ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

「旦那」の捨て方教えて & ピュリツァー賞カメラマン沢田 教一展 写真-1-

粗大ごみに「旦那」と入力してみると

「旦那捨てたい」に神回答 横浜市のごみ分別AIがまるで人生相談 - withnews(ウィズニュース)

最近AIに関する記事が多くて、いろいろと学びます。今日は楽しい話題を二つほど。

皆さんも粗大ごみはネットで申し込みますか。私もそうで、「粗大ごみ」に入るかどうかもここでわかります。各自治体で少しずつ違いますから、引っ越したら必ずお世話になるサイトですね。

横浜市がおもしろい。資源循環局はHPにチャットボット「イーオのごみ分別案内」なるものを導入しています。横浜市 資源循環局 市民の方へトップページ

捨てたい粗大ごみの名前を書き込みます。

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ここに試しに「旦那」と入れた人に対して、イーオ君の答えはこのようなものでした。

本当に‼︎「人間は判断力の欠如によって結婚し、

忍耐力の欠如によって離婚し、

記憶力の欠如によって再婚する」

ってアルマン・サラクルーは言っていたよ。

忍耐力を鍛えてみたら、どうかな。

なんというすばらしい回答でしょう!

https://img.over-blog-kiwi.com/0/92/61/30/20170730/ob_b1e5ce_salacrou-armand-1899-1989.jpgアルマン・カミーユ・サラクルー(Armand Camille Salacrou,1899- 1989年)フランスの劇作家。

 

記事によると「イーオのごみ分別案内」は、横浜市資源循環局とNTTドコモが実証実験しているサービスだそうです。開発期間は約4カ月、NTTドコモが開発したRepl-AI(レプルエーアイ)というものを使っているとのこと。

またラインの形式にして、人々により親しみやすく、気軽に利用してもらおうと考えました。イーオ君は「ヨコハマ3R夢(スリム)!」計画のマスコットなんですって。

 

イーオ君に相談

試しに私もちょっと使わせてもらいましょう。「人生」と入れてみました。

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そうか、スヌーピーが言うのならもう一度考えてみようかな、という気になります。

次に「過去」と入れてみました。

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おや、「過去」はイーオ君にとって未知の語彙?

さっき「旦那」だったから、「嫁」はどうでしょうか。

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しまった!イーオ君を泣かせてしまいました。

ごめんなさい。もう悪ふざけはやめます。

この回答を考えているのはもちろんイーオ君ではなく、関係職員のみなさんだそうです。返答を工夫し、不愉快になることのないよう、いろいろと気を遣っているのですね。ご苦労様です。

 

大喜利β(ベータ)

ほかにもTVの情報番組で見たのですが、「株式会社わたしは」という奇妙な名前の会社が大喜利β」なるものを作っている。大喜利に答えることができる(おそらく)世界唯一の人工知能、ということです。

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大喜利β (@ogiribeta) | Twitter

 

またダジャレAI「ダジャペディア」というのもあるそうです。しかしちょっと覗いてみた限りでは大しておもしろくなかったです。このジャンルでは人間はまだまだ安泰だと思いました。

ギアさまには到底かないません!(^^)!

 

『安全への逃避』 "Flee to Safety" 

世界の眼を釘付けに

(東京日本橋高島屋にて)

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(大変混んでいます。いらっしゃるならチケットを入手してからの方がいいでしょう)

 

沢田 教一はベトナム戦争に従軍し、数々の優れた写真を残した、日本を代表する写真家です。1936年青森市生まれ。1970年にプノンペンで銃撃され、命を落としました。34歳の若さでした。

二組の母子が川を渡る『安全への逃避』で、ハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、そして1966年ピューリッツァー賞を受賞しました。

今回、若いお母さんに抱かれて写っている被写体の女性グエン・ティ・フエさん(当時2歳)も来日しました。これが初来日だそうで、感謝の気持ちを伝えたかったそうです。現在54歳のフエさんはベトナムで農業を営む、6人の子どものお母さん。お孫さんもたくさんいるようです。

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沢田教一の作品展始まる 被写体の女性も会場に | NHKニュース

NHKニュースから切り取りましたが、フエさんの隣にいるのは沢田氏の妻サタさんです。フエさんが語ります。

沢田さんは川岸に立っていて、一人ずつ私たちを引き上げてくれました。彼がいなければ、今の私はいません。生きていられるのは彼のおかげです。

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1965年9月。

彼らが住んでいたロクチュアン村はベトコンの拠点の一つだったから米軍の攻撃を幾度も受けていた。ある日、米兵が来て、地上作戦が始まるので川に入れ、と言われた。

ナパーム弾の爆撃に驚き、近所の住民と一緒にゴ・オン・チャム川に飛び込んで、泳ぎながら渡った。沢田氏は川岸で撮影して、彼らが泳ぎ着くと引き上げてくれた。米兵は銃を向けていたが、発砲はしなかった。そして米兵が去るとまた自分たちの村に戻った。(ウィキペディアなどを参考にざっとまとめました)

沢田氏は撮影した翌年にその村を訪れ、その後何回か訪問したそうです。またピューリッツァー賞の賞金の一部も届けたということです。夫人の沢田サタさんも1989年にこの地を訪れ、写真の子どもたち三人と会っています。

展覧会では写真が150点ほどありました。ベトナム戦争の初期は米兵の顔も明るく笑顔で、ギターを担いで元気に歩いています。しかし時が過ぎるにつれ、目が虚ろになり、廃人のように変わっていく…それを見るのが辛くて、涙もこぼれてやりきれない思いになりました。

ふるさとの青森を撮った一連の写真では、風景も人々もどれもいいのですが、奥さんのサタさんにはやられました。若くてこの存在感!この真っすぐな眼。沢田氏よりも11歳上、仕事上でも先輩なのですが、20歳のときにプロポーズをして結婚するのです。この大恋愛でも一回分の記事になりますが、長くなりすぎるので今日はいったん終わります。

あ、そうそう、県立青森高等学校では寺山修司と同級だったそうです。どのくらい絡みがあったのか、興味しんしんですけど。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f4/Ky%C5%8Dichi_Sawada_%281965%29.jpg/280px-Ky%C5%8Dichi_Sawada_%281965%29.jpg写真:ウィキペディア

f:id:cenecio:20170819183620p:plain森県立美術館開館10周年記念 | 青森県立美術館

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sinsintuusin

>ギャグで人が救えたらなあ!

ギアさま、もちろん救えますとも!

ただエイトマン走法でギャグを言って廻るのだけは控えていただきたい。

笑い過ぎて命が危なくなりますので(#^^#)

 anneneville 

>ちなみにその仕事わたし、やってみたいかもしれません!?

anneさまにぴったりだと思います。

いつも当意即妙でユーモアある温かいコメントをくださいますので。

ゴミのほうはイーオ君に任せて「アンヌの悩み相談室」など開設なさったら凄い人気だと思いますよ(^^)/