日本人の多くに浸透している物語「フランダースの犬」を取り上げる。しかし、この「国民的アニメ」を同時代にテレビで見ていないので、みなさんと熱い思いを分かち合うことはかなわないのだが、だからこそ客観的に見られるのではないかと思っている。
テレビでは『ムーミン』(1969年のTVアニメ)は見たのである。ムーミンの声は岸田今日子の時代。そのあとに来る一連のアニメ作品『アルプスの少女ハイジ』(1974)『赤毛のアン』(1979)『トム・ソーヤーの冒険』(1980)は全く見てこなかった。ただ『家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ』だけはずっとあとになって、パリで子供たちと一緒に見ることができた。
以前、iireiさんが取り上げた記事を紹介する。
「アニメで読む世界史」という本の中から、「フランダースの犬」についてのくだりを丁寧に引用してくれている。著者がどう考えているかほぼ全部わかる。
私はまず図書館で、完訳『フランダースの犬』を読んできた。
フランダースの犬 (偕成社文庫) 単行本 – 2011/3/17
ウィーダ (著), 佐竹 美保 (イラスト), 雨沢 泰 (翻訳)
著者ウィーダはイギリス人で 1839年生まれ、1908年没。本名Marie Louise de la Raméeという。超売れっ子の小説家で40冊ほど作品を残している。イタリアに移住し、贅沢三昧の華やかな生活を送った。愛犬家で動物愛護協会を設立するために尽力し、常に複数匹の犬と暮らした。だが亡くなるときには破産していたという。
ウィーダ
「フランダースの犬」A Dog of Flanders and Other stories
これがウィーダが書いた作品のタイトルである。英語で書き、発行は1872年。彼女がフランダース地方へ旅行した思い出をもとに、いわゆる「クリスマス物語」として書いたものだ。ネロはクリスマスの日に、アントウェルペンのカテドラルで息を引き取る。憧れの偉大なる画家ルーベンスの絵の前で…。
ウィーダは終始、フランダース地方や人間を否定的に書いている。大変な愛犬家だったから、ベルギー人が犬をロバや馬並みに酷使するのを見て心を痛めていたのだ。イギリスやフランスでは犬を労働に使うのは禁止だった。ちなみに牽引犬の禁止はベルギーで1952年、オランダで1961年のことである。
ネロは15歳、大人の入り口に立つ少年である。日本アニメと違い、金持ち農夫のひとり娘アロワ(12歳)と将来を誓い合う仲であった。親とは死別していたが、優しいおじいさん(母の父親)と一緒に暮らし、貧しくも幸せな日々を送っていた。しかしそのおじいさんに死なれ、家を追い出されてしまう。
ネロにはひとつの希望があった。絵が得意なネロは市の絵画コンクールに作品を出品していたのである。自信作だった。もし賞をもらえれば生活を立て直すことができる。しかし結果は落選・・・。ここでネロは失意に沈み、力つきてしまった。
著者ウィーダはネロを才能に溢れた少年と描いている。ウィーダはルーベンスが好きで、この物語は美術を中心にすえた悲劇として描きたかったのだ。ネロが描いた老人の絵はすばらしいものだったが、「アカデミー」の審査員の目にはとまらなかった。しかし物語の最後でひとりの審査員がネロの才能を認めて、少年はどこだと必死に捜す場面にウィーダの想いが込められている。
もしネロが生きていたら?
再び『アニメで読む世界史』に戻ると、「アカデミックな画壇で認められて」というくだりがある。それは画家になるための唯一の道ではないと思う。工房などで丁稚奉公的に働きながら絵を学ぶこともできる。15歳ならここから勉強したって全然遅くない。貧しい農民の子供たちがみな小学校に行っていたとは考えにくいが、おじいさん(母の父親)の愛情をたっぷり受けて育っているし、アロワという良き友人もいた。貧乏以外は豊かな自然と人の愛情に育まれて、心正しく意志強く努力を怠らない、才能あるネロ少年だったろう。ルーベンス級の画家になるかどうかは別として、受賞していたら一生絵を描いて暮らせたのではないだろうか。そして大好きなアロワと結婚できただろう。
・・・と私は頭の中で別バージョンを作り上げて、ニッコリする。
アニメの時代考証はどうなっているのか。
時代考証については喧々諤々言われてきた。
ヨーロッパの作品のなかで、日本が舞台と言いながら朝鮮半島や中国の文化と混ぜて描かれていたら日本人はどう思うだろうか。このことはTVアニメ版「フランダースの犬」に当てはまる。フランダースと言いながら、オランダのステレオタイプな風景のなか、どう見てもオランダの民族衣装を着た少女が出てくるのだから。ほかにも挙げたらきりがない。些末なことのように思われるかもしれないが、隣国と混同されるというのはデリケートな問題なのである。リサーチくらいすればいいのに。せっかくアニメを作るんだから。そう思われても仕方がない。
ところが実は、日本の制作チームはリサーチのためベルギーに来たのである。
ウィキペディアによれば
アニメ
原作 ウィーダ(マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー)
