スウェーデンに感謝した日
あの日、あのニュースを聞いたとき、旧ソ連に向かって(心の中で)呪詛と罵詈雑言をつらつらと並べ立てたあとで、スウェーデンには感謝のきもちでいっぱいになりました。チェルノブイリ原子力発電所事故(1986年4月26日発生)を世界に知らせてくれたこと本当にありがとう、です。そして今振り返るとあらためて背筋の凍る思いがします。
ソ連は二日も隠していた。公表もしなければ住民の避難措置も取らなかった。ソ連のことだからさもありなん、機密漏洩を恐れて隠ぺいするつもりだったなと思った私。日本で同様の事故が起きることは、想像すらしてみなかったおめでたい私でした。
発覚のいきさつはこうです。事故翌日の4月27日にスウェーデンのフォルスマルク原子力発電所(首都ストックホルムから北に120㎞)で、ある作業員の靴底から驚くような高レベルの放射線が見つかりました。
その日は雨でした。作業員は「放射線管理区域」から外へ出てトイレに行きました。戻るとき必ず測定器のチェックを受けるのですが、警報が鳴り響いたのです。そして同じ原発の他の場所でも、測定器が高濃度の放射線の検出を知らせました。
ここの原子炉から放射能が外に漏れたかもしれないーそう考えるのが普通です。すぐさま危機対策本部を立ち上げました。国の関係機関に連絡をし、道路を封鎖し、専門家を集め、ニュースもメディアを通して流れました。
(従業員が避難するところ。写真は下のサイトから。スウェーデン語)
ですが、放射能がどこから漏れているか突き止めることはできず、そのかん、国民の不安は募ります。
ここで国防軍の登場します。というのも当時はまだ冷戦のさなかで、60年代みたいな核実験は減ってはいても、軍属防衛研究所は飛散物質の観測を続けていました。フィルターを回収し分析器にかけてみると、異常な濃度の放射性物質が検出され、どこかの原子炉から飛来してきたものだと推測できました。空軍の偵察機をバルト海上に飛ばし、6個の収集装置を使ってサンプルを採集しました。それを調べた結果、発生源はソ連領内ということがわかったのです。
ソ連はやっと事故を認め、4月28日、その驚愕の知らせは世界中に広まりました。しかし恐怖の日々はここからでした。
前回記事に貼ったyoutube画像、再掲します。
Accident de Tchernobyl: déplacement du nuage sur l'Europe (26 avril - 9 mai)
画像は、セシウム137を含む雲の動きを表している。1986年4月26日事故当日から、5月9日までの2週間です。スウェーデンはチェルノブイリから吹く風を2日間受けたのと雨が原因で、高濃度の放射能で汚染された地域ができてしまいました。
下、スウェーデンの地図で、色が赤いほどセシウム137の濃度が高い。また地域によってかなり違いが出ているのがわかります。資料によると、チェルノブイリからのセシウムの5%がスウェーデンに降り注いだ、という推定もあります。
人々がまだ何も知らない4月27日は晴天の日曜日で、野外を散歩したり、キノコやブルーベリーをとったり、草花を摘んだり…と、市民は穏やかな春の一日を楽しんだはずです。もっと早く事故が知らされていて、措置が取られていれば…。
トナカイ
前回記事ではイノシシでしたが、今日はトナカイの話。スウェーデンの世界遺産のひとつ、最北端のラポニア地域(Laponia)にはサーメ人がなんと5000年も前からトナカイと共に暮らしているそうですが、原発事故後は多数の食肉用トナカイが廃棄処分されました。トナカイは地衣類(コケなど)を食べます。餌が放射性セシウムに汚染されてしまったのです。1986年から87年には73300頭が処分され、その後数年間は毎年15000~30000頭、さいわい1997年以降は数も大変少なくなりました。
農業と畜産業には長期の汚染対策と途方もない補償が必要でした。
トナカイや魚などを食する人向けのパンフレット
スウェーデンの防災本(実践マニュアル)が凄すぎる
スウェーデンや北欧の国々には感心ばかりしていますが、この本がまたすごい。
どこの国もこれを手本にマニュアルを作るべきです。こんな優れもの、今まで知らなかったのが恥ずかしい。そして3.11の前に知っていたらどんなによかったことか。
この本は、チェルノブイリ事故の経験をもとに、情報を共有し、また国民の疑問に答えるべく、国防軍研究局が中心となってまとめたものです。防衛大学、農業庁、スウェーデン農業大学、食品庁、放射線防護庁の協力のもと、1997年から2000年にかけて取り組んだプロジェクトの一環として、2002年に刊行されました。経験や調査・研究を遺産として伝えていくわけです。仮にどこかで事故が起こってもパニックになったり愚かな行動をとらなくてすみます。
それにしても、スウェーデン政府は英語版も出してくれたらよかったのに。
『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか 』
高見 幸子 (翻訳), 佐藤 吉宗 (翻訳)単行本: 172ページ合同出版 (2011/12/30)
翻訳の高見さん、佐藤さんに感謝します。私はこの本を参考にさせてもらっています。
日本でも、防災の一環として共通のマニュアルが必要ですが、政府や関係機関がどこまで正直に情報を出してくれるか疑問ではあります。
スイス
