会場はクスクス笑いや興奮気味の会話が飛び交う。
そんな「昭和レトロ家電ー増田健一コレクションー」(足立区立郷土博物館)に行ってきた。
入るとまずこちら。
岩崎通信機「ボースホーン」(BOTHー PHONE) 昭和38年
向きを変えずに両方から使える電話機。「テレホン事務のハイ能率化」を謳っている。万一、一方のダイヤルが破損してももう一方があるから「一秒も休みなく使へます」と解説にある。
早川(現シャープ)の「テレビ型ラジオ シネマスーパー」昭和31年
テレビが高嶺の花だったころ。せめて気分だけでもテレビを味わえるという触れ込みだったが、値段が恐ろしい。10900円なり。当時高卒国家公務員の初任給は5900円だったというから…。
富士電気「お座敷双頭扇ーサイレントペア」昭和39年
上下二段でそれぞれ強弱の調整ができる。NHKテレビ小説の「ゲゲゲの女房」の雑誌編集部シーンで使われていたという。小道具さんの時代考証、恐るべし。
さてここまで見てきてどうでしたか?笑える?いらないものばかり?大胆発想が楽しい?あのね、私にとっての「昭和」ってまさにこんな感じ。
こちら、かずわんさまの昭和大正の建物や町巡りの記事を拝見していると、もう懐かしさがこみあげてくる。
みなさんにとっての「昭和」とは?
即「戦争の時代」に結びつく人もおられると思うが、私にとっては昭和30~40年代が真っ先に来る。東京オリンピックや新幹線開通、大阪万博などの時代であり、活気があって、ものすごい勢いで生活が変化していった。子供時代から多感な思春期を送った時代。
家電製品は時代を反映するものだ。今回じっくり見てみると、「ああ、こんなのあったね~」の感想のほかに、どこか滑稽で無駄が多くて、ときにシュールではっきり無用だったりする。でもすごく楽しい、すばらしい展覧会だった。
コレクターの増田さんは大阪府枚方市在住で、長くJR西日本に運転士や車掌として勤務した人だという。
他のコレクションも見てみよう。
松下「テレビ型ガスストーブ」昭和35年
テレビが高かったのでせめてストーブでも…。
昭和31年、「経済白書」に「もはや戦後ではない」という一節が載った。扇風機ももはや戦後ではなく、単に風を送るだけでなく、部屋の真ん中に咲く可憐な水仙のように、生活に潤いを与える存在となった。
(左の青色)日立「双方向式扇風機ポルカ」
日立 電気掃除機(「ヒッターバック」R-H15C)]昭和38年。14300円
懐かしい!ミニチュア、購入しました。
かつて日本の住まいでの掃除は、ほうきで外へはき出すというやり方でした。もちろん掃除機も発表されてはいましたが、「掃除機なんて怠け者用の機械だ」との声も根強く、なかなか普及しませんでした。昭和35年で普及率は7.7%、同じ年の洗濯機は40.6%ですから、いかに掃除機の普及が遅かったかが分かります。
ところが、この頃から増えだした公団住宅では、従来のように外へはき出すことができない。そして生活の洋風化でジュウタンのある部屋…。そこからはかなりの早さで普及してゆきました。普及率が50%をこえたのは、昭和43年のことです。(解説より)
世界初のソ連のスプートニクにちなんで。4300円と安く使い方も簡単だったので、大ヒット商品になり、海外にも輸出された。「大企業が作る電気洗濯機に敢然と闘いを挑んだ町工場の軌跡」「林製作所のような町工場の技術力、心意気が日本の高度成長を底辺で支えた」と解説にある。
マミーさん、笑わないでください。
日立「ポータブル洗濯機 マミー」昭和37年
たらいやバケツに水と洗剤を入れて、このマミーを入れるとポータブル洗濯機になる。マミーの由来は「ママのようなすばらしさ」だと解説にある。
みなさん、大笑いだったのはこちら。
「乾電池鉛筆削り」はまあいいとして、
「自動ハサミ」
「乾電池消しゴム」(下に説明があります)
「瞬時にきれいに何でも消せる…」「活字、タイプ字、インク、ボールペン、墨、絵、鉛筆等なんでも消えます」
ウソでしょう。誇大広告がおかしい。
蛍光灯スタンドも「もはや戦後ではない」。ゴルフ型やチューリップの花電球付きなど。下のピストル型懐中電灯もおもしろい。
というわけで、のどかな午後のひとときを過ごしてまいりました。
追記:フィギュアですが、全6種類です。
1.日立カラーテレビ1号機
2.ペダル式冷蔵庫
3.絞り器つき洗濯機
4.電気掃除機
5.自動電気釜
6.双方向式扇風機とトランジスタラジオ