竹中工務店ってすごいと思う。
先日、東陽町(東京メトロ東西線)からすぐのところにある竹中工務店本店に『ちいさいおうち』展を見にいってきた。
竹中工務店と絵本?どんな関係があるの、と思うでしょう。竹中工務店のギャラリーのサイトはこちら。Gallery A4(ギャラリーエークワッド)
展覧会を企画したGallery A4は、2013年に公益財団法人となり、メセナアワード2014ではメセナ大賞を受賞するほど高い評価を得ている。活動方針として
「建築文化の発信」を基底に据え、専門的視点に留まることなく、広く一般の方々から子供たちまで、幅広い層を対象に、愉しみながら建築文化の理解を促すことを心がけてきました。これからもこの方針を念頭に、創意工夫を凝らした企画を実現させていきたいと考えています。
このようなコンセプトなので、ちいさいおうちも「建築文化」の一つと捉えており、子どもたちのために「ちいさいおうち」を作ろう!という工作ワークショップや読み聞かせのイベントなど、工夫を凝らした企画を用意していた。
『ちいさいおうち』(1942年)
アメリカの絵本の古典中の古典、バージニア・リー・バートン(Virginia Lee Burton, 1909- 1968年)の作品である。邦訳は 石井 桃子さんで1954年発行。
皆さんも子どもの頃読んだり、あるいは現在小さなお子さんがいらっしゃるかた、読み聞かせをしたりしたのでは?この本は児童向けの範囲をはるかに超えており、大人こそ読むべきなんじゃないかと思っています。
ちょっとピンタレスト画像をお借りして、ストーリーを知らない方にもおおよそ見当がつくように。(もちろん全部の絵ではありません)
What will happen to the Edith Macefield house? : TreeHugger
お話の主人公はちいさいおうちで人格を持っていて、常に絵の中心に描かれている。周辺が都市化・工業化していき、表情も次第に変わっていく。
大都会の騒音と汚染と窮屈のなかで暮らすちいさいおうち。田園ののどかな日々を思い出し、あそこに帰れたらなあと夢見るが、ひとりではどうしようもない。
ところがあるとき、ちいさいおうちの前を通りかかった人のおかげで、また田園の生活に戻れることに。その人はなんと……。
「いなかでは、なにもかもが たいへん しずかでした」。
この一文で物語はハッピーエンドに終わる。あらためて表紙の絵(アイキャッチ画像)を見てみる。おうちを取り囲むひな菊、太陽、木々、小鳥たちは自然と平和と幸せの象徴だろう。
デザイナー バートンの世界
写真:ウィキペディア
バートンの残した7冊の絵本はすばらしいものだが、絵本製作は彼女のほんの一部でしかない。自然を慈しみ、古き価値あるものを大切にする、地に足のついた生き方は、ターシャ・テューダーや前に紹介したマリ・ゲヴェルスを思わせる。野菜を作り、庭仕事に励み、ジャムやコンポート作り、羊の飼育や猫たちの世話、大好きな料理や裁縫…もちろんそこに大切な家族や友人・隣人たちが加わる。その世界が根本にあって、そこから滋養を得てバートンの世界はどこまでも広がっていったのである。
私はデザイナーとしてのバートン、職人集団「フォリーコーブ・デザイナーズ」(The Folly Cove Designers)を育て上げた指導者としてのバートンを尊敬してやまない。
写真:ヴァージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』展より
バレーを習い、ダンスに夢中だったバートンはけがをした父の看護をすることになり、こちらの夢はあきらめ、同じように好きだった美術の方に進むことを選択。(教師だった男性と結婚する話はのちほど)
絵を描き、彫刻をし、木口木工版画などの制作のかたわら、乞われて絵のクラスを持つことになる。そのレッスンからずぶの素人の主婦だった人たちが、アメリカ中に知れ渡るデザイナーズ集団へと成長していくようすはワクワクする成功物語である。
展覧会では彫られたリノリウム板とプリントされた布などが多数飾ってあった。テーブルクロス、スカート、エプロンなどの製品のほか、布地としても売り出され、人々は気にいったデザインの布を何ヤードと注文して買っっていったそうだ。
これはバートンがデザインクラスの卒業生たちに贈った、いわば「修了証書」。創作の過程がユーモラスにダイナミックに描かれ、細部も凝っていておもしろい。
私がとっても気にいっている「うわさばなし」Gossips。発想が秀逸。アメリカの小さな田舎町の、クスっと笑える日常である。
繰り返し題材となる「ブランコの木」。
