河童忌 田端の王様・芥川龍之介

河童忌

7月24日は芥川龍之介が自殺して亡くなった日、あれから90年です。softwind さまはちゃんと取り上げて下さいましたhttp://kihaseason2015.hatenablog.com/entry/2017/07/24/000200

私もその日に何か書こうと思っていたのですがそびれてやっと今日になってしまいました。芥川の命日を河童忌と呼ぶのは、自殺の前に書いた小説が『河童』だから。(いろいろな文学忌がありますが、太宰治の桜桃忌も有名ですね)

http://www.eonet.ne.jp/~nagasaki/kappa/ryukapp2.jpgNagasaki-ken's Kappa Densetu

芥川が住んでいた田端は多くの文人や芸術家が集まり、約1キロ四方に100人ほどがひしめくという、実に独特な芸術家村を形成しました。ざっと名前をあげると、室生犀星菊池寛久保田万太郎堀辰雄瀧井孝作中野重治佐多稲子、平塚らいちょう、田河水泡竹久夢二岡倉天心…。「ポプラ倶楽部」というテニスコートや「天然自笑軒」(芥川が披露宴を行った)という料亭など社交の場があちこちにあり、人々は下駄ばきで行き来し、互いに切磋琢磨していたそうです。

そこで「芥川は田端の王様であった。眩い存在であった。誰もが彼を愛さずにはいられないほど彼は才学に秀で、誰にも優しく、下町人特有の世話好きの面もあり、懐かしい人だった。」(『田端文士村 』近藤 富枝)

田端に越してきた萩原朔太郎は、室生犀星と一緒にあいさつに行こうと思っていたら、芥川がいきなり訪ねてきたエピソードを綴っている。丁寧にお辞儀をして頭をあげたら芥川はまだ畳に頭をつけてお辞儀を続けていた。それで自分もあわてて「お辞儀のツギ足し」をしたと。芥川は萩原朔太郎が移ってきたのが大変嬉しかったのだという。

 

田端文士村散策ツアー

田端駅前に立つアスカタワー1階には「田端文士村記念館」が入っていて、様々な催しをやっています。田端文士村記念館

今年2017年の命日は巣鴨の慈眼寺へお墓参りツアーがありました。私は参加していませんが、お孫さんの芥川耿子(てるこ)さんとともに、70名の参加者がいらしたそうです。ところでsoftwind さまが家族のことを詳しく書いています。

子供
芥川比呂志(長男) - 俳優
芥川多加志(次男) - 最も文学志向が強かったが、1945年(昭和20年)4月13日にビルマ(現:ミャンマー)で戦死[20]。
芥川也寸志(三男) - 作曲家。



芥川耿子(比呂志三女) - エッセイスト、詩人、童話作家
芥川貴之志(也寸志長男)- ファッションデザイナー。
芥川麻実子(也寸志長女)- メディアコーディネーター。

 

子供の名前は、それぞれ親友の菊池寛の「寛」(比呂志)、小穴隆一の「隆」(多加志)、恒藤恭の「恭」(也寸志)をもらって漢字を替えて名づけたものである。

お孫さんたち、皆活躍されていますね。

田端文士村のまち散策には去年参加しました。初めにレクチャーがあって、そのあと二班に分かれて学芸員のガイドで地域を歩きます。路地や坂の多い土地で、ガイドがいるのがどれほどありがたいか…。

だいたいこんな感じですよ。華やかに旧居跡が散らばっています。多いでしょう。

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印象に残っていることのひとつはこの不動坂です。(下の写真)

芥川は自宅から不動坂をおりて、田端駅に行き、東京大学へ通ったのですが、手紙に

「雨のふるときは下駄で下りるのは大分難渋だ。そこで雨のふるときには一寸学校がやすみたくなる」と書きました。

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へえ、この坂が?そんな大変な坂じゃないと思うけど。普通そう思うでしょう。

・コラージュ写真下:不動坂(今は階段)

・真ん中:現在のJR山手線・田端駅入り口(東京にお住まいでない人、小さくてびっくりするでしょう)

・写真上:駅を背に下の線路をのぞき込んだところ。

そこで学芸員さんが教えてくれます。昔は上から線路までが一続きの坂道だったそう。なるほど結構な坂道です、それなら愚痴をこぼしたくなるのもわかります。雨や雪の日は滑って危なかったでしょう。

