ノラの仔猫 エリとの別れ (後編)

(前回の続きです)

「エリちゃん来た!」

わが家の朝はその仔猫が来たときに始まる。たまに朝焼けを連れて5時過ぎに現れることもあった。窓からのぞいて報告するのが私の役目、いや特権だ。たいていは6時から7時の間に玄関前の、ヤマホロシの枝から下がったハロウィーンの飾り、ジャコランタンの横に座って待っていた。

姿を見せるのが遅れると、皆が口々に心配を始める。「おかしいな」「どうしたんだろう」「遅くても7時には来てたよね」「何かあったのかな」不安を打ち消そうと誰かが言う。

「他のところで朝ごはんをもらったのかもしれないよ」「そうそう、うち以外に世話してる人いるかも。あんなに可愛いんだもの」。最も楽観的な推測は「朝寝坊しただけかもね!」。その観測に対しては首を傾げ、力なく笑った私だが、エリが8時半に現れて、猛烈な勢いで朝の食事を平らげる様子を見たら、そうか、朝寝坊もありえるのだと思ったものである。

多くの時間を我が家の周りで過ごすようになったが、夜はどこで寝ているのか知らなかった。うちの車庫で寝てもいいのに。簡易の寝床も作ってあるのに。どうしても帰りたい場所があるんだろうか。

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(写真:ボケて残念ではあるが、9月初め。車の下、奥の方にうずくまっている。うたた寝していても音などに反応してパッと目を覚ます。毛がハート形^^)

しかしなんせ別嬪のアイドル猫だ。「夕方、あとをつけてみたらお寺に入っていったよ」と報告してくれた人がいる。えっ、あそこのお寺は猫嫌いなんだけどな。まあ、入ったことはないけれど敷地はたしかに広い。また中学校から現れるのを見たという人もいて、なるほど夜は静かだし隠れるところもたくさんある。賢いエリのことだ、安全でよい場所を知っているにちがいない。

「母猫がりっぱにしつけたのがよくわかるわね」。あるとき、エリの食事の仕方を見ていた人がそう言った。つまり、いきなり食べるのではなくまず匂いを嗅ぎ、よく調べてから口をつける。食べているときも警戒を怠らない。幾度となく顔をあげて周囲を見る。人に背を向けない。エサ皿の入った箱(最初は段ボール、あとでキャリーケースの下半分)に完全には体を入れない、後ろ足の片方は出している等々。

そうか、エリは独り立ちを始めたばかりの猫なのだ。世界と人間について好奇心全開で学んでいるところだが、警戒は忘れない。それにしてもエリはそれほど用心深いのに、物怖じせずに知らない人にも近づいていく。矛盾しないのか?エリの中ではしないのだ。

ある朝エリは玄関前ではなく、通りの向こうの歩道に立っていた。どうも通勤途中とおぼしき若い女性と話をしているようだ。女性は「何も持ってないのよ、ごめんね。今会社に行くところだから」などと声に出して言っている。見上げていたエリも「じゃ、気をつけてね」の言葉に送られて、またこちらに戻ってきた。

またある日は「猫ちゃん、危ないよ」の声に驚いて外を見ると、道路の真ん中にエリがいた。トラックの運転手と同僚が車を降りてきた。「ノラかな」「堂々としてるね」「ご飯はちゃんともらってるみたいだね」などと話をしている。二人を見上げて内容が全部理解できるとでもいうように、じっと耳を傾けているエリ。道路の真ん中で二人と一匹、不思議な光景だった。

エリちゃん劇場の傑作寸劇はいくらでもあるが、あと一つだけ。

ある夕暮れ時、歩道にエリとおばあさんが立っている。おばあさんは小さい子どもか飼い猫かを探しているようで、顔をあちらこちらに向けながら名前を呼んでいる。エリがすぐそばまで近づいていった。まさかエリはあそこの家の子?そんなのいやだ!

