おばけとかっぱ チェコのカッパ-1-
*絵本ブログから移しました。
カッパ(かっぱ、河童)は日本人なら誰でも知っている愛すべき妖怪です。柳田國男の「河童駒引」や折口信夫などの著作も有名ですし、芥川龍之介 も『河童』(昭和2年)という作品を書いており、命日の7月24日は「河童忌」と呼ばれています。(芥川『河童』は1958年にスロヴァキア語訳が出版されている)
そして私はチェコのカッパの話にも馴染んで育ったのです。過去記事でも取り上げたカレル・チャペックの作品集ですが『長い長いお医者さんの話』(岩波書店。中野 好夫訳、ただし英語からの重訳)。この本の中に「カッパの話」というのがあります。
引用します。
・・・それからフロノバじいさんの水車の前にも、一匹住んでいました。こいつは、水の中で馬を16頭飼っていました。技師たちが、そこを流れる水の力が16馬力だ、といったのは、そのためなのです。この16頭の白馬が、せっせと引っ張っていたものですから、水車はいつもクルクルと、それは威勢よく回っていました。
フロノバじいさんが死んだ晩、そのカッパは、だまって16頭の馬の引き綱をはずしてやりました。そこで、ちょうど三日のあいだ、水車は死んだじいさんのために、じっと、とまったままになっていました。・・・
ここはほんの導入部で、話はこれから始まるのですが。(太字は私)
カッパは日本だけのものじゃなく、朝鮮半島からヨーロッパにかけて、水の精と馬にまつわる話はたくさんあるそうです。興味のあるかたのために、記事末に参考文献を一冊載せておきました。
チェコのカッパ
基本知識として確認します。というのもチェコでもお話によってバリエーションがあるので。
・ チェコ語でカッパは Vodník といって”水男”、川や湖や池などの水底に住んでいる。
・粉ひき小屋のそばの池が多い。池の主と考えられており、池や水車や魚のめんどうをみて、たいていは村人ともなかよしである(図③)。
・悪いカッパもいて、水車の水を止めたり水車の羽根を壊したり。また、水辺に近づいた人間を引き込んで溺死させることも。
・水の中では力があるが、陸に上がると力は弱い。緑色の燕尾服を着ていて、それはいつも濡れていてる。乾くと神通力がなくなったり死んでしまうといわれている。
・体は緑色で水掻きが付いた手足を持っている。赤い帽子に赤い靴、そしてパイプをくゆらしている。月夜の晩に、柳の枝に腰掛けて靴を直すといわれている(図④)。
・昔話では溺死者の魂を壺に入れて集めたり、娘をさらって妻にするというのもある。またドボルザークの交響詩「水の精」(The Water Goblin1896)でも扱われている。
おばけとかっぱ
①
おばけとかっぱ (世界傑作童話シリーズ) 1979年 ヨゼフ・ラダ (著, イラスト), 岡野 裕 (翻訳), 内田 莉莎子 (翻訳)、173ページ 出版社: 福音館書店
今日はこちらの本。 表紙をめくると
②
右頁:パイプをくゆらせているのが主人公かっぱのブルチャール。緑色のジャケット、赤い靴、赤い帽子(ときに緑の帽子も)、長い金髪を垂らし、たいていパイプをふかしている。住まいは水の底だが、ペットの猫もいて、室内の調度品などは人間の家となんら変わらない。
ナマズにまたがっているのは息子のプレツ。シスロフ村の古びた水車小屋の池に住んでいる。
基本知識で紹介した恐ろしげな妖怪としてのカッパではなく、チェコ児童文学の世界では、人間臭い愛すべき登場人物として描かれます。そしてチェコの子どもだったら誰しも子供のころに読む本です。
そしてここに親友のおばけ ムリサークと、その息子ブバーチェクが加わります。おばけは人を怖がらせるのが商売ですが、自分の村ではおどかし稼業がうまくいかなくて、友人のカッパに誘われて引っ越してきたのです。さらに村人たち、その子どもたち、伯爵夫人や泥棒たちなども混じって、様々な事件が起こります。
全部で11の話がありますが、全部はとても書けないので、興味のあるかたはご自分で読んでくださいね。
ちょっと絵の解説だけ。
図③プレツ もブバーチェクもいってみれば普通の子どもですから、村の子どもワシークとマリヤンカと仲良くしています。そしてこの子たちはかっぱのブルチャールから昔話を聞くのが大好き。水車小屋に集まって村人たちは一心にお話に耳を傾けます。
図④カッパは水の中でも陸の上でも使える靴を自分で作ります。手元がはっきり見える満月の夜が一番仕事ができます。
ブルチャールは、村の学校を卒業したプレツを靴屋のところへ見習奉公に出しました。
図⑤ワシークとマリヤンカは空の冒険をします。おばけの飛行機に乗せてもらうのですが、なんのことはないほうきなのです。ですがブバーチェクが操縦するとビュンビュン飛びます。(うしろでプレツがマリヤンカを支えてあげている)。このあと大人たちに叱られるんですがね。
⑤ ヨゼフ・ラダの話は、いつもほのぼのとしたユーモアに溢れています。
たとえば
かっぱは今でも水の底の壺に、人間の魂を詰めているのかと聞かれ、「ほかのかっぱの手前もあるから、人魂は置いておかないわけにはいかない。
・・・が、もう半分に減ってしまったよ。うちの坊主が少しずつかじっているからな・・・」
とか
世の移り変わりも激しく「おばけの自動販売機」なんかができて、「昔から続けてきたていねいなおどかしの仕事を、機械にさせるとはあんまりだ」と怒ったり。
また(p44-45)
「わしには、どうなろうが同じことだ。・・・わしはどっちみち、かっぱの年金生活者、つまりご隠居ってわけだからね。
だが気の毒なのは若いかっぱたちさね。水の中に人を引っ張り込んだりする仕事がなくなってしまった。今ではどこのうちにも風呂があって。わざわざ池に来て・・・水浴びしようなんて人は誰もいない。風呂なんかなくしちまって、人間はまた池で水浴びをすりゃいいんじゃ。失業したかっぱを救うために!」
・・・
「まっぴらごめんだね。がまんできんのは、あのコンクリの橋だ。どんな小さな川にもどんどこコンクリの橋かけちまったうえに、らんかんまでつけてくれるんじゃから。
・・・古い腐った橋を壊されたのは、まったく残念だったね。あの橋は、むすめっこが池に水をくみにきたりすると、足元でぽきりと折れて、ドボン!水に墜落ってぐあいで、すばらしかったもんだがねえ」
といった調子です。なんとなく雰囲気はわかってもらえましたか。
次回もかっぱが出てくる話です。
参考
チェコ語原書 新版と旧版
⑥⑦
参考:研究書
「水辺の牧にあそぶ馬を河童が水中に引きずりこもうとして失敗するという伝説は、日本の各地に見られる。この類話が、朝鮮半島からヨーロッパの諸地域まで、ユーラシア大陸の全域に存在するという事実は何を意味するのだろうか。
水の神と家畜をめぐる伝承から人類文化史の復原に挑んだ、歴史民族学の古典。」(解説より)
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