リラックマハウスと棲み分けのモザイク(ブリュッセル聖カトリーヌ教会地区2016年3月)
この可愛いおうち(リラックマハウスと勝手に命名)の2階が、ブリュッセル3月の住まいだった。聖カトリーヌ教会を中心とした地域にある。下の地図を参照。
★到着した3月1日。こちらをさきに読んでくださるとわかりやすい。
聖カトリーヌ教会のまわりは魚屋ばかり - ベルギーの密かな愉しみ
地図①
聖カトリーヌ教会のあるところは昔は港だった、と言われると驚く。今でも小さな村ふうな名残りをとどめているので、そうか漁村だったのかと妙に納得もする。2007~08年に住んだブリュッセルの他の地区とはなんという違いだ。こじんまりして住むのに快適そうだ。
散歩ではそれはそれは楽しませてもらった。魅力的な小路がいっぱいあるからね!
まさにおとぎ話の世界だ。とにかく小路の魅力がいっぱい。
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つぎは聖カトリーヌ教会。Église Sainte-Catherine de Bruxelles
白い教会の立つところは運河から引き込む内港で、船が頻繁にやってきては新鮮な魚介類を陸揚げしていった。多くの人が立ち働く活気のある地域だったろう。そしてその名残でシーフードレストランの多いこと。
現在の教会は港をつぶして建てられた19世紀のものでロマン・ゴシック・ルネッサンス様式が混ざっているとのこと。
教会には 黒い聖母子像(Vierge Noire)が祀られている。黒い聖母子像は世界中の多くの教会にあるのだが、ここのは伝説付き、すなわち1744年に新教徒によってセンヌ川に投げ捨てられたが、奇跡的に数日後浮かび上がってきたというのである。
じゃ元の古い教会はどうしたの、と思うでしょ。昔はたびたび洪水に苦しめられていたのだが、1820年ついに教会の本堂は流されてしまった。今は塔だけが残っているんだって。それがこちら。教会の右側に今でも無事立っている。
古い絵をみると、元の教会の塔が見え、小さな港があり、画面手前に大きな木製のクレーンが置かれている。
古い絵葉書。何年のかはわからないけれど。
教会前広場の市。あまり賑わっていなかった。
現在の聖カトリーヌ教会と池。
今は冬だから、噴水もあがらなければ花々も飾られず、かなり殺風景だ。
昔の地図や絵葉書を見て、歴史をちょっと知ってから土地を歩くのはおもしろい。東京だって、江戸城の広大な敷地はここまであったのか、ここは川だったのかなどと思いながら散歩するととても楽しめる。こちらでも同じですね。やはりある程度詳しいガイドブックは必携。
行きつけのビアカフェ Laboureur
ほとんど毎日通ったから、道を歩いていても店の人や常連さんに挨拶されるほどだった。Laboureur は耕す人、あるいは農民という意味だ。
Rue de Flandre 108, 1000 Bruxelles,
飾らない庶民的な感じの、いかにもこの地域らしいお店だ。
ビールは安くておつまみがおいしい。ここの自慢は、イカのリング揚げと灰色エビのコロッケ。(エビコロッケは絶品!過去記事で↓)
常連客には家族連れも多く、みな幸せそうに名物コロッケをパクついていて、質実で落ち着いた地域の表情が見える。ちなみにベルギーのビアカフェは、地域の住人や家族のためにあるので、課外学習の小学生たちが教師に引率されて、昼のサンドイッチをビアカフェ(の別室)で食べるなんてこともあるらしい。
貯金箱!
これがおもしろい。店の給仕人に聞くと、嬉々として説明してくれた。
Lagnotteといって、共同の貯金箱である。19世紀後半、広く普及した一種の銀行だ。客は店を信頼し、契約のもと、毎月決まった日に決まった額を預けて貯金する。急きょ、金が必要になり、借してほしいという客には貸すが、当然利子も取る。返済された利子も、契約している客で均等に配分する。年恒例の食事会や様々な祝い事にもそこから払う。カフェと地域住民との密な信頼関係がうかがえる。
カフェ店内はこんな風。
店のお客さんを撮るのははばかれるが、急いで撮ったスナップショット。
Cafe Monk
地域の老舗のカフェ。絵のように美しい建物だ。
すぐそばの自転車屋さん
聖ジャン・バプティスト・オ・ベギナージュ教会
Eglise Saint-Jean Baptiste au Béguinage
近くにある17世紀のバロック様式の教会。(映画『神様メール』で神がここへ食べ物をもらいに来る。嫌なことを言って神父様に殴られた。)
ファサードの美しさは格別。裏には大規模なホスピスがあって静寂さが支配している。
向かいにある古書店。Het Ivoren Aapje (象牙のお猿さんという意味)
教会が窓に映りこんで美しい。 Place du Béguinage 4, 1000 Bruxelles
移民のまちブリュッセル
2007年、ブリュッセルに来て最初に手に入れた刊行物「ブリュッセル生活の手引き」には、ブリュッセル市の「3人に2人が移民ないしは親世代が移民」とはっきり書いてあった。中心部ブリュッセル地区に隣接するいくつかの地域は、イスラム教徒や移民率がさらに増す。9割近くか。
3月20日のブログにも載せた地図をひっぱってこよう。(地図②)
うち(リラックマハウス)があって、水色の運河がある。橋を渡ると、もう悪名高き移民の多く住む地区。私はとても同情している。なぜならテロリストの温床と呼ばれるから。
モーレンベーク地区。人口も過密で、子だくさんのムスリム家庭には小さな部屋に子供が4人とか6人もいたり、悪徳業者が階を勝手に上下に二分して住まわせる例もTVの特集番組で見た。
ムスリム、と簡単にまとめてはいけない。ブリュッセルでムスリムといっているのは、ほとんどがモロッコ人で、ここがフランスやドイツと違う。非常に大きいコミュニティを形成する。ということは選挙でも票になるわけで、政治家もそれを当てにしてさまざまな問題に目をつぶってきた過去もある。トルコ人コミュニティはその次に大きい。
チュニジア人とアルジェリア人の知り合いがひとりずついたが、彼らはひっそりとあまり群れることなく暮らしていたのが印象的だった。
棲み分け
偏見を植え付けるのはいやなので、モザイクになった棲み分け地図を載せるのは控えたい。前回2007~08年滞在では移民学校のオランダ講座に通っていたから、様々な地域に住む移民の人たちと知り合いになった。遊びにもいったり、道中怖い思いをしたり。
移民のクラスメートはどんな人たちかというと、つい前の週までテント暮らしだった戦争難民から、出稼ぎのイスラム教徒の子弟世代の若者たち、政治亡命者など多種にわたる。チャンスがあったら移民学校のことも書きたいと思います。
*追記:7月1日
運河
写真が残念なひどさ。天気が悪くて暗かったのです😢
(映画『神様メール』のなかで神がこの水の上を歩こうとして、溺れかける)