アニメといえば日本なら宮崎駿でしょ。
もちろん、かの歴史ある『カルピスこども名作劇場』や『ハウス食品・世界名作劇場』のTVアニメ群も、かつて子供だった私たちの心に根をおろしているけれども、日本で「好きなアニメ作品は?」と聞かれたら、多くの人がジブリ作品のいくつかをまず思い浮かべるのではないだろうか。
フランスで「日本アニメ」といえば、激しいバッシングの対象だった、1990年代の険悪な状況は以前紹介したのだが「文化侵略」から「オタク文化」の受容まで -1- 戦闘シーン、セクシーなシーン、文化的に理解できないシーンがずたずたにカットされたかわいそうなアニメ作品…。アニメファンの視聴者が地上波放送に見切りをつけたのも当然である。
当時は心を痛めたものだが、のちに、アメリカなどでは外国の作品を再編集するのはごく普通に行われることだと知った。日本側が作品を安値で売ってしまい、著作権などの権利関係に無頓着だったのだから仕方がないのだ。
でもおかげでフランスでは、日々テレビをつけさえすれば、日本アニメを見放題だったのである。それだからフランス及びフランス語圏の国々に日本のサブカルチャーファンを量産することになったのだ。
フランス語圏以外の国、たとえば北欧やドイツの当時の子供たちは、夏のバカンス中、フランスのテレビで日本アニメに出会い、はまったケースも多いらしい。そうしたオタク第一世代は、日本に留学したり、姉妹都市交換制度で短期滞在したり、翻訳家になったり、出版社の漫画部門に勤めたり…そうやって日本との絆を保っていてくれる。すべては『UFOロボ グレンダイザー』から始まったんだなと思うと感慨深い。フランスで視聴率100%だった日本アニメ (永井豪おそるべし) -
フランスでは、毎年6月アヌシー国際アニメーション映画祭 (Festival International du Film d'Animation d'Annecy)が開かれる。これは1960年にカンヌ国際映画祭からアニメーション部門を独立させたもの。
一口にアニメといっても、人形や粘土を使ったものなどいろいろある。私は個人的にはチェコの人形アニメーションのファンで、1970年代からチェコを何度も訪れるほどのチェコファン。
アヌシーの映画祭といえば、世界をあっといわせたあの作品だ。TVなどメディアで大きく取り上げられたが、2003年最高賞グランプリに輝いた山村浩二監督の『頭山』である。
そしてジブリは、といえば
実に輝かしい。なんの文句があるだろう。
今でこそ宮崎駿は「神」扱いである。しかし当時1995年の『紅の豚』封切りのころは全然そうじゃなかった。切り抜き魔の私は、当時の証拠物件をいろいろ持っているが、ひとつだけ貼り付けておく。「テレラマ」というテレビ雑誌の『紅の豚』評である。(Télérama N° 2371 1995 )
たかだかテレビ情報雑誌でしょと思うなかれ。私はTV番組・映画情報を知るために買っていたのだが、実は社会党支持層が読む文化雑誌の一面があり、長らく日本アニメ批判の急先鋒だったらしい。前(9月29日)にも紹介した、社会党のロワイヤル女史のベストセラー『ザッピングする赤ちゃんはもうたくさんだ』の路線である。
とにかく1990年代を通じて、「日本アニメ」はフランス左翼インテリからは危険視され、低俗扱いされるものであり、子供に見せてはならないものであった。
子供を連れていったプールで「お宅もあんな俗悪なもの(ドラゴンボールを暗に指している)、お子さんにみせているんですか」と直に聞かれたこともあるくらいだ。
記事はそんな1995年6月のもの。ざっくりまとめてみると。
” 超暴力的と非難される日本アニメとは違うからね。ハリネズミみたいに武器をたくさん体にくっつけたヒーローは出ないよ。飛行機乗りといっても戦闘シーンは少ない。
しかも歌は「さくらんぼの実る頃」ときた!(”Le Temps des cerises”、パリコミューン血の一週間と結びつく)。繊細で詩情にあふれ、ロマンチックな作品だから、安心して。絵はね、日本人がよく描く大きな目やはみだした口じゃなくて、現実の人間っぽい人物が描かれているよ。エルジェ(Hergé、下に説明がある)に近いかな。…”
本当はアニメ評なんぞ嫌なんだけど、アヌシーで賞をとっているし、劇場公開するから仕方なしに記事を書いて紙面を埋めた、といった感じ。また
”『紅の豚』は本国での公開時、あのシャロン・ストーンの『氷の微笑』をうわまった” とか
”宮崎はサン=テグジュペリのファンだって”とか、
”ディズニー社のアニメーターにも宮崎ファンが多いそうだよ。あの黒澤明も宮崎に手紙をよこして、笑ったり泣いたりしながら作品を鑑賞したといっている・・・”など、
作品とはあまり関係のないことを並べ立てている。読者をかなり意識していることがわかる。
1998年『トトロ』が劇場上映されるようになって、宮崎アニメは一般のフランス人にも知られるようになった。(ビデオはもっと前から売られていたが)
2000年代に入ると、日本のサブカルチャー全般に対する風向きは変わっていった。前(9月29日、10月2日)にも書いたが、日本文化の祭典Japan Expoの成功も大きい。大手のまじめな出版社も参入してきたのは前に書いたとおり。
そしていまや、宮崎駿のアニメで育つ日本の子供はしあわせだね。そう外国人に言われるのだ。「しかも毎年夏になると、夏休みの子供たちのために『トトロ』や『魔女の宅急便』などをテレビでやるんだってね。いいわねえ」
そんな宮崎氏が、多大な影響を受けたBD作家の話をしないわけにはいかない。
宮崎・メビウス展 パリ
BD(ベーデー)
