あれから75年、また戦争のことを考える8月がやってきた。
学んだことをメモしておこう。
1.見るなり凍り付いた写真
1945年イギリス海軍重巡洋艦Sussexに特攻した機体の跡‥
— M16A HAYABUSA (@M16A_hayabusa) 2020年7月18日
特攻隊員の生存者が言っていた。
「軽合金で製造された航空機が、重装甲で守られている敵艦に激突するのは、コンクリートの壁に生タマゴを投げつけるのと同じで無意味だ」
‥と、言っていた時、知覧の特攻
平和会館の中は静まり返っていた。 pic.twitter.com/HPW4RbXduq
散っていった特攻隊員と船上の甲板から見ているイギリス兵たち、どちらのことも考えた。だけど「激突」したのか?
重巡洋艦サセックス は1945年になると東南アジアへの攻撃作戦に参加していたが、7月26日、カミカゼの攻撃を受けたという。九九式襲撃機(開発・製造:三菱重工業)であるらしい。連合軍のコードネームは Mitsubishi Ki-51 "Sonia". ソニアと呼ばれていた。(HMS Sussex (96) - Wikipedia)
直接ぶつかったのではなく撃墜された機体の破片が偶然こうした跡を残したということらしい。(私の理解が正しければ)。言葉を無くす。
*追記:8月9日たまうきさま id:ni-runi-runi-ru から教えてもらいました。ありがとうございます。引用させていただきました。
107教育飛行団第3教育飛行隊の練習機九七式戦闘機3機(イギリス軍はソニアこと九九式襲撃機と誤認) で編成された陸軍特別攻撃隊七生昭道隊が攻撃。
対空砲火で撃墜された1機の破片が側面鋼板に衝突して 飛行機型の傷を残したが、死傷者は出なかった。
他の1機は掃海艦ヴェステルに命中しこれを撃沈、 残る1機は護衛空母アミールへの至近弾となった。
2.「原爆の図」を紙芝居にしたアメリカ人
よくそんなことを思いついたものだと当初は思った。「原爆の図」は屏風仕立てで壮大な世界であるし、紙芝居といったら普通ジャンルとしては子ども向けと考えてしまうから。アメリカ出身の詩人アーサー・ビナードさんが美術館の協力を得て制作を開始、という新聞記事を読んだのはずいぶん前のことで、それが昨年完成したことはやっと最近知った。完成まで7年の年月が流れている。
ちっちゃな声。
「はじめまして ぼくのなまえは くろ
君は人間だな
ぼくの ことば わかるかい
それはよかった…」
で始まる。あまり内容に触れたくないので気になった方はご自身で読んでください。
「原爆の図」私は直接見るチャンスはまだないのだが、あちこちで紹介されるので幾つかの絵は見たことがある。画家の丸木位里、俊夫妻が30年以上の年月をかけて共同制作した屏風絵、全15部から成り、1~14は丸木美術館(埼玉)、第15部「長崎」は長崎原爆資料館蔵。東京在住だった夫妻は原爆投下後に位里さんのふるさと広島に入り、家族や親戚の世話や救援に当たった。その当時見た事を中心に1950年から制作を始めた。
一方ビナードさんは福島の原発事故がきっかけだという。「原爆の図」のメッセージを新しく読み直そうと思い、じっくり向き合った。これはゲノム編集そっくりだと言う。丸木さんは将来紙芝居が生まれるとは思ってもいなかっただろうが、絵の中に具象的な表現が多くあり、それをもとに紙芝居が作れるな、子どもたちに見せたいと思ったそうだ。紙芝居は童心社から出ている。
www.doshinsha.co.jp興味のある方、去年中国放送(RCCテレビ)の特別番組。丸木夫妻の「原爆の図」をもとにしたアーサー・ビナードさんの新作紙芝居『ちっちゃい こえ』制作を追う。2019年3月27日
3.原爆を落としたのは…
