中国のことを話そう-2- 山口百恵からシェア自転車まで 追記:2018年9月放置自転車問題

 前回 ( 中国のことを話そう -1- - ベルギーの密かな愉しみ)に引き続き、中国について、思い出やら最近のニュースで印象に残ったことなど書いています。

 

1980年代は蜜月

蜜月とあえていうのも、日本と中国がもっとも波風の立たない時代だった、それも中国からの熱い憧れによって。

中国で人気のある日本人といえば、最近のサブカルチャーはまずおいて、卓球の愛ちゃん、フィギュアスケートの羽生選手などを別にすれば、高倉健さんが筆頭に挙げられるだろう。ドラマの『おしん』も人気だったが、でも山口百恵にはかなわないかも。40歳以上の中国人で知らない人は恐らくいないと思う。

1980年代に入り、日本の文化が紹介されるようになると、山口百恵はいっぺんに中国人の心をつかんだ。社会現象にもなったTVドラマ赤い疑惑』*(中国では『血疑』1984年に初めてTV放映)である。

テレビがある家に集まって、ぎゅうぎゅう詰めになって見た。その時間帯、外の通りは人が消えた。視聴率は90%くらいだったかな…とかつての学生が話してくれた。ドラマを通して日本の豊かな生活に驚き、また憧憬を抱いたという。山口の顔は大陸の人好みなんだそうで、たいてい悲運な役柄なのも好まれたようである。

*1975-1976年TBS系列で放送された。「赤いシリーズ」第2弾。平均視聴率23.4%、最高30.9%(関東地区)を記録。出演者は宇津井健山口百恵三浦友和ほか。ウィキペディアから

 

f:id:cenecio:20171212132632j:plain山口百恵 1973年頃。

そのころ仕事で来日した中国人男性が、山口百恵がドラマの中で持っている通学かばんをぜひ買いたい、どこに売っているか教えてくれという。自分の娘は山口のファンでそれを欲しがっているのだと。

ところが当時の人民元と円との換算では、カバンひとつが男性の1か月分以上の給与に相当したのである。そんな買い物、理不尽だよね、きっと買わないだろう、と思っていたら、父は愛しい娘のためにカバンを買ってお土産にしたという。昔朝日新聞で読んだ話である。

 

文化大革命が終わり、ちょっと落ち着いた80年代初めから中国人留学生がぼつぼつ来るようになった。まずは国費や招聘の留学生、そのあと私費の学生も口コミで増えていった。アルバイトをしながら日本語学校で2年間学び、その後大学などへ進学するという形での滞在が許されたからだ。

「やっと日本に来たのにTVで百恵ちゃんが見られない~!」。山口は1980年には早々と引退し、その同じ年に三浦友和と結婚してしまったのである。

 

同じく日本人の中国旅行もそのころ解禁に。

私の妹は1983年にツアーで北京・上海はじめ4都市を回った。ツアーには日本人添乗員のほか、必ず中国人ガイドがつく決まりだった。というのも観光地でも横道や路地など入っていけないところ、写真撮影禁止のところがたくさんあって、ガイドは細かく指示を出し、監視もしているようだったと言う。

妹が最も驚いたのは、声をかけてくる一般の市民がたくさんいたこと。そのなかの若い人たちは「日本に学ぼうと思って今 日本語を独習しています」とか、「文通してくれませんか」と日本語で頼んできたという。

人のいい妹は住所を数人に教えたのだが、帰国後がまあ大変!部厚い封書が何通も届き、自己紹介に始まり、自分の志望や夢、日本についての質問などが達筆でつらつらと綴られている。二人分ほど引き受け、返事を書いたが、私はそのころフランスに住んでいて単なる一時帰国だったため、その後数カ月から一年、妹はひとりで奮闘したようである。

80年代の中国人留学生は向学心に燃え、きついアルバイトと勉学を両立させていた。自分も家族も文革で辛酸をなめ、貧乏には耐性があるのだと言っていた。教養人の家庭で育ち、祖父が清朝派遣の日本留学をしたという人たちもいた。そんな気概溢れる、優秀なDNAを受け継いだ「孫」たちと、かたやバブルに浮かれた社会で、勉強もしないでチャラチャラしている日本人学生と、比べるのは無意味というものだろう。