今でこそ日本でも、BD,すなわちバンドデシネ(Bande Dessinée)というと、「ああ、フランスの漫画のこと?」と返してくれる人が増えた。嬉しい反面、私はちょっとカチンとくる。ベルギーとフランスの漫画でしょ、とやんわりと訂正する。もちろんスペインやスイス、ほかの国々のBDもある。最近は小学館集英社や飛鳥新社など多くの出版社から翻訳が出ており、いずれも高価なのだが、東京では区立図書館にかなりの品ぞろえが見られる。ありがたいことだ。
BDというカテゴリーには大きく分けて二つの種類がある。日本で「少年漫画」と「劇画」が違うように。
BDの子供向け作品、家族みんなで読める作品はどこの家庭にも必ず本棚に並んでいる。お父さんの読んだものを子供も読み、ボロボロになっても大切に保管されている。BDは大判で厚い表紙、オールカラーが特徴で、文字はかなり多い。
もっとも有名なのは「タンタン」(Les Aventures de Tintin)シリーズ。作者エルジェ(Hergé 1907 - 1983年)はベルギー人である。写真左。
写真真ん中は『スマーフ』あるいは『シュトロンフ』(Les Schtroumpfs)シリーズ。森に棲む青い妖精たちのお話。作者はPeyoというベルギー人。世界中の国々で読まれている、超がつく人気作品である。
写真右は前に紹介した『アステリックス』。
私もこうしたBDは学生時代に読んだが、うちの子供たちが小さいときに再び取り出して読み聞かせをした。ユーモアやギャグはけっこう普遍的なので子供にもわかるし、わからない箇所は子どもは気にしないものだ。歴史や地理的なことは大きくなってから理解するので、とりあえず絵を楽しんでいた。
下の写真、左と真ん中『スピルーとファンタジオ』『ガストン・ラガフ』 (Gaston Lagaffe ) は、ベルギーの漫画家 アンドレ・フランカンの代表作。わがやは皆が大ファンです。
写真左、合気道6段の才媛ヨーコ・ツノ(津野洋子)については過去記事をどうぞ。
もうひとつのBDジャンルは娯楽作品ではなく、芸術性の高い、高尚な壮大なテーマを持つもの。書店で見ると、あれ、これ美術の画集?と思うこともある。そのBD界の巨人、国際的にも超有名な作家がメビウスである。
タンタンのBDしか知らない私は、噂を聞いてさっそく本屋に行ってみた。初めてページをめくったときの、体中を電気が走ったような感覚は忘れられない。
この人の眼はどうなっているんだろう、こうしたアイディアはどこから来るのだろう…。唐突な比較だが、初めて若冲の絵を見たときのような衝撃だった。
メビウス(Moebius)はペンネームで、本名はジャン・アンリ・ガストン・ジロー(Jean Henri Gaston Giraud、1938年- 2012年)という。
またジルという名前も使っており、こちらは西部劇の作品の時に、メビウスはSFの作品に使っている。
メビウスから影響を受けた日本の漫画家は大変に多いという。メビウス受容の歴史は、どうやら谷口ジローの1970年代にさかのぼるらしい。また『AKIRA』でフランス人に衝撃を与えた大友克洋は「日本のメビウス」と呼ばれることもあるとか。
手塚治虫は1982年にアングレーム(前回記事参照)でメビウスと直接会っているが、メビウス独特の陰影の付け方を取りいれていると自身で述べたそうだ。
宮崎駿は、メビウスとの邂逅は『アルザック』”Arzach”(上)という作品であるとインタビューで語っている。
アルザックは確か1975年でしたか。私が出会ったのは1980年頃ですが、たいへんな衝撃をうけました。日本のマンガ界全体がそうでした。残念なことに、私の絵はその頃には固まっていたので、彼の絵をうまく自分の中に生かせなかったのですが。でも今でもメビウスさんの空間感覚にはほんとに魅力を感じています。明らかにナウシカは、メビウスの影響によって作られたものです。(*一番下に出典のyoutube、貼ってあります)
日本の漫画に関心が高かったメビウス
( 最後の展覧会。この2年後に亡くなるだなんて!)
写真:http://jasonwilson-folio.blogspot.jp/2012/03/moebius-1938-2012.html
メビウスは1982年に初来日。手塚治虫の案内であちこち見て回り、漫画専門店にも立ち寄り、日本の漫画表現について理解を深め、衝撃を受けたという。
メビウスはまた宮崎駿のファンでもあり、2004年にはパリ造幣局で共同展覧会「MIYAZAKI/MOEBIUS」を開催した。
HPです:http://www.miyazaki-moebius.com/
写真はこちらから借りています。http://www.arludik.com/musee/museeeng.htm
メビウスは『風の谷のナウシカ』にちなみ、娘にナウシカ(Nausicaä)と名前をつけた。娘を連れて「三鷹の森ジブリ美術館」も訪れたようだ。ナウシカちゃんは猫バスに乗って大はしゃぎだったそうである。
ナウシカと息子ラファエルと。(写真は下から借りています)
https://www.moebius.fr/page-Biographie
Site officiel de Jean Giraud Moebius Official website
https://friend.rbose.org/search?tag=Moebius
フランスで発売されたナウシカのカード。私もほしい!
http://www.bd-best.com/Backup2.5/regard_sur_nausicaa.php
長くなったので今日はいったん切ります。
ありがとうございました。
参考:インタビュー
MOEBIUS-MIYAZAKI - Sujet Olivier Bombarda (ARTE)
参考: 記念コイン(パリ造幣局)
Monnaie de paris : Expo Miyazaki / Moebius : Le voyage de Chihiro -
Medaille Monnaie de Paris - Le Chateau Ambulant -