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カフカ・踏切・世界の青春

*別ブログの日記を保存しています。

カフカ

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図書館に行く道で。

カフカ 変身(かわりみ)

www.shueisha.co.jp

カフカ集英社文庫「ポケットマスターピース」多和田さん訳で読み直している。

若いときには全く気づきもしなかったサラリーマンの本音。

(p11)自分もそういう生活がしたいなんて社長に言ったら、すぐにくびだろうな。まあ、くびになった方がいいのかもしれない。両親のために自分を抑えているけれど、それさえなければ、とっくに会社なんかやめてるよ。社長の前に進み出て、心の中で思っていることを面と向かって言ってやったら…(略)…五、六年のうちには、親の借金を払いきれるだけの貯金ができるだろうから、そうしたら絶対やってやる。

 

(p12)なにしろ、保険会社のお抱えの医者の見解では、すべての人間は健康であり、ただその一部が仕事を嫌う性質をもっているということになってしまうのだから。

両親と妹が美しい邸宅で静かな生活を送っていられるのは、グレゴールがストレスにたえつつも出張の多いセールスマンとして孤軍奮闘しているおかげだった。なのにある朝、起きてみたらグレゴールはけがらわしい虫に変身していた。

役立たずの引きこもり男、家族のお荷物になったグレゴールに対し、家族の反応は冷たい。女中などは怖がりすらせず、「おいで、フンコロガシちゃん」などとからかう始末だ。

食事も取れなくなったグレゴールは衰弱し、末期の病人状態になる。すると妹が提案するのだ「手放すしかない」。この虫がグレゴールだと信じていた自分たちが馬鹿だった、もしあれが本当に兄だったら自分から家を出ていったはずだと。処分する理由を見つけ出す。

グレゴールが死ぬと家族三人は晴れやかな気分になり、散歩に出かけ、将来の設計を話しあい、妹の結婚という明るい未来を思い描く。

訳者の多和田葉子は、この作品に介護の問題、禁じられた性の層まで読み取れるという。若いころは、この不思議なストーリーの展開ばかりに気を取られていたが、今回はグレゴールの心の動きに注意を払って読んだ。人間として扱われない生活はどういうものか、ヒリヒリした気持ちで疑似体験してみた。

 

 
山手線で唯一の踏切

今日はうちの近所の踏切を紹介する。

駒込ー田端間にある第二中里踏切。山手線で唯一ここにしか残っていない。

踏切を渡って図書館に行く。よく撮り鉄さんたちに出会うところだ。

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左 駒込駅を出た山手線の電車がやってくる。

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踏切を渡ったところ。田端駅に通じる。

 

 

 世界の青春

  或る国のこよみ

一月 霊はまだ目がさめぬ

二月 虹を織る

三月 雨の中に微笑する

四月 白と緑の衣を着る

五月 世界の青春

    『燈火節』 (片山廣子) より

 

 

東京もツツジが見ごろ。JR山手線駒込駅ツツジは、線路わきから見ると、先週は少ししか花がついてなかったのに、

f:id:cenecio:20160502142051j:plain1週間前

今日はこんな風。

 

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逆の方向。1週間前と今日。

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そして下はプラットフォームにて。

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まだまだ進行中。しばらく楽しめる。

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 プラットホーム反対側

 現在、東京都美術館でやっている若冲展、ひどく混んでいるらしく、1~2時間待ちなどと聞くとひるんでしまう。平日の朝一番でどうかしら。

 

  • 読書の続き(メモ)

publications.asahi.com

偉そうで申し訳ないが、柴田元幸氏の翻訳が進歩していると思った。以前読んだレベッカ・ブラウン『若かった日々』など に比べて格段にいい。
原題Kind Oneを「優しい鬼」と訳すのもお見事だし、ひらがなを多用したやさしいことばで綴る、句読点なしの語りなどはぐいぐいと世界にひきこまれてしまい、凄いなと感心した。物語の語り手はひとりではなく、複数出てくる。しかも同じ語り手でも時代が異なる。それぞれを訳し分け、各人の声が伝わるように工夫されている。

 

まずは「鬼たちの住む場所に暮らしていた」というメインの語り手、ジニー・ランカスターとともに読者は出発するのだが、彼女も「鬼のひとり」だったことがわかる。被害者は加害者になり、逆もあり、「閲覧注意」レベルの残酷な暴力や剥き出しの人間の生き様が、奴隷のいた南北戦争前後のアメリカを舞台に描かれる。

 

1968年生まれのレアード・ハント氏は日本にいたこともあり、おもに熊谷に住み、国連の報道官やNOVAで英語教師をしていたという。現在は大学教授。

  

燈火節|月曜社

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800ページの本なのでまだ半分しかすすんでいないが、コウモリのことを書き留めておきたい。

私の住んでいるところはJR山手線の内側だが、コウモリは夕暮れ時よく飛んでいるのをみる。近くの神社に住んでいるのだと思う。そしてコウモリのいる生活はいいなあと思っていた。

『燈火節』の中に、現在のアイルランドにあたる地方の伝説(ケルト伝説?)が載っていて、コウモリは昔から嫌われ者だったというのでショックだった。伝説はこうである。

世界の初めごろ、コウモリはカワセミのように青い色で、胸は燕のように白く、そしてうるおい深い大きな眼を持っていたから、その眼の色とひらめく羽根のうごきとで「きらめく火」という名でもあったが、…(略)

キリストの受難の日がきて

一羽の駒鳥が飛んできて十字架の上にくるしむキリストの手から足から茨の刺を抜こうとして、キリストの血で小さい胸を赤く濡らしているとき、蝙蝠がひらひらその辺を飛び廻って、「何と私は美しいのだろう!私が飛ぶのは早いだろう!」と自慢らしく鳴いた。キリストはお眼をふり向けて蝙蝠をごらんなされた。すると潮が引いてゆく時のように、青と白の色が蝙蝠の体から消えていった。蝙蝠はめくらになり黒い体になって、ばたばた飛んで、折しも迫る夜の中に飛び入り、くらやみの中に永久に溺れてしまった。…(略)

ほかの伝説も幾つか紹介されているが、中国では反対にめでたい 福扱いされているという。民家でコウモリの害にあっている人は嫌いだろう。赤ちゃんが可愛い、なんて言っている私は、被害で悩んだことがないからそう言えるのだろう。

 

おわり