監督 黒田昌郎
シリーズ構成 六鹿英雄、松木功、中西隆三
キャラクターデザイン 森康二
音楽 渡辺岳夫
アニメーション制作 ズイヨー映像、日本アニメーション
放送局 フジテレビ系列
放送期間 1975年1月5日 - 同年12月28日
話数 全52話
監督である黒田昌郎氏は1974年に、作品の舞台であるアントウェルペンを訪れている。ところが驚いたことに、ベルギーではだれもウィーダの作品を知らなかったのだ。英語で出版されているとはいえ、ベルギー人が一人もこの作品の存在を知らないなんて信じられなかった。困り果てた監督を救ったのが、オランダの空港スキポールまでの旅である。そこで目にした風景をスケッチしたのだ。それをもとにアニメは作られたということだ。
「野外博物館」(下の写真。1958年オープン)の存在すら誰も教えてくれなかったそうだ。惜しいことをした。「フランダースの犬」の世界がそのまんまあるというのに。
なぜ?フランダースの人は親切じゃない?いや、フランダースの人たちにとって貧しい過去に立ち返るのは気の進まないことらしい。現在アントウェルペンは街のイメージにこだわり、一新しようと努力してきた。ファッション・食・ダイヤモンド・美術・国際港湾都市、といったモダンなコンテンツを全面に出し、スポットライトを当てている。惨めな負け犬のストーリーはごめん、これが本音なのである。
*過去記事参照
アントウェルペンには白人しか住んでいないのか 〈街のイメージ考〉
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*ここから別ブログ(絵本・児童書関連)に書いた記事。
「フランダースの犬」現象
子供の時リライトされた簡単な話を読んだのだが、可哀そうすぎて好きじゃなかった。やはり完訳を読んでよかった。考えさせられることが多々あった。
(偕成社の解説から)
アントワープを舞台にたぐいまれなる画才を持ちながら、貧しさ故に、その才能を花開かせることなく、天に召された少年ネロと、ネロとどこまでも運命を共にしようとする意志強く賢い愛犬パトラッシュの物語。
フランダース地方を舞台にした少年ネロと犬のパトラッシュとの美しくも悲しい人生。ルーベンスの絵の下でのネロとパトラッシュの姿は永遠です。他に「ウルビーノの子ども」「黒い絵の具」を収録。19世紀人気女流作家ウィーダの名作の完訳です。小学上級から。
「1995年 全52話 一作あたり3000万人が見た…」といわれ、TVアニメの人気のほどは私も知っていたのだが、当時はTVを見ていなかった。今回『誰がネロとパトラッシュを殺すのか』(誰がネロとパトラッシュを殺すのか - 岩波書店)という本を読み、これを機会に新しい目でフランダースの犬現象を見てみようと思う。本の著者であるベルギー人 のアン・ヴァン・ディーンデレンさん , ディディエ・ヴォルカールトさんはこの作品を研究し、あちこちに取材し、映画まで作り、上述の本を出版したのだからもの凄い情熱である。
🌸労働犬、ドッグカート (Dogcart )
古い絵葉書をみると、犬荷車がどんなものかすぐにわかる。犬は牛乳缶を積んだ荷車を引いて、牛乳を売る。これはごく当たり前の光景だったのだろう。
彩色された写真(A photochrom from the late 19th century showing two peddlers selling milk from a dogcart near Brussels, Belgium)ウィキペディアには”Dogcart (dog-drawn)”という項目もある。
🌸飴を入れるボックスの蓋の部分。側面に「フランダースの牛乳売り」と書いてある。
パトラッシュとの出会い
完訳『フランダースの犬』では、最初の一章「少年と犬」約20ページが、まるまる犬の生活とパトラッシュに当てられる。労働犬の酷使の描写は現在人の感覚では読んでいてつらいものがある。パトラッシュは 動けなくなって金物商人に捨てられ、息絶え絶えで道に倒れていたのを、ネロとおじいさんに拾われる。二人は死にかけた犬を介抱し、回復してからも愛情いっぱいに世話をする。犬もネロに深い愛情と恩義を感じ、互いに友情で結ばれる。(p13)
フランダース地方の犬は、毛が黄色っぽく、頭も足も大きく、オオカミのように立った耳をしています。重労働に耐えられるように、何世代にもわたって改良された種類なので、四本の足はたくましく筋肉がつき、外に開いてふんばっていました。パトラッシュは何世紀も前から、フランダースできびしくはたらかされてきた犬種の生まれでした。かれらは人につかえる奴隷そのもので、馬のように長柄と引き具につながれ、荷車で筋肉をすり傷だらけにし、街の石だたみの道で心臓がとまって死ぬまで、はたらく生き物でした。
著者イギリス人のウィーダは大変な愛犬家で、同情と憐れみを込めて労働犬の生活を「人につかえる奴隷そのもの」と書く。
初版の絵をちょっと見てみよう。(『誰がネロとパトラッシュを殺すのか』よりお借りしました)
🌸1914年ころのアメリカ版。
Ouida: Louisa de la Rame A DOG OF FLANDERS: A Christmas Story.