国外に住んでいると、大人でも子どもでもどうしても気が塞ぐ日が、年に何回かあるといってよい。やはりこの時期8月はそのひとつだ。そうした子ども時代の思い出を紹介してくれたリサさんlisakogawaのツイートに胸打たれたので紹介しよう。(全文はtwitterのほうでどうぞ)
この時期になると、中学2年生の時に歴史の授業で「原爆を落としたのは正解だったか否か」のディベートがあったことを思い出す。大抵の場合アメリカ的には原爆を落としたからこそ戦争が終わったという的なことを大抵教えられ、…(略)
で始まる。クラスに日本人はひとり。順番が回ってきたら「同じ意見です」と言おうと思っていた。 番が回ってくる前に教科書にふと目を落とすと、手紙の写真があった。原爆に遭った人が震える手で書き記した街の情景と絶望の気持ちと「あつい。あついよ。お母さん。」のようなことが書いてあったという。その日本語を読めるのは自分だけだ。読んでいるうちに心が重くなり息苦しくなった。皆が自分を見ている。やっとしぼり出した言葉は「わからない」だった。
(引用)最初は私も、みんなと同意見でした。日本人だけど親戚に被爆した人がいるわけでもないし、過去のことだし、まだ戦争のこととかよくわからないし…でもこの手紙、私だけがこの手紙の内容を読める。これを読んで、どうしても原爆を落としたことが「正解だった」とは言えない…」的なことを言ったと思う。もっと何か言ったかもしれないが覚えていない。頭がぐわんぐわんしてた。涙がじわりと出てきた。
やってしまった、と思った。泣くな、泣くな!!!これ以上奴らに恥を見せるな!と言い聞かせたけど涙が何故か止まらなかった。…
すると隣の席の人が いきなり「私の意見を撤回します」と言うのだ。
(引用)「私もさっきまではアメリカがしたことが正解だと思っていましたが、今のリサを見てみて相手の立場の目線にも立つべきだと思います!」と言ってくれた。驚いた。え?とびっくりしていると周りもどんどん「同じくです!訂正します。」「そもそもこの教科書の内容は一方的すぎでは?」「他に違う方法があったんじゃないでしょうか?」「異議あり」とディベートが再熱し始めた。…
さすがアメリカの学校だなと思わせるエピソード。あとでわかるが先生も学校の方針もすばらしい。生徒の自主自立、個性を大切にする方針でディベートとプレゼンが多かったそうだ。
ここで思い出すのは猪口邦子氏の「パール・ハーバーの授業」(以前ちょっと扱ったパール・ハーバーの授業 & 日系人収容所再び)。ここに出てくる教師もすごかった。
話が脱線して申し訳ないが、その猪口邦子氏である。稲田元防衛相ら「国防女子」議員 打撃力保持を提言:朝日新聞デジタル
国防女子になっちゃったの?こちらの写真松川るいに「国防女子の会」メンバーが写っている。信じられない。
4.原爆投下の惨状伝える取り組み 高校生が作ったVR
終戦75周年ということで、アメリカの番組で福山工業高校を取材していた。(↓中に動画があり、なんとスクリプトまでついている。親切!)
取り組み自体については、こちら日経の記事が詳しいので貼っておくwww.nikkei.com/
広島県立福山工業高校の生徒たちがVR技術で爆心地の様子を再現した。専用ゴーグルとイヤホンで追体験するらしい。
記憶の継承はどこでも大きな課題である。惨禍を生き抜いた人たちも高齢化が進み、少なくなっていく一方であるが、こうして若い人が伝承に力を貸してくれるとは勇気づけられる。
この制作にあたり、計算技術研究部の生徒たちは100人ほどの被爆者に取材し、当時の資料、特に産業奨励館の設計図などを集めた。建物の高さや色や音などにこだわり、映像として作り込んでいったという。
今日は終わります。
また次回!
🌸わが家の写真
桔梗がいつになく花盛り。
やっとクロアゲハが来たっ!飛び立つ日まで観察します。