身辺雑記その2.
祝メルリ・クリスマス!(すみません、ふざけました)
前回記事ジョージア料理「シュクメルリ」松屋の世界紀行応援中 にたくさんのコメントありがとうございます。
で、お断りしておかなくちゃいけないのは私は「松屋」にまだ一度も行ったことがないこと。SPYBOY さまと同じく。もしかしてみなさんに誤解を与えているかも…と心配になって。giovannnaさま、tonihoさま、ni-runi-runi-ru さま、jerichさま、ごめんなさい。松屋のシュクメルリの味については食べていないので何とも言えない。1月中旬の全国展開に期待していただきたいが、期待外れだったら申し訳ない。あと、本物のシュクメルリはニンニクの量が半端じゃないので、松屋のはどうかわからないが、一応注意されたし。
「世界紀行」と松屋がわざわざポスター上に明記してあるのが気になる。シリーズ化するんだろうか。小国ジョージア(=グルジア)を出してきたのは本当に驚きで、メジャーな料理でないところがおもしろい。食べに行った人たちは皆おもしろがっているんだと思う。私も一緒におもしろがればよかったな。さらに今後も世界紀行を展開していくのなら私からも提案が二つ、三つある。松屋にメールを送ってみようかな。
日本人は食べ物に関してだけ「保守」ではない、という意見を聞いたことがある。かつてサッカーのトルシエ監督付き通訳だったフローラン・ダバディ氏が言っていた。新しく開店したエスニックのお店に行こうよ、と誘うと日本人は皆即答で行こう行こうとなるのに、フランス人はのってこない。ダイエット中だとか何らかの理由をつけるが、実は食べ物に対しては保守的で好奇心がないのだと。
松屋には入ったことがなくても、こうした外食チェーンが外国人なしでは回らないことはよく知っている。10年以上も前のことだが、あるとき中国人の女子学生が泣きながらバイト先の過酷な労働環境とオーナーのパワハラについて訴えてきた。話を聞くとあまりに酷いので電話して抗議してやろうと思ったが、ほかの教師に止められた。私が文句を言ったのでは逆効果だから別の手を考えようと。実際その方がよかった。かっとして行動してはいけない(笑)。
しかし別の件では「かっとなって」行動に移して成功したこともある。日本語学校で大学進学をめざす2年目の男子生徒が「ビザが半年しかもらえなかった」と相談してきたことがあった。そんなはずはない。優秀で欠席もない中国人学生で、しかも日本語一級試験と大学入試も近く、超忙しい時期にである。きっと何かの間違いだ、事務室で相談したら?と言うと、事務の人は取り合ってくれなかった、入管は一度決定したことはメンツがあって変えないから、と言われたらしい。おかしいだろう、よっぽどのことがないかぎりビザは1年おりるのだ。「私、入管へ行ってくる」と言うと、「ムダよ」と周囲にあきれられ、笑われたが、入管の埼玉出張所はそんなに遠くないし、とにかく電話じゃダメな気がした。
学生と一緒に列に並んでいるとき私は鬼の形相だったにちがいない。そのままの形相を窓口に突っ込み、「うちの学校の模範生なんです。半年しかビザが出ない理由を説明してもらえませんか」と怒りをぶつけた。奥のほうで何やらひそひそガサゴソやっていた。部屋を見回すと、不安そうな顔つきの外国人たちがベンチに座り低い声で話をしたり、窓辺にたたずんでいたり、また私たちの方を見やったりしていた。重い空気が支配していた。
しばらくして呼ばれたので行ってみると、全く拍子抜けした。「こちらの手違いでした」。
やっぱり来てよかった。要するに「日本人」を連れてきたから再度チェックしたのだろうね。その場でビザを変更してくれた。学生はその後国立大学の経済学部に進学した。
映画に行ったら隣の人がずっと泣いていた話
映画のレビューを書く気はないので、こちら『家族を想うとき』をどうぞ。一度引退を表明したケン・ローチ監督がどうしても撮りたかった映画。監督がめちゃめちゃ怒っているのがよくわかる。私たち皆の問題だぞ、目を逸らすなよ、直視してあとは自分で考えろ。そう言っているみたいだ。
つい先日のセブンイレブンの「決定」、宅配代行や外食産業や下請け工事業…ブラックで人間性を奪う労働環境はどこの国も同じようだ。労働者の権利は失われ、仕事は選べず不安定な働き方をせざるをえない。個人事業主とかフリーランスといっても名ばかりで、実際は実はフランチャイズなどの奴隷でしかなく、終わりのない競争に巻き込まれていく。儲かるのは誰?ごくごく少数の人間だけ。
この日は水曜でお昼の回だったのに、有楽町の劇場は最前列を除いてほぼ満席だった。そして私が気になったのは隣に座った若い女性だ。始まってけっこうすぐ、フランチャイズの宅配ドライバーとして「独立」する主人公の悪戦苦闘ぶりが描かれていくに合わせて、鼻をすすりだし、ハンカチで目頭を押さえる。涙を誘うシーンは映画全体を通してみてもとっても少ないと思う。ケン・ローチ監督はむしろ絶妙なユーモアを交え、視線はあくまで温かい。
しかし隣のお嬢さんは、映画のファミリーがこれでもかこれでもかと危機や不遇に見舞われるたびに、小さく息を呑み、また声を押し殺すようにして泣くのである。自分の生活、あるいは過去の経験とダブるところがあるのか。それともあのファミリーの、お互いを思いやる気持ちに心打たれてなのか。
https://natalie.mu/eiga/gallery/news/359745/1257454
父親役クリス・ヒッチェンは配管工として20年以上働いたあとで、40歳を過ぎてから俳優になったという人。子役の二人もすばらしかった。
映画といえばこの冬は楽しみなのがいくつもある。来週はいよいよお待ちかね、ポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』そして今日から封切りのこの世界の(さらにいくつもの)片隅に。
悲報!はてなの『フランドルの四季暦』ファンにお知らせ
昨日は「スローな焚書はやめてくれ」(←すみません、勝手に変えちゃった)というエントリを投稿した(id:mamichansan)さん。マミーさんは読んだ本のレビューがすごくいい。もう何度もそのことは書いているのだが、たとえばこちら『フランドルの四季暦』(マリ・ケヴェルス著)。このエントリのおかげで私はマミーさんの存在を知ることができた。思い出深いし、今改めて読んでも良いレビューである。
当時ベルギー滞在だった私は、実際にベルギーのフランドル(=フランダース)のこの舞台を訪ねるのである。それを記事にし、マミーさんに連絡して読んでもらった。シェルshell (id:shellbody)さんは本を買い、感想も書いてくださった。
日本で翻訳が出たことは、ベルギーのオランダ語カルチャー雑誌にも紹介されたし、ベルギー人の大学教授で新聞にコラムを書いている人からは「日本にはこのレベルの本を受容できる読者層がまだあるのか。羨ましい。ベルギーにはもうなくなった」という言葉をいただいた。
著者マリ・ケヴェルスの館をちょっとお見せしよう。
敷地は全部で7ヘクタールあったそうだが分割され、相続主が違うらしい。邸宅自体は650㎡ということだ。
なぜ今この話かというと、この邸宅は去年(2018年)売りに出されたのである。詳しい事情は知らないのだが、お孫さんに当たる人が決断をしたのだ。買った人はどうするのかな。情報が入ったらお知らせしたいと思う。
では今日はここまで。また次回に!
(マリ・ケヴェルス邸に池があった頃の写真。鉄道を通したら水脈が枯れて池も無くなった)