Chicago: M. A. Donohue & Co
ネロ少年について
子供だと思ったら、15歳というのが驚きだった。日本のアニメだと9~10歳くらいの、無垢で純粋な子供である。しかし15歳ともなると日本でも昔は中学を出て働いたわけで、もう小さな大人である。ネロは画家になる夢を持っていて、才能もあった。でもその夢を打ち明けられるのは、パトラッシュとアロワだけ。アロワは12歳で金持ちの農夫のひとり娘であるが、ネロのことが大好きで、いつもネロとパトラッシュと遊んでいた。
まだ12歳だというのに、男たちはもう、アロワはいい妻になるだろうから、息子の結婚相手になってくれないものかと話していました。
アロワの父親もネロを警戒する。
「アロワをあの若者に近づけちゃならないぞ」その夜、コゼツさんは妻に言いわたしました。「後で問題がおきそうな気がする。ネロはもう15歳だし、アロワは12歳だ。あいつは、顔も体つきもいい。」
妻はネロを気に入っているが、夫の言うことに従うのである。
「あいつは無一文じゃないか。それに画家になるのを夢見たりしているから、よけいにわるい。これからは気をつけて、ふたいをひきはなしておきまさい。それができなければ、アロワを聖心会の尼さんにあずけて、まもらせてもいいんだぞ」
二人は恋をしている仲だった。
ネロは少女にキスをし、きっぱりと信じている思いを告げました。「いつかかわるさ、アロワ。いつの日か、お父さんにあげた小さなマツの板が、銀でできてると思うほど値打ちが出るだろう。そうなれば、お父さんだって、ぼくに扉をあけてくれるよ。ただ、ぼくをずっと好きでいてくれ、アロワ。いつまでも、好きでいてくれればいい。きっと、ぼくはえらくなるから。」
フランダースの犬の映画
アメリカではなんと5本の映画が作られた。
①1914年 A/The Dog of Flanders
ネロ役は25歳の女優だった。フィルムは残っていないという。
②1924年 A Boy of Flanders「フランダースの少年」
当時活躍していた名子役ジャッキー・クーガンを起用。クーガンはチャップリン映画『キッド』(1921)や『オリヴァー・ツイスト』(1922)で成功した。
Jackie Coogan (1914 - 1984)
ストーリーも原作とはラストが違い、ネロは絵の才能を認められて、コンクールの審査員の一人に、パトラッシュとともにひきとられる。
③1935年 A Dog of Flanders
これもハッピーエンドに終わる。映画は不人気だったようだ。
名犬ラッシーのような強そうな犬。
④1960年 A Dog of Flanders
カラー映画。やはりハッピーエンド。アメリカンドリームを叶える少年である。
ベルギーロケ
⑤1999年 A Dog of Flanders
パトラッシュは熊みたいに見えるな。
この5作目では、ロケは本場ベルギーに赴き、様々な町や村を選んで行われたようだ。
ボクレイクBokrijk(リンブルク州の野外博物館)
Bokrijkのウィキペディアには、フジテレビのドキュメンタリー撮影風景↓の写真もあっておもしろい。
(Bokrijk filmset - Fuji-TV recordings for Dog of Flanders / Flanders no Inu (2007))
役者とディレクターさんかしら。このドキュメンタリーは見てみたい。ベルギーの町並みや昔の暮らし、服装などを見たいな。
『 フランダースの犬』というひとつのストーリーに対し、こんなにも違った受容のありかたがあるのは興味深いことだ。
・日本ではこの清らかな悲劇が高く評価され、アニメの成功とも相まっておそらく今後も愛されていくだろう。
・アメリカでは何度も映画化された。だが悲劇的な結末では「負け犬」の話になってしまうので、ハッピーエンドに作り替え、ネロはアメリカンドリームを体現していく少年として描かれる。
・そしてフランダースではこの話は受け入れがたいものだ。著者ウィーダは否定的にフランダース地方を描いているし、前にも述べたように「負け犬の人生、ストーリー」であるから。
フランダースで完訳が出たのは1984年のことだ。人気漫画家である、ウィリー・ヴァンデルステーンという人が挿絵を手がけた。
みなさんはどんな印象を持つだろうか。日本のアニメで育った人には 絵がちょっと受け入れがたいかも。 またこの漫画家はオランダ語で漫画版も出した。
『ホーボーケン、ススケとウィスケ』
ホーボーケン村は「フランダースの犬」の舞台と言われており、ススケとウィスケというのは漫画家がシリーズでお話を書いている主人公の二人。ベルギー人で知らない人はいない有名なシリーズ。
上記の両作品ともフランダースでは評価されなかったし、残念ながら日本人にとっても心に触れるものではなかった。好みの問題なのでしかたがないですね。
そして最後に、音楽のこと。
ネロとパトラッシュが天にめされていくときの曲が、賛美歌『主よ御許(みもと)に近づかん』。美しい。
1997年の映画『タイタニック』が沈みゆくときの曲なんだそう。
Titanic - Nearer My God To Thee (Full Version)
(写真:ネロが倒れたカテドラル、塔の修理をする人たち。2016年3月撮影)
追記:2019年4月