ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

「嫁」についてつらつらと考えた正月休み。

嫁はつらいよ。

正月休みに読んだ記事で考えさせられたものの一つ、それは「嫁」というテーマ。きっかけはこの東洋経済さんの記事「田舎の長男」との結婚に絶望した彼女の告白 | 離婚のリアル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準で、 twitterだけでも30万回以上リツイートされ、反応や意見交換も大変に活発で私も多くを学んだ。

ちょっと簡単に記事内容をまとめてみよう。(全文はぜひ↑記事のほうで)

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(写真:ピンタレスト画像)

バツイチの百合子さん。ひょんなことから兼業農家の長男と知り合い、都会の男性にない「押しの強さ」に惹かれ、とんとん拍子に婚約まで進んだ。実家を訪ねるといきなり、二世帯住宅に建て替えるだの、「早く男の子を生んでもらって、私たちの面倒を見てもらわないと」だのと言われる。村の長老には「結婚式は村のしきたりに沿った式にしてもらう」とも。

百合子さんはまず村の近くにアパートを借りて仕事を探すことに。しかし村人は外部から来た人を受け入れないため地元の企業には断られてしまう。

土日は地元の消防訓練があって、それは「村の男のしきたり」だという。公民館で朝5時から消防の訓練をしたら、夕方まで飲み食いし、村の女たちはそこに飲み物や食事を差し入れるのだ。もちろん他の行事でも強制参加。冠婚葬祭では仕事を休んで男たちをもてなさねばならない。

息の詰まるような日々、あるとき一人で高速バスに乗って大阪へ買い物に出かけたら大目玉を食らってしまった。もう限界だと感じ、相手にそう告げると、留守電に毎日何十件も「ふざけんじゃねーよ! ぶっころすぞ!」と電話が入るようになった。恐怖を感じた百合子さんは、弁護士に相談し、東京へ逃げ出して婚約破棄した。

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みなさんはどんな感想をお持ちだろうか。

私はこれまでにも、そうした田舎の長男の悲哀とそれを巡る問題を聞いたり読んだりしてきている。しかしそれはずいぶん前のこと、まだ若かった頃の話だ。まさか2019年の年の初めにこのような記事を読むとは夢にも思わなかった。え、まだこんな風なの?!と正直驚いた。

農家の長男はつらい。次男三男は早くに結婚して子どもが3人くらいいたりするのに、自分だけは独身のままで40~50代になり、親と同居。もちろん必死の思いで婚活もした。しかし結婚しても嫁に逃げられたり、嫁が鬱になるなど体を壊してしまう。

だが家父長制が残る土地で、長男に嫁いだ嫁はもっとつらい。理不尽ないびりや村人の監視に晒される日常。会食などでも皆と一緒に卓を囲むことはなく、たいていは台所に立ちっぱなしで女中さながら。夜遅くに一人で食事をするたび惨めな気持ちになる。(次男三男の嫁は何もしなくてよいのも不思議)

伝統的なムラ社会の因習が連綿と受け継がれ、新しい価値観を受け入れる余地はない。それどころか、自分たちもさんざん苦労したんだから、とうっぷん晴らしのようなパワハラ、いわゆる「抑圧の移譲」(丸山真男)が家庭内で行使される。

それでも嫁の言うことに耳を傾けてくれる長男であれば希望も持てるが、小さい頃から大切に育てられるせいか、自己中心的で大きな子どもといった感じの人もいる。嫁をかばって親や村人に意見する気はなく、むしろしきたりに従うべき、それが当たり前だと思っている。

もちろんこうした話は「長男」「田舎」に限ったことではない。男尊女卑、女性蔑視の風潮は21世紀になっても日本社会のあちらこちらに残る。昨年の大臣・議員・官僚の発言やセクハラ問題をいちいち持ち出すまでもないだろう。

話をあまり広げたくないのでまた嫁テーマにもどるが、こんなツイートもあった。

>結婚相手は長男ではないが、自分の家は母子家庭。義理の父母は親戚から「そんな家の娘を嫁にしてやるとは偉い」と褒められると、「育ちが悪いから躾け直してやらねば」と返していたという。

