ベルリンのドイツ歴史博物館におけるヒトラー展(2010~2011年にかけて)。26万人以上が来場したそうだ。正確な名称は
ヒトラーとドイツ人民族共同体と犯罪
ドイツ歴史博物館の企画展で、ヒトラーとナチスの時代をテーマにするのは戦後初だったから、国内外で大変な反響を呼んだ。「民族共同体と犯罪」というタイトルからもわかるように、ヒトラーを「総統」と仰いだ当時のドイツ国民や社会情勢にも焦点を当てている。この点は、みなさまから戴いたコメントと合致するので、今日はこの展覧会を取り上げることにした。
(略)ドイツの場合は戦争責任はナチにかぶせることで、ある意味論理的整合性はとれましたが、真の問題は残っている。最近のヒトラー関連の映画は国民がヒトラーを支持したことを描いているのは、最近の極右の台頭への警鐘なのかもしれません。
ちょっとどんな展覧会か、覗いてみましょう。おもしろい写真がいっぱいですよ。
展覧会カタログ 表紙
写真:Deutsches Historisches Museum Berlin - Hitler und die Deutschen - Ausstellung
表紙の写真からして「警鐘」である。これは1933年5月1日いわゆる「5月演説」というもの。5月1日はメーデー・労働者の日で、ヒトラーは労働者層にはいまいち人気がなかったため、支持を狙うべく入念に計画を練った。すなわち、この日の演説をひとつのショーに仕立てる。
まず多くの群衆が職場から動員された。親衛隊員や警察官、軍人などを効果的に配置し、行進曲や多数の旗、サーチライトや空中で鉤十字を描く花火など、派手な演出もさることながら、ヒトラーの演説はラジオで同時中継されたのである。ヒトラーはオーガナイザーとしての手腕をいかんなく発揮した出来事だ。
TIMEの特集記事には写真がたくさんあるので、興味のあるかたはこちら↓(英語で解説もついている)
①
Hitler Exhibit Opens in Germany - Photo Essays - TIME
私がおもしろいと思った写真をいくつか…。
①女性たちが手作りするヒトラー像。上の写真、彫刻家Ferdinand Liebermann作。
②Trommler(太鼓叩き)という煙草の宣伝用ディスプレイ
②
SA(Sturmabteilung突撃隊)の褐色のシャツを着ている。「褐色のシャツ」はナチ党員を防衛するために結成された組織で、暴力と小競り合いをまき散らす、市民にとって恐怖の的だった。国防軍からも忌み嫌われていた。
③ Führer Quartett 1934年製作。
神聖ローマ帝国からヒトラーまで、約1000年の指導者一大コレクション。
④貯金箱(フォルクスワーゲンの絵)
ドイツを代表するシュピーゲル誌も展覧会特集を組み、ビデオもあったのでたっぷり楽しめた。(下:フィギュアの画面を切り抜いた)
"Hitler und die Deutschen": Der Diktator im Museum -Video - SPIEGEL ONLINE
⑤
Ausstellung „Hitler und die Deutschen“ in Berlin | Kölner Stadt-Anzeiger
『わが闘争』⑥
⑦館内の様子
⑧制服など
まじまじと見てしまうジョッキの数々(笑)
⑨
⑪1938年4月20日、誕生日プレゼントとしてもらったフォルクスワーゲン。
⑫戦後の パロディグッズ。
⑫
Deutsches Historisches Museum Berlin - Hitler und die Deutschen - Ausstellung
日常生活の隅々にまで浸透していたナチズムとヒトラー崇拝。1000点にも及ぶ品々が展示されていたそうで、見にいきたかったな。せめてカタログだけでも見られれば、と思っている。
ヒトラーの弁士学校
ヒトラーの演説は当時のドイツ人を熱狂させたわけだが、現代の私たちが見ると吹き出すような滑稽さである。本物のほうより、チャップリンの『独裁者』を見てにんまりして楽しんでいたいのだが。
ヒトラーはいつ稀代の弁士になったのか。第一次大戦が終わるまで、ヒトラーはうだつの上がらないぱっとしない青年だった。前回も書いたように、オーストリア人にもかかわらず、バイエルン王国の第16予備歩兵連隊義勇兵として戦ったが、ベルギーでけがをしてさんざんで、終戦時にお情けで勲章を一個もらっただけだった。(しかもユダヤ人から)
1919年にドイツ労働党に入る。そして公開集会で演説をすることになった。しかしそれまで人前で話したこともなく、ひきこもりっぽい生活を送っていて、家族以外と接することもあまりなかったのだ。
ところが、これまでの鬱憤を晴らすかのごとく、ヒトラーは30分間、とめどもなく熱いことばを繰り出し、聴衆を魅了し、初演説を成功させるのである。(『わが闘争』)
内容はたいして重要ではない。共産主義やユダヤ人といった仮想敵を作り、攻撃し、聴衆に熱狂のなかで「この人なら国を変えてくれる」という期待感に満ちた雰囲気を作りだせばよいのである。
集会を重ね、ヒトラーは有名になっていくが、なにせヒトラーひとりだけでは全国規模には広がらない。そこでナチスは弁士学校を作ることにした。1926年のことである。ヒトラーの分身に演説の技術を教え込み、各地に送り込む。1932年までに約6000名の分身を養成したという。しかしこのあとトーキーの時代が到来。ナチスの宣伝映画の中でヒトラーが「声」を持つのである。
(続きます)
今朝のニュース ヒトラーの「分身」現る?
「ヒトラーの生家前、ヒトラーのドッペルゲンガー現れ、逮捕」というオーストリア発のニュース。どれどれ、と思って新聞を見たが、顔にはモザイクがかかっていた。黄色い建物がヒトラーの生家。これは取り壊しが決まっている。ここがネオナチなどの「聖地」になることを恐れてのことだという。新しい建物を建て、自治体が公的な目的で使用するそうだ。