ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

アフガニスタンと日本の共通点は?それは二つあって…

中村哲医師の死を悼む

ゆうべから今朝は喪に包まれた。いや、嘆きの叫びと言うべきか。よんばばさんからもあまりに悲しい報せ - よんばば つれづれ、悲痛な声が聞こえてきた。よんばばさんはペシャワール会員で、2015年に中村哲氏の講演を聞いたことがあり、そうした過去記事なども↑中にまとめてある。

だけど全然わからない。どうしてこんなことになるのか。中村さんのほかに運転手やボディガードの人たち全員、六人も一瞬のうちに尊い命を奪われた。中村さんの無念さはいかばかりだろう。

今朝テレビをつけたら、ABC(オーストラリア放送)では中村さんのこれまでの功績を振り返り、死を悼む特集になっていた。BBCも詳しい。フロントガラスの銃弾穴を見るのは辛いが。

www.bbc.com

 

ツイートは多すぎて読み切れない。その中で、中村氏からの最後のレポートがこちらに載っていると教えてもらった。次回レポートは来年3月の予定だった…。

www.nishinippon.co.jp 「集団的自衛権を考える」

  

アフガニスタンと日本の共通点はなにかと聞かれ…

私がベルギー・ブリュッセルで移民学校オランダ語講座に通っていたころの話。なぜ「移民学校」かは過去記事参照移民学校の日々 -1- アフガニスタン出身の人たちとたくさん出会った。だがあまりゆっくり話をする機会はなかった。滞在の終わり近くのある日、若い女性が「ボールペン貸して」と言ってきたので「いいわよ」。実は話をするきっかけを作りたかったのだ。

「日本人ですってね」

アジアのいろんな国の出身者がいる中で、日本人は私一人だけだったから珍しいのかなと最初は思った。一応「私は移民難民枠じゃないの。オランダ語を習いに来てるだけ」と説明しておいた。

彼女はなんと20歳になったばかり。家族とともに安全な地を求めてアフガニスタンから逃れてきた。申請してから実現するまで何年もかかる。ベルギーにいること、来られたこと、それはすでに恵まれた境遇にあることを示している。実際教養ある家庭の出身で、イスラム教徒だがスカーフなどは身につけず、ジーンズをはいて、はっきりものを言う人だった。

ベルギーの生活はどうかと聞いてみると「夜、静かでよく眠れるから嬉しい」とにっこり。そして聞いてきた。

アフガニスタンと日本は似ているところがあるんだけど、わかる?」

え、なんだろ。共通点?面積じゃないよね。人口は全然違うし。まずいな。何にも出てこない。だってアフガニスタンのこと知らないんだもの。

私から返事が来ないのをみるとニンマリ笑って、自分はアフガニスタンにいるとき、学校で日本について習っているからいろいろ知っている。教えてあげようと言う。

「一つは地震国。日本もたくさん地震があるでしょ。温泉も。アフガニスタン地震と温泉があるのよ。」知らなかったな、温泉。

「あとね、人間が優しいところ。弱い人を助けたりするところ。一生懸命働くところ。そこはアフガニスタンの人間と同じね」

これを聞いたとき、私はすごく間抜けな顔をしていたと思う。口ぽっかーんだった。何ですって、日本人が優しい人助けをする国民?働き者というのはわかるが。

彼女は日本人の人道支援活動について、学校の教師や親からよく聞かされていたのだという。井戸や水路を作ってくれた、医者や薬も送ってくれた…などと数え上げる。しかも日本人はイスラムの宗教や生活を尊重してくれ、市民とも友好的だった。そういった諸々のことは父親が詳しく知っており、日本人は優しい、日本人には感謝の念しかないと話していたそうだ。私もやっとそこで、以前テレビの特集番組で見た中村医師のことを思い出し、ああわかった、あそこにつながるのだなと思った。

さらに驚きなのは「私の学校にはね、日本人の学生たちから励ましの手紙が届いたのよ」という。9.11の後だ。「私は男子学生からの手紙(を割り当てられて)、楽しいイラストと英語の言葉が書いてあった」。

「学生」が中学生か高校生かはわからなかったが、とにかくアフガニスタンの子どもたちに手紙を送ることを発案し、またとりまとめて届けてくれた、人なり組織があったのだ。

そして今また中村さんのことを思うと、悲しみに胸が張り裂けそうになる。アフガニスタンの人たちも同じ悲しみにくれていると思う。

心よりご冥福をお祈りします。

 

最後にこのツイートを!

12月7日(土曜) ETV特集・選 追悼 中村哲さん「武器ではなく 命の水を」

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