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小留學生 張素 - YouTube

日本に留学した人で、子弟を日本に送ってくる割合はどのくらいか。統計などはわからないが、私が見聞きする限り少ないと思う。子が優秀で文化的にレベルの高い家庭なら英米・欧州へおくるだろう。

写真の張素(ちょう そ)さんは、日本との架け橋となったシンボル的存在だ。

(参照→中国からの贈りもの - Wikipedia)

9歳のとき、父親の転勤で来日。父は日本に留学したことがある。張素さんが東京の八王子の小学校で過ごした2年間(1996-1998年)はドキュメンタリ(*)になり、日本でも放映されたが、中国では大変な話題になった。

私たちが再び張素さんをメディアを通して見るのは、2008年胡錦涛主席が訪日し、早稲田大学で講演をしたときである。壇上に花束を持ってあらわれたのが21歳になり、中国の名門復旦大学から交換留学で政経学部に学んでいた張素さんだ。

日本でわざわざ働く必要はないのに、コンビニでバイトをしているわけは「親に勧められて」。父は自分の学費・生活費を稼ぐために夜きついバイトをしていたのだが、自分もバイト体験を通してそれに思いをはせることができるのだと。

「若い時の苦労は買ってでもしろ」と日本でもいうが、こちらの親御さんはすごいなと頭がさがる。

 張素さんは現在、中国新聞社にお勤めのジャーナリストである。(右の写真)

*ドキュメンタリを撮ったのは張麗玲(ちょうれいれい)。

1967年生まれ、中国では女優だった。89年に留学生として来日。 東京学芸大学大学院修了後、日本の会社に就職。1995年のある日、フジテレビにやってきてドキュメンタリを撮りたいからカメラを貸してほしいと頼み込む。これをおもしろいと思ったプロデューサーが全面協力することになる。ドキュメンタリは他にも数本あり、私は全部見たがすばらしかった。放映の翌日、山手線の車内で、これについて人が口々に感想を述べあっていたのも思い出される。現在はこちらを運営している→ CCTV大富 ))

http://www.chinanews.com/hr/2011/09-18/U250P4T8D3335217F107DT20110918150838.jpg

 

 

あれから40年 羨ましいこととそうでもないこと

私は昔10年くらい、バックパッカーの一人旅をしていたが、1976年に北京空港におりたことがある。(ちなみに今年は日中国交正常化45周年ですね。盛り上がらないけど)。

シベリア上空経由が解禁になる前のこと、たいていは南回り欧州ルートを利用していた。なんといっても安い。航空会社も組み合わせて使っていて、西アジアや中東諸国のいろいろな空港に止まり、まるで乗り合いバスさながら、長い時間をかけてヨーロッパ諸国へ向かうのである。

1976年の北京空港は、だだっ広く平らな敷地に、地味な2階建ての建物が遠くにあるだけ。その向こうには林が見えた。航空機も私たちが乗ってきたのと、もう一機があるのみ。車が一台、それはトラックでTOYOTAと書いてあった。他には一台も見えない。そばに一人の男。どう見ても空港関係者には見えず、農民だと思ったが実際はどうだったんだろう。

乗客は皆飛行機から降りて、その地味な空港ビルへ歩いていって、中で2時間くらい時間をつぶすのだ。知らない人が青島ビールをおごってくれた。田舎の飛行場という感じの、のどかな昼下がりが今でも忘れられない。そのあと北京から数人の客を乗せて再び飛び立ったのである。

 

さあ、現代に戻ろう。中国のことでは、羨ましいこととそうでないことがある。

特に羨ましくもないことから。

キャッシュレス化が究極まで進み、スマホですべて決済できるらしい。一日に一回も現金に触らず生活できる。だから国外に旅行して最初にすることは財布を買うこと。食事だってレストランからスマホで注文し配達してもらうから、料理も作らない若者が増えているらしい。

