ノラの仔猫 ひと夏のお客さん (前編)

体調を崩して沈んでいた話

ちょうどチューバッカが、レイア姫R2-D2のところに逝ったあの時期と重なるが、過労と腰痛で寝込んでしまった。4月末のことである。ギリギリで母の日のプレゼントを買ってきてそのままダウン…。

美しい5月はまるまる棒に振った。6月になっても7月になっても不調は続いた。信じがたいことだ。というのも私は子どもの頃から体が頑強で、熱すら出したことがなく、医者にかかったのは妊娠出産のときだけだったから。

初めは楽観的に考えていた。3~4日ゆっくり休めば治るさと。しかし酷い腰痛で全く動けない。それも治る気がしない感じ。不安が募る。もう旅行にも行けないんじゃないか?だって30分と座っていられないんだもの。新幹線や飛行機でどこか行くなんてもう無理なのか…。細かいことは端折るが、3か月の間に外出したのはたったの2回。京橋の国立アーカイブへその日限定上映の映画Let the Corpses Tan - Wikipediaを見にいった(かたつむりのようにノロノロ歩いていった)のと、海外赴任する息子を羽田空港へ見送りに行ったとき。なんとその日だけ奇跡的に普通に歩けたのである。(笑。母親だな)

7月は東京は雨続き。どうせどこも行けない夏だ。こういう時は読書や勉強だと思い、前からやりたかったインドネシア語の学習を始めた。これから具合が悪くなるたびにアジアの言語を一つずつかじったら旅行のとき役にたつんじゃないか。英語も今回はまじめに再開し、それなりに充実した時間を過ごせたと思う。

そのかん、SNSやパソコンから遠ざかったことはとてもよかったと思っている。それまでは「浸かっていた」といっても言い過ぎでない。その前はいったいどうやって暮らしていたんだろう。たとえば2014年、2015年などは?そう思って昔の手帳を取り出してみると、最低でも1週間に3冊は本を読んでいたし、映画やドキュメンタリなどたくさん見ていた。よく歩き、いろいろな人と会っていたな。なんとも私は変わってしまったものだ。

そんなどこへも行かない2019年の夏。ある日突然ノラの仔猫が現れた。まるで贈り物のように天から降ってきたような子。(ここではエリと呼ぶことにする。本当は別の名前)

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 (写真:現れて1週間くらいのエリ。前肢をきちんと揃えて車庫の入り口に座っている)

美しい仔猫の登場で地域が華やいだ

その猫は玄関ドアの前に静かに立っていた。8月も末、夜7時ころ。食事の前にちょっとそこのスーパーまでひとっ走り、と思ったそのときに。今思い出しても何から何まで不思議な気がする。まるで訪問客のようだった。私ががさつにドアを開けてもびくっともせず、じっとこちらを見あげている。この辺では見ない猫だ。

それにしてもずいぶん小さいなあ、痩せてるし。いったいどこから来たんだろ。飼い猫じゃないね、汚れてるもの。おなかがすいているんだろうか。

やや見つめあってから、私は大きな声で家人に呼びかけた。「カツオ(=いなばの猫用おやつ)持ってきてくれる?猫のお客さんが来てるの」

カツオをおいしそうに食べたあと、まだなにか欲しそうだったので、夫がキャットフードを用意した。その間に私は買い物に行き、戻ってくると猫はまだ同じところにいて私をじっと見ている。スマホで写真を撮った。玄関灯の下で影を伸ばして立つ猫の写真。

翌朝6時、私は寝室の窓を開けるなりすぐ下を見た。「いる!」ゆったりと横になって体を伸ばし、玄関の方を見つめている。うちには家猫がいるので、猫用の食べ物はかなりの品ぞろえがある。明るい日の下でよく見ると、成猫用のドライフードは食べにくそうだった。6か月くらいか?1歳にはなってないなと思った。すぐに夫が仔猫用のエサを買いにいってくれた。

迷い猫ではなかった。そのことは動物愛護団体の人が調べてくれた。近所の人にリサーチすると、皆ほどんど同じ回答を返してくる。「突然現れた」「自分の家の前や植木鉢の間にうずくまっていた」「駐車場の車の下で眠っていた」「小学生と遊んでいた」。ただひとつ、気になったのは「警戒心がない。なさすぎる」「道路の真ん中で座っていたよ」

