ジレットのカミソリの新しいCMが先週から大きな話題だ。CMといっても商品の宣伝をするわけではない。制作側の意図は明白、#MeTooやTIME'S UP運動を背景に「男らしさって?」と、一石を投じるミニムービーである。
最近は大統領やその支持者のせいで、過剰な男性優位のイメージ、マッチョ社会の側面が押し出されているアメリカ。そんな中で、ジレットさん、そうきましたか!と感心した。今日は「男らしさ」「マチズモ」について考えてみたいと思う。
ビデオは短いのでぜひご覧ください。“We Believe: The Best Men Can Be | Gillette (Short Film)”
“Boys will be boys”? Isn’t it time we stopped excusing bad behavior? Re-think and take action by joining us at https://t.co/giHuGDEvlT. #TheBestMenCanBe pic.twitter.com/hhBL1XjFVo
— Gillette (@Gillette) January 14, 2019
前半はこれまでの伝統的な(?)社会が描かれる。セクハラまがいの行為をTV番組で見てゲラゲラ笑う男たち。男児が取っ組み合いのけんかをしてもイジメをしても、止めるどころか、強くタフな男を称賛する風潮のもと公認されている。
いや、そんなのおかしい。昔ながらの「男らしさ」を疑問視する男たちが正しい行いをしようと立ち上がる。何よりもいいのは最後のシーン、そうした振る舞いを小さな子どもたちがちゃんとじっと見ているところ。ここで見ている子どもたちは明日の男性たちなのだ。↓この眼差しで。(ビデオはツイッター内でご覧ください)
動画は2千万回以上も再生され、熱い支持と賛同を得る一方、CMを見て憤慨しジレットはもう買わないというボイコットも起きているという。メーカー側もそうした反応は予測しており、こうした意見交換を大切にし、両者の声を受け止め、今後も取り組んでいきたいとコメントしている。
しかし否定的な意見のほうが多いということで、それもアメリカらしいなと思う。マッチョな文化はすぐには変わらない。小さいころから常に強さを求められ、富と力を追い求め、競争に晒されてきた。そうした土壌で育った人は自分の生き方を否定される、または攻撃されているような気がするんだろう。逆にマッチョなアメリカで「生きづらさ」を感じながら暮らしている男性だって多いはずだ。揺さぶりをかけてくれたジレットに拍手を送りたい。
すぐさまアイスランド外務省が反応したのもおもしろい。1月15日のツイート。
なにしろアイスランドは、ジェンダーギャップ指数ランキングで常にトップに君臨する国だ。去年の驚きのニュースは、「2022年までに現在14〜18%の開きがあるアイスランドの男女間賃金格差を解消」するため、「従業員の性別、民族、性的指向、国籍を問わず、平等な賃金を支払っていることを雇用主が証明するよう義務付ける」という法案を発表したことだ。凄すぎてため息しかもれない。
有害な男らしさ “Toxic Masculinity”
去年フロリダの高校で銃乱射事件が起き、それについての記事を読んで腑に落ちたことがある。「有害な男らしさ」「男らしさの毒」と訳すのかな。定訳があったら教えてほしい。(部分を引用してみると)
一般的に男性は小さいときから親や周囲に「泣くな」「男らしく」と言われ「男は強く、タフであれ」と教えられる。その考え方が根底にあるため、たとえば運動よりも勉強が好きな小学生男子は「女々しい、弱々しい」といじめられ、ハリウッド映画ではマッチョな男優が銃を持って悪を蹴散らし、美人や欲しいものを手に入れる。
従って昔ながらの概念「男らしさ」は、大げさに言えば「男は多少乱暴でも強くなることが重要で、それは社会で許容される」となり得る。この思考こそ大きな間違いで現代の暴力社会を引き起こす根源ではないか、というのがToxic Masculinityの意味するところ・・・(略)