もうあれもこれも紹介したいのですが💦
興味を持ったかた、ネットでたくさん見られますのでどうぞ。
ダンス・曲線の美
なぜこんなにバートンのデザインが好きなんだろう、と考えてみると、リズミカルな動きと曲線、そしてユーモアと明るさだと思う。長く親しんだダンスからの影響は大きいだろう。舞台で動きをデザインするように、一枚の絵の中にもっとも調和のとれた動きをおさめてみせる。しかも絵本の場合は言葉が大切で、当初は手書き文字だったようだ。一つのストーリーが表紙から見返し(ここに絵を描く人は稀)、本文(絵と言葉の調和)、最後の見返し、裏表紙まで連続して完結する。
バートンにとってデザインは本当の意味で「自己表現」であり、人生のすべてを注ぎ込んでいると思う。
また題材を身近なものに求めるところもいい。
細部へのこだわりも徹底しており、直しを何度でも気のすむまでやるため、編集者はバートンの手から原稿を「もぎ取らねばならなかった」という。
下「フォリーコーブ・デザイナーズ」(The Folly Cove Designers)の本拠地。もとは納屋だったそう。
Deborah Velásquez: Virginia Lee Burton, An Artist Mom
「ロビンフッドの歌」
倦むことなき研究のたまもの、そして驚くべき細密画の作品『ロビンフッドの歌』にはため息が洩れる。
展覧会は下の写真のように絵だけであるが、本には楽譜とテキストがついている。中世の彩色写本を思わせ、豪華で美しい。
興味のある方はこちら→『ロビンフッドの歌』The Song of Robin Hood (英語) ハードカバー – 2000/8/28https://www.amazon.co.jp/Song-Robin-Hood-Anne-Malcolmson/dp/0618071865
バートンの個性的な家族たち
父親はなんとマサチューセッツ工科大学の初代学部長である。母親は芸術家。両親から才能を受け継ぎ、恵まれた子ども時代を送った…と書きたいところだが、ある日、母が24歳年下の男性(マサチューセッツ工科大学の学生だった)と同棲するため、家を出てしまう。のちに二人は結婚するのだが、その自称発明家で変わり者のカール・チェリー(Carl Cherry)とは数年は貧乏な生活だった。ところがチェリーは本当に発明家だった。第二次大戦中に航空機生産に革命を起こすことになる「チェリー・リベット」という鋲(びょう)を発明し、億万長者になったのだ。ただ彼は戦後すぐに亡くなってしまったそうだが。バージニアは母親とのちに和解する。
夫ジョージ(George Demetrios )はボストン美術館学校で、土曜の朝だけデッサンクラスを受け持っており、バージニアは生徒だった。ジョージはギリシャからの移民で、15歳のとき、襟の折り返しに名札をつけてアメリカに上陸した。英語は全く話せなかった。道で靴磨きをしていたが、客のいないときは通行人の顔を描いて楽しんでいた。それをたまたま見た人がスケッチに感心し、奨学金を受けて美術学校に行けるよう取り計らってくれた。学校では大変な評価を受けて、重要な賞をもらったり、フランスへ留学したりした。さらに彫刻のほうに舵を切ると、これでも名声を得て、ボストンに自身の名前のついた絵画彫刻学校を設立するのである。
最後にバートンが日本に来たことを。『ちいさいおうち』の翻訳が出て日本で大好評だったため、日米文化協会は1964年、バートンを招待した。石井桃子氏の主宰する「かつら文庫」を訪れたり(子どもの阿川佐和子さんがその場にいたとか)、松岡享子氏(翻訳家、児童文学研究者)と一緒に旅行したりした。富士山の近くの漁村で過ごした4日間の思い出を「浮世絵の中で暮らしたみたい」と語ったそうである。
〈ヴァージニア・リー・バートン ここまで〉
桔梗はもう終わりなんですが、最後の白と紫がひとつずつ咲いていました。ほおずきが色づきました。
山田ガーデンさんがおっしゃるとおり、マリーゴールドはこの暑さにもめげず、いつも溌溂としています。朝、こちらの眠気を覚ましてくれますね。
ギアさま、お子さんとお孫さん、もしかして知っているんじゃないかしら。『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』なんか図書館で人気の本です。いたずらきかんしゃちゅうちゅう|福音館書店
アンヌさま、おっしゃる通り、ディズニーアニメになったのですが、バートンは全然気にいらなくてがっかりしたんですって。話がずいぶん変えてあったようです。東京は催しが多すぎて、たいてい行きそびれます。期間が短いからね。
暑さの折り、お気をつけ遊ばせね!