前回、スイス南部のティチーノについて書きましたが、ビデオを貼り付けるのを忘れました。去年のビデオ、チェルノブイリから30年という節目に、事故当時、放射能対策の責任と対応を一手に引き受ける羽目になった男性が語る、興味深い内容です。
チェルノブイリ事故、スイスで過剰反応 - SWI swissinfo.ch
その男性とは、マリオ・カマーニ氏、スイス南部ティチーノ州の環境保護局(SPAAS)局長です。
ティチーノは、スウェーデン同様、天候のせいで放射能汚染が起きた地域です。前回記事に地図と説明があります。
カマーニ氏は、人々のパニック状態について語ります。特に妊婦に対してほとんどの医師が中絶をすすめたという事実がショックです。障害児を産むかもしれない不安で、母親たちは悩み、電話をかけてきます。
放射能の影響よりも過剰反応が多くの命を奪ったのではないか。癌の症例がいくつあったかわかっていないが、中絶の数はわかっている。そう話しながらカマーニ氏は途中で涙ぐんでしまいます。
ところでカマーニ氏は物理学者ですが、原発事故のことはスウェーデンの研究者仲間から電話で知らされるのです。
ヨーロッパは地続きで狭い。どこかで原発事故が起こったら無傷ではすみません。事故じゃなく原発を狙ったテロでも。
ベルギー
そしてほぼ1年前、原発テロ計画は実際にあったと報道されました。場所はというと、ちょうど私が滞在していたアントウェルペン(アントワープ)です。
Exclusif: les kamikazes des attentats de Paris visaient nos centrales nucléaires ! - DH.be
原発がなければ美しいスヘルデ川のほとり、のどかな田園地帯です。
しかし風車と原発なんてひどい組み合わせですね。そして恐ろしい話が…。
去年、あるグループの家宅捜索で押収されたものの中に、隠しカメラ画像があったのです。原子力発電研究センターの所長の自宅が何時間にもわたって隠し撮りされていた。所長を襲って人質にし、発電所内部に侵入するつもりだったということでした。
そしてその2か月後、ベルギー政府が国民全員(ベルギー居住の外国人も含む)に原発事故の備えとして、ヨウ素剤を配るという発表がありました。
地図を見てください。(カタカナを入れたのは私)
これまでは原発の20km以内(小さな赤い円)に住む人たちだけだったのですが、配布を受けられる範囲を広くし、100km以内にしました。そうするとベルギーなんて小さいですから、全土がすっぽりおさまってしまうので、じゃあ国民全員にしようというわけです。薬局でもらいます。
円を見るとわかりますが、隣国ドイツ、オランダにもかかるので、その両国でも対策がとられます。オランダでは40歳までの国民と妊婦には優先的に配布するとのこと。
福島の原発事故のときは、東京に住むフランス人やオランダ人たちは皆、大使館に行ってヨウ素剤をもらっていました。「べつに特効薬でも何でもないんだけど、あると安心かな。でも年齢の区切りがあって、ぼくはもらえたけど、1歳年上の妻はもらえなかったからけっこう複雑…」。
原発はベルギーには全部で7基あり、これまでにも様々な頭の痛い問題が起こっていました。まずは老朽化。あちこちに亀裂が入り、火災が起きたこともあり、一時は止めるとベルギー政府は言っていたのですが、あと10年使うと言い出したため、ドイツとルクセンブルクが猛反発しています。
追記:2017年10月ヨウ素剤配布
https://www.government.nl/topics/iodine-tablets
オランダ南部の住民にヨウ素剤配布は始まった。10月10~29日まで。原発事故への備えで、甲状腺癌を予防するという。原発から20キロ圏、40歳以下の住民が対象。100キロ圏内では18歳以下の若者が対象。
原発付近の住民はもうすでにヨウ素剤を自宅に備えている。たとえば
・ドゥール原発(オランダのベルヘン・オプ・ゾームもベルギー国境に近いので)
・ボルセーレ原発
・ティアンジュ原発
原発は現在ベルギー北部2基とオランダ1基が稼働している。
追記:
Tchernobyl : les étapes clés de la pire catastrophe nucléaire de l'histoire
チェルノブイリの原子力発電所ですが、去年、これをすっぽりと覆うかまぼこ型の石棺が完成しました。向こう100年は大丈夫のようです。この巨大石棺を建造したのは、オランダの企業マムート社(Mammoet)です。事故後、急いで石棺を作ったのですが、これが老朽化したため、新たな強固なものが必要だったのです。多くの国(日本も含まれる)が資金などで協力しました。長さ165m、幅260m、高さ110mで「パリのノートルダム寺院をすっぽりと収めることができる」そうです。これを原子炉にかぶせる画像がyoutubeにあがっていますが、格納庫のような石棺が少しずつ移動して進み、5日間かけてすっぽり原発を覆うさまは、実に壮観で美しく、必見です。
でも100年たったら…?
私たちもみんなわかっているはずです。こんな地震大国なのにこんなにもたくさんの原発があって、おびえながら暮らしているのはおかしいでしょう。電気料金やほかのエネルギーのこと、放射能についての正しい知識、事故が起こった時の冷静な対応など、自分の頭で考えたり学んだりしていかなくてはならないと思います。それと、政府のいうことは常に疑って(笑)。
最後にスウェーデンのあの原子力発電所の写真を載せておきます。
フォルスマルク原子力発電所Forsmark - Vattenfall
追記:2018年1月