パール・ハーバー 1941 決意なき開戦

  • なぜ?の疑問 

なぜ日本は真珠湾を攻撃したのか(”Why did you attack us at Pearl Harbor?”)とニューヨークの高校でクラスメートから質問を受けた女子生徒は、東京から編入したばかりで英語も拙く、とっさのことで返答ができなかった。いや、日本語でも難しかっただろうと述懐する。

彼女はのちに真摯に歴史研究に励み、アメリカ人向けに、真珠湾までの8カ月を日本側から説明しようと1冊の本を執筆する。

堀田江理さんである。

f:id:cenecio:20171206140248p:plainEri Hotta | Penguin Random House Canada

堀田 江理(ほった・えり)  東京出身。

1994年、米プリンストン大学歴史学部卒業。2000年に英オックスフォード大学より国際関係修士号(M.Phil.)、2003年に同博士号(D.Phil.)を取得。

4年間オックスフォード大学で教鞭をとった後、政策研究大学院大学イスラエル国ヘブライ大学などで研究、執筆活動を継続。

このほか著書に、アジア主義思想と近代日本の対外政策決定過程に迫るPan-Asianism and Japan's War 1941-1945がある。

人文書院の著者紹介より)

2013年に英語版が出るとニューヨークタイムズ紙などで称賛され、2016年に自身で邦訳した『1941 決意なき開戦: 現代日本の起源 』が出版された。 

英語版が刊行されてすぐ、作家のフィリップ・ロスから手紙がきたという。「真珠湾攻撃のとき8歳だった。80歳でこの本を読み、やっと開戦の経緯を理解できた」と書かれていたそうである。

昨年、第28回アジア・太平洋賞特別賞を受賞した。

日本版・英語版はこちら。

1941 決意なき開戦: 現代日本の起源

1941 決意なき開戦: 現代日本の起源

 
Japan 1941: Countdown to Infamy

Japan 1941: Countdown to Infamy

 

 私も知りたかったことである。なぜ勝ち目がないとわかっていながら、「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで、こんな愚かな戦争を始めてしまったのか…その代償のなんと大きいことか。なのに、開戦の責任の所在もわからないとは。さらに70年以上を経ても何も学んでいないように見えるのはなぜなんだろう。

 

パール・ハーバー」はアメリカ人にとって、象徴的・愛国的シンボルであり、卑怯な「だまし討ち」をする日本に対して、正義の戦争で力を見せつけ、さらにヨーロッパ戦線への参入のきっかけにもなった歴史の岐路でもある。

ルーズベルトは演説のなかで、"a date which will live in infamy"(「不名誉に汚された日」堀田訳。または「屈辱の日」「恥辱の日」)と呼んでいる。

話が逸れて申し訳ないが、「 パール・ハーバー」は「カミカゼ」同様フランス語でも使われているのは興味深い。2009年に、小学館集英社がフランスのマンガ出版社を買収してフランス市場に上陸し、自分らの子会社を作ったとき、そのやり方を非難する人が「マンガ界のパールハーバーだ!」と言ったのを思い出す。

その特別な地を昨年、パールハーバー75周年に安倍首相が訪問した。その前にオバマ大統領が広島を訪問して、戦争の始まりと終わりの象徴的な場所を日米のトップが訪ね合うという、画期的な年でもあった。

 

11月くらいから私が去年書いた記事にアクセスが多い。こちら。 

cenecio.hatenablog.com

学校の授業の関連で調べているんだろうか。そうだったらぜひとも堀田さんのをお読みなさいと薦めたい。

堀田さんは何年もかけて日本とアメリカの膨大な一次資料、二次資料にあたり、開戦までの道筋を丹念に調べあげているが、そこに永井荷風など文化人の反応や日記、『昭和天皇独白録』の証言なども織り交ぜて、複層的な厚みを持たせ、カウントダウンまでを描き出している。

また兵士の手記で大変印象的なものに、ネットでしか読めない潮津吉次郎氏の『日中戦争・第2次大戦従軍記』日中戦争・第2次大戦従軍記がある。84歳で亡くなったとき、家族がその「自分史」を発見し、長女が公開を決意したという。堀田さんはこの貴重な一兵士の率直な証言を何度も引用している。

 

  • 避けられた戦争

捨て鉢の戦争を始めたわけ、それは日本の軍部が暴走したのでも、ルーズベルトチャーチルの陰謀でも、対日石油禁輸で自暴自棄になったのでもなかった。一部の真実はあるにしても、日本は独裁国家ではないので、政策決定の様々な会議や御前会議を通して合法的に決定されたのである。

そしてまさにここが問題なのだ。政府(指導者らの意見の違い)や軍(中でも陸海軍の対立)や皇居…といったあちこちの組織にまたがり、腹の探り合いの複雑でややこしいプロセスがまずある。さらにアメリカ(ルーズベルト、駐米大使ら戦争回避にに奔走する人たち、最後にハル・ノート)との交渉が絡むわけである。

