ノーベル文学賞2017
つい最近また『日の名残り』(1989年)を読んでしみじみ凄い作家だと思っていたので、ノーベル文学賞の発表を聞いたときは「よい人選をしてくれたな」と嬉しかったのですが、でもこんなに早く?と思ったのも本当です。まだお若いイシグロ氏。私と同世代です。
2010年9月、娘のナオミさんと。
Naomi Ishiguro and Kazuo Ishiguro, author of Never Let Me Go (Tom Sandler/Globe and Mail/TOM SANDLER FOR THE GLOBE AND MAIL) Vanity Fair party - The Globe and Mail
なぜ『日の名残り』を読んでいたかというと、私は『ダンケルク』を契機にずっと第二次大戦のことを書いています。前回ブログで、イギリスに対しては「ヒトラーの片思い」だったのでは、と書きました。
核シェルターと防空壕 &ヒトラーはイギリス贔屓(びいき)か - ベルギーの密かな愉しみ
フランスが降伏し、ヨーロッパ大陸を支配したヒトラーは、本音はイギリスとは戦いたくなく、連携または黙認を望んでいました。『日の名残り』の中には、このドイツの親英の逆バージョンともいうべき、イギリスの親ドイツの世情が描かれているからです。「歴史がこの屋根の下で作られるかもしれない」…ダーリントン卿に仕える執事にそう言わせるほど、ヒトラーが送りこんだ駐英大使リッベントロップはじめ、英国内外の要人が数多く登場します。英国内の対独協力者やファシスト連盟などの重要人物たちです。今回読み返して一つ一つチェックして、「あら、あなたもいたのね」などと楽しんでおりました。
しかし、急いで付け加えなければならない。この小説ではそうした史実は重要な要素ではない。これは有能な老執事スティーブンスが暇をもらい、車で英国の田舎を旅するのですが、そのかんにこれまでの数十年の人生を省察する話です。
あるべき執事像を追求し、「品格」について常に考えているスティーブンス。彼の語りで、そしてあくまで彼の記憶や印象、彼の視点を通して回想は進行します。
さあどうぞ、お付き合いしますよ、という気持ちで読者はゆったりと身を任せるようにして読み進みます。が、なんだかおかしいんです。記憶が曖昧なのか意図的にぼかしているのか、どうも話題を避けたいようだ…変だなと思い始めます。いぶかしく思っていると、内容もいつのまにか変わっていたり、言い訳を始めたり…で一貫しません。
「信頼できない語り手」( unreliable narrator)なんですね。ははあ、なるほど…と、予備知識なく読み始めた読者は今度はそれらすべてを受け入れ、おもしろがりながら、自分なりに話を修正してまとめようと試みます。この過程がとても刺激的でおもしろいと個人的には思っています。最終的には事実を再構築できますから。時間が充分に取れる読書でしか味わえない醍醐味でしょう。
記憶とはそもそも信用できないものです。自分の記憶も人の記憶も。都合の悪いことは忘れたり書き換えたリしています。ゆがめたり誇張したりもします。自分(=私)のことを振り返ると、受け入れたくない過去は逃げるか捻じ曲げようとしていることが多いです。
執事スティーブンスの旅の目的には、ダーリントン卿の屋敷を去って結婚した女中頭ミス・ケントンに会うことも含まれています。
スティーブンスにはこの20年、いつも鮮明に思い出される一葉の写真のような光景がある。自分が廊下に立っていて、前にはミス・ケントンの閉じたドアがあり、ノックしたものかどうか決断しかねている。ドアの向こう側でミス・ケントンが泣いている。そのとき自分が抱いた名状しがたい感情の渦は、しっかりと脳裏に刻み込まれているのだが、前後の状況を自分で思い出せないでいる。(p303~。*1)
イシグロ氏は小説のなかで、記憶というツールの複層的な性質、流れる時間だけでなく、切り取られた光景などいろいろな使い方を見せてくれるマジシャンです。記憶は手段にも素材にもなって、見事な手さばきに読者はワクワクします。(イシグロ氏はよくプルーストの記憶の扱いについて語っています)。
