ベルギーの密かな愉しみ

ちょっとお休みします。

イタリア的なもの &文化的アイコンだったジュリエット・グレコ

イタリア的なものがたまらなく好き。

先日まるさんにイタリアに連れていかれた😉フォンタナの曲を紹介していらしたので、私もしばし聞き惚れていたらイタリアンポップスの世界に入り込み、と同時に70年代にタイムスリップしてしまった。レコードをものすごい久しぶりに引っ張り出した。

まるさんの記事はこちら。中で歌が聴けます。まるさんのフォンタナ愛がすごい!そしてNHK世界の音楽」という番組の思い出も語っている。↓ぜひ↓

garadanikki.hatenablog.com

 

フォンタナは私たち(←ごめん、まるさんと私を一緒にしてる)の親世代の歌手・俳優で、このIL MONDOChe Sarahttps://www.youtube.com/が特に知られている。Che Saraはみんなで歌える歌で聞いたことがある人も多いのでは?

youtubeをあれこれ見ていたら、イル・ヴォーロ(Il Volo)という若い三人組のテノールが歌っているのも見つけた。この三人、やぼったい感じのする容貌で華やかさはないが歌唱は抜群で良かった。そういえば「白鳥の湖」(Notte Stellata)を歌っていたのを思い出した。羽生結弦選手が曲を使って話題になったことも。

 

ああ、私も嗜好を語りたい。言葉にはできないがイタリア的なもの。

イタリアの歌には、それがロックやバラード調であっても、町かどで曲が流れているのをちょっと耳にしても「あ、イタリアだ」とすぐわかる。特有のメロディー性がある。独特の匂いというのか。私はそれが好きすぎて、70年代にイタリアに行ったときは興奮しまくりだった。カフェやショッピングモールで曲がかかるたび「あれは誰?」「あのレコードを買いたい」などとイタリア人のご夫妻を困らせた。「あとでね、うちで教えるから」とやんわり注意され引き下がるが、歌手の名前を忘れないといいなと心の中で心配した。

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昔はLPレコードだから重くてたくさんは持って帰れない。お小遣いもあまりないことだし、選びに選んで数枚というところに落ち着く。

私が好きだった歌手の一人 マルチェラ・ベッラ(Marcella Bella)。ベッラは形容詞「美しい」の女性形。芸名ではなく本名なのがおもしろいね。

同世代である。イザベル・ユペールも同世代だ。同世代の才能で、早くから活躍している人たちのことは、まるで知り合いでもあるかのように勝手に応援してしまうのだ。ユペールの次回作について、「あのりんごちゃん(『レースを編む女』の主人公)がヴィオレット(*)をやるのよ。あの若さでねえ」などと友人たちと話したものである。

*『ヴィオレット・ノジエール』Violette Nozière(1978)。ユペールはカンヌ映画祭で女優賞を受賞した。ヴィオレット・ノジエールは実在の人物で父親を殺害し、死刑を宣告された人。

ユペールが映画を撮っているころ、歌手のマルチェラ・ベッラは初来日。1977年である。マルチェラはすでにラジオ番組などを通して人気が高まっていた。リハーサルを見に行った人が驚いていたこと。リハなのに本番と同じように全力で全曲を歌っていた。大丈夫なんだろうか、本番は?と思ったら本番も同様のエネルギーでダイナミックに18曲を歌いあげたという。

イタリアが久々に生み出したビッグなアイドルである。しかしイタリアでは年少者を守る社会の規範があって、13歳ですでに様々な歌のコンテストで受賞していたマルチェラも、ひとまず芸能界から離れた静かな暮らしの中で温存された。

しかしいったんデビューすると、すごい勢いでヒット曲を出していった。その類まれな才能と歌唱力、どんなジャンルの歌もこなせる広いレパートリーは、他の伊女性歌手には見られない特徴だと思う。そしてもう一つ、作品がきょうだい愛の賜物であることも多い。二人の兄たちも音楽の才能に溢れている。

 

youtubeで探してみると、皆さんに紹介したいような適当なものがない。難しいんだな。うちのレコードを聴かせてあげたいが😥

せめてこれかな。オーストリアのTV局スタジオに招かれて歌った「私は明日…」という曲。

www.youtube.com

 

もうひとつは「シチリア・アンティカ」。自分の故郷シチリアに捧げた美しい歌である。兄のアントニオが歌詞を書き、もう一人の兄ジャンニ(歌手)が作曲、妹が歌う。

www.youtube.com

先日SPYBOYさまが「シチリアーノ 裏切りの美学」という映画を紹介していた。予告編を見て音楽が流れただけでもう心がうずうずした。ああ、私の好きなイタリアだ。しかもシチリア。マフィアの話であるが、シチリアは美しいところだ。行った人は皆そう言う。マルチェラはシチリア島の第二の都市カターニアの出身である。カターニア世界遺産になっていて、よく保存されたすばらしい街並みと美しい海とエトナ山という火山がある。

そして夜NHKの「世界ふれあい街歩き」を見たらちょうどカターニアの回(過去の放送)だった。こういうことはままある。すべてが私をイタリアの方に導いていった。

 

ジュリエット・グレコ だけは100歳以上生きると思っていた。

訃報が続いている。グレコ(Juliette Gréco)は22回も日本に来てくれた人。女優としても1950~60年代に活躍したが、なんといっても日本のシャンソンブームに火を付けた人で、フランスを代表する歌手である。93歳だった。

グレコは2016年に日本で最後のコンサートをする予定だったが、体調が悪くてとりやめになった。それを機に引退を表明した。

グレコは戦後パリ、フランスの文化的アイコンだった。「サンジェルマン・デ・プレの女神」と呼ばれ、サルトル実存主義哲学者に愛された。ビートルズの名曲「ミッシェル」はグレコをイメージして書いたとマッカートニーが言っている。Billboardからその辺を引用してみる。

 1950年代後半にセルジュ・ゲンスブールと出会ったことで、彼女は芸術的に頭角を現した。当時まだ若いミュージシャンで、フランス歌謡に新たな活力を与える才能に長けていたゲンスブールは、1959年から5年にわたり彼女に楽曲を提供し、その内10曲がレコーディングされた。その一つ、「ラ・ジャヴァネーズ」(ジャワの女)は高い評価を得た。
 ボブヘアとクレオパトラのようなアイライン、飾り気のない黒ずくめの衣装がトレードマークだった彼女は、1968年5月当時のフランスのファッション・アイコン的存在でもあった。自身も英国のスウィンギング・シックスティーズの象徴だったマリアンヌ・フェイスフルは、「誰かになりたいのだとしたら、私はジュリエット・グレコになりたい」と述べたことがある。ポール・マッカートニーは、ビートルズの1965年の名曲「ミッシェル」はグレコにインスパイアされたと2007年のインタビューで明かしている。・・・

最後に写真を。

https://medias.liberation.fr/photo/1337312-bradford-dillman-juliette-greco-orson-welles.jpg?height=900&modified_at=1600890446

1960年オーソン・ウェルズと。Photo Rue des Archives. BCA

 

https://medias.liberation.fr/photo/1337315-michel-piccoli-et-juliette-greco-visitant-rome-en-1967.jpg?height=900&modified_at=1600928948

1966年に結婚したミシェル・ピコリ(Michel Piccoli)とローマに旅行した時(1967年)

Photo Keystone France

 

そして1961年11月25日 東京にて。

https://medias.liberation.fr/photo/1337729-singer-juliette-greco-interview.jpg?modified_at=1601138114&width=975

Juliette Gréco et le Japon, une autre idylle

Photo The Asahi Shimbun. Getty Images

 

ではまた次回!