カタルーニャ劇場
と呼んでもいいのではないでしょうか?
スペイン・カタルーニャ自治州の独立をめぐる、ここ1か月あまりの激動のことです。BBCが「フランコ独裁政権以来40年ぶりの政治的危機」と呼んだこの独立問題を、私は毎朝、NHKBSのスペインTVE(国営放送)で追っていました。
まずはちょっとAFPの地図をどうぞ。
分離独立あるいは自治権の拡大を要求する地域は、EU内だけでもけっこうあるんですね。これまでも何度も話していますが、ベルギーのフランダース地方もそうです。
https://twitter.com/AFP/status/921401883499012096
北イタリアでも
イタリア在住の春さま(正しいお名前はこちら:28-春 ventottoprimavera)が、一週間ほど前に行われたレファレンダム(州民投票)について、タイムリーなリポートを挙げてくださっています。
イタリアの裕福な地域、ミラノがある州(ヴェネト)とベネチアがある州(ロンバルディア)が、自治権の拡大を要求している。なぜならこの州二つでイタリアのGDPの三割を占めるのですが、自分たちの税金が南部の貧しい地域に回されることに、長く不満を抱いてきたというのです。
(ミラノ、ベネチアの位置を確認)
予想通り、賛成票が圧倒的多数を占めたものの、投票結果は法的拘束力を持たないそうだし、両州はスペインのカタルーニャのような分離独立を望んでいるわけではないそうです。
下の写真は両州を率いる極右の「北部同盟」マッテオ・サルビーニ書記長(中央)。今後、予算配分の拡大などを政府と交渉していくわけですね。
春さんはイタリア人の同僚の話を交えて要点をまとめてくださり、大変興味深かったです。
・シチリア(かの有名なマフィアのあるところ)へは、噂では公的支出額がロンバルディアの5倍も嵩んでいるとか。
・北部の人間は、今のままじゃ払ってる税金を享受した気がしないから、自治権拡大して自分達の使いたいように使えるお金がほしい。
・でも結局、北部にお金が行ったとしても、結局イタリア国家として「必要とされている支出」を賄える額は変わらない、その収入はどこから補填するのか。中央政府は当然税徴収を増やす…。結局、税がまた高くなって、豊かで真面目に納税する北部は、あれ、高くなった分払ってる税金を享受した気がしないぞ、となる…
・本当の問題は「必要とされている支出」を各州に不透明なものがないか、もっと切り込んでいくのが一番良い。
独身の若い人などはすごく高い税金を払っているんだろうなあ。気持ちはわかります。自分たちの生活も大変なのになんで税収が南に流れていくの、と思うわけです。
そして政治家もそうした感情を巧みに利用するのです。
深い亀裂を残したカタルーニャ独立問題
今これを書いているこの時点でも状況は刻々と変化している。カタルーニャ州のプッチダモン首相はいつのまにかブリュッセルに飛んでいて、亡命を申請かというのが今朝のトップニュースでした。弁護士はフラマン人で、人権問題や IRA関係を専門とするベカールト(Paul Bekaert )氏らしい。
Advocaat van Puigdemont heeft opmerkelijk cv | nieuws | De Morgen
カタルーニャ自治州の住民投票は、日本でも盛んに報道されていたから皆さんもご存知だと思いますが、約9割が独立を支持したことになっています。もちろんスペイン中央政府やEUは認めません。治安部隊と住民の激突もあって事態は深刻化するなか、1000社を超える国内外の企業などがごっそり州から撤退していきました。観光業にも大打撃です。
(フランコとヒトラー1940年10月23日. / picture-alliance/Judaica-Samml/Newscom/Efe この二人を見るといつも吹き出してしまう)
フランコ独裁(1939-1975)が終わり、そろそろ落ち着いたかなというころ、スペイン一周一か月の貧乏旅行をしたことがあります。フランスからスペイン西側に入り、諸都市や町をぐるりと回ってバルセロナにたどり着くと、「ここは本当にスペイン?」と驚いたことを思い出します。まるでパリに帰ったような錯覚に陥りました。
カタルーニャ州はイスラムの影響がスペインの他地域と比べて極めて少ないからで、ローマ的なヨーロッパの一都市という感じがする。人々はあか抜けて明朗で、外国人も多く暮らしているので国際的な華やかさがありました。
スペインはもともと多民族国家です。バスク人やガリシア人と同じようにカタルーニャ人も自分たちは独自の文化や言語を持つと考えており、1930年代にはやっと自治州の地位を得たと思ったら、フランコによって厳しく抑圧された歴史があります。
独立派・反独立派 家族内でも意見は対立
DUI: Cientos de miles de personas marchan para respaldar el 155 | Cataluña | EL PAÍS
