猫が釣りをする通り& モハメド・アリ追悼 追記
モハメド・アリ追悼
モハメド・アリが亡くなって、昨日は多くの人が死を悼み、思い出に浸ったことだろう(Muhammad Ali1942 - 2016)
Charles Trainor | The Beatles and “The Greatest”, Cassius Clay (Muhammad Ali) in the Ring, 1964
ボクシングはいかにも男子の世界、という感じを私は持っている。プロレスなら女性のファンも多いが、ボクシングは(プロもアマも)ストイックで暗くて孤独で痛々しくて、近寄りがたい雰囲気がある。「あしたのジョー」をTVで見て短絡的に抱いた印象にすぎないのだが。
ボクシングに疎い私は、アリはむしろ政治的な発言や行動、つまりベトナム戦争反対や人種差別問題(金メダルを投げ捨てた話など)が先に来る。あと長い闘病生活と。
昨日になってやっと、フォアマンを破った伝説の一戦「キンシャサの奇跡」について、それがどれほど凄かったかを初めて詳しく知ることとなった。
また、うちの夫の思い出話によると、彼は男子校に通っていたのだが、その試合の当日、クラスメートが教室にラジオを持ち込み、授業中、イヤホンで試合を追っていたという。教師はもちろん気が付いていたが、黙認していたらしい。いいねえ、男同士の絆だね。
また仕事や学校を休める人はテレビにかじりついて見ていたという。どれだけ人々の関心が高かったか、今になってやっとわかったのである。
追記:2020年
6月3日、#モハメド・アリ の命日ですね。#RIP #MuhammadAli #BlackLivesMatter pic.twitter.com/nV1o25vhqU
— Ken Sugar🌏 (@ken_sugar) 2020年6月2日
撮り路地が行く!パリ編
話は変わる。
「撮り路地(とりろじ)」については、前回の記事で説明したが、ひとことでいうと「路地の写真を撮ってばかりいる暇な人」のこと。
今日はパリの路地をひとつだけ紹介する。パリ5区にあるこの通り。
名前は
「猫が釣りをする通り」
「釣りをする猫通り」という意味である。
こんなに小っちゃい通り。2016年3月、帰国する直前に撮ったもの。どれだけ小っちゃいかというと、幅1.8m、長さ29m。パリで最も狭い通りのひとつ。できたのは、1540年にさかのぼる。セーヌ河畔にあり、すぐそばには
シェイクスピア&カンパニー
セーヌ川の向こうにはノートルダム寺院、手前にブキニスト(川岸の古本屋*下に追記)が見える。
昔、釣り人相手の商店があって、「釣りをする猫」という看板を掲げていたらしい。他の説もあるみたい。
この名前の小説もある。今、本を探し出してきてスキャンした。(実は読んでない。積ん読の本の多いこと💦)Jolán Földes というハンガリー人が書いた小説を仏訳したもの。タイトルはそのままLa rue du chat qui pêche( 出版社Albin Michel,1936 /1937年)
さっきの写真と比べてみると少しも変わっていない。 驚いたことにこの本はすぐ邦訳された。
「 猫釣町」(ねこつりまち)
ヨラン・フエルデス(Foldes, Yolanda, 1903-1963)著・伊東鍈太郎 訳
三笠書房 出版年 1938
1938年って!もう翌年に翻訳は早い。あの界隈に住む、ハンガリー移民の家族の物語らしい。
壁絵 ストリートアート
私はブリュッセルでもたくさん壁絵の写真を撮っているが、パリにも有名な Némoさんという人がいる。黒いシルエットの男性、つまり黒いレインコート、黒い帽子姿で、パリのあちこちの壁に出現する。
Némoがこの通りにやってきた。
(写真:ウィキペディアから。2010年の撮影)
猫と釣り竿、赤い傘もいいねえ。
それをさらに誰かがいじったもの。
私が見たときはどれももう消されていて、ただの汚い落書きだけだった。
ほかにもいっぱいありますが、今日はこの辺で。
Paris Street Art : Nemo | Flickr - Photo Sharing!
追記:*「ブキニスト」
動画:パリの古本屋「ブキニスト」、ユネスコ無形文化遺産の登録目指す(AFP) https://t.co/xwraMH1CTQ セーヌ川沿いに軒を並べる古本屋が、バゲットやビストロに続き、ユネスコの無形文化遺産への登録を目指している。現在は仏の巨匠の希少な本よりも観光客向けの土産物からの収入のほうが多いそう。
— FRENCH BLOOM NET (@cyberbloom) June 16, 2018
追記:数年前の朝日新聞記事
「国際落書き団」なるものがあるそうで。
・・・起訴されたスロバキア国籍のダリボラ・スピシアク(26)とハンガリー国籍のタカチ・ビクター(26)の両被告が、起訴された2件を含め、国内で計13件の落書きをしたと述べている・・・
「世界各国で落書きを繰り返した」「日本の電車には落書きがなく、目立つと思った。日本人にアピールし、有名になりたかった」とも供述しているという。描かれた変形文字の「SERC」や「RCLSPK」は、肉が焼ける「ジュー」という音のハンガリー語とチーム名という。
スピシアク被告は、母国で画家の卵として活動。タカチ被告は大学生だった。逃走中の1人も東欧の男で、「ヒップホップパーティーなどで知り合った」と供述。これまでロシアや英国、チェコ、ポーランドなどを巡り、落書きを重ねていたという。(太田泉生、池尻和生)
http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK200811140048.html