ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

王立美術館地区 と Mampokoでランチ

人民の家 Liberaal Volkshuis Help U Zelve

王立美術館地区にあるこの建物、なんだろうと思っていたら、「人民の家」というらしい。1902年に建てられたアールヌーボー様式で、指定文化財である。

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1994年以来シュタイナー学園が使っているということだ。シュタイナー学園というのは、オーストリア出身のルドルフ・シュタイナーの教育理念を実践する学校で、日本にもあるので、興味のある方はお調べください。私は、斎藤工がその小学校に通っていたと聞いてかなりびっくりした。

 

それからまっすぐ歩いてMarnixplaats マルニクス・プラーツへ。

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ここから、8本の通り放射線状に広がっている。

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1883年建造のこの像は20メートルもあるため、どの通りの端からも見える。

この人はどれほどの偉い人なのか。

Filips van Marnix van Sint-Aldegonde( 1540 –  1598)

フランス語なら Philippe de Marnix de Sainte-Aldegonde

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16世紀のアントウェルペン市長だった人。しかし政治家というより、文人でもあり、神学者・教育学者でもあって活動の幅は大変に広い。

スペインの圧政に苦しむ南ネーデルランドは、各地で反乱をおこしていた。マルニクスはジュネーブで勉学したカルヴィニストであり、市長として最後まで戦ったが、勝ち目がなく和平交渉に入らざるを得なくなった。1585年8月17日、降伏文書に調印したのだが、マルニクスはいろいろと有利な条件を引き出している。辞任後はパリの大使になったり、オランダで著述をしたりした。 寛容を重んじる知識人だった。(注:ブリュッセルのプチ・サブロン公園に銅像がありました。下に写真を載せてあります)

 

像を作ったのはWindersとほか3人の彫刻家とある。あれ、どっかで聞いた名前だなと思ったら、すぐ近くにある王立美術館を作った有名な建築家のひとりだった。

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 「1863年 自由なスヘルデ川」と書いてある。そういえば8本の通りの名前もスヘルデ川に関連したものばかりだ。

 

マムポコでランチ

8本のひとつ、Tolstraat(関税通り)を下っていくと、アメリカ通りと交わる角に、ぜひ行ってみたいレストランMampokoがある。この学生向けガイドブックで知った。

f:id:cenecio:20160120164914j:plain片手の平に乗るサイズ。

アントウェルペンで新しく大学生活を始める若い人向けに、アントウェルペン市が編んだ優れもののガイドである。市内の地域の解説から始まり、飲食店、スーパー、市場、生活のアドバイス、それからスポーツ&娯楽施設や勉強疲れのリラックス方法、アントウェルペン市の一年の行事や電話帳まで、親身になって教えてくれ、読んで楽しいのだ。かなりの広域をカバーした地図もついている。

食事をするところ一つとっても、学生食堂(多くてびっくり)、甘味、朝食、ランチ、早く簡単に食べられるところ、ゆっくり語らって食事ができるところ、予算に余裕のある時にいくところ、親御さんが訪ねてきたら連れて行ってあげるのに適したところ…と実に丁寧で感動すら覚える。

「マムポコ」(下の写真:鉛筆のさし示す箇所)

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特徴を一言でまとめると、おふくろの味。日本語では一般にそう言うと思うが、ここには「君がむしょうにママやパパの手料理が食べたくなって我慢できなくなったら」ここに行け、と言っている。「パパの」というところがベルギー的だな。

メニューに目を通していると、店の人が suggesties(シェフのおすすめ)が書かれた大きな黒板を抱えてやってきて、「こちらもご覧ください」としばし置いていってくれる。黒板から一つ、メニューから一つ取ろうと思ったら、分量が多すぎるのでは?と親切にも助言してくれた。メイン一品で正解だった。

 

鶏とストゥンプ(stoemp)

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stoempというのは写真に見るように、マッシュポテトのようにジャガイモをつぶしたものに野菜を混ぜた付け合わせのこと。作り方は知らないのだが、ブイヨンやバターを使っているかな。野菜はニンジンやさやいんげんん、絹さや、パセリなど。そこに絶品のベアルネーズソースがかかっている。パンもワインもおいしくて満足だった。次回は黒板の「チコリのグラタン」にしよう。

 

お店の外側。ちなみに店名は旧植民地コンゴの村の名だそうである。

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食事をしている人を写すのははばかられるので、鏡に映った窓だけ。インテリアは重厚でおしゃれ、壁にはコンゴを連想させる船の絵や版画(違ったかも…)などがかかっていた。

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さてこの地区で忘れてはならないのがシナゴーグである。

ほれぼれする美しさだ。Bouwmeesterstraat  7

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建築家Joseph Hertogs と Ernst Stordiau により、 1893年に設立、ユダヤ人の正月の前夜にお披露目されたという。当初「オランダのシナゴーグ」と呼ばれた。というのもオランダから移住してきたユダヤ人の注文で建てられたから。

ネオ・ムーア様式というそうだ。ムーア人というのは、イスラム教徒のことで、ムーア様式/文化もイスラムの建築や幾何学文様やアラベスク装飾などを指すことが多い。つまりイスラム文化をスペイン側から見ているのである。8世紀にイスラム軍がスペイン、イベリア半島に入ってから、スペインのキリスト教文化はイスラムの影響を色濃く受けた。有名なのは「アルハンブラ宮殿」やトレドの「サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会」(もとはシナゴーグ。こちらのウィキペディア参照。写真が多い。https://fr.wikipedia.org/wiki/Synagogue_Santa_Mar%C3%ADa_La_Blanca_de_Tol%C3%A8de )

白い天然石と縞模様が上品である。二つの塔には立派な丸屋根が乗り、てっぺんにはユダヤの星がついている。写真ではよく見えなくて残念だ。美しい薔薇窓、その下にはユダヤ人にとっての聖なる本が置かれている。

この建物はユダヤ人も正月とか重要な行事のときしか入れないそうだ。現在アントウェルペンには2万人のユダヤ人が住み、そのほとんどが正統派、超正統派のユダヤ教徒だという。

 

 追記

ユダヤ教 植樹の新年トゥ・ビ・シュバットToe Bisjevat (Bomenfeest)

1月25日 植樹の新年を祝った。シュバットというのはユダヤ暦の月の名で、1月から2月を指すそうだ。春の始まり、生命の芽生えの時期である。この日ユダヤ人はできるだけ多くの種類の果物を食べてお祝いする。またイスラエルでは小学生が植樹を行うとのことである。

Joden vieren 'nieuwjaar van de bomen' 

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http://www.demorgen.be/fotografie/joden-vieren-nieuwjaar-van-de-bomen-f6bef05c/ 

https://images2.persgroep.net/rcs/IAQoEVchODJro9KRusM0lSsoBTI/diocontent/62717342/_fill/984/656/?appId=f215d2ebdcdad4aa3dc78550c5970d02&quality=0.90&format=jpg

 

注:マルニクス像

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Philippe de Marnix, baron de Sainte-Aldegonde, né en 15381 ou en 15402 à Bruxelles et mort le 15 décembre 1598 à Leyde, est à la fois homme d'État, militaire, poète, polémiste, théologien et pédagogue.

Il écrivait en trois langues : le néerlandais, le latin et le français.(ウィキペディア