ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

人生80年、戦争はごめん‼ 第一次大戦のUボート、ベルギー沖で発見 -3-

人生80年と言われます。

その間に戦争などなく、ミサイルも飛んで来ず、飛行機からの落下物に当たることもなく、まあまあ健康で暮らせて、ある日自宅でポックリ逝く…っていうのが理想です。はて、どうなるでしょうか。昨今の情勢はかなり不安ですが。

「80年」の話から始めたわけは、前に「フランス人は平和主義者ですか」というコメントをいただいたので、ちょっと補足したいと思います。(私がフランス人の言ったことばを引用してそのように書いたもので)。

 

「平和主義」=「戦争はもうまっぴら」

フランス人の知り合いのお年寄りは皆口々に言います。「酷い時代だった。あいつらのせいさ」「戦争なんか、フランスもイギリスもしたくなかったんだよ。だけどまたボッシュ(ドイツ人の蔑称)がおっぱじめたもんだから」

あの「大戦争 (Great War)」と呼ばれた第一次大戦が、かつてない規模の悲惨なものだったから、戦争なんかもう絶対イヤという国民感情だったでしょう。

やっと1918年11月の第一次世界大戦休戦条約をもって戦争は終わり、ヨーロッパの人々は平和を享受していました。でもその平和も20年しか続かなかった。

「ま、平和ボケと言われてもしかたないけどね。フランスじゃあ軍備なんかまるで考えていなかったよ」「ポーランドと同盟を結んでいたから仕方なく宣戦布告」(事実上はポーランドを見殺しでしたが)。

 

それまでは英仏はドイツに対して宥和政策をとっていました。このことがヒトラーの自信を深めさせ、悲惨な戦争への道を切り開いてしまったと言われています。あとになっての非難や反省は簡単ですが、なんとか戦争は避けたい、多少の妥協はしてもよい、フランスが軍備増強などしたらかえってドイツを刺激するのではないか、経済的にも人口問題(*註)を考えても戦争は避けるべきだー そのように考えていたんですね。

アンドレ・モーロワ(André Maurois、1885- 1967)は数多くの評伝や『英国史』『フランス史』など歴史書を著して、かつてはよく読まれたフランス人作家・歴史家ですが、この人は英語に非常に堪能で、第一次大戦にはイギリス側との英語通訳官として出征しました。

第二次大戦でもドイツのフランス侵攻(1940年)のとき、やはり通訳官としてイギリス大陸派遣軍の本部(ベルギー)にいて、ドイツ軍の電撃戦と英仏軍の敗れるさまを目の当たりにしました。そして驚いたことに、ニュース速報的な早さでフランス軍崩壊の分析を一冊の本にまとめて出版します。ただしアメリカで、したがって英語で。(ユダヤ人だったのでアメリカに亡命。モーロワはペンネーム、本名はヘルツォークといった)。

こちらの本です。

"Tragedy in France"  Harper & Brothers: new York; 7th Edition. edition (1940)
するとその一か月後にはもう邦訳が出ます。

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『フランス敗れたり』 (高野弥一郎訳 大観堂。現在新しい版がある)

(ウェッジのサイトより引用)

昭和15年に刊行された邦訳は、3ヶ月後には実に200版と版を重ねる記録的な大ベストセラーになりました。

ドイツがわずか6週間でフランス全土を打倒し、全ヨーロッパはヒトラーの前にひれ伏しました。この出来事は当時の日本人に大きな衝撃を与え、日本は日独伊三国同盟の調印に踏み切り、太平洋戦争へと突入することになります。…フランス敗れたり アンドレ・モーロワ 著/高野彌一郎 訳 WEDGE Infinity(ウェッジ)

(太字は私)

 

チャーチルの警告

 チャーチルは1935年にはすでに「フランスの軍備強化が急務である」と警告していたそうです。

(モーロワに向かって)

ーいまやフランス空軍を追い越し、ドイツ空軍が世界一になろうとしている。フランスは滅亡するかもしれない。文化や文学も大切だが、強い軍事力を伴わない文化は明日にでも滅びる危険にさらされる。

ー君はもう男女の愛だの野心だのを書いてる場合じゃないだろう。空軍の増強を新聞で訴えるべきだ…云々。

同様にド・ゴールも「マジノ神話」(第一次大戦の英雄ペタン元帥の権威が残っていたため、マジノ要塞に過剰依存する防衛戦略だった)を危険だと批判し、戦車と航空機による機動戦略の必要性をとなえていました。多量の戦車生産を強く主張しましたが、受け入れられることはありませんでした。

 

80年の人生

ちょっとここで、1870年生まれのフランス人の人生を想像してみましょうか。なぜ1870年かといえば普仏戦争の起きた年だから。そして計算しやすいので。

80歳まで生きるとすると1950年に亡くなります。普仏戦争のあと戦争は、世界大戦が第一次、第二次とある。つまりその人の人生80年は母国が常にドイツと戦争状態なのです。フランス人がドイツのことをあしざまに言う気持ちもわかりますね。

でもその反省から今のEUがあるわけで、イギリスは抜けてしまいましたが、仏独はこれからも牽引役として協力して進んでいくでしょう。(先日のドイツの選挙結果で、不安が全くないわけでもありませんが)。

http://www.historyplace.com/worldwar2/defeat/attack-france-panzers.jpg

写真上下ともThe History Place - Defeat of Hitler: Attack on France

http://www.historyplace.com/worldwar2/defeat/attack-france-infantry.jpg

(1940年5月、ベルギー、アルデンヌの森をぬけて西へと進むドイツ軍。この森林地帯は古くから自然の要塞と言われていたから、私は今でも、あんな鬱蒼とした森をドイツ装甲部隊が切り拓いていった様子をなかなか想像ができない。)

 

*註:人口の問題

フランスはナポレオン時代以降、人口が急速に減っていきました。ナポレオン戦争が青年、壮年男子の命を奪っただけでなく、妊娠率の低下や子供に高い教育を受けさせるために子の数を少なくしようという傾向もあったようです。その後は離婚や妊娠中絶が増えることで出生率はますます下がります。

そして第一次大戦が始まった1914年を見てみると フランスの人口は約3900万人。

ドイツ約6500万、イギリス約4600万、と比べて明らかに少ない。(1914年日本は約5200万人だった)。そのことは兵士の数にはねかえってくるわけで、人命の損失を防ぐためにもあのマジノ要塞に頼らざるをえなかったのです。

〈人生80年、ここまで〉

 

 第一次大戦の沈没Uボート、ベルギー沖で発見

つい2週間前のニュースです。海洋考古学者でアマチュアダイバーでもある人が、オステンデの沖、水深25~30メートルのところで見つけました。

自分でカメラをまわし、スケッチをしたようですが、もっと調査を進めるには助手が必要だということです。Uボートは端のほうが一部破損しているが、そのほかは保存状態は極めて良好だそうです。

http://1.standaardcdn.be/Assets/Images_Upload/2017/09/19/duikboot2.jpg

・長さ27×幅6メートル。

・UB-27, UB-29, UB-32 このいずれか。

・乗組員23人は中にいる。

f:id:cenecio:20170930165757p:plain

これを読みたいと思ったのですが定期購読者限定でした。残念!

Duitse duikboot uit WO I gevonden in Noordzee, lichamen moge... - De Standaard

 

潜水艦の中って…悪夢です!

こちらのサイトへどうぞ。

mashable.com

 

続き

cenecio.hatenablog.com

 追記:

www.afpbb.com