きれいなお庭だなあ
とよそのお宅を眺めていると、人がにゅっと急に立ち上がって、びっくりすることがある。しゃがんでいたんだね。そして腰をいたわる仕草をする。わかる、わかる。ちょっと微笑んでしまう光景だ。それで思い出した本を紹介する。
楽しい園芸エッセイ
『園芸家12カ月』カレル・チャペック著 小松太郎訳 中公文庫
園芸家というものが、天地創造の始めから、もしも自然淘汰によって発達したとしたら 、おそらく無脊椎動物に進化していたにちがいない。いったい、何のために園芸家は背中をもっているのか?ときどきからだを起こして、「背中が痛い!」と、ためいきをつくためとしか思われない。(略)
ただ、背中だけは、いくら曲げようとしても、曲がらない。ミミズにだって脊椎はない。うわべだけ見ていると、ふつう、園芸家は尻で終わっている。(略)
せめて、もう一寸でいいから背が高くなりたいと思っているひとがいるが、園芸家はそういう人種ではない。それどころか彼は、からだを半分に折ってしゃがみ、あらゆる手段を講じて背を低くしようとする。だから、ごらんのとおり、身長一メートル以上の園芸家は、めったに見かけない。
(『園芸家12カ月』カレル・チャペック著 小松太郎訳 p42より。下の黄色い本です)
カレル・チャペック(Karel Čapek, 1890- 1938)は、旧チェコスロバキアの小説家、劇作家、童話作家、エッセイスト、ジャーナリスト、写真家。
植物、樹木、ガーデニングにも造詣が深く、いやむしろマニアックだと言っていい。この人は何でも凝り性なので、名人の域まで達してしまうのだ。
エッセイ『園芸家の12カ月』Zahradníkův rok (1929年)は、2016年の今日読んでも古びた感じは微塵もない。それどころか洗練されたユーモアたっぷりの語り口につい引き込まれて、読みながら大笑いし、うなづいたり首を横にふったり、膝を叩いたり、と完全にチャペックワールドの囚人に成り下がってしまう。まだお読みでなかったらぜひお勧めします。
『ダーシェンカあるいは子犬の生活』(写真の大判のほう)はエッセイ&写真集。犬好きの人なら一発でやられてしまうだろう。つまりチャペックファンになってしまうということ。
チャペックの庭を覗く
1977年にチャペックの住居のまわりをうろついたことがある。その夏プラハとモラビア地方を旅行し、知り合ったチェコ人に、チャペックの住まいまで案内してもらえることになったのだ。中心部からだいぶ離れていたので1人では行かなかっただろう。
もちろんチャペックは戦前に亡くなっていたし、奥さん(女優のOlga Scheinpflugová 1902 – 1968 )も故人だったが、邸宅はちゃんと管理されていた。でも塀が高くて庭は見えない。
「ああ、残念。お庭がちょっと見たかったのに」と言ったら、
「ちょっと持ち上げてやるよ」
じゃ、お言葉に甘えて。ひょい!塀の上に両手が届いたので、5秒間だけ塀の向こうの庭を覗くことができた。あまり手入れされていない印象だった。残念ながらそれ以上のことは覚えていない。あー、もうバカバカ、私のバカ。そんな稀有なチャンスに何も学ばないなんて!
遠く離れた日本にいても
すると最近は インターネットなる便利なものがあり、去年「ミセス」で特集号。へー、全然知らなかった。図書館に行って読んでこよう。
そしてもっと凄いのはなんと
庭が見られるようになる。家だけでなく住居の中も。
しかし庭の再構築作業はなかなか大変らしい。それは『園芸家の12カ月』を読めばわかる。なにしろ庭づくりには大変なこだわりようなのだから。
庭と書斎。下のサイトから借りている。(チェコ語)
庭の復元作業の様子。(チェコ語)
『園芸家12カ月』は小松太郎訳ではない新訳もあります。
『園芸家の一年 』単行本
恒文社; 新装版 (2008/09)飯島 周 (翻訳)
こちらには写真が豊富で、素晴らしい。写真はあと2ページあります。
ただ翻訳は小松太郎氏のほうに軍配をあげます。ドイツ語からの重訳ではありますが、リズム感がエッセイの内容にぴったりだと思いました。小松太郎ファンです(#^.^#)
わたしの『ダーシェンカ』(写真左)はSEG出版1995年初版のものです。
カレル・チャペック(Karel Čapek-文・絵・写真)保川亜矢子(訳)。
初版は1933年で、本国チェコでは何度も版を重ねた超人気本です。
右側:1934年版のレイアウト・装丁がカレル・タイゲのもの。
とってもおしゃれですね。
あっ、忘れちゃいけない。右はチラシなんです。額に収めて壁に飾っています。
チラシの裏をお見せしましょうか?