このスマホ決済が基盤にあるのでシェアサイクル(貸し自転車)も猛スピードで発展を遂げた。

サイクルのシェアなら東京でも幾つかの区にまたがる利用も可能になって一見便利そうだが、駐輪スタンドが少なく返すのに不便なせいか、乗っている人はあまり見ない。金額も安くないし、手続きもめんどうくさい。ただし東京は交通が非常に便利なうえ、個人の自転車保有率が高いことも普及しない一因だろう。なんせママチャリ王国だから。

 

中国ではスマホひとつで簡単に借りられる。解錠番号がメールで知らされ、駅から職場までとか、広い大学構内の移動などで気軽に使え、日本円で10円とか20円くらいなんだそうだ。使い終わったらあちこちに点在する指定エリアに返す。(下に追記:2018年9月

中国の交通運輸部によると、中国全土に配置されたシェア自転車の台数は1600万台に及び、1億6000万人が利用中という。

https://forbesjapan.com/articles/detail/17279

一大ビジネスに成長し、数十社が参入しているらしい。自転車もノーパンクタイヤを採用するなど品質でも競っている。マナーの悪い客の情報を会社同士で共有もし、罰則もあるとか。また車を減らすことにもつながり、環境改善にも大いに役立っているだろう。

そう、あちらではビジネス、日本では自治体の行政がやっている。自転車大国のオランダやベルギー、デンマークやフランスにもシェアサイクルはあり、かなり活用されているようだが、やはり自治体のサービスの一環である。

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写真:ベルギー・アントウェルペン市 2016年1月撮影。写真の右のほう、小さな駐輪場が見える。トラックは市のシェアサイクルを集めているところ。さらに中央駅の地下に巨大な駐輪場がある。

 

中国は、UberAirbnb(民泊)と同じように、シェアサイクルという新しいビジネスモデルを作ったわけである。作ったのは1980年代生まれの若い人たちを中心にしたグループで、投資家から資金を借りて始めたそうだ。

そしてこの事業を世界各国で展開しようと、いや、もう始めているようだ。日本でも福岡や札幌などで展開の予定、という記事を読んだが、その後どうなったのだろうか

 

成熟した国

高まるシェアサイクル事業熱に異議を唱えたのがアムステルダム市である。公道とは何か? 公道をビジネス目的で使うのはおかしいのでは?

今後公道に置かれたシェア自転車は撤去します、とアムステルダム市は10月に発表した。個人所有の自転車はもちろん別だ。駐輪スペースの拡充などは市でさらに努力すると言っている。

そもそもシェアサイクルの目的は何か?自転車を有効に活用するためシェアして、混雑を減らすため。短距離なら車を使わず自転車に替えるという人のため。観光客の町散歩の足となり、快適な旅の手伝いをするため…。ところが中国式のシェアサイクルは、自転車の台数を増やすことに繋がっている。このまま増え続けるのは受け入れられないと警告している。

ついでながら、Airbnb(民泊)に関しても、アムステルダム労働党は「禁止にしたい」という。アムステルダムは観光客が大変多い街だが、Airbnbのせいでトラブルが急増しているという。貸主と客、建物の住人との間でもめ事がたえない。解決のための時間や費用もかさみ、街の印象も損なう。貸主だけが利益を得て、他の住民は迷惑を我慢するのはおかしいではないか。

またアパートを貸し出す人が増えれば近隣同士のコミュニティーも消えかねないという。(住居の一室を貸すのは問題ない)。

さらにAirbnbは外国企業なので、税収は市に入るわけではない。労働党は「Airbnb禁止」を市議会選のマニフェストに入れるということだ。

ちなみにベルリンは昨年「禁止」に踏み切り、違反者は約1300万円の罰金だそうである。かたや我が国は2020年の五輪をにらんで、民泊の全面解禁に向かっている。

この問題に踏み込むのは今日はしませんが、フランスの悲痛の叫びに耳を傾けたい方はこちらをどうぞ。↓

www.select-japan.com

 追記:参考までに(12月17日)

airstair.jp

 

次回は、「中国について羨ましいと思うこと」を書きます。

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写真:アントウェルペン市のシェアサイクル 2016年3月。

 

🌸続きはこちら

cenecio.hatenablog.com

 

追記:2018年9月

放置自転車問題を朝日新聞朝刊(9月18日)が取り上げている。

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