こうした育ち方をした男性は、不満や行き詰まりを解消するのに、銃などの暴力に訴える傾向が強い。女性は問題にぶつかっても、銃で無差別に攻撃することは稀だ、と記事は続く。
ジェンダーロールを強いる言葉の数々
性差を殊更に強調し相手を貶める言葉、日本語はそうした言葉の宝庫だろう。罵倒語と同じインパクトを持っている。たとえば男性に対して「女々しい」とか「女の腐ったような」とか。本当に失礼だな。
女性に対しては「女らしくない」「女のくせに」「女だてらに」「男まさりの」「色気のない」「男も顔負け」など…。書き出すとキリがないし、腹が立つので止める(笑)。
去年の池内さおりさんのツイート。凄く同感なのでブクマして取っておいたもの。もうおっしゃる通りです。
幼い時から、
— 池内さおり (@ikeuchi_saori) October 11, 2018
女にまつわるジェンダーロールには、
男性を敬え、出すぎるな、男を立てろ、楯突くな、相手(男)を不快にするな、もてなせ…🤮
等々の呪いの呪文がてんこ盛り。数限りなく叩き込まれるので、頭の悪いふりは、無自覚な処世術としても「選択」されがち。
やめよう。
みんなで、TIME is UP! https://t.co/vXUWdSObbz
エマ・ワトソンの発言にも驚いた。そう、頭の悪いふりはやめようね。
私たちはこうして男女ともに何かしら「役割」を刷り込まれて育つ。たぶん小学低学年くらいまでは自由に感情豊かに思っていることをしゃべっているだろう。だが次第に周りが要求する像に合わせていく。
「男らしさ」も「女らしさ」も私は別にかまわないと思う。だけど多様化の時代だけに、多彩な「~らしさ」があってもよく、高圧的な否定や押し付けはイヤだな。つまるところ、ジェンダーからずれるが、思いやりや想像力(相手の側に身を置いてみる)が基本で、時には譲る、または歩み寄る姿勢も大切だと思う。
女の仕事はやりたくない
10年以上前、ベルギーの移民学校に通っていたときの話を再び…。あそこは50か国以上の出身国の人が寄り集まっているので、毎日が刺激的で学ぶことが多かった。
各学期の終わりに教室内でお茶会をするのだが、持ち寄った食べ物を並べたりジュースを注いだり、ケーキを切り分けたり給湯室へお湯をとりにいったり…とたくさんの仕事がある。なのにコンゴ出身の青年(プロのDJだった)は自分はやらないと言って座っている。「男の仕事じゃないから。自分の国じゃ女がやることだ」と。
女性たちは「何言ってんの?ここはベルギーよ!」と大変な剣幕だ。
ペルー出身の男性が言う。「ぼくの国でも同じだけど、ベルギーに住んでいるんだからここの文化に合わせるべきだ。今どきマッチョってカッコ悪いぞ」
アルジェリア出身の男性も加勢して「ぼくだってベルギーに来てから変わった。君はベルギー人と結婚してるのによくそんなこと言うね」
コンゴ人の彼はそれでも絶対にやらないと言う。先生が「じゃ、そのわけを話してちょうだい」と割って入った。コンゴ青年が言うには、家事など女性の仕事をしたら惨めな気持ち、屈辱的な気分になるのだと。男はどっしり座っているものだと、子どものときからそんな風に育ってきたから…云々。
屈辱的な気分か、なるほどねえ。でも男尊女卑の文化をこのように堂々と説明するところはすごいと思った。少しはわかった気がする。賢い青年だし、それにまだ20代、少しずつ変わっていくだろう。子どもが生まれたら妻と協力してやっていかなければならないし。もしかしたら今頃は、下の二人みたいにカッコいいパパになっているかもしれない。
これは英インデペンデント紙の国際男性デー International Men's Dayの特集である。
左:ザ・ロック(ドウェイン・ダグラス・ジョンソン)と右:007のダニエル・クレイグの育児パパぶりを持ってくるところがすばらしい。ダニエル・クレイグはすれ違っても気づかないレベル。
今日は終わります。
また次回!
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