ベルギーの密かな愉しみ

しばらくの間 お休みします。

見るたびに新しいブリューゲル 現代社会と人間を映し出す鏡 (2019年はブリューゲル没後450年) -2-

  (前回ブリューゲルの続き)

 信長や秀吉と同じ時代の話です。ブリューゲル(1525/1530?~1569)は 40歳くらいで亡くなってしまいますが、残した作品はいずれも完成度の高いものばかりです。絵画は40点ほどで、これがまた古びるどころか見るたびに新しい。美術史家や愛好家たちが様々な解釈をうち出してくるし、加えて、関連書類が突然どこかの机の引き出しから出てきたり、他の画家のものと思われていた作品が最近になって真筆と認められたりとアクチュアルで、ニュースが飛び込んでくるたびにわくわくします。科学調査技術(赤外線写真、X線写真、放射性炭素年代測定法など)が進歩していますから、また新たな発見に期待です。

現代社会と人間を映し出す鏡 ブリューゲル

先ごろ「パリ協定」から脱退すると発表した世界の困ったちゃん、トランプ米大統領。地球環境のことなんか微塵も考えていませんね。

私がいつも読んでいるベルギー仏語新聞の、Kroll氏のひとこま漫画にこんなのがありました。

http://plus.lesoir.be/sites/default/files/dpistyles_v2/ena_16_9_extra_big/2017/06/02/node_97510/2774125/public/2017/06/02/B9712196845Z.1_20170602073157_000+G0K963R3G.1-0.jpg?itok=2xK5GYXw

6月2日付http://plus.lesoir.be/97510/article/2017-06-02/le-kroll-du-jour-sur-le-retrait-de-trump-de-laccord-de-paris

なんとまあ、左手の人差し指で地球をクルクル回しています。(右手は中指を立てている?)そして窓からペンギンたちが心配そうに覗いています。

私は見るなりすぐにブリューゲルの 「ネーデルラントの諺(ことわざ)」(1559年)を思い出しました。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7e/Pieter_Brueghel_the_Elder_-_The_Dutch_Proverbs_-_Google_Art_Project.jpg/400px-Pieter_Brueghel_the_Elder_-_The_Dutch_Proverbs_-_Google_Art_Project.jpg

ネーデルラントの諺 - Wikipedia

絵の下の方、右寄りにあるこの絵。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/40/NP-85.jpg

Hij laat de wereld op zijn duim draaien「彼は親指の上で世界を回している」

親指の上にあるのは地球儀、「人を意のままに操る」という意味です。こんな昔からある諺ですが、ブリューゲルの絵に描かれているものの多くは今でも使われており、私もオランダ語学校で習いました。

映画『チャップリンの独裁者』(The Great Dictator, 1940)にも地球儀を弄ぶ有名なシーンがあります。

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https://www.youtube.com/watch?v=YqyQfjDScjU

ネーデルラントの諺」には愚かな人間のありとあらゆる行いが描かれています。人間ってちっとも変わらないな、つくづくそう思います。

今回の展覧会には、ブリューゲルの下絵素描による版画がたくさんあり、久々にその諷刺のきつさに笑い、寓意を推測しながら楽しみました。たとえば

https://cdn.prezly.com/cd/ab1a00c6bd11e681e269985420b0aa/S.II-19175---Les-grands-poissons-mangent-les-petits.jpg

Bruegeljaar 2019: Beleef de fascinerende beeldwereld van Bruegel in zwart en wit

タイトルは「大きな魚は小さな魚を食う」(1557年)。おもわずにんまりしてしまうでしょう。同類の諺は世界中にあるだろうし、真理をついています。特に現代の日本社会…。弱肉強食。

ただブリューゲルはいつもユーモラス。わけのわからないのがあるからいいんです。ほら、空を飛んでいる魚なんて可愛いですよね。ところが手前の小舟を見ると、お父さんが指をさしながら子どもに向かって教訓を垂れているらしく、現実に引き戻されます。

日本にも河鍋暁斎や他の浮世絵に、ことわざを扱った愉快な絵がありますね。

ところでこの「大きな魚は小さな魚を食う」は間違いなくブリューゲル作ですが、最初「ヒエロニムス・ボス」(Hieronymus Bosch、1450ころ ~1516年)と署名がありました。これは当時ブリューゲルは「四方の風」という版画出版社から依頼を受けて制作しており(いわばサラリーマン)、その際経営者が、大人気だったボスにあやかろうと思って、ボス風の下絵を描かせ、「ボス」とサインさせたのだそうです。もっともブリューゲルもすでに高い評価を受けていたのですが。

伝記的には謎に包まれた画家ブリューゲル。わずかに知られていることとして、1563年、師匠だった人の娘と結婚して、アントウェルペンからブリュッセルに引っ越しします。ちなみにその娘がまだ幼女だったころ、ブリューゲルは工房で遊んであげたりしたと記録にあります。ブリュッセルでは家族で住んでいた通りが二つ判明しているし、家(下の写真)もまもなく公開されるそうです。

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https://fr.wikivoyage.org/wiki/Quartier_des_Marolles_(Bruxelles)

ブリュッセルの6年、つまり結婚生活も6年、このかんに傑作が次々と生まれます。前回コメントをくださったりんさんmiyamarin 、ありがとうございます。ウィーンの美術史美術館のブリューゲルの部屋にいらしたんですね。なんと、羨ましいこと!ウィーン(=ハプスブルク家)はブリューゲルを10点以上と、最も多く所有しており、ゴージャスなラインナップなんです。ブリュッセル王立美術館には油彩画は3点しかありません。

前回『バベルの塔』では、塔の上部にかかる黒雲を、EUの将来に重ね合わせてしまった私は、下の絵でもいろいろ考えずにはいられません。

ピーテル・ブリューゲルの作品一覧 - Wikipedia

『盲人の寓話』(1568年、 テンペラ、キャンバス)