記述にある通り、鎌倉の展覧会に行ったのでした。
『ダーシェンカ』については何も言いますまい。ぜひ一度お読みください。
世代に関係なく楽しめる本、そしてチャペックの魅力が余すことなく表れた本、というのもこの人は写真もイラストも玄人はだしなのです。
ついでにいうと、植物、樹木、ガーデニングにも造詣が深い。この人は凝り性なので、何かを始めると名人の域まで達してしまうのです。
エッセイ『園芸家の12カ月』Zahradníkův rok (1929年)は、2016年の今日読んでも古びた感じは微塵もない。それどころか洗練されたユーモアたっぷりの語り口につい引き込まれて、読みながら大笑いし、うなづいたり首を横にふったり、膝を叩いたり、と完全にチャペックワールドの囚人に成り下がってしまいます。
ダーシェンカはいろいろな版、大きさがありますね。
チェコ人のお宅には、一家に一冊以上「ダーシェンカ」があると聞きました。
可愛いのひとこと。
長い長いお医者さんの話
カレル・チャペック 作
中野 好夫 訳
「郵便屋さんの話」が大好きでした。挿絵もすごくよくて、当時は知らなかったけれど、今はそれが兄のヨゼフ・チャペックの手によるものだと知っています。
原題: Devatero pohádek a ještě jedna od Josefa Čapka jako přívažek
この本は1931年に出版され、すぐに英訳されました。英訳本から日本語に訳した中野好夫は、1941年に「王女様と子猫の話」という題で出版。のち1952年に7編を選んで「長い長いお医者さんの話」として、岩波少年文庫の一冊に加えました。
そして1962年にこの本、9編をおさめた素晴らしい童話集ができました。
挿絵を描いた ヨゼフ・チャペック Josef Čapek
ヨゼフ(1887-1945)は医師の父、読書好きで民謡や伝承物語の収集家でもあった母親のもと、姉ヘレナと弟カレルとともに、ボヘミア地方の小さな町で育ちました。プラハの工芸学校を卒業してから、美術・創作分野で活躍し、ヨーロッパ各国の文化人たちと広く交流がありました。
結婚して娘のアレナが生まれると、生来子供好きなので皆にお話を作って聞かせるように。そこから
こいぬとこねこはゆかいななかま―なかよしのふたりがどんなおもしろいことをしたか (1968年) 単行本
ヨセフ・チャペック (著, イラスト), いぬい とみこ (翻訳), 井出 弘子 (翻訳)
右はドイツ語版。これを買ったころ、ドイツ語がちょっと読めたのでプラハで記念に購入しました。
ドイツ語ですが、プラハのアルバトロス社から出ています。
また下の本もヨゼフの本。
しかしヨゼフは1939年、第二次世界大戦が始まるとすぐにナチスに逮捕され、1945年4月に収容所で亡くなりました。アンネ・フランクと同じベルゲンベルゼン収容所でした。戦争が終わる一か月前のことです。(カレル・チャペックは1938年に病死)
ヨゼフの装丁デザイン
アヴァンギャルドのデザインという枠にくくるのでしょうか。
しかしヨゼフの装丁は素朴なフォークロア調もあれば、シュールレアリズムな要素もある、漫画チックなのから絵画的なものまで、幅が広いです。
印刷博物館で展覧会があったようですが、私は行っていません。
ヨーロッパの伝統で、装丁といえば自家装丁(*1)のことを指し、装丁デザインとは、単なる装飾を意味していた時代に、「本の装丁とは、単なる装飾ではなく、本の内容が考慮された美的なものでなければならない」と公言したのはヨゼフ・チャペックでした。
リノカット(*2)を用いた、ヨゼフによる暖かみのある表紙デザインの書籍は、出版が大衆化してきた時代にあって、多くの人々の歓迎を受けました。
また、批評家でもあったデザイナー、カレル・タイゲは、「本の扉は宣伝用ポスターでなければならない」と宣言し、本という新しいデザインのフィールドで、他のデザイナーや芸術家たちとともにチェコ・アヴァンギャルドを牽引していきました。
http://www.printing-museum.org/exhibition/temporary/030726/index.html
右1947年「園芸家12カ月」Zahradníkův rok(1929 )
The Gardener's Year
「揺りかご」(1922)Helena Čapková Kolébka Cradle
以上ヨゼフの仕事を少し覗いてみました。
追記①: チェコのことを知りたいならこちら
『チェコへの扉』子どもの本への世界
平成20年1月22日発行
追記②:チャペックは「ロボット」の生みの親
戯曲『人造人間R.U.R.』(平凡社1968年)で初めてロボットという言葉が使われます。
チャペックは「ロボット」という言葉の生みの親と言われていますが、本当はちょっと違います。上記の本の始めに、カレル・チャペック自身の解説があります。
「ロボットという言葉の起源」(来栖継訳)
人造人間を何と呼ぼうか思案しているとき、画家の兄ヨゼフに相談した。すると「それじゃロボット(Robot)と呼ぶことにするんだね」と言われた。この言葉の誕生の功績は、生みの親ヨゼフにある。
というわけで、お兄さんのおかげでした。