エリと名付けたその猫はそれから毎日、朝と夕方やってきて車庫の前で食事をとった。ぷんぷんといい匂いのする温かいウェットフードを平らげると、まだちょうだいという目で見る。今度はドライフードを入れてやる。全部食べることもあれば、寛いで体をなめ、時間を置いてから食べることもある。それから遊びに出かける。近所の探検、学びの散歩だ。鳥や虫をとらえようとジャンプし、からころ転がる枯葉をパンチする。いかにも子どもらしい尽きることのない好奇心で、世界をつかまえようとしていた。

これまでだってノラ猫にエサをやったり、触れ合ったりしたことはある。初めて会った猫だってもっと親しみを見せてくれたりもした。しかしエリは違った。触らせてくれないし、鳴きもしない。口を三角に開けて小さく息を吐くのだ。シャーと言っているつもりなのか。かといって物怖じする風はなく、我が家の周りに集まってくる猫好きの人々を寛大に迎えていたものだ。

別嬪さんの猫がいる、という情報は2週間もたたずに広まって、キャットフードを寄付したいんですけど、と大袋を下さる人や、チュールをあげてもいいですか?と持ち込む人まで現れた。学校の行き帰りに立ち寄る小学生。毎朝うちの前を自転車で通り、「おはよう、ニャン子ちゃ~ん!」と大きな声で挨拶する男性。「お宅の猫ですか。可愛いですね」と何度も声をかけられた。最近うちの周りに増えてきた民泊に泊まる、外国人の観光客も写真を撮っていった。どこから撮っても様になるエリ。フォトジェニックな猫だった。

エリを通して、それまで一度も話したことのない近所のアパートの人たちとも親しくなった。皆が自分の飼い猫のストーリーを語りたがった。その多くは既に飼い猫を亡くしていた。私はいっとき、その人たちの人生の一部分にお邪魔し、時に涙し、たくさん笑い、猫という不思議な生き物についてさらに理解を深めていった。とりわけ私には全く知識のなかったノラ猫の生活全般について。啓蒙してくださったのは、地域猫の保護活動をしているボランティアさんたちだ。9月半ばにエリを見にきた。長くノラ猫の活動をし、猫に慣れている人に対してもエリは声にならない「シャー」で威嚇した。

この幼猫の、凛として媚びることのない態度が気にいって、「そうそう、エリちゃん、皆にシャーを言えばいいのよ」などと思っていた。どこにも行ってほしくない。誰かが「うちの飼い猫に」などと言い出したらどうしよう。いや、もちろんエリの今後についていずれ決めなければならないことはわかっている。それをちょっとだけ先延ばしにし、エリとの日々を楽しみたい。それが私の願いであった。触らせもしないし、もちろん抱っこもできないのに、まるで飼い猫のような錯覚に陥ることが幾度もあった。

私が近所の人と植木やメダカ談義をしていると、私の脚元で横になってゆったり構えて話を聴いている。そのように見えるのだ。じっと聴いている。話し相手が気づいて「お宅の猫?」と聞くと私は決まって「そうです」と言っていた。

またある暑い日、草むしりをして汗をぬぐっていると、すぐそばの大きな鉢の後ろに陣取ってこっちを見ている。「あら、エリちゃん、そんなところで日向ぼっこ?」エリは私の仕事が終わるまでずっとその場所にいた。

私たちの心配の一番は交通事故だった。前にも書いたが、警戒心が薄くよく道路に座り込むのだ。通りの向こうの側溝にいるのを見かけて、私が大きな声で「えーりー」(音階でいくと「♩ソー♩ミー」)と呼ぶ。するとその声を聞きつけてこちらを向き、走ってやってくる。スマホのシャッター音が聞こえても同じ。それが私であることをわかっているのだ。音がする方を向き、私の姿を見つけるとやってくる。

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ボール遊びをしてもおもしろい。けりけりしたり、パンチしたり。そのボールが向かいの家の塀に転がっていくと、自分で回収してきて、また車庫の前で遊び始める。そこがエリの居場所なのだ。

*長くなりすぎるので、次回に続きます。

 

🌸おまけ

これ凄い!猫がどこにいるかすぐにわかりますか。答えは下に書きました。

https://twitter.com/TAKASKE_/status/1183555034929225728

答え:左上。

 

🌸続きです。

cenecio.hatenablog.com