戦争を回避するチャンスは幾度もあった。それらをことごとく逃した。例えばドイツがソ連に侵攻したときは枢軸から抜けるチャンスだったのに。それどころかインドシナへ進駐してしまった。そうして「あたかも円錐形の漏斗の狭いほうの先に、自ら進んで入っていって、ひっかかり、後戻りできないような状況」を作り出していったのだ。

ほとんどの指導者は、帰属組織への忠誠心や個人的な事情から、表立った衝突を避ける傾向にあったことは間違いない。遠回りの発言をすることが、常習的に行われていた。特に軍関係の指導者の多くは、当然のことながら、まわりから弱腰と思われるのを何としてでも避けたいと願っていた。そのため、心の内にいかなる疑問を抱いていたとしても戦争回避を訴えることはしなかった。だから同じ人間が、時、場所、場合によって、開戦派にも避戦派にもなり得るのだった。…(p23)

総力戦研究所というのは初めて知ったことだ。これはイギリスの国防大学( Imperial Defence College) をモデルにして作られた研究機関で、平均年齢33歳、各省で10年専門的なキャリアを積んだ、しかもトップのみを集めた超エリート集団だという。

彼らは様々なデータを検討し、外交的、戦略的場面を慎重に研究した結果、ゆるぎない結論にたどり着いた。すなわちアメリカと戦争をすれば「必ず」負けるという結論。「戦争の勃発当初に、日本が優位に立つことは考えられるが、その場合は長期戦に持ち込まれ、資源は細り、やがて底をつくだろう」

しかし東條陸相は、こう言い放った。日露戦争でもわが国は勝てるとは思わなかったが勝った。戦というものは計画通りにいかないものだ。君たちのは机上の空論だ。

そんな東條だが、実際は開戦前になんとか戦争を回避しようとしていたこともわかっている。

本書を読んで私が思うのは、近衛文麿はもっとも責められるべき指導者のひとりであるということ。リーダーシップのなさ、八方美人という点で。やんごとない血筋で国民に人気があったが、戦争に突き進む3年もの間、首相として無能で責任は重い。

(近衛は)政策が決められる議論の場で、自分の意見をはっきりと述べず、自身の手を汚すことを極端に嫌い、事なかれ主義に走り、対立を避け続けた成れの果てが、外交交渉と開戦準備の期限付きの同時進行だった。

最後には、日米首脳会談で何もかもがうまく行くという幻想にすがりつきながら、自覚なしに崖っぷちに国を誘導してきたが、ハッと正気に戻ると、その進行を止める大仕事を任されるのはまっぴらごめんとばかりに、すり抜けて逃げることになった。(p277)

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/47/Nomura_and_Kurusu_27_November_1941.jpg

写真:ホワイトハウスルーズベルト大統領との会談を終えて記者団と会見する来栖・野村(左の人)両大使(1941年11月27日

来栖三郎 (外交官) - Wikipedia 野村吉三郎 - Wikipedia

真珠湾攻撃の日までアメリカとの交渉に孤軍奮闘し、戦争回避しようとした二人だったが、実はこの写真の前日11月26日が和戦の岐路だったことを、二人は1942年になって初めて知り、軍や政府から騙されていたことを理解する。

 

  •  一億総懺悔(ざんげ)すれば誰も悪くない?

戦争に負けると、東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや ・なるひこおう)が首相に任命され、戦争は政府の失策だけでなく、国民にも責任があるという演説を行うのである。国民全体が反省し、懺悔しなくてはならない。ということは、ほぼ「誰も悪くなかった」と主張するに等しいと著者は言う。そうやって開戦決定責任は、一億の国民によって、薄められたのだと。

 

最後に、今日の私のエントリはここだけ読んでもらったらいいと思っている。私たち日本人がパールハーバーを思い出す意味は、この堀田さんのあとがきのこの部分にあるのではないか。引用してみよう。

1941年開戦前夜における政策決定にまつわる諸問題は、我々にとって他人事ではなく、敗戦を経ても克服することのできなかった、この国が継承し続ける負の遺産だとも言えるだろう。そのことは、ごく最近では、福島原発事故や新国立競技場建設問題までに至る道のり、及びその事後処理における一連の経緯が、明確にしている。より多くの人々に影響を及ぼす決断を下す立場の指導層で、当事者意識や責任意識が著しく欠如する様相は、あまりにも、75年以上前のそれと酷似している。

 しかし忘れてはならないのは、現代に生きる日本人には、信条にしろ表現にしろ、比べ物にならないほどの自由が許されている点だ。…(略)

「一億総懺悔」ならぬ「一億総活躍」といった標語に踊らされず、その突き詰めたところに潜む危険性、ならびに可能性を十分に理解した上でのみ、様々な、時には大きく対立する意見やイニシアチブがオープンに検討、尊重され、より多くの人々が活躍できる社会が訪れるのではないだろうか。

 

パール・ハーバー1941決意なき開戦 ここまで。

 

 

 写真:ルーズベルト大統領。

タイム誌が選ぶこの年(1941年)の顔でした。

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  Franklin Delano Roosevelt outside of his home in Hyde Park, NY in the mid 1930s. FPG/Archive Photos/Getty Images

 

追記:12月9日

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追記

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追記:「ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を事前に知っていた」というのはデマです。

www.afpbb.com