哀惜 ひとつの時代の終わり

李登輝氏が亡くなった。ひとつの時代の終わりを感じる。とりわけ最近の中国は動きが不穏だからよけいに危機的に感じる。

李登輝氏は司馬遼太郎氏と同じ年で親交を結んでいた。「私は22歳まで日本人だった」という言葉も有名だと思う。旧制高校から今の京都大学に進んだ。そして「民主主義の父」と呼ばれ、現在の台湾の基礎を創った人だ。2002年に慶應大学で学生相手に講演をするという噂を聞き、私も何とか会場に潜り込めないか探りを入れていたが、日本政府からビザ発行を拒否され、実現しなかった。日本に対し、特に日本の若者たちに向けて話したかったことがたくさんあっただろう。日本人が真摯に耳を傾けなければいけない貴重な指摘や忠告の数々が。

「台湾に生まれた幸福」

その国に生まれて幸せだった、と言えるっていいね。

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(上野 ガード下 2019年)

 

リーダー氏の訃報

10日ほど前のエントリに上がダメでも市民で勝つ(願い)&ベルギーには井上礼之通りがある(トリビア) 財務省前抗議に行った話を書いた。その抗議自体は2018年4月22日とずいぶん前のことだが、主催する人たちと私が初めて言葉を交わした思い出深い集会なのである。この方たちがデモを準備し主催し、呼応した市民たちが安全に集まれるようにサポートしてくださるおかげでこれまでつつがなくやってこれたのだ。

「今はコロナで集まれないけど、皆さんお元気だといいな」と書いた。するとSPYBOYさまがコメント欄で「怒りの可視化氏が亡くなった」ことを教えてくださった。あまりの驚きで俄かには信じられなかった。まさか、そんなことって!

彼の写っている写真をスマホの中に探した。何枚も持っている。ほらこんなにお若いのだ。私より20歳くらいは下だ。どうして?急逝なんて理解できない。

今日は、あの財務省前のエピソードをもう少し続けようと思う。まず前回書いた分。

私はいつも周りの皆さんにご挨拶をする。その時一人の男性が「twitter見てきたんですか」と聞いてくれ、会話が始まったのだ。女性たちは皆明るくて服装がおしゃれだった。プラカードを渡してくれた。

この最初の男性は、物静かでちょっと仙人風な紳士だった。とはいえ、私よりは年下だろう。「あの人がリーダーだよ」とも教えてくれた。

仙人氏はさらに聞いてきた。「前にもデモや集会に行きましたか?」

「はい、行きましたよ。先日の国会議事堂前とか、3月の新宿伊勢丹前とかですね」

仙人氏は私の目の奥を覗き込むようにしてこう言った。「あのう、そういうのとちょっと違って、うちのコールはあまり品のよくない言葉も入るんです。それは大丈夫ですか?」

この人は何を言っているんだろうと思った。ややあって、やっと意味を理解した私が「ああ、全然大丈夫ですよ。ご心配なく」と言うと仙人氏はニッコリして去った。何と優しい細やかな心遣いだろう。下品なコールに私がショックを受けるのではないかと心配してくれたのだ。今思い出しても驚きだし、笑ってしまう。

リーダー氏のコールが始まった。「セクハラ フクダ は さっさと 辞めろ」とか、麻生氏の責任もあるから二人とも辞任しろ、といった内容のコールだった。別に過激なことは何もない。リーダー氏はちょっと休憩するため、マイクを女性(「肉球新党 」さん?)に渡して後ろにさがり、私の隣に来た。女性のコールが始まる。

セクハラ フクダ は ジゴクに 落ちろ!

リーダー氏は下を向いてぷっと噴き出した。私も同じく噴き出した。他の人も笑っていた。過激なコールをするのは女性のほうだったというわけ(笑)。

私も大声でコールを繰り返したが、その甲斐なく福田淳一氏は地獄には落ちず、前にも書いたとおり、通信制SBI大学院大学の教授になった。

リーダー氏のご冥福を祈ります。残った私たちは自分のできる範囲でまだまだがんばります。

 

R氏のいないHatena Blog あれから1年か。

R氏の釣りブログ、ご存じでない方はごめんなさい。

私ははてな帰属意識が希薄で、あまりフォローもしないしフォローされても返さない。というのも心の中で「もうすぐ止めるんだから」と思っていたので。ブログを始めて半年過ぎたころはブログを書く意味はすっかり失っていた。そのころR氏のブログに出会ったのだ。ちらと読んだらおもしろくてもう少しはてなを続けてもいいんじゃないの、やめたら読まないだろうし、と思った。

何がおもしろいか、当初は「日本語」だった。彼の使う独特な日本語文。まあ知っているかたもいると思うけれど私、一応それが専門だったので。

それから中毒になりそうな独特の語りだ。話術というのか。やや古めかしく個性的な文体と用語選びも特徴的。国立国語研究所は彼のブログを調べに来い、と思ったものだ。(文章サンプルを集めている)

本文記事のおもしろさに加えてコメントの返しが秀逸だった。飄々としたユーモアで相手をくるみ、毒舌だけど決して傷つけない。ものすごい数の読者を相手にしているのに、誰に対しても分け隔てなく公平で、ひとりひとりきちんと応対する様子をいつも感心して見ていた。お悩み相談に応えて人生経験からひねり出す助言も適切だったし、社会批判は辛辣、政治関連事象の記憶力は抜群だった。

一度R氏が「セネシオさん、選挙には出ないのかね」と書いてきて面食らったことがある。応援すると言うのだ。何を勘違いしたのか不思議だ。

そしてそれは絶対にない!私がフィギュアスケートでオリンピック目指すとか、今からラッパーとして全国デビューするとか…そんなことがありえないと同じく絶対ないのだっ!さすがにわかってもらえたようだ。

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(丸いのはすべて「泥団子」 東京藝大学生の展示作品)

R氏のエントリ全体で感じるのは「包容力」かな。途方もなく大きな包容力。皆さんはどう思うだろう。在日の人たちへの視線の温かさは特に印象に残っている。

彼の中では日本も朝鮮半島も「東アジアのへん」。ざっくりとひとつの地域でいいじゃないかという持論だった。宇宙から見たらそんなものだろうと。「今ある国はいつ消滅するかも分からないし、国境など人間の欲の引っ張り合いの結果生まれたもの」と考えていた。国籍だって同じ、頼りがいのないものだと。

近所に、戦前夫婦で韓国から日本に渡ってきて、その後夫と死別し一人で子どもを育てたおばちゃんが住んでいたが、日本語を書くことができない。だからR氏は代筆をしたり、こまごました用を手伝っていた。在日の人たちからきっとすごく感謝されていたことだろう。

それは、子ども時代、仲良しの在日の釣り仲間(三人組だとか)がいて無心で遊んだ楽しい記憶が根っこにあるのだ。当時、差別があるのは知っていたがそれは大人の都合であって、気の合った子どもたちには垣根などあるはずがなかったと書いていた。

 

 R氏について書くと本当にキリがなくなるのでこの辺で終わりにしよう。

これまでも彼を話題にたくさん書いてきているが、ひとつあげるとしたらこちらお初のおめもじなれば… 

全く神様ときたら R氏を自分の脇に置きたくて連れていったにちがいない。

ではみなさん、また次回に!