MeToo運動が世界を大きく揺るがした2018年。日本人の意識も少しずつ変わってきているし、今後はますます改善されていくだろうと私はけっこう楽観的に見ている。

(*あくまで、私が聞いた話をもとにしているだけで、「すべての~」という話でないことは重ね重ねお断りしておきます。農大出身で農村に入って地域を盛り上げている女性たちの話を聞くと、明るい未来を感じます)

 

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記事への反応がおもしろい。 嫁って何だろう。

記事を読んだ読者の反応がさまざまだった…といっても分類すると3通り、いや4通りかな。(4つ目は総括的。男性の感想に多い)

①この話は信じられない。そんな世界が本当にあるのか。作り話、または盛り過ぎた話だろう。

②実家の田舎にいたころはそんな風だった。でもそれは昔のことだと思っていたが、今もあるんだと驚いた。

③現在自分はその只中にいて実感している。あるいは離婚してもうそこには住んでいないが、田舎ではまさにそんな生活だった。長男のところに嫁ぐならその前によく考えて。(少なくとも都会で育った人は)

④過疎化、衰退する集落にはやはり理由があるのだ。閉鎖的で排他的な地域は生き延びられないだろう。特に嫁の扱い、個人の人権などなく、家や村、コミュニティの所有物であるかのような扱いが変わらないならば。

また印象的なツイートとして、「嫁」をウェブの辞書でひいてみたら驚いた、というものもあった。

嫁(よめ)とは - コトバンク

息子の妻。家父長制下にあった日本では,いわゆるシャモジワタシを受けて主婦となるまでの期間の妻をさす呼称であった。当時の嫁が,一家の主婦となるまでには,長い試練の生活を強いられるのが普通で,新潟県佐渡の「添うて7年子のある仲だ,嫁にしゃくしを渡しゃんせ」という民謡などにも,その間の事情はうかがわれる。しかし,家父長制の崩壊した新憲法下の今日では,嫁と主婦との間に,かつてのようなへだたりはなくなってきている。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より引用(*太字は私)

嫁とは何か。私も改めて習った。

シャモジを渡すこと。なるほど、シャモジは主婦権の象徴であるから、これを渡された嫁は、その後台所の一切を任されるということか。料理の味付けから食品の管理に至るまで。

これをもう少し調べてみると柳田国男に行き当った。木綿以前の事 - 岩波書店

https://www.iwanami.co.jp//images/book/246097.jpg

(抜粋して引用)

16・・・普通は鍋敷があってここで惣菜を煮た。盛るのは当然に主婦の権限で、家を譲った母さえも手は出さぬ。娘が多ければ少し引下ってそのまわりに坐り、嫁は勿論その中に交っている。或る家では姑のちょっと席を立っているうちに、嫁が杓子を握ったという咎により離縁をされたという一つ話もある。

・・・とにかくに嫁に世帯を引継ぐことを、今でも東日本では「杓子をわたす」、または「へらを渡す」とも謂っている。

・・・この杓子渡しという語は、形容であろうと最初は思っていたところが、事実その通りの事をしているという話を、近頃になって岩手県の友人から聴いた。いよいよ母親が年を取って、家の管理を嫁に引継ごうという日には、新しい鍋の蓋(ふた)の上に新しい杓子を一本載せ、それを両手に持って嫁に手渡しするのが方式だったという。

信州の北アルプス地方でも、まだこの事を記憶している老人があった。

(*太字は私)

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今読むと実に新鮮である。

「新しい鍋の蓋(ふた)の上に新しい杓子を一本載せ、それを両手に持って嫁に手渡しする」

という主婦権を譲る儀式。昔は皆で役割を分担して協力しなければ田舎の生活は成り立たなかっただろう。嫁から一家の主婦へ格上げ(?)されることは誇らしいことだったと思う。

 

最後に昔話を二つ紹介しておこう。

・『金のしゃもじ』

『金のしゃもじ』 - 小澤俊夫 昔話へのご招待 (Toshio Ozawa -invitation to the folktale-) | FM FUKUOKA

・『宝しゃもじ』まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - 宝しゃもじ

嫁の話はここまで。

 

🌸1分で楽しめるヘアメイクの変遷。

とってもおもしろいのでお薦めします。

1910年から2010年まで、日本女性の髪型とメイクの移り変わりを1分ちょっとでまとめています。各国版があるんですが、日本とドイツのを貼っておきます。

www.youtube.com

 

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