(こちらは反独立派のデモ)
そうしたアイデンティティの問題に加えて、まあどこも同じなんですが、経済的な問題があります。私は2007-08年はヨーロッパにいて、またいつかスペインに旅行しようと思っていたから、ニュースはよくチェックしていました。そのころスペインはバブルのまっ只中にあり、建設ラッシュや、海浜リゾートが次々と整備されていく様子をTVで見ました。
そしてリーマンショックでガクンと奈落の底に突き落とされる。この経済危機でカタルーニャ州は最も影響を受けた地域です。さらに追いかぶさるように緊縮政策もあって、市民は困窮し、格差が広がり、不満は中央政府に向けられる…。一見豊かそうに見えるカタルーニャ州ですが、現実は違うようです。
また今回の「独立」はボタンの掛け違いのような気もしています。カタルーニャは本当は自治権を拡大させたかっただけなのかもしれない。本当に独立したいと考える人の割合はどれほどだったんでしょうか。
しかし中央政府は理解する気もなく、要求を高圧的に一蹴したから感情的にこじれたのかも…。もっと話し合って折り合えるところを探すこともできただろうに。
「交渉」ー これがいかに大切か、そんなことを考えるのも、ベルギーでは(オランダも)しょっちゅう話し合って妥協できるところを探すからです。選挙が終わって組閣に1年以上かかることがあっても気にしません。多極共存型のデモクラシーというのだそうです。
カタルーニャとスペインはどこへ行くのか - Two for the Road いつもふたりで
から春さんのご意見、引用させていただきます(太字は私)
やっぱりあのときが分かれ道だったんですね。
・我々は、国家に身体的な安全だけでなく、人権、個人的主権、全て守られていて…国家が税収で成り立っているから出来ることである。
・無いものを数えるだけでなく、当たり前にあるものも数える必要がある。
・一地方が独立国家となった時、果たしてそれらを継続して担うことが出来るのか。
全く同感です。
今後どうなっていくんでしょう。カタルーニャは今回失ったものが大きすぎます。
そしてブリュッセルに「逃げた」プッチダモン州首相は、国家反逆と騒擾罪に問われています。
LeSoir紙、ひとこま漫画
①
http://plus.lesoir.be/121865/article/2017-10-30/le-kroll-du-jour-francken-et-puigdemont
難民収容施設は満員なのだが、事務次官テオ・フランケンがやってきて言った。
「スーダン人を3人放り出せ。プッチダモンさんの部屋にする」
②
http://plus.lesoir.be/122008/article/2017-10-31/le-kroll-du-jour-puigdemont-bruxelles
プッチダモン「あれ?みんなどこにいるの?テオはどこ?」
スペインに帰らざるをえない プッチダモン氏。厳しいお咎めが待っています。
YOSHIKI 初めてのお天気おにいさん
フランスTF1.局 10月25日の番組にゲストとして登場。ついでに天気予報も英語でやっちゃったYOSHIKI。フランスの地名を発音するのが難しかったそうです。なぜフランスかといえば、
X JAPANのドキュメンタリー映画「WE ARE X」(下のポスター)のヨーロッパ劇場公開に合わせて、13日間で10カ国11都市を回ったのです。マジですか⁉この過密さはないでしょう、と思っていたら案の定イギリスでダウンしてしまいました。
ドイツ→イタリア→オランダ→ノルウェー→フィンランド→スウェーデン→イギリス。
医師に安静を命じられ、やむなくアイスランドをキャンセル。24日にパリのプレミアムイベントには出席できましたが。
フランス語がわかる人は番組(8分位)と天気予報をご覧ください。YOSHIKIがかなりお疲れのようでちょっとかわいそうでした。司会者とのやりとりもスムーズに行かず、同時通訳にも問題がありそう。
上の写真、YOSHIKI登場のようす。よく見えませんが柱の辺です。
下の写真、隣に座っている人は作家のDantzig氏で、YOSHIKIより前にゲストとして迎えられ、最新作について話をしたのです。その本は「ジェスチャー」についてのもので、時に言葉より雄弁であると作家さんは例を挙げながら語りました。
司会者がこの話題を引きずり、次に登場したYOSHIKIにもいきなり日本でのジェスチャーについて質問をするのです。YOSHIKIはその意味がよくわからなくて聞き返します。最初からちぐはぐでした。天気予報もプロンプターを読むのだと思いますが、ちょっと緊張していましたね。
番組ではX JAPANの歴史をざっと振り返ります。私はファンではありませんが、映像を通してあの時代、1990年代の一時期を振り返り、個人的に感慨深いものがありました。
今日はここまでです。