盲人が盲人を導くことから引き起こされる悲劇です。絵では先頭の男はもう転んで、小川にはまっている。二人目は転びそうだがまだ持ちこたえている。口を開いて何か言っている?後ろの人たち、危険を察知したかしら。もしかしたら警告を聞いて転ばずにすむかも…。

これはもしや、間違った指導者に率いられ、危険に瀕している国民、もう沈んでいくばかりのあの国やこの国のことを暗喩しているのではないでしょうか。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Pieter_Bruegel_the_Elder_-_The_Parable_of_the_Blind_Leading_the_Blind_-_WGA3511.jpg/1024px-Pieter_Bruegel_the_Elder_-_The_Parable_of_the_Blind_Leading_the_Blind_-_WGA3511.jpg いやそれとも、もともと人間の持つ盲目性、人間存在そのものの悲惨と悲劇を言っているのでしょうか。しかもわれわれは自分の頭で考えずに、ふらふらと後についていってしまう、あるいは学びもしないので同じ過ちが繰り返される…という意味でしょうか。

この寓話はもとは「マタイによる福音書」(15:14)から来ています。「盲人が盲人を案内すれば、二人とも穴に落ちるだろう」

二人目と三人目の間(遠景)にわざわざ教会が描かれているのだから、教会(信仰)が救ってくれるというのでしょうか。

ブリューゲルの生きた時代

アントウェルペンは当時、ヨーロッパ屈指の商業・金融都市であり、印刷・出版*でも中心地で一大文化センターというふうでした。(*参照:印刷の黄金時代を築いた工房 プランタン=モレトゥス博物館 - ベルギーの密かな愉しみ

その栄華の反面、時代の変わり目というのか、激動の時代でもありました。宗教改革の嵐です。カトリックプロテスタントの激しい対立はネーデルラント(現在のオランダとベルギー)を分断することになります。

ネーデルラントを支配していたのはスペインです。カール五世(神聖ローマ帝国皇帝)はスペイン王とはいえ、生まれも育ちもフランドルでオランダ語も話せたのだから、その土地に愛着はあったでしょうに、旧教カトリックを守るため、新教(プロテスタントやカルバン派など)に対し、徹底的な迫害と宗教弾圧を行いました。また度重なる戦費を拠出するため重税を課すなど、圧政で市民を苦しめました。その結果、耐えかねた多くの富裕な市民、商人、腕のいい職人や芸術家が逃げていきました。

スペインから持ち込んだ凄まじい宗教裁判は、ちょっとここに書くのもはばかれるほど。悔悛しない異端者は「火あぶり」の刑、悔悛した男は「斬首」、悔悛した女は「生き埋め」の刑…といったわけのわからない男女差別もありますが、結局は死刑なんですよね。

カール五世のあとを継いだフェリペ二世はもっと残虐で、「異端者を公開処刑すると殉教者扱いされるから、その機会を与えないがために、真夜中に土牢の中で水責めにする」。こうして5万人とも10万人ともいうネーデルラントの人々が命を落としたわけです。

そしてこのフェリペ二世ですが、スペイン黄金時代の最盛期に君臨し、広大な帝国を支配し、「太陽の沈まない国」と呼ばれたスペインの代表的な君主と称えられています。

そこでもう一度絵を見てみます。ブリューゲルは書いたものは全く残さなかった。メッセージはすべて作品に込めました。当時の人はそこから何かを読み取ったにちがいない。あの男たちは愚かな人間一般じゃなく、スペイン帝国側じゃないかと思ってみます。そして私はちょっとほくそ笑むのです。

ブリューゲルは死ぬ前に、妻に『絞首台のカササギ』(前回記事参照)を残し、あとの絵は全部燃やすように言いつけました。ブリューゲル自身に危険が迫っていたのでしょうか。すべては絵のなかにあるのです。

 

枝葉の刺繍の画家

展覧会で、ブリューゲルでもなくボス(油彩2点来ていた)でもなく、多くの人が立ち止まっては「ほぉ~」と見惚れていた絵を2枚紹介します。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e3/Master_of_the_Embroidered_Foliage_-_St._Catherine.jpg/393px-Master_of_the_Embroidered_Foliage_-_St._Catherine.jpg 

聖カタリナ

File:Master of the Embroidered Foliage - St. Catherine.jpg - Wikimedia Commons

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/15/Master_of_the_Embroidered_Foliage_-_Saint_Barbara.jpg/393px-Master_of_the_Embroidered_Foliage_-_Saint_Barbara.jpg 

バルバラ

File:Master of the Embroidered Foliage - Saint Barbara.jpg - Wikimedia Commons

 名前は「枝葉の刺繍の画家」あるいは「装飾的な葉模様を得意とする画家」で、1490~1510年ころ、ブリュッセルブリュージュ、もしくはどちらかで活動したと図録にあります。英語では ”Master of the Embroidered Foliage”、オランダ語は”Meester van het Geborduurde Loofwerk”…ってことは全部の言語で違うのか。ちょっと大変!

ともあれ、フランドルの無名の画家に名前を付けなくてはいけないので、ドイツの著名な美術史家マックス・フリートレンダー(1867~1958年)が、作風に因んで「~を得意とする画家」としたわけです。細密画はフランドルのお家芸です。ネットで他の作品も見られますよ。今PCの待ち受けにしています。

 タイトルにも書きましたが、ベルギーはかなりの予算を充てて「ブリューゲル没後450年記念」イベントの数々を計画しているようです。本当に今から楽しみなことです。

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上野のレストラン。バベル人気にあやかって。

ブリューゲル記事1.はこちら。

cenecio.hatenablog.com