おばあさんはエリに気づいた。顔を下に向け、言った。「あんた誰?どこの子?」。それからまた名前を呼びながら立ち去った。夫と一緒にその様子を見ていた私はほっとして言った。「ああよかった、あのうちの子じゃなくて。連れていかれるんじゃないかとドキドキした」。

道路に飛び出すのも心配だったが、小さな体いっぱいの好奇心と冒険心で行動範囲をどんどん広げていくのにも不安はあった。もう坂を上った地域まで開拓していた。いつか戻ってこなくなるんじゃないか。季節は進み、秋も深まれば発情期に入る。どこかで赤ちゃんを身ごもったらどうしよう。それに台風や冬の到来、ノラにとって厳しい環境が待ち受けている。

エリを保護することは最初から決定済みだった。貫禄たっぷりの年老いたノラ猫を家猫にする話ではない。まだ幼い猫は家庭に引き取られ、愛情たっぷりに育てられるのが望ましいと思う。

  

エリを家に迎えたい

わが家に迎え入れるのはどうだろうか。しかしうちには9歳の先住猫がいて、かなり繊細な神経の持ち主だ。エリとうまくやっていけるかは大いに疑問である。でも試してみてもいいだろう。どうしてもだめだったら譲渡先を探す手もあるし。心強いことに助っ人も周りにたくさんいる。

まずはケージを買って組み立て、必要なものはすべてそろえた。心がウキウキする作業である。エリの毛布、エリのエサ皿、エリのキャリーケース…。

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しかし私たちは計画を断念した。様々な事情があってここでは述べないが、振出しに戻って「エリをどうするか」を改めて考えねばならなかった。季節が動くように状況も少しずつ動き、熟していった。自分は年だから飼えないが猫好きの若い同僚に聞いてみようと言ってくれた人。庭もある日本家屋に叔母と住んでるけど頼んでみてもいいよ、世話をするのは私だよ、とエリのことが気にいっている人は笑いながら約束してくれた。

貰い手はいつかは見つかるにしてもいつ?いつ保護して誰が医者に連れていくのか。ヒリヒリする思いでカレンダーとにらめっこするのも、10月に入ると私も夫も留守がちになり、家庭内の重要なイベントも複数あって計画が立てづらくなるからだ。

「エリちゃんをお迎えしたい」

一通のメールが着信した。ああ、動いた!ついに運命が動いたなと思ったその瞬間、胸のつかえが一気に消え去り、家じゅうが幸福感に包まれた。私はいただいたメールを読み上げた。それでは足りずプリンターで刷りだしてきた。皆で何度も繰り返し読んだ。長文のメールだった。なんとラッキーなエリちゃん!そのご家庭はこれ以上望めないほどの、私が想像できる最高の引き取り手なのだよ。エリちゃん、幸せになるね!

そうなると無事お渡しするまでが私たちの責任である。しかしお互いの日程をつき合わせてみると、エリを保護する日には私も夫も留守で不在だった。それはまったく構わないと言ってくれた。エリの午後の食事時間を見計らって車庫に来て、捕獲するという計画で、私たち家人がいる必要はないのであった。

エリの里親が決定すると、近所の人たちも皆喜んでくれた。スーパーに買い物に行ったとき、エリのことを通して親しくなったアパートの人と会い、朗報を告げた。「よかったよかった!」するとスーパーの他の客たちにも報告していくではないか。人々の顔に笑みがさざ波のように広がっていった。

 私の心の中のさざ波は性質が違った。さみしさとすでに喪失感の混ざったもの。もう少しで会えなくなってしまうエリ。

 

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(チャオ・チュールが大好き。直接袋から食べるので、至近距離まで近づけるチャンス。猫にも人間にとっても至福の時間)

 

「猫ちゃん、いないんですか」

エリがもらわれていってからも通る人に聞かれる。いきさつを話すと皆一様に喜んでくれる。「でも寂しくなりましたね」とも言ってくれる。エリのいない玄関前や車庫は急に寂びれた殺風景なものになり、ジャコランタンがオレンジの顔をして笑っているのも憎らしい。

つい先日、お向かいのご主人が自転車を止めて「猫ちゃん、もらわれていったんですってね」と声をかけてきた。「家内がお宅の猫を見ていつも事故を心配していました」

ここのお宅にはエリがたびたび細い隙間を抜けて潜り込んでいた。閉め切って使っていない部屋の外だ。縁側みたいになっているんだろうか。ともあれ誰にも見られない良い場所だ。ある時そっと覗いたら、のんびり毛づくろいしていた。昼寝もしただろう。もしかしたらトイレも…。ご主人はご存じないだろうが、エリはずいぶんお邪魔していたのだ。すみません。

「うちにもよく来てくれましてね」

ああ、知っていらしたのか!私は思わず声をたてて笑った。ご主人も笑った。

「あそこはいい隠れ家ですよ」

同感である。

 

*エリの話はこれでおしまいです。前・後編にしましたが、もしかしたら続編があるかも?

エリは本当は別の名前です。その名前ごともらっていただけたので、このブログでは使うのを避けました。