 

イマドキの文豪

ところで先ほどの地図の裏側がこちら。

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右が芥川、左が森鴎外です。この地図は文士村記念館と文京区「森鴎外記念館」と文豪ストレイドッグスというマンガのコラボなんです。(森鴎外についてはいずれの機会に)

文豪ストレイドッグス』とはウィキペディアによると

原作:朝霧カフカ、作画:春河35(さんご)

ヤングエース』2013年1月号より連載中。

太宰治芥川龍之介中島敦といった文豪がキャラクター化され、それぞれの文豪にちなむ作品の名を冠した異能力を用いて戦うアクション漫画である。
主要な登場人物はほとんど全員が文豪と同じ名前と誕生日。各自の能力や人物設定も文豪自身のエピソードや作品にちなんだものが多い。
この作品が生まれたきっかけについて、原作者の朝霧は「文豪がイケメン化して能力バトルしたら絵になるんじゃないかと、編集と盛り上がったから」と述べている。

news.walkerplus.com

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上の記事からちょっとお借りしましたが、原稿や手紙や初版などお宝がいっぱいです。イラストの絵葉書も売り出し、新聞などで宣伝したおかげで若い層の集客に効果があったそうです。最近は文庫本の表紙に人気漫画家の絵を採用することが多いですよね。

 

去年は復元模型も見にいきました。

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<事前案内>「田端文士村記念館」リニューアルオープン|東京都北区

芥川龍之介の養父が田端に建てた家で、土地面積は約200坪。2階の8畳間が書斎で、夏目漱石の「木曜会」にならい、日曜日を面会日にしていました。多くの友人が集まって文学サロンとなっていました。

この家を30分の1スケールで復元しています。書斎の乱雑に置かれた本や手紙や机の上の諸々から、室生犀星が贈った庭のつくばい、ステッキ、物干しざおの浴衣など、大変に細かい。

椎の木に登っている龍之介、縁側で座って眺めている長男比呂志、三男の也寸志はお昼寝中…といったミニチュア人形もおもしろい。(こちら産経新聞によい写真があります。芥川の自宅模型が話題に 改装の田端文士村記念館 - 読んで見フォト - 産経フォト

 

 自殺した夏も暑かった

今年も酷い暑さですが、芥川の亡くなった昭和2年も35℃だったといいます。內田百閒(うちだ ひゃっけん)はこう書きます。

芥川君が自殺した夏は大変な暑さで、それが何日も続き、息が出来ない様であった。余り暑いので死んでしまったのだと考え、又それでいいのだと思った。原因や理由はいろいろあっても、それはそれで、やっぱり非常な暑さであったから、芥川は死んでしまった。

芥川は河童の絵を何枚も描いたようですが、画家で友人の小穴 隆一は、晩年の絵は草書のような枯れて疲れた河童になっていた、といい、久保田万太郎

「生前、どうしてああ好んで河童の絵を描いたのか…畢竟(ひっきょう)かれはつねにかれの自画像が…哀しい自画像が描きたかったのである」と書いています。(引用はそれぞれ個人全集から)

 哀しい自画像だったとは…。

河童忌 田端の王様・芥川龍之介 ここまで)

 

アゲハ蝶と朝顔

外の朝顔は今年は二階まで紐をはりました。

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カマキリのお洋服

今日、土用の丑の日 - ほのぼの日記

クリナムの上に毎日カマキリがおりますが、今日は脱皮した殻が残っていてラッキーでした。

カマキリの脱皮した美しい殻を載せていらっしゃいますので、ぜひご覧になってください。みよちゃんさま、いつもありがとうございます。

 

 追記

id:marverickjpさま、ありがとうございます。

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www.youtube.com

田端文士村記念館ではこのフィルムの全部が見られます。入館無料です。

 

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yokobentaro さま、アニメ見てたんですか?うちの夫はあの葉書がなくなるといけないから、とわざわざ買いにいったんです。

 

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sinsintuusinギアさま、ぜひ河童でブログ記事書いてくださいよ。なるべく早くね!

anneneville アンヌさま、自殺の原因はいくつもあって簡単にはここに書けないんですが、「暑くて…」あんなフォローのしかた、悲しみの鎮め方もあるんだなと心に響きました。