintuusin)さま、ありがとうございました。

歴史の中でヒトラーが象徴されていますが、一人の権力者の力はそこまで絶大だったのでしょうか?
そこに「歴史の流れ」と言う見えない力が働いたのではないでしょうか?
一人の力は弱いけど、そこに歴史の流れが加わった時に絶大な力が生じる、その流れはなかなか止められない。
歴史の流れを良い方向に仕向ける民衆の力が今正に必要な時かも知れませんね。いちご一笑 (id:sinsintuusin)

 ヒトラーはアジ演説がうまくて人気があり、1920年代初めにはライバル(ドレクスラー)を蹴落として「国家社会主義ドイツ労働党NSDAP)」の全権を握った。と同時に組織をいじり、突撃隊や機関紙、ナチ党青年同盟(1922年)まで 作るという、すばらしい手腕を見せる。

その後、暴動を起こして反逆罪で逮捕される(1924年)。ミュンヘンのランツベルク要塞拘置所に収容されてここで『わが闘争』を書くのである。実際は協力者エミール・モーリスとルドルフ・ヘスを相手に口述した。拘置所ではよい部屋を与えられ、厚遇を受けていた。

なぜ?と思うだろう。暴動は失敗したが、バイエルン国家主義的な空気のなかで、ヒトラー愛国者であり、英雄であると捉えられていたのだという。

 

ワイマール( ヴァイマル)共和政の失敗

長くなるといけないので、ヒトラーが登場する背景を短く。社会民主党が無力だったほかに、国民のヴェルサイユ条約への反発、極度なインフレなどの経済の混乱があった。一方で陸軍の軍国主義も復活してきたと歴史書にはある。そう、お膳立てができていたのである。ヒトラーはうまく乗っかることができたのだ。

 

ヒトラーが守りたかったユダヤ

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こちらがその人。

ヘス氏(Ernst Moritz Hess、1890年生まれ、1983年没。*ヒトラーは1889 年生まれ。ついでに言うとチャップリンも1889年生まれで、誕生日はヒトラーと4日違いである。)

数年前、この男性に関する一通の手紙が発見されて一躍有名になった。その手紙とは、ヒトラーの右腕で親衛隊長のハインリヒ・ヒムラーデュッセルドルフゲシュタポ幹部宛てに書いたものである。

ユダヤ人のヘス氏を庇護するように、これは総統が望んでおられることである、という驚くべき内容だ。

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1940年8月27日付

Hitler’s Jewish Commander and Victim | Jewish Voice From Germany

 

第一次大戦ヒトラー

バイエルン王国ドイツ帝国の構成国だった。ヒトラー第16予備歩兵連隊義勇兵となる。(オーストリア人なのに…と不思議に思うけど)

伝令兵として西部戦線の北フランスやベルギーなどで、ソンムやパッシェンデールなどの会戦に参加した。

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右がヒトラーWarfare History Network » Adolf Hitler’s Brush with Death in World War I

 

ヘス氏の運命

第一次大戦中、ヘス氏はヒトラーの上官だった。自身も父親も法律家という教養ある裕福な家柄の出身。宗教はプロテスタント、妻もドイツ人だったが、母がユダヤ人だった。母親がユダヤ人だと、ニュルンベルク法では「ユダヤ人」の枠に入れられてしまうのである。

ヘス氏は1936年、反ユダヤ法により判事の職を奪われる。すると彼はヒトラーに手紙を書き、直談判する。そして1937年に、特別待遇としてイタリアのボルツァーノ(いわゆるチロルと呼ばれている地域。ドイツ語圏なので言葉の問題はない)へ家族で移住を許される。ヘス氏は、当時11歳だった娘の教育を重要視していた。

ところがヘス氏、なんと1941年にドイツに戻ってしまった。するともうヒトラーの特別庇護はなくなっていた。強制収容所に送られ、終戦まで労働を余儀なくされるが、生き延び、その後ドイツ国鉄で重役になった。そういう人である。

実はヒトラーEdeljude(高貴なユダヤ人)というカテゴリーを自ら設け、実家の家庭医ら数人のユダヤ人を保護していたらしい。

さきの手紙は、ユダヤ人の新聞記者がノルトライン=ヴェストファーレン州公文書館で偶然見つけたそうである。その記者さんが、当時86歳でドイツ在住の娘Ursula Hess さんにインタビューしている。

http://jewish-voice-from-germany.de/cms/wp-content/uploads/2012/07/ausg_3_Ursula_Hess-192x300.jpg

興味のある方はこちら。

Interview with Ursula Hess – “My father was treated terribly” | Jewish Voice From Germany

(続きます)

 

おまけの写真

馬の毒ガスマスクがおもしろい。(ベルギー王立軍事博物館、2016年3月撮影)

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乳児にまでガスマスク。(アントウェルペン文学資料館、2016年3月撮影)

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*簡潔なまとめ記事

tabizine.jp