NHKの「白熱教室(*2)」で、自分が過去を記憶するやり方は少し特殊なのではないかと言っていました。切り取られた絵のような写真がまずあって、その前後に記憶が広がる。それは映像にしたらはっきりしすぎるので、ぼんやりと曖昧なもの、過去の感触のようなものを描くのに、小説は最適であると話していました。
執事スティーブンスはダーリントン卿を盲目的に慕い、崇め、屋敷の小さな世界だけで生きてきた、世間知らずの人間でした。旅の途上、村人と触れ合ったり、ミス・ケントンと再会することで少しずつ考えを変え、また深めていきます。自分を見つめなおし、「真実」(わかってはいたのだが、認めたくなかったこと)と向き合うとき、もはや「信頼できない」語り手ではなく、誠実な人間として立ち現れます。
スティーブンスは自分の人生を総括したあと号泣します。読者である私はミス・ケントンとの再会シーンでもう涙ぐんでいるのですが、ここにきてもうたまらなくなり、やはり号泣します。ああ、なんと今頃気づいた!ロマンスの話でもあったのに私は愚かだったな、という嘆きも含めて。
執事がなにかのメタファー(*3)だとしたら…なんと悲しい話だろう。そう思ってちょっとイシグロ氏を恨みたい気分になります。自分も執事だったと思うのです。
でもこれから読まれる方、ご安心ください。最後まで読めばわかります。最後はニッコリしていただけます。
こんなに心を揺さぶられるのに、声高なところは微塵もなく、静謐でユーモアも交えつつ淡々と語られる文章ー イシグロ氏ご自身のようで、そこも気にいっています。
ユーモアは執事の性格から醸し出されるのですが、小説の随所にたくさん織り込まれています。そのたびに読者はクスっと笑い、心の中でツッコミを入れながら読みすすめる。あとで思い出しても可笑しい。再読すると一度目では気づかなかったところが見つかり、著者の目くばせを感じ、うなづいてしまいます。イシグロさん、やはり只者ではないですね。
(註)
*1:『日の名残り』 (ハヤカワepi文庫) – 2001/5/1
カズオ イシグロ (著), Kazuo Ishiguro (原著), 土屋 政雄 (翻訳)
*2: 再放送:2015年のNHK「カズオ・イシグロ 文学白熱教室」明日夜再放送
【放送予定】10月8日(日)[Eテレ]後11:00
ノーベル文学賞の受賞が決定した、ベストセラー作家カズオ・イシグロ。自作をひもときながら、学生たちに文学の神髄を語った「白熱教室」を特別アンコール。
【ノーベル文学賞受賞決定!】カズオ・イシグロ 文学白熱教室 再放送! カズオ・イシグロ 文学白熱教室 |NHK_PR|NHKオンライン
*3:大きなメタファー(比喩)については「白熱教室」で熱く語っています。ぜひこちらで。(youtubeでも見られます)
2015年6月カズオ・イシグロ氏は、10年ぶりに出版される長編小説 “The Buried Giant”(日本語訳:『忘れられた巨人』)のプロモーションのため来日しました。
NHKの「白熱教室」出演や出版社でのイベントなどのほか、慶応大学で講演(正確にはオープンインタビュー)がありました。なんと申し込みもいらず、無料だったので息子を誘って行きました。
大学の文学部創設125年記念行事の一環ということですが、英文学の教授たちと古くから親交があるようでした。河内恵子教授が聞き手となって、インタビューは英語で行われました。
写真:ニュース:[慶應義塾]
2015年6月5日(金) 15時30分~17時 なので、息子は会社を早退しました。「イシグロさん、見にいってきます」と言って。
話したいことはたくさんありますが、私が最も興味を持ったのは、ケント大学で英文学や哲学を専攻した後、イースト・アングリア大学(University of East Anglia)で文芸創作のクラスを受講し、そこでメンター(mentor)ともいうべきアンジェラ・カーター (Angela Carter1940 - 1992)と知り合ったこと。創作の修業ともいえるようなすごいエピソードだらけなんです。またいつか、別の機会に。
http://www.angelacarter.hmg-g.com/index.html
アンジェラ・カーターは日本に住んでいたことがあります。
おまけ
🌸英ガーディアン紙の記事を添付しておきます。
メモ:
Kazuo Ishiguro, le Japon et le rôle de la mémoire